補習-1
結局ほとんど寝て過ごしてしまった運動会を終え、その後は特に大きなイベントもなく日常が過ぎていった。
気がつけば、また長期休暇前の試験が近づいている。
しかし、半年前の私とは違う。人間反省という物が出来るのだ。1月も前からナリスに頼み込んで勉強を教えてもらい、普段の授業でもこれまでより内容が理解できている……気がする。いや、気がするだけじゃなくて、たまにある小テストの成績も、明らかに上がっていている。……まあミルやケラマよりは低いけど、問題になるほどじゃない。
いうなれば、そう。この厚くなった支給服に合わせるように、私も知識の衣を厚く羽織り始めているのだ。
とにかく、これから2年目を迎えるに当たって、準備は万全、といってもいいはずなのだ。
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1年目の授業も終わりに近づくと、魔女の常識の授業でやることもなくなってきたらしく、この授業では自習をしたり分からないことがあったらアミー先生に聞いたり出来る時間になってきている。
いつものようにミルやケラマ、ナリスやヨミーさんと並んで座って待っていれば、昼3つの鐘の音とともにアミー先生がやってきた。
「さて、もうすぐ試験を行って、それで1年目の授業が全て終わりになります。」
教卓の前に立つなり、アミー先生はそんな風に始めた。最近とはちょっと違う雰囲気に、少し教室の空気がピリリと締まった。
「その後長期休暇を経て、みなさんは見習いとして2年目を迎えることになります。今年度については、この環境に慣れてもらうことが重要でしたが、2年目においては自らの師匠を見つけることが重要となります」
そうしてアミー先生は振り返って白板に杖を当て、ローブを着た人を立てに2つ並べる。
「これまでにもお伝えしていますが、師匠とは、魔女の世界においては自分の親同然の存在。かつては『師匠の言うことは絶対』というほどだったそうですが、まあ今でも師匠を誰とするかが魔女としてどう活きるかが決まってくると言っても過言ではありません」
どこか脅すような言葉遣いで、つい生唾を飲んでしまう。
「これまでに出会った魔女のこともそうですが、来年には専門授業も始まりますから、そこで新たに出会うだろう魔女達も含めた中から、ぜひ気の合う人を探してみてください」
それで言うことを言ったのか、アミー先生は「ではみなさん自習をどうぞ」と、白板を消した。
*****
授業終わりを知らせる鐘が鳴る頃に、アミー先生が思い出したように声を上げた。そして私のところまで近づいて来る。
「今日の授業が終わった後、私のところまで来てください。では」
同時に鐘が鳴って、アミー先生は去って行った。え、なんで?
「今の、私のことだった、よね?」
「ヤーレさん、また何かやらかしたのですか?」
「いやいやいやいや。何も心当たりない……っていうかまたってなに?」
これまでに呼び出しを受けたことはない……いや一度だけあった。けどそれは夏休みの追加の宿題を渡すためだったし、そこについては今回は結構自信あるし。
「まあ行ってみないことには」
「それもそうだ。とりあえず気にしないで次の授業に行こ」
というわけで、私は問題を後回しにした。
後回しということは、当然いつかは立ち向かわないと行けないわけで。
授業が終われば、アミー先生の元に向かわねばならない時がやってくる。
「……じゃあ、行ってきますか」
「あ、ヤーレ。ついて行く?」
「いやー、大丈夫でしょ。後回しに出来るってことだし」
ミルからのありがたい申し出を断って、私は1人で先生の元に向かうことにした。なんというか、みんなで行ったら大事になってしまうような気がしたのだ。
そんな話じゃない。はずだ。むしろ褒められるのかもしれない。最近は調子がいいですね、これからもがんばってください。なんて。
そんなわけでアミー先生の研究室。窓からは傾き始めた影の様子がうかがえる。
アミー先生の研究室に来たときには、大抵『最強』がいらっしゃることが多かったのだけど、今日は席を外しているみたいだ。代わりに、なぜか『泣女』先生がいる。
勧められるがままにアミー先生の向かいに用意された席に座る。『泣女』先生はアミー先生の後ろに立って、困ったように頬に手を当てている。
緊張感のある沈黙を、アミー先生の咳払いが破った。
「単刀直入に言いますけど、これからしばらく補習を受けてもらうことになるかと思います」
「……はい?」
「補習です」
別に聞こえなかったわけじゃない。2回言われたって、受け入れるのには時間が掛かる。ほしゅう、ホシュー、ほしゅーね。あーはいはい。
3回唱えてようやく頭の中に入ってきた。
「いやいやいやいや、それ半年くらい前にもやりましたよね?」
「あれ、たしか夏は課題で済んでましたよね」
「そ……うですけど、なんというか、気分的に」
アミー先生は納得いっていない様子ではあったけれど、本題でないから気にしないことにしたようだ。
「ともあれ、一般教科ではなくてですね」
「え、でも魔術や魔法だったらミルやケラマにだって負けてないと思うんですけど」
「それはそうですね。さすが魔女の子だけあるといいますか。……というか、分かってて先延ばしにしてませんか?」
言われた言葉が突き刺さって言葉が止まる。
本当はちょっと分かってた。というか、そうじゃないと『泣女』先生がここにいる理由が分からなくなってしまう。
「受けてもらう補習は魔力操作です」
「え、で、でも……そんなできてない……んですか?」
「まあこのだいたい1年で1歩も進めてないからね」
『泣女』先生が話に入ってきた。
「おちびちゃん達はもう杖を光らせるのは安定してきて、早い子だと自分の体の魔力付与も習得し始めてる。でもあなたは……」
『泣女』先生も最後まで言い切らないで、アミー先生の方を向いてしまった。アミー先生は下を向いてため息を……つかないで、私の方にまた顔を向けた。
「はっきり言うなら、このままだとあなたの師匠になってくれる人が出てこないかもしれません」
シショウニナルヒトガイナイ。
急に心臓の音が大きくなって、アミー先生の言葉が小さくなる。師匠がいない。師匠がいないと、どうなる? 師匠がいないということは、弟子にはなれない。魔女の弟子になれないと言うことは、魔女にはなれない。魔女になれないということは?
ふいにイメージが浮かび上がった。ほうきや杖にまたがって飛んでいくミルとケラマ、それにナリスを地上で見送るシーン。うん、やっぱりミルにはほうきの方が――
「ちょっと、大丈夫?」
『泣女』先生に肩を揺さぶられて、現実に戻ってきた。頬に下からすくい上げるような感触が伝わる。
前を向けば、アミー先生はばつの悪そうな顔をしていた。
「別に見放すわけじゃないですから。そうならないために、補習をしよう、ということなんです」
「で、でも、結構な時間がんばってたつもりなのに」
いいながら、視界が歪んでくる。
本当は、なんとなく分かっていた。
魔力操作の授業中、『泣女』先生が私のところに来ることが多くなっていたこと。どう考えても、私だけ進みが遅い、というかずっと同じことしか出来ていなかったこと。
ミルは例外級にすごかったし、ナリスも最初の授業で杖を光らせるくらいにセンスがあった。だからしょうがないんだと。周りの人がすごいだけなんだと、自分をごまかしてきていた。
でも、もう授業を始めてからどれだけ時間が経った? それだけやって何も出来ないなんて、もう才能がまるでないとしかいえないじゃないか。
「ほら、また泣いちゃったわよ」
「いや、だからそもそもあなたがもっと早く相談してくれれば」
「だって、ときどきいるじゃない、ここまで時間が掛かる子」
「わ、私以外もいるんですか?」
こぼれる涙を拭いながら、聞こえてきた言葉から聞き返すと、『泣女』先生が答えてくれた。
「今回だとあなただけだけと、過去にはだいたい2~3期に1人くらいは」
「その人達は」
「半分は魔女になったわね」
「……もう半分は」
聞かなくても分かるけれど、聞かずにはいられなかった。
「……まあ、魔女になるだけが人生でない人もいますから」
「で、でも私は」
震えてどうしようもないような声を、アミー先生が止めた。
「分かってます。それに、あなたが魔力を扱えないのには恐らくは特別な理由があるようなのです」
「才能がないとかじゃなくて?」
「……たぶん」
アミー先生が断言しなかったので、すこし止まりそうになっていた私の涙腺はまたバカになってしまった。
「あーもうほら、どうしてそこで変な言い方するの」
「すみません、つい」
「大丈夫だからね、あそこのちんちくりんの言い方より全然可能性があるから」
『泣女』先生がフォローしながらあやしてくれたけれど、しばらく私の心は落ち着かないままだった。




