祭り-2
それでは祭り……の前に、冬凪の日がやって参りました。
年に2度、世界中の風が止まる大凪の日。冬のころの大凪なので、冬凪と呼びます。もちろん、地域によって呼び様は異なりますが、そのあたりの差異を気にせずに済むのも翻訳魔術のたまものでございますね。
今日も今日とて朝食を済ませ、姫様を見守りに向かいます。その途中の廊下で、宿の女将たる『案内人』様と目が合いました。
「ああ、サレッサ。いいところに」
「いかがなさいましたか?」
「これ、お願いしてもいい?」
いいながら手渡されたのは、鳥の意匠が施された木の板のようでした。足先からは棒が伸び、鳥と同じ方向に矢印があります。
「こちらは」
「なにって、冬凪の風見鶏だよ。屋根に台座があるから刺しておいて。今日も登るんでしょう?」
普段よりお世話になっている身ですし、断る理由もありませんので承りました。
屋根の上へと向かえば、なるほどたしかに棟の先が少し広がっており、その中心には穴があります。刺してみればほどよく安定し、指で押せばその分だけ回りました。
周りを見渡せば、他の屋根にも似た様な風見鶏が置いてあります。どうもこの魔法都市ならではの風習のようですね。よくよく見れば家ごとにやや異なる意匠となっており、大きく翼を開いた者や、トサカが背丈と同じほどに大きく作られたものなどもございます。
周囲と向きを合わせるか考え、やめました。凪が近いとはいえまだ風は吹いております。放っておいてもそのうち同じ向きとなることでしょう。
それでは、寮の方へと目を向けましょう。
*****
姫様のご様子をうかがう際には、当然ながら姫様以外にも目を向ける必要がございます。まずは姫様方。どうやらちょうどヤーレ様が目を覚ましたところのようで、ミル様とお茶に興じていらっしゃいます。いつもとなんらお変わりなくなによりです。
次に周囲。姫様に近づかんとする不届き者がいれば、可能な限り早く発見する必要がございます。
開けた場所であっても、人の通る道というのは限られたもの。そこから外れた者がいれば、遠くからでも気付けるものです。そのため、まず確認するはその道でございます。
例えば廊下。寮に住む見習たちや魔女の他の影は見当たりません。
次に寮へと至る道々。寮に予定のある方はそういらっしゃいませんから、寮に向かう方はそれだけでもよく見る必要がございます。
魔法学院の門は常に開かれており、外部の方であっても誰に咎められることもなく入れます。そもそも警備などはございません。自分の身や財産は自分で守れるという考えなのでしょう。
アカデミアを訪れるのは、主には噴水や人工湖の近くで戯れる者、図書館に向かう者などで、時折本棟にいらっしゃる魔女に用があるという者も。まあつまりは無害ですね。
そうして正門まで目を向けると、なにやら見覚えのあるフリルが視界の隅に入りました。あれは……やはり『暴馬』です。
嫌な予感が……いえ、彼女もアカデミア出身の魔女。訪れる理由などいくらでもあることでしょう。
『暴馬』は額に手を当てながら遠くを覗っている様子。やがてこちらの方に目を向け、手を振ります。……こちらに向かって? いえ、これだけの距離があるのですから裸眼では――ない。もし魔法を使っているなら、こちらの姿を視認することも不可能ではないでしょう。
『暴馬』はそのまま図書館でもアカデミア本棟の方でもなく、寮の方へと向かい始めます。これはまずい。なんということはございませんが、なんとなく姫様方とは会わせたくありません。
「『案内人』様!」
急ぎ窓より顔を出して声をかけます。幸い、すぐに『案内人』様に応じていただけました。
「どしたの? あ、風見鶏に問題があった?」
「そちらは抜かりなく。それよりも、頼みます」
「そっちね。どこまで?」
「アカデミアの寮まで」
『案内人』様は頷き、詠唱を始めます。言葉が続くに連れて青い光に包まれていき、そしてその光がこちらへと参ります。
「舌噛まないようにね」
そうして急に地面に押しつけられるような感覚になります。しかし実際にはまったくその逆、私の体は中空へと放り出されており、数秒間の空の旅を楽しんだ後、今度は体がふわりと浮き上がるような感覚になったところで地面に着地いたしました。
風で乱れた髪を整えながら周囲を見渡すと、寮の近くの芝生に降りたようです。そして……いました。あのパステルカラーのフリルは他にいません。
「あれ、サレッサじゃん。さっきまで屋根の上にいたのに……あ、『案内人』に送ってもらってたのかぁ。わざわざ会いに来てくれたの?」
「ごきげんよう。こちらへは何用でございますか?」
「べっつにー? ただちょっと挨拶に」
言いながら脇を通り抜けようとしてきますので、体で止めます。
「なに、なにか見られて困ることでもあるの?」
「いえ、あなたに見られて困るようなことは」
むしろ『暴馬』を見られたくないと申しますか。
しかし当然ながら『暴馬』は諦めません。
「じゃあいーじゃん! 通してよ」
それでもやはり通すわけには……いや、よく考えたら『暴馬』も魔女なのですから、本気になれば私など――。
「サレッサ?」
急に後ろよりお声が届きました。振り返らずとも、その主がどなたさまであるかは存じております。しかし、振り返らないわけにはまいりません。
「……姫様、これは――」
振り返れば姫様の他、ミル様にヤーレ様もいらっしゃいます。そして全てをご存じであるかのような姫様の微笑みの前では、どのような取り繕いも無用ということがうかがい知れます。
「――これは、ごきげんよう。お2方も、お変わりございませんか?」
「え、あ。はい」
「それよりそっちの人って」
「えー、私のこと知ってるの? 私ってもしかして有名人?」
咳払いをして『暴馬』をいなします。
「こちらは『暴馬』。この方の魔道具に世話になっておりまして。『暴馬』、こちらがケラミリア嬢に、そのご友人の」
「ヤーレです! こっちの大きいのがミルです」
「よ、よろしくお願いします」
「よっろしっくねー」
『暴馬』は妙なポーズを決めながらウィンクをなさいます。が、残念ながらどなたにも響かなかったようで、ミル様にいたっては少々怯えていらっしゃいます。
しかし、『暴馬』はそのようなことは気にしたりはいたしません。
「みんなは今から朝ご飯? 私達もご一緒していい?」
「もちろん! いいよね、ミル、ケラマ」
ヤーレ様は当然のように許諾なさいます。……怖れていたことはこのことでしょうか。
ん?
「達って……私もですか!?」
「なに、ダメなの?」
朝食はすでに済ませてありますが……しかし『暴馬』ひとりを同行させるのは不安が過ぎます。
「みなさんがよろしいのであれば」
「構いませんよね」
今度は姫様がお2人にお聞きになります。こちらも特に異論はありませんでした。
というわけで、5人で食事へと向かいます。
*****
近くの街食堂へ行けば、昼3つのころとしては幾分か空いているようにみえます。そもそも大凪のころには閉める店も少なくありませんから、今日に限ってはあまり店を利用するという習慣がないのでしょう。
そういうわけで5人でも問題なく座ることができました。お3方と私どもが向かい合うように座ります。
みな様思い思いの食事を済ませ、雑談に興じています。まあ分かっていたことではありますが、内容としてはヤーレ様から『暴馬』への質問が大半となっておりますね。
「じゃあ『暴馬』は普段は商人からの依頼で魔道具を卸しているんですか?」
「卸すというよりはメンテナンスって感じだけどね。だからこの頃は暇で、次忙しくなるのは年明けのころかなー。祭りでものを売ったらまた仕入れに出るでしょ?」
「なるほど!」
ヤーレの反応に満足したように頷きながら、『暴馬』は上品に食後のお茶を飲みます。
「そういえばみんなは一緒にお祭り回るの?」
「はい。あれ、サレッサさんも誘うってケラマが言ってたような」
まだ直接はうかがってはおりませんでしたが、姫様の方を拝見すれば、微笑みながらうなずかれました。これは、そういうことなのでしょう。
「ええ、僭越ながらご一緒させていただきます」
「えーいーなー。ねぇ、私も一緒に行ってもいい?」
飲んでいたカフェを吹き出しそうになりました。『暴馬』のほうをチラリと見れば、こちらの視線に気付いてにやりと笑います。このためにやってきたというわけですか……。
表情は変えずに、しかしどうにか断ってもらえないかと祈っておりましたが。
「いいんですか!? 2人もいいよね?」
……ええ、分かってはいたことです。ヤーレ様が断るようなことはないと。そして、姫様方も断る理由はないでしょう。
「ナリスさんたちにも聞いてみませんとね」
「大丈夫だって、どのみち大所帯だし」
「ありがと~! じゃあ当日はお薦めの店とか教えちゃうね。どういうの見たいかとかってある?」
そうして祭りで行きたいところなどに話が変わってしまいました。
まあたしかに商人の情報にも詳しいでしょうから、心強い同行人ができたと、そう思うようにしましょう。




