入学-5
ヤーレとケラマさんの仲直りを見て、水を一口飲んだところで、そういえば私たちはまだ自己紹介してから昼1つほどしかたっていないことを思い出した。たったそれだけの時間で泣きそうになるということを考えると、ケラマさんもそれだけ緊張していたということなのかな。
と、ナリスさんの方が咳払いをひとつ打った。
「そろそろ、よろしいですか?」
「えっと、何?」
返事をしたヤーレには手で遮るような合図をして、代わりにケラマさんに尋ねる。
「どうして、わたくしを誘ったのですか?」
「そうですね……その、ケラマさんは私にとって全く知らぬ人というわけではありませんから」
つまり、緊張をほぐすためと。しかし、ナリスさんの方は答えに納得していない様子だ。
「私も、よくあなたのことを存じておりますわ。まだ社交界にいらっしゃるのも随分先だというのに、ええ、それはもう様々なお噂を。たとえば、『一挙で三得をお受けになる』だとか」
話を聞いてて頭にはてなが浮かび上がる。
「私を誘われたのは、他に意図があるのではと聞いているのですよ」
見かねたのかナリスさん自身が補足してくれた。なるほど。初めからそう聞けばいい気もしたけど、まあそれこそお嬢様の話し方というものがあるのだろう。
ケラマさんの方は最初から分かっていたらしいけど、すぐに答えなかったのは何か迷っているようだった。やがて諦めるように口を開いた。
「ええ、認めましょう。ただ、おせっかいだったようですから、少し恥ずかしくて。……ナリスさんとミルさんは、どこかすれ違っていらっしゃるようでしたから、ボタンをかけ直すお手伝いができたらと」
「ナリスさんと……私?」
「はい。できるなら、わたくしのお友達が、そちらでも仲良しであるなら、わたくしも喜ばしいですから」
「『お友達』というのはどなたが――いえ、構いませんが」
すがるような目を向けられて苦々しくうなづくナリスさん。なんとなく力関係が分かってきた。
ケラマさんはまたため息をついた。
「ともあれ、まあすれ違いというのはさほど間違ってはなかったと思いますね。すれ違いというよりは、単にぶつかったのに謝罪も挨拶もなく逃げられただけですけれど」
「あ、あの! それは、ごめん、です」
「構いませんわ。謝罪も先ほど、ようやくいただけましたし」
構わないと言っていてもどこかトゲを感じる。聞いてるだけだと責められてる気持ちになる。
「け、けど、……たぶん、ケラマさんがナリスさんのこと誘わなかったら謝れなかったと思う、です」
「ま、そうでしょうね。つまり、姫様の思惑通りということですわね。仲良しかはともかく」
貧乏揺すりをしながらもせめてもの抵抗のように最後を付け足したナリスさんに、ケラマさんは例のごとく自信にあふれた笑みを浮かべる。
「仲良くなるようなことは、きっとこれからあることでしょうから」
「……友人関係については自分で決められますので、ご心配なく」
素っ気なく告げるナリスさんに、やっぱりケラマさんは余裕の感じられる微笑みを向けている。
なんだか緊張感のある2人の沈黙。破ったのはナリスさんが激しく叩いた机の音だった。
「あくまであなたの思うようになれと!? あなたがそうおっしゃるのですね!?」
急に立ち上がって声を荒げたナリスさんに、ついびくりと身を縮こまらせてしまう。周りを見れば、他の客にも注目されていた。
「お騒がせいたしました」
周りからの視線に謝りながら、ナリスさんはすごすごと座っていった。
ふとヤーレに手を握られていることに気がついた。大丈夫だと、その手を握り返す。ナリスさんは、私を見ているわけじゃない。荒い息のまま、じっと下を向いている。
ナリスさんは水を飲んで一息ついた。そしてケラマさんの方にむき直す。
「姫様と友人になれるのは光栄ですが、だからといって。それ以上の世話を受けるつもりはありません。何度も言うようですが、私の交友関係は私が決めますので」
それでまたナリスさんが立ち上がった。
「そろそろ席を空けませんこと? 6つ鐘も近づいていることでしょう」
「あ、うん。そうだね。すみません、お会計を」
店員を呼んで会計を済ませ、私達は店を去った。
*****
アカデミアに戻る間、ナリスさんはずかずかと足を速めて進んでいく。
「あ、ナリス。そっちじゃ逆だよ」
ヤーレに声をかけられて立ち止まり、今度は正しい道を早歩きで進んでいく。
「怒らせてしまったようですね」
ケラマさんが控えめな笑みのままぽつりとつぶやく。けど、そんなに怒らせるようなことは言ってなかったように思うけど。
そう告げると、ケラマさんはゆっくりと首を振った。
「ナリスさんのノイレソース家は、なんと言いますか、私どもと長い付き合いのあるお家ではありませんから。それゆえに、辛い思いをされたことが、あったのだと思います」
うーん、これもまたお家事情というやつか。どうもそっち方面はよく分からないな。
「でもさっきは『家に守られてる』って言ってたよ?」
ヤーレの言葉にもまた首を振った。
「もちろん、それは正しいでしょう。ですが、守られるがために、縛られるということもあるものです。きっとナリスさんは……いえ、不躾ですね」
お嬢様にも苦労があるということかな。前を見れば、ナリスさんはもうずいぶん先に進んでいた。
「お三方、置いていきますわよ」
怒っていてもなんだかんだ待ってくれるナリスさんは、根が優しいのだろうな。……すれ違ったままだと、たぶん気付けなかっただろう。
小走りで駆け寄ると、ナリスさんは小さくため息をついた。
「行きますわよ」
「うん……あの」
声を掛けるとナリスさんは不機嫌そうな顔をしながらも立ち止まってこちらを見た。
「えっと、私も、ナリスさんと出来たら友達になりたい、です」
言ってから、なんだかすごい勢いで口の中が乾燥してきた。胸の辺りがドクドクとうるさい。
ナリスさんは、あきれ顔でこちらを見た後、なにか少し考え込むようなそぶりを見せる。
「念のための確認なのですが、この辺りでは友人関係は宣誓して作るものなのですか?」
「え、どうなんだろう……。わたし、友達とかいたことないし」
「ああ……。まあそれはともかく。先ほども言いましたが、たとえ姫様の頼みでも――」
「分かってる!」
言葉を切るように言うと、ナリスさんはちょっと驚いたような表情をこちらに向ける。ちょっと声が大きかったかな。
「あの、ケラマさんも関係なくて。私が、私がナリスさんと友達になれたらいいなって、そう、思った、です」
尻すぼみになっていく私の声を、ケラマさんはただ静かに聞いて、私がもう続けないことを確認してから口を開いた。
「まあ、私と友人になりたいというのは分からないでもありませんが。しかし変わっていますわね。正直、あなたからはよい印象を持たれているとは思っていませんでしたから」
……返す言葉がない。実際そう思っていたのだし。正直今でもちょっと怖いし。
それでも、なんていえばいいんだろう。
私はこの人と、友達になりたいと思ったんだ。
ナリスさんはちょっと考えながら、またため息をついた。
「ま、いいでしょう。あなたがどう思おうとも、それはあなたの自由です」
「じゃあ!」
「お待ちを。私が友人になるかは別問題。……まあ、検討しておきます。せいぜい、好印象を与えられるよう努力してください」
なるほど。じゃあ頑張ろう。……どう頑張ればいいかよく分からないけど。
悩んでいると、ぽんと肩を叩かれた。見れば、いつからかヤーレが後ろにいた。
「ね、そろそろ行こうよ」
「あ、うん」
「では急ぎましょう。もう日もいいところに来ています」
みんなにつられて空を見上げるが、正直これまで時間を気にして行動してなかったから、よく分からない。まあみんながそう言うからそうなんだろうな。
それでみんなに付いて、改めてアカデミアに向かう。
「ああ、そうですわ」
道すがら、ナリスさんが声を上げた。
「ミル、私のことは単に『ナリス』とお呼びなさいな。どうもあなたは敬語に慣れていないようですから、言葉遣いも普通で構いませんわよ」
「え、変だった、です?」
ケラマさんの方を見ると、曖昧に微笑んでいた。……なるほど。
「じゃあお言葉に甘えて……ありがとう、ナリス」
「あ、私のこともぜひ『ケラマ』と」
親鳥からの餌を待つ雛のようにこちらを見上げるケラマさん。これは、呼んでみろということなのかな。
「えっと……ケラマ……さん」
……だめだ、なんというか、付けない方が落ち着かない。でもケラマさんは不満そう。
「どうして?」
「なんでと言われても……」
「ではもう一度」
というか、こうやって見つめられているなかで単に名前を呼ぶのがちょっと辛い! でも呼ばないと納得してもらえなさそうだ。
「ほら、ケラマって呼ぶだけじゃん」
ヤーレがケラマさんに「ねー」なんて言ってこっちに詰め寄ってくる。
「あ、あう」
「お2人とも、その辺りになさってはいかがですか」
「では、ナリスさんが代わりに」
ケラマさんが両手を合わせて標的をナリスの方に向けた。そうして2人はナリスの方に詰め寄っていく。
「あ、あの」
「どうしましたか? ナリスさん」
空気を求める魚みたいにナリスさんが口をパクパクさせ始めた。た、助けないと。
「あ、い、いま鐘が動いた。ような」
それで2人がアカデミアの方に注目を移した。その隙にナリスがこっちに逃げてきた。
「これで貸し借りはなしですわ」
ひとまず助け返せたようだ。でもヤーレがすぐにこっちに戻ってきた。
「動いてなさそうだけど?」
「それでも、さほど時間がないのは確かですわ。早く戻りましょう。あの『魔術遣い』は真面目そうな方でしたし」
それでヤーレも納得して、なんとか私達は難を逃れた。
まあ、いろんな人に助けてもらいながらとはいえ、アカデミアでなんとかやっていけそうでよかったかな。