番外:205号室の日常 夕編
昼8つ(午後3時半過ぎ)の鐘が鳴ると同時に、『眼鏡梟』は自らの魔術を解く。
「それでは、今日はここまで。そろそろテストも近づいてますから、ちゃんと復習しておいてください」
その言葉とともに教室はにわかに騒がしくなり、気がつけば『眼鏡梟』は去っていた。
ミル・ヤーレ・ケラマの3人も、それぞれに力を抜いて、のびをしたりしている。
「今日はこれからどうする?」
「ヤーレさんは、ナリスさんのお世話には」
「今日は勉強会は休み! ちゃんとがんばってる分、休めるときは休まないと」
「じゃあ、またお店覗くとか?」
「それもちょっとなぁ。最近寒くなってきたし、気分的にも……そうだ!」
ヤーレは名案を思いついたというように指を鳴らして立ち上がった。
「お風呂に行こう!」
*****
3人は一度寮に戻って荷物を降ろし、一番近い公衆浴場に向かった。
魔法学院のある魔法都市ディルーノには、公衆浴場が5ヶ所にある。その中でも、アカデミアに近いところは最大の広さを持っており、アカデミアの本館と並ぶほどの大きさがある。
入り口で湯浴み着とタオルを受け取って、3人は更衣室に向かった。
基本的には男女で別になっており、さらに専用の湯浴み着に着替えることになっている。もちろん、獣人用の湯浴み着も色々と用意されている。
ヤーレやケラマは慣れたようにするすると着替えていく。薄手のTシャツに短パン、それにタオルキャップといったような雰囲気である。ケラマは髪が長い分、タオルキャップが膨れているようになっている。
「それにしても、この着ているようで着ていないような服は、なんといいますか」
「まぁ結構薄いもんね。水も吸うけど、毛を管理する為のものなんだって」
「なるほど……」
自然と2人はミルの方に視線を向ける。ミルはタオルで体を隠しながら着替えていたので、まだ上半分しか着替えられてなかった。
「あ、えっと?」
ミルは獣人の中では体毛が薄い方で、目立つのは耳と尻尾に毛があるくらいで、猫ひげすらない。そのため、2人と異なるのは尻尾用の袋があるくらいである。
それはそれとして、2人からの視線が集まってどんどん着替えづらくなってしまう。
「……先に中に入りましょうか」
「そだね。じゃああとで」
「う、うん。ごめんね」
「謝ることないって」
言いながら2人は先に中に進んでいった。それでようやくミルも、やはり体を隠しながら、着替えに戻ることができた。
*****
中に入ると、湯気で狭くなった視界に、2階ほどの高さは開いていそうな空間が広がっていた。白く濁った先から、お湯の流れる音や誰かの雑談が、反響せずに聞こえてくる。
「これは、広いですね」
「ケラマは初めてだっけ? ミルとは夏の休みの時に来たんだけど」
「はい。その時は置いていかれてしまって」
「それは……いや、そもそもケラマがいなかったんじゃん」
ケラマがいたずらっぽく笑うと、ちょうどミルもやってきた。
「お、お待たせ」
「よーし、それじゃあケラマをエスコートしてあげよう! まずは温気浴から!」
温気浴室はいわゆるミストサウナのような部屋で、他の場所に比べて狭くなっている。
壁に段差が付けられており、すでに何人かが座っていた。3人も空いているところを探して、並んで座った。
「少し、熱いですね」
「それで汗をかいて、埃なんかと一緒にタオルで拭き取るんだよ」
「なるほど」
早速汗が出始めたケラマは、汗を拭きながらゆっくりと息を吐いた。そして息を吸えば、湯気混じりの高温の空気が入ってきて、独特の感覚に少しむせそうになる。
ミルの方は慣れた風で、タオルキャップの中で耳をたたみながら、目をつぶってリラックスのムードになっている。
一番落ち着きがないのがヤーレで、理由もなく揺れたりそわそわとしている。実はあまり得意ではないらしい。
それで、100も数えないうちにヤーレが立ち上がった。
「よし、次に行こう」
「も、もう?」
「まあほら、ここはプロローグみたいなもんだし、ここを出たらシャワーで汗を流してね」
ケラマは頷いて、また息を吐いてから立ち上がった。
温気浴室を出ると、シャワーブースがいくつか用意されていた。仕組みは寮の水道とあまり変わらない。
タオルを所定の場所に掛けて、湯浴み着のままシャワーを浴びると、なぜかタオルキャップの中までもきれいに汗を流しつつ、ブースを出ればタオルもキャップもさっぱりと乾いている。
「これは、もしや」
「もちろん魔術だよ。ここのお風呂はほとんどが魔術でできてるから」
納得したように頷くケラマ。しかし、なにかに気付いたように首をかしげる。
「そもそも、体を清める魔術などはないのでしょうか」
「あー、あるにはあるらしいけど、『ちょうどよいきれいさ』にするのが難しいかったりするらしくて。まあそもそもお風呂に入るのが好きって魔女も多いらしいから、あまり需要はないんだって」
「お風呂は私も好き……」
「よし! それじゃあ次はお風呂に入ろっか」
それで、3人はまた奥に進んでいく。
大浴場には、数種類の温度があるほか、ジャグジーなんかもあったり、寝湯のようなものもあったりする。
平日の夕方にしてもなかなかに混んでいるが、ぬるめの風呂は比較的人気がないようだ。それでもちらほらと人はいるのだが。
「あ」
「あら、ナリスさん、ヨミーさんも」
ぬるめの風呂に、ナリスとヨミーがすでに入っていた。
「ごきげんよう。お3方も暖まりに?」
「ええ。ご一緒しても?」
「もちろん」
それで、2人の隣に座っていく。
「でもせっかく勉強会が休みなのにナリスに会うなんてなー」
「そっくりそのままお返ししますわ」
それからしばらく、ナリスとヤーレを中心に、しばらく5人で雑談に花を咲かせていた。
*****
公衆浴場から出ると暗くなり始めており、太陽も街を囲む城壁の下に隠れてしまったようだ。昼9つ(午後5時前)の鐘もいつの間にかなっていたようだ。
「日が落ちるのもずいぶんと早くなりましたわね」
「ここから寮までだったら街灯がちゃんとあるから、帰るのには困らないけどね。それよりケラマ、どうだった?」
「はい。ずいぶんと心安く過ごせました。それに」
と、ケラマの言葉を遮るようにミルのお腹が鳴った。
「きょ、今日あんまりお昼食べられなくて。それに」
「分かる、お風呂入ったあとちょっとすると急にお腹空くよね。この辺美味しいご飯屋もあるから、そこに寄ってから帰ろ」
それで5人は近くの食堂に入っていった。
ほどよくリラックスできて、今日はゆっくりと眠れることだろう。




