祭り-3
食事も済んでいるのに居座るのも迷惑であろうということで、私たちは店を後にいたしました。そろそろ昼4つも中頃といった頃合いで、日もかなり高くなっております。凪の始まりも近く、時折吹く風も優しく髪を撫でるばかりで、少々肌寒いながらも過ごしやすい日和でございます。
ともあれ、本日このように姫様方とご一緒することになってしまったのは完全に事故。『暴馬』に乗せられてしまいましたが、今度は引きずってでも——
「みんなは今日はこれからどうするのん?」
——思ったそばからこれです。いえ、この程度であれば世間話の範疇。無理矢理に話題を変えてはかえって不自然ですし、まだどうとでもなることでしょう。
ヤーレ様は『暴馬』の問いを受けて残るお2方と顔を見合わせ、困ったようにお笑いになりました。
「実はちゃんと考えてなくて。夏凪の頃はケラマの家にいて、ちゃんとこの街の景色を見せれてなかったから、せっかくだし冬凪は街を見て回ろうとは思ったんですけど」
「そうでしたか。初めての景色ということであれば——」
「だったら私たちが案内しようか?」
私、たち? いえそうではなく、そもそも——
「サレッサも同じ考えみたいだし」
「いえ、私はそのようなことは」
「構いませんよ」
「姫様!?」
思わぬところからのお声に、つい目を見開いてしまいます。姫様は私の困惑をよそに、同行者たちの方へ向き直されます。
「お2人も、よろしいでしょうか」
「え、あ、うん」
「私も別にいいけど……」
表面上では同意されながらも、ヤーレ様は姫様に耳打ちされるように近づかれます。
「なんというか、サレッサさん、いやそうじゃない?」
さすがはヤーレ様、思考を直接言葉に出せることは、思考自身に問題がなければ美徳となります。無論私も同行できることは誉高いことではございますが、いかんせんもう1人が。
しかしながら姫様はどこまでも優しい微笑みを浮かべなさいます。
「あれは、照れ隠しのようなものですから」
「……そうかなぁ」
「ええ。サレッサとは、物心ついた時よりともにありますから」
もちろん、姫様の物心ついた時より、という意味でございます。姫様が同意を求めるようにこちらをご覧になるので私としては頷くほかございません。
ともかく、姫様にかような物言いをされてしまっては、もはや受け入れるほかないことでしょう。
*****
案内をする、というお話ではありましたが、年越しのお祭りとは異なり、特別な催し物があるわけでもない冬凪の日においては、どこか向かうべきところがあるわけではないとのことでした。
「ちなみにそっちの2人はこの前の夏凪は街にいなかったんだっけ?」
「あ、はい」
「夏は湖の辺りで過ごしていましたから」
「えー、それもいいなぁ。水着とかいつから着てないかなぁ。でもそっかぁ、じゃあ大凪初体験かぁ」
『暴馬』は意味深に笑いながら、こちらにも目を向けてきますので、首を振って答えます。
「私も同行しておりましたから」
「それも羨ましい! まあそれじゃああの風見鶏も今日初めて見たわけだよねぇ」
宿からは少し離れたところでございますが、『暴馬』の示す通り、朝に立てるよう頼まれた風見鶏はこの辺りの家々にもございました。時折風に揺られて音を立てるものもございます。
「そっちの子は?」
「私はこの街出身なので」
「ふんふん。それじゃあ、ね」
『暴馬』はヤーレ様に、人差し指を口に当てて静かにするようにとサインを送ります。ヤーレ様も意図を組んだようで、いたずらっぽく笑って同じようにサインを返しました。
「や、ヤーレ……?」
「大丈夫大丈夫。それで、どこに行くんですか?」
「しばらくはいろんな風見鶏を見てもらいつつ、広場に向かってみようかな」
そうして『暴馬』は、上を見やすいようにやや広めの道を選ぶように先行していきます。
大凪の頃に外出を控えるのはこの辺りでも同じようで、空はもちろん、道を行く人影も普段に比べると少ないものでございます。その分、上に気を取られていても歩きやすくはありますが、そうは申しましても前の方々に支障がないか見守ることを優先すべきでしょう。
「あほら、あっちの方……こほん、右手の方をご覧ください」
『暴馬』が案内人のように指を指した方向には、朝に私の刺したような板製ではなく、木彫りのような風見鶏が飾られておりました。重いのではないかとも思えましたが、他の風見鶏と同じ方向を向いているようですから、しっかりと役割は果たせているようです。
「あそこはねー、えーっと、誰ん家だったか忘れちゃったけど、毎回あんな感じでごっついのを作るんだよねぇ。しかも手彫りらしいよ」
「えっ、魔女なんですよね」
「もちろん」
ヤーレ様が驚いていらっしゃいますが、他の皆様にその驚きが正しく伝わっていないように思えます。
「他の方々は、魔術などで風見鶏を作られるのでしょうか」
「ん? ああ、そだね。だいたい家とかも魔術で作るし。風見鶏もそうやって作るか、後はまあ私みたいなところから買うかだけど、それにしたって魔術で作ってるから。手作業でああやって掘り出すのは、かなり趣味入ってるよねぇ」
「夏凪も作ってるってことだから、半年に一回は掘り出してることになるんですよね」
「それは大変そう……」
ミル様も感嘆の声を漏らし、ヤーレ様と具体的にどのような作業を行っているかを話し始めました。
ミル様に驚きを伝えられたことに満足していると、姫様がいつの間にか歩みを緩めておいでで、気付けばお隣に並ばせていただく形となってしまいました。
なにか至らぬ点があったかと不安になりますが、まずは姫様からの言動を見るべきでしょう。
「私、困らせていないかしら?」
不安を感じさせるお言葉とは姫様らしからぬものではございます。そもそも、どなたを困らせたとおっしゃるのでしょう。お顔を伺い申しましても、変わらぬ微笑みをたたえていらっしゃって、どうにもお考えを察することも難しいです。
「どなたさまも楽しくしていらっしゃると愚考いたしますが」
「サレッサは?」
「私でございますか?」
無論、困っていることなどございません。『暴馬』の扱いには頭を悩まして降りますが。
「あえて言うのであれば、その質問こそ」
そうお伝えすると、姫様は小さくお笑いになりました。
「そうね、つい聞いてしまったのだけれど」
「いかがなさいましたか?」
異変に気付けないことをお伝えするのは心苦しくはありますが、悩んでいらっしゃるのであれば私の恥など些事でございます。
しかしながら、姫様も確固としたお答えをお持ちではないようで、お答えをいただくまでにも蓋呼吸ほど後となりました。
「ただ、少し強いてしまったかと思って」
その内容もひとまず満足のいく者をと考えてのものに思えます。ひとまずはこれで満足せざるをえないでしょう。
「そのようなことはございませんよ。ただ、なんと申しますか」
「『暴馬』?」
図星を突かれてしまい、言葉に詰まります。その様子をご覧になって、また小さくお笑いになりました。
「苦手そうだものね」
「あれ? ケラマが普通に喋ってる」
ヤーレ様にこちらの話が聞こえてしまったようで、姫様の方へとお近づきになります。
「あの、人並みにとは」
「ほら、なんていうか、ケラマって誰にでも敬語じゃない? でもサレッサさんにはそうじゃないんだなって。よく考えたらサレッサさんだけ呼び捨てだし」
あまり考えたことのないところで、つい姫様と顔を見合わせてしまい、そうしてお笑いになった姫様に釣られて私も失笑してしまいました。
「あの、サレッサは、なんと言いますか」
「やっぱり昔からの付き合いだからってこと? でもいいなぁ。その方が仲良しっぽいし。ねえ、私達にもおんなじように喋ってくれない?」
「それは」
「その方がミルもいいよね?」
「え、う、うん」
勢いに押されるようにミル様もうなずかれますが、その様子をご覧になって姫様は微笑まれました。
「ミルさんも、私を『さん』とつけてお呼びになりますよね」
「え、あ、それは……」
「おーい、そろそろ着くよぉー」
『暴馬』の声に、お3方の話し合いは中断となりました。
*****
『暴馬』に連れられた広場は簡単な造りで、その名の通り走り回れそうなほどのスペースに、井戸といくつかベンチが置かれている程度のもので、飾りの像や泉のようなものもございません。
しかし空を見れば、たしかに種々様々な風見鶏を窺えます。無論高さがございますから、広場に面した建屋と、一部の高い建築物のものが見える程度ではございますが。
「それで、こちらでは何が行われるのでしょうか?」
周りを見れば、ベンチに座って空を見上げる方が幾人か見られます。恐らくは同じ目的なのだろうとは思いますが、そもそも何を目当てにここまで来たのか、まだ聞いてないことを思い出しました。
『暴馬』は意味ありげに笑みを浮かべ、ヤーレ様の方へとなにやら合図をお送りします。
「あとどれくらいだと思う?」
「えっと、もうちょっと?」
「じゃあ、みんなでベンチに座って待ってよっか」
『暴馬』は言いながら空いているベンチへと向かい、座って空を見上げます。
恐らくは凪とともになにかがあるのでしょう。ここは大人しく従うことにいたしましょう。
大凪と申しましても、基本的には通常の凪とそう違いはございません。音もなくはじまり、次の風が吹けばそれで終わりとなります。違いはその規模と、そして時期が計算できるということ。
その計算によれば、今年の冬凪はこの辺りだとちょうど昼5つになるとのこと。下を見れば影はもうほとんどなく、今にも鐘が鳴るだろうといったところ。
ふっと今日一番の突風が体を冷やします。その勢いで回り始めた風見鶏たちが音を鳴らします。後ろから前へと、まさに風の通り道を告げるように。
そして風見鶏の音が鳴り止むと、今度はアカデミアの鐘が鳴り始めます。
「あっ」
鐘が鳴り響く中、ミル様が声を上げられました。それと同時に、また風見鶏が音を立て始めます。しかし先ほどとは響きが異なり、回るよりも揺れていると申した方が正しいかと思われます。
実際、空を見れば風見鶏が揺れています。それこそ天井と繋がる棒から外れそうなほど。
「えっ」
「まあ」
予想は当たり、風見鶏達は棒から外れてしまいます。しかし落ちてくることはございません。むしろ羽を広げてその場で飛んでいます。板製のものまで羽を広げてありますが、どのようにしてそうなっているかについて考えるのは野暮というものでございましょう。
しばらくはその場に留まってありましたが、やがてゆっくりと動き始めます。高度はそのままに大きく回るように移動し始め、様々な風見鶏が頭上を飛び回り始めます。
やがて街中から歌が聞こえ始めました。
風がなければ飛べぬ鳥が、凪の日に飛び立てず困っていると、旅人がやってきて、その両腕に付いた羽を動かして風を自ら呼べば良いと、そう伝えた。それができれば苦労はしないと仲間達は旅人の言葉を聞き流すけれど、ある鳥だけが旅人を信じて羽ばたこうとする。
たしかに風は起きるけれど、1人の力では飛べるほどの風にはならなかった。それでも羽ばたき続けていると、やがて仲のよかった鳥も手伝ってくれるようになり、起こせる風が強くなっていく。小さなまとまりができるようになると、中央の鳥がだんだんと浮き始める。少し高くなった鳥が地面に風を送ると、その風に乗って周縁の鳥も飛べるようになる。そうやって、飛べなかった鳥たちはどんどんと高い空へと飛び立っていったと。
歌に合わせるように、風見鶏達もだんだんと空の方へと飛び立ってまいります。そして凪が始まったにもかかわらず、風見鶏達の動きに合わせるように空気が動くのを感じられます。渦を作るように吹く風に舞い上げられて、やがて風見鶏達は空へと消えて行きました。
「これが、魔法都市名物の『大凪の鳥送り』でしたぁ」
『暴馬』の言葉に合わせるように、街中から拍手が響きます。その拍手が鳴り止んだころには、風見鶏によって起こされた風は吹き止み、まさしく凪といった様子となりました。
「なんか、すごかった」
ミル様が自然とこぼしたお言葉に、姫様がうなずかれます。
「とてもよいものでした」
「でしょ~~!!」
ヤーレ様と『暴馬』が声を合わせます。そして各々詳しい感想を話し合われていると、ふと『暴馬』がこちらを見つけました。
「サレッサは?」
微笑ましく眺めていたところへの質問に、つい言葉が詰まってしまいました。
「……なんと申しますか、皆様のようだと、そう感じられました」
「お、いいところに目を付けたねぇ。歌の内容も考えるとね、これは新しいことを始めようっていう人を応援する為のものじゃないかって思ってて、鳥が真の自由を得るっていうかねぇ――」
『暴馬』が自説の講釈を流している間、また空を見上げます。
そこにあったことすら忘れてしまいそうなほどに風見鶏達の痕跡はなく、あるのはただそれまで支えていた棒ばかりとなっていました。




