騒動-4
今日の授業を終えると、ナリスさんが一人で私達を呼びにやってきた。
「ローさんは?」
ヤーレの質問に、ナリスさんは言いよどんだ。
「ローさんは、来られなくなりましたわ」
「なにか、あったの?」
「ローさん自身には特に。ただ、ラールシムさんが早退されているでしょう? 付き添った方がよいだろうとのことで」
たしかに昼休みのあとからラールシムさんがいなかった。正直おかげでちょっと気が楽だったけれど、仲良くなりたいというのにこんなんじゃダメだろうけど。
「じゃ、じゃあ今日は、解散?」
「あなたがそれでよいならそれでもいいですけれど、別にローさんがいなくてもできることはあるでしょう?」
そういうものなのかと納得して、ナリスさんについていく。
ヤーレとケラマさんも立ち上がったところで、ナリスさんが首を小さく傾けた。
「ヤーレさんも来るんですの?」
「なに、私が来ちゃまずいの?」
ナリスさんは少し口をとがらせたあと、「いえ、問題ないでしょう」と答えた。
「なんか気になる言い方。ってかケラマはどうなのさ」
「行きましょう」
「あーちょっと! 逃げるの!?」
ナリスさんはケラマさんの問いには答えないままずんずんと教室を出て行った。こういうのを黙殺と言うんだろう。
この時期は空いているという図書館を相談場所に使おうと言うことになっていた。この時期ならラールシムさんはもちろん、他の同期もいないだろうとのことだった。
図書館は普段私達が使っている建物とは別の棟になっていて、黙って歩くには長すぎるほどの距離があった。
「でも私達が先に約束してたのにラールシムを優先するのってちょっと納得いかないな」
「ラールシムさんにも味方が必要だとはおっしゃっていましたわね。まあ同室の方が敵では休まるところもありませんものね」
ナリスさんの言葉に、ヤーレやケラマさんが冷たい視線をこちらに向ける場面を想像してしまった。それは、正直、夢にも見たくない。
「ミルには私もケラマも、あとはまあナリスとかヨミーさんとかもいるからね」
悪い想像を察してなのか、ヤーレがこっちに笑いかけてくる。そうだねと、声には出さずに頷いた。
「そういえば、ヨミーさんは」
「ヨミーさんはなんでも外せない用があるとか。まあ交友の広い方ですから」
ヤーレが気のない相づちをしたところで、図書館の方に出る扉についた。少し重い扉を開くと、夏の終わりを告げるような冷たい風が吹いて、それでヤーレがひとつくしゃみをした。
*****
試験前には結構混んでいたらしい一般図書館だけれど、話通り今はそれほど混んでいないようで、全体を見渡してもテーブルに対して1人~2人位しかいなさそうだった。そんななかで、多少騒いでも怒られない自習用のスペースにはさらに人がいなかった。来てる人は本を読むために来ているんだろうな。
4人がけの机に、私とヤーレが並ぶように座る。向かいにナリスさんとケラマさん。やっぱりナリスさんが目の前にいると、どうにも緊張してしまう。
「早速ですけれど、あなたどこまで本気なの?」
「どこまで、というと」
「ラールシムさんと友人になりたいという話ですわ。あの場では勢いとか、周りの目、というよりヤーレのことを気にしているように見えましたから」
「え、私?」
完全に油断していたらしいヤーレが、油断していた声を出した。
「なんで?」
「私に聞かれましても」
それでヤーレも私の方に顔を向けた。正直、なんでと聞かれても私だって困る。
「えっと、そんなつもりなかった、けど」
「あら、そうでしたの? 答える前にヤーレさんの方を見ていたから、てっきりそうなのかと」
ナリスさんの試すような顔。そのことは覚えがあるけれど、うまく言葉にはできない。
「えっと……なんというか。こんな私だけど、ヤーレとか、友達ができたから。だから、もうちょっと望んでもいいのかなっていうか」
「ヤーレさんで自信を持つのはどうかと思いますけれど」
「どういう意味だ」
ヤーレさんがナリスさんのことを睨み付けて、ケラマさんがそれで小さく笑った。
「ともあれ、ミルさんが『心から』望んでいるということですわね」
心から、のところを強調するように言うのでたじろいでしまった。それでも、なんとか小さく頷いた。
それでもナリスさんはじっとこちらの方を見てくるので、つい顔をそむけてしまう。それでため息をつかれた。
「まあ、いいでしょう。なんにしても今日は当たり障りのない話しかできませんから、明日は普段通り過ごすのがよいでしょうね。ローさんもおっしゃっていましたが、ラールシムさんの方からあなたのところに来ることもないでしょうし」
実際にラールシムさんと仲良く鳴ろうとするのは、ローさんの話を聞いてからがよいだろうということで、なるほどと思いながら、ナリスさんの嫌われている人との交渉術について話を聞いた。
なんかずれてる気もしたけれど。
「まあ、そもそもあなたに必要なのは、勇気でしょうけれど」
「勇気……」
「そう。ここに来たばかりのあなたと同じでは、まともに話すこともできないでしょう?」
たぶん役に立つんだろう。
******
翌日の最初の授業は魔女の常識についてだった。この授業はアミー先生が担当していて、同期の全員が同じ授業を受ける授業のひとつでもある。
つまりは当然ながらラールシムさんもいるということで、正直ちょっと緊張していた。ローさんやナリスさんの言うように、ラールシムさんからこっちに来ることはないのだろうけれど、それでも、うん。
いつもと同じように食堂で朝食を摂って、教室に向かった。教室に着いたところで、つい周りを見渡してラールシムさんがいないか確認してしまう。
ラールシムさんは……いないみたいだ。それでちょっとほっとしてしまう。でもそれじゃ、いけないんだよね。
「勇気……」
「どした?」
「あ、ううん。なんでもない」
でも、うん。今日じゃなくてもいいんだよね。ローさんに話を聞いてから、でも。
しばらくヤーレやケラマさんと他愛ない話をしていると、突然勢いよく教室の扉が開けられた。
その扉が出した音には、どこか聞き覚えがあって。つい顔を伏せた。それはそう、ちょうどおとといに聞いた音で。
顔を伏せて見ないようにしても、誰かの足音が、教室のざわめく音が、頭に生えた耳から否応なく入ってくる。
やがてその足音が私の前で止まった。見えたのは支給服じゃない、当て布で破れを何度も直したのが分かる服だった。え、ラールシムさんは支給服を着ていたはずだけど。
顔を上げれば、元々の想像通りラールシムさんだった。あれ、なんで? なんで支給服じゃないの? というか、今日は来ないはずじゃ。いやでも、もしかしたらこれはチャンスなのかな。向こうから来てくれたんだから、そう、話しかけないと。勇気。うん、勇気を持って。
「あ、あの」
バン! と机を叩かれた。その音で私の声は喉の奥まで引っ込んでしまった。
「どういうつもり」
代わりにラールシムさんが口を開いた。
その意味を考えあぐねていると、さっきラールシムさんの叩いていた場所に神が置かれていることに気付いた。「身の程を知れ」……?
「あの」
「とぼけないで。アンタの差し金なんでしょ」
「え、ちが」
「アンタ以外に誰がやらせんのよ!?」
何を言おうとしても遮るように声を出されてしまう。でも、この勘違いはよくない、気がする。
「アンタら獣人っていつもそう。群れて気取って、何かあっても誰がやったか分かるのかって! 分かるわけないじゃん!!」
なにか、言わないと。違うって。
「村のときだって、アイツらウチの畑荒らしまくってるくせに、俺じゃない私じゃないとか、あげくに害獣のせいにして。アイツらが害獣だってのに」
「ちょっと!」
「部外者は黙っててくんない!? それともなに、これアンタがやったわけ?」
「そうじゃないけど」
「じゃあ黙っててよ! どうせ麦作んのにどんだけ労力掛けてるかも知らないんでしょ!? それをアイツらが」
私じゃないって
「ねえ聞いてんの!? 人ごとじゃなくてアンタらの話してんだよ!? 獣人の」
「私はいつも1人だった!!」
自分の声が聞こえてきて、立ち上がっていることに気付いた。こちらを見上げて怯えるようなラールシムさんの目。
その目を視界に入れないように顔を振ると、教室中の顔が、目がこっちを見ていた。
どこを向いても目、目、目。頭がぐるぐるしてくる。違う、違うのに。どこかから土の匂いまでしてきた気がする。
たまらず逃げた。走って開きっぱなしの扉に向かって、そのまま教室を飛び出した。
後ろから大きな声が聞こえたけれど、どういう意味だったのかはもう分からなかった。
******
気がつけばトイレに来ていた。そのまま吸い込まれるように穴の前に跪いて、顔を下に向ける。
妙に冷静になった頭で、パニックになっていてもこの辺ちゃんとしているんだなと思ったら、口から今日の朝食が戻ってきた。
吐くのはしんどいけれど、その分頭が真っ白になってくれる。まるで思考ごと外に吐き出してしまっているようで、どこか心地よささえ感じられる。
出す物を出し切ったら、現実に戻される、口の中が気持ち悪い。息が苦しくて、視界が上下する。魔術によってできた黒い渦が呼吸に合わせて近づいたり離れたりしている。
この渦が、さっき吐いたものも全部消し去っていった。この穴に捨てられた物は、全部この渦が消し去ってくれるそうだ。
……この渦に入れば、私の中のいらないものも消してくれるのかな……。なんだか渦を見ていると引き寄せられていく。
「だめぇーー!!!」
急に後ろに引っ張られて、尻もちをついてしまった。お腹のあたりに腕を通して抱きしめられている。なんとか振り返ると、ヤーレがいた。
「えっとほらあの、あの中は汚……くはないんだけど、ミルが消えちゃ……ったりもしないけどでも、服とかは消えるかもしれないし」
背中から伝わってくる温もりを感じて、急に力が抜けていった。
「だからあの穴に――――ちょ、ちょっとミル!? ちょっと待ってちょっと待――――」
ヤーレの声がだんだんと小さく感じられて、そうしてそのまま意識を手放した。




