入学-3
私達がわーきゃー騒いでいるあいだに時間が過ぎていたようで、鐘の音が響き始める。と同時に、昨日の魔女の人が姿を現して、咳払いをした。
「元気なようで何よりですね」
どうも私達のことらしい。ひとまず愛想笑いでごまかそう。ヤーレの方はちょっと恥ずかしそう。そういえば魔女が好きとか言ってたから、もしかしたらこの人が憧れの人だったりするのかもしれないな。この魔女の人も素敵な人だし。
ともあれ。私達が静かになって、4つ目の鐘が鳴り終えたところで、また魔女の人が話し始めた。
「では、まずは学院で皆さんが主に使う部屋に案内します。私の紹介などはそこで」
それで魔女の人はまた先導し始めた。
魔女の人の先導でたどり着いた部屋は、広い空間に、前に向かって長机と椅子が何個も並んでいるもので、前にはまっ白い板が張られていた。
魔女の人に言われるがまま座っていると、私の両側にヤーレとケラミリアさんが座った。近いところにいたからだろうけど、なんだろう、緊張と弛緩というか、私の感情の温度差で風邪を引きそうな配置だ。ケラミリアさんの隣には例のフリルの子がいるし。
と、とにかく今は前に集中しよう。
全員が座った頃に、魔女の人は壁に掛けられた短い杖を手に取り、その杖を床に向ける。すると床から机が生えてきた。……これも魔法なんだろうな。
その机に手をついて、たぶん同じように出したんだろう椅子に座ったようだ。
「さて。少し今更ですが、私のことは『魔術遣い』、呼びにくいようであれば『アミー』と呼んでください。皆さんが師匠を見つけるまでの間、質問や相談に答えること、また魔女の常識を教えることが私の仕事ですから、特に皆さんの間で困ったことがあったら、どうぞ私のところに来てください」
物語本の言うところの「担任」という奴かな。前の方の人が手を上げるのを見て、アミー先生が発言を促す。
「あの、先の、マギクラフタ? というのはなんですか?」
アミー先生はああと小さく声を上げて、白い板に杖を振りかざす。するとローブの人の絵が板に浮かび上がる。その隣に、同じように魔法で人の名前だろう文字を書いていく。
「私達魔女には、もちろん本名がありますが、それを教えて呼び合うことを良しとしない習慣があります。代わり……というわけではないんですけど、魔力に刻まれた名前、二つ名というのがあって、それを呼ぶようにしています。私の場合はそれが『魔術遣い』というわけです」
ローブ姿の絵の方にもなにやらオーラみたいなものが書き足されて、そこに『魔術遣い』と書かれていく。
今度は別のローブの人が現れて、その人がオーラに書かれた文字を読んでいるように見える。
「この二つ名は魔女同士であれば近づくだけで知ることが出来ますから、自分の名前を紹介する魔女はあまりいません。なので名乗りがなくても私達は困らないんですけど、皆さんは困ることがあるでしょう。その時は、なんと呼べばいいかと尋ねてください。『名前を教えて』だと失礼に思う人がいますから」
アミー先生は、質問した子が頷いているのを見て絵を消していく。昨日魔女は名乗らないとヤーレから聞いていたけど、でも名乗る必要がないというのは便利かもしれない。
と、今度はすごすごとケラミリアさんが手を上げている。
「あの、私たちには二つ名がございませんが、どのように呼び合うのがよろしいのでしょう」
さっき私達の名前を言ったときのリアクションがどうしてか見当がついたようで、ケラミリアさんは悪いことをしたのを親に言う子供みたいに話すけれど、アミー先生にはそれが伝わらずに困惑している様子。
「別に好きに呼び合えばいいと思いますけど?」
ひとまずの返答に納得しない様子を見て、アミー先生はその質問の真意に気付いたらしい。
「私達が本名を呼び合わないのは、本名を悪用した魔法というものが昔あったからだそうです。その呪いはかなり強いものでしたが、今は対抗術が研究しつくされています。ですから、実は今となってはあまり意味のない慣習なんです。実際、ソントララ――ではなくコビルガの方の魔女は普通に本名を名乗ることがあるそうですし」
ソントララあるいはコビルガというと、異大陸のことだったかな。ともあれ意味のない習慣と聞いて、ケラミリアさんもほっとしたらしい。
他に質問がなさそうなのを見て、「では今後の授業の受け方などについてお話しします」と、アミー先生は話を先に進めた。
どうも魔女の人たちは紙を当然あるものとして使うらしい。私の村だとそもそも文字が読めない人が多かったから、必要なかったというのもあるかもだけど。
しかしまあ、こんなにも大量の、綴じられていない紙を渡されるのは初めてだ。
「これは、鞄を買いにいかないとね」
ヤーレとこっそり相談をしていると、鐘が鳴った。その鐘と同時にドアが開かれる。
「アミー、お昼は……失礼しました」
ひょっこりと顔を出した、私達と同い年くらいに見える女の子は、私達の視線が一斉に向いたので怯んだのかすごすごと戻っていった。その様子を見て、アミー先生はため息をついた。
「彼女は私と同室の魔女です。いずれまた会うこともあると思いますから、そのつもりで。さて、お昼なので休憩にしましょう。昼6つ鐘にはここに戻ってきてください」
それではと、アミー先生は外に出ていった。
アミー先生が昼休憩に出て行ったところで、にわかに教室が騒がしくなる。
「ねえミル、さっきの見た!? アミー先生の同室っていうときっとあの人が『最強』だよ」
「え、最強? あんな女の子が?」
「そう! まさに魔女は見かけによらないことの象徴だよ。そもそもアミー先生とあまり変わらない年齢のはずだし、そうでありながら召喚も魔法も使いこなす魔女で、何より世にも珍しい魔女を召喚獣にしていてね、またその魔女が――」
「あ、お、お昼! お昼ご飯、どうする?」
ヤーレには悪いけれど、本当に終わらなそうだったから無理矢理話題を変えてみる。嫌な気持ちにさせてないか不安だったけど、少なくとも見た目には気にしていない様子だった。
「あー、そういえばお昼ご飯の用意してないよね。街の方に食べに行かない?」
「ありがとう。私、この街のこと全然知らないから」
「ママが食堂もあるって言ってたけど、それじゃあまずは外に行こっか」
ヤーレに誘われるまま立ち上がると、ケラミリアさんに手を掴まれた。
「あの、お嫌でなければ、私にも教えてもらえますか?」
う、つまりは一緒にご飯を食べたいということか。嫌ではないけど、恐れ多さで爆発しそうというか。
「もちろん、いいですよ。ね、ミルもいいよね」
私が悩んでるうちにヤーレがオーケーを出してしまった。……まあ、これから同室だというのだから、慣れる意味でも一緒に食べた方がいいかもしれない。頷くと、ケラミリアさんは無邪気に笑った。
「よかった。これからお友達になろうというのに、避けられたままだと寂しいですもの」
……ホールの時はなんだか圧倒されていたけど、背も小さいというより成長途中といった風で、私より年下にみえる。あまりおそれるのも可哀想かもしれない。いやでも王族なわけだし。王族との付き合い方なんて分からないし。
まあ、ひとまず本人が良しとしているから、せっかくだからお昼はご一緒させてもらおう。
心の中で納得していると、ケラミリアさんは今度は隣の子と話していたフリルの子の手を掴んだ。
「そうだ、ナリサリスさんもいかがですか?」
「わ、私? というか、私のこと……」
フリルの子、ナリサリスという名前だったんだ。ケラミリアさんはにっこりと笑ったまま、ナリサリスさんの手を両手で握り直した。
「もちろん存じています。ノイレソース商会には、私のお家も頼りにしていましたから。そちらの末の娘も、ここに入るというお話は、聞き及んでいます」
「そ、そうでしたのね。それで、ええと、お食事の件ですが」
こちらをチラリと見る。その視線を感じると、またどうしようもなく体がこわばっていく。
……でもこのままじゃダメだ。せっかく家から出たのに、これじゃあ家にいたときと何も変わらない。変わろうとしないと。
振り返ると、心配そうにヤーレがこっちを見ていた。大丈夫、大丈夫。目をつぶって、深呼吸をする。それでまた前に体を向けて、勢いのままに言葉を吐く。
「あ、の。私、ミルって言う、です! 昨日は、その。ぶつかってごめん、です……」
よ、よし。言えた! 言ったぞ!たった数言だけだけど、尻すぼみな感じになったけど、なんだかすごい息が上がってしまった。
それで、少し待って、聞こえてきたのはため息だった。
「……どこに挨拶しているんですの」
え? そういえば目を閉じたままだった。目を開けると、ナリサリスさんは右斜め前だった。……どうもちょっと姿勢がずれちゃったらしい。あ、どうしよう。すごい恥ずかしい。
顔がすごい熱くなってきた。そんな様子を見てか、またため息をつかれる。
「まあ、礼には礼で返さないといけませんわね」
ケラミリアさんに手を離してもらい、ナリサリスさんはその手を私に向ける。
「私はナリサリス・ノイレソースですわ。どうぞナリスと呼んでくださいまし。姫様も、ナリサリスだと長いですから」
出された手をそのまま握る。……どうも、悪い人じゃないみたいだ。ケラミリアさんの前だからかもしれないけど。
と、満足げに頷いていたケラミリアさんは、ふいにぽんと手を打った。
「そういえば、私も、皆さんのような、呼び名あるとよいかと。『ケラミリア』ではよそよそしいですし、『姫様』ともなると」
苦笑いで言葉を止める。まあ確かに、友達に対する呼び名ではないかもしれない。とはいえやっぱり、恐れ多いというか。そもそもあだ名を付けるというのに慣れてないから何も思い浮かばない。
ちらりとヤーレの方をうかがうと、あごに手を当ててなにかぶつぶつとつぶやいていた。
「ケラミリア、ケラミリア……。ケラン、ケーラ、ケラマ、ケラマ! ケラマなんてどうです?」
「ケラマ、ですか。ええ、なんだかとても気さくな響きで、すばらしいかと」
「えへへ。それじゃあ、改めてよろしくお願いしますね、ケラマ。あ、私のことはヤーレで。ナリスもよろしくね」
「はい、こちらこそお願いします。ヤーレさん」
「なんで私には敬語じゃないんですの。まあいいですけど」
案外すんなり決まっていったというか、ヤーレは仲良く話をするのが上手いなというか。
ふと周りを見渡すと、教室には私達4人だけになっていた。
「あら、ヨミーさんは」
「隣にいた子なら、別の子に話しかけられてさっき出てったよ」
「あ、ほ、ほら。私達もそろそろご飯に行こうよ」
「そだね。たぶん混んでないから大丈夫だろうけど。あ、ケラマは庶民のお店とか大丈夫ですか?」
「お恥ずかしいことですが、あまりお店に出向いたことはないのですけれど。きっとなんとかなるかと」
胸の前で小さく両手を握り絞めている。むしろ望むところと言わんばかりの気合いの入れようだ。
その様子を見て、ナリスさんがまたため息をついた。
「どうにも不安が残りますわね」