騒動-3
部屋に戻ってからも、まだ頭がぐるぐるしていた。
なにかを考えないといけないような気がするのに、そもそも何を考えればいいのかさえ分からない。そうしてなんだか焦燥感ばかり募っていく。
なにかしなきゃいけない気がするのに、どうすればいいか分からない感覚。こういういうのは、昔よく――
「あーもう! ほんとむかつく!」
いやな思い出に引っ張られそうになったところで、ヤーレが大声を出した。ヤーレの方はさっきから物理的にぐるぐる回っている。
「何回思い出しても腹が立ってくる!」
「ヤーレさんが怒っても」
「そりゃそうだけど、ミルは怒るのとか苦手そうだし、ミルの分まで怒っとかないと」
すごい理屈だ。頭は重いままだけど、思わず苦笑してしまう。
「それにしてもなにあの態度!? そりゃ、たしかにラールシムは悪くはないかもしれないけどさ。『こっちこそ迷惑かけた』くらい言えたっていいじゃん」
「ま、まあほら。別に私も謝ってほしかったわけじゃないし」
「じゃあなんで?」
「え?」
ヤーレの目がこっちに向けられる。相変わらずどこを見てるかはっきりしないけど、眉間に皺が寄っていて怒ってるのがよくわかる表情だった。
「なんで謝ったりしたの? ミルだって謝ってほしいからあえて自分から謝ってみせたんじゃないの? そうじゃなきゃあんなの謝る理由になってないよ」
「あ、あう」
詰めてくるヤーレにもっと頭が重くなる。幸いケラマさんが止めてくれた。
「ヤーレさん」
「あ、いや責めてるわけじゃなくて。」
ケラマさんの一言でヤーレもいつもの顔に戻った。うん。ヤーレの悪意が私に向かっているわけじゃないのは分かってる。少なくとも、頭では。
ヤーレはちょっとの間考えている様子で、そうして口を開いた。
「そのさ、ミルじゃなかったらたぶん斧で切られててさ、もっとひどいことになってたと思うんだよ。そしたらなあなあじゃ済ませなくなってたかもしれないわけで、だからミルはむしろ感謝されるべきだと思うんだよ」
「踏んでありかとうと?」
「そうそう……いやなんか変だな。ともあれ! だから本当は謝る必要なんか無かったと思うし。ただ、こう、パパとかはそこまで自分が悪いわけじゃなくても、相手を責めるために謝る時とかがあってさ。だからそうなのかなって思ったんだけど、そうじゃないならなんでなのかなって」
「なんで……」
なんでって、私が悪いところがあったと思ったからで。でもヤーレにそう言うときっと私は悪くないという話になってしまうだろ。そう考えると、なにも言葉が出なくなってしまった。
それで私とヤーレがしばらく黙ったまま見つめ合っていると、ケラマさんが声を上げた。
「ミルさんは、どうなさりたいのでしょうか?」
「どうしたい?」
「あー、仲直りしたいとか、謝らせたいとか?」
ケラマさんが頷いて答える。ラールシムさんとどうなりたいのか。謝ってほしいわけじゃないとは思う。じゃあ、仲直りしたい? ラールシムさんと、友達になりたい?
あまりしっくりは来ない。ただただ、なにかをしないといけないような、そんな気持ちばかりが増していってしまう。
「……分からない」
「そうですね。では、まずは向こうの話を聞いてみる、というのは?」
「そんなの――」
ヤーレがケラマの方を向いたら、いつもの微笑みを返されてヤーレも言葉が続かなくなった。
「……でも、話をしてくれそうな雰囲気じゃなかったけど」
「その人からでないと聞けない話というのは、思っているよりも少ないものだったりしますから」
そう言ってケラマさんはまた、有無を言わせないような微笑みを向けた。
******
翌日。ラールシムさんは特に問題ないようで、授業にも普通に出てきていた。その姿を見ると胸のあたりがキリキリと痛み出してしまう。
なるべく見ないようにして、午前中の授業を終えた。
昼休みになると、ケラマさんが昼食は食堂にしないかと提案した。最近はナリスさんやヨミーさんと同じ授業じゃないときはわりと食堂で食べることが多かったから、あまり気にせず承諾した。
というわけで、ご飯を食べてしばらくして。
「やあやあ姫様にみなさん方、ご機嫌麗しゅう」
急によく通る声で声を掛けられた。びっくりしながら声の主を見ると、私達と同じ魔女見習いの……たしか、えっと。
「ちょっとローさん、先に行かないようにと申し上げましたのに」
慌てるようにナリスさんとヨミーさんがこっちにやってきた。そうそう、ローさんだ。ちょっと劇的というか、どこか人を引きつけるようなところがある人だった。
「ごきげんよう、こちら大丈夫ですか?」
「どうぞー。で、えーっとこっちの人は?」
「ボクはロー・ヨーゼム。気軽にローと呼んでくれて構わないよ」
「あちらは順にミルさん、ケラマ様、ヤーレですわ」
「そろそろ半年経とうというのに、ようやく紹介し合うというのも不思議だが、ともあれよろしく頼むよ」
ローさんが恭しく礼をするので、合わせて私達もお辞儀したりする。
「それで、えっと。今日はまたどうして? いやもちろんダメとかじゃないんだけど」
「いやなに、聞きたいこととかあるんじゃないかと思ってね。私の同室の子について」
そうだ。ローさんは、ラールシムさんの同室の人なんだった。
昨日の一件から、ローさんの方でもちょっとあったらしく、一般授業で同じクラスのナリスさんが声を掛けたところラールシムさんの話をすることについて快諾してくれたらしい。
「ラールシム君もまだ飲んだお茶の効果がちょっと残っているらしくてね。感情が不安定なんだ」
「それって大丈夫なの?」
「感情が表に出やすいだけだから、日常を過ごす分には問題ないそうだ。まあそれで、言い方は悪いが、君たちが動いて悪い方向に進むよりは僕の方から歩み寄った方が、ラールシム君のためになるだろうと思ってね。とはいっても、当然話せること話せないことはあるし、ここだけの話にしてくれよ」
「当然です。ですわよね、ヤーレさん?」
「なんでいちいち私に聞くのさ」
「それは、ねえ」
ナリスさんは私達の方に顔を向けるけど、こんな所で同意を求められても困る。
ナリスさんを睨み付けるようなヤーレを見てローさんはにやりと笑った。
「まあいいだろうよ。それでは何の話からしようか」
「じゃあさ、結局ラールシムはなんでミルを毛嫌いしてるの?」
「おお、直接的だね」
ローさんは眉間の辺りを何度か指で叩いたあと、またさっきの劇場にいるみたいな身振りに戻ってきた。
「とは言っても、その理由は簡単だ。あの子は獣人のことを憎んでいるからね」
「そこがよく分からないんだけど」
「うーん、そうだね。端的に言うなら親の影響かな」
親、という言葉につい反応してしまう。幸いなことに誰にも気付かれなかったようで、ローさんはそのまま話を続けた。
「あの子の村は獣人と……そうだな、領地を争っていたそうでね。村の者にとって獣人とは先祖代々の土地を奪わんとしてくる敵だった。そんな親の元に生まれたとすれば、いかな純粋無垢な少女といえど、不倶戴天の相手と見なしてしまうのも仕方のないことだろう」
「うーん、でもやっぱりそれはミルとは関係なくない?」
「そうだね。でも、あの子にとってはミル君はミル君ではないのさ」
まだ腑に落ちていなさそうなヤーレの様子に、またローさんは眉間をトントンと叩いて、遠くの人を指さした。
「それじゃあ、例えばあそこの人は誰か分かる」
「あっ」
「どれ……あ、『白烏』だ! あの人はね、師匠のいうことなんでも否定しようとするんだって」
「おっと、そうか。じゃあ……」
簡単に誰かを答えるヤーレに驚きながら、ローさんはまた別の人を指した。
「あれは簡単、『狐王』でしょ。アカデミアでは数少ない召喚士の一人なんだよ」
「ほう。それではあちらの人は」
「えーっと、たしか『くるまりヒヨドリ』だった……かな」
「そうくるか。では次の――」
「楽しくなっておりませんか?」
「おおっと」
ナリスさんのツッコミでようやくローさんの人物当ては止まった。
「いや、ヤーレ君の趣味は分かっていたつもりだったけれど、想像以上だったようだね」
「で、なんの話だっけ」
すっかり気の抜けた風の二人にため息をつきながら、ナリスさんが話を引き継いだ。
「例えば、ヤーレさんは一般授業を一緒に受けているる方々は分かりますか?」
「私達以外の? それは分からないけど……でもそれはそういう魔術が掛けられてるからでしょ?」
一般授業を受けているのは私達魔女見習い以外にも、街の子供が一緒に受けているらしいけれど、その子達には意識が向かないように魔術が掛けられているらしい。向こうも私達のことが気にならないようになっているそうだから、交流はまったくない。
ヤーレはナリスさんの意図が読めずに不思議そうな顔を向けるばかりになっていた。それでナリスさんは頷いて話を続ける。
「例えば、あの中に殺人鬼がいたとします」
「え、私達と似たような年の子ばっかりじゃないの?」
「例えばの話です。その方は人を殺すのに何も思うところがなく、肩をぶつけただけでも路地裏へと引きずり込んで、そして肩をぶつけた方はその路地裏から出てくることはないそうです」
「それ肩をぶつけたのが魔女だったら」
「とにかく! そんな人が紛れ込んでいるとしたら、あなたはその集団に近づきますか?」
「それはまあ、避けると思う、けど」
「今の話の集団が、ラールシムさんにとっての獣人ということでしょう。」
ナリスさんの話を聞いて、ヤーレは頷きながらも無愛想に口をとがらせて唸った。分かったけど納得はしてないと言った風。
「でも、ミルはそんな危ない子じゃないし」
「でも、ラールシムさんはそれをご存じないはずですわ。私たちに魔術が掛けられているように、ラールシムさんも獣人を知ろうとしないように暗示を掛けられていたわけでしょうし。幼いときからずっと」
それでヤーレは眉間に皺を寄せ、腕を組んでまた唸りだした。
突然ヤーレがテーブルをバンと叩いて立ち上がった。
「分かった! じゃあ、ミルのことを分かってもらえばいいんだ」
それで私の方に手を差し伸べる。手を取るかどうか迷っていると、ローさんが拍手し始めた。
「素晴らしい! 解決策の1つは、まさしくそれだろう」
「1つ……? 他にもあるってこと?」
こちらに向けていた手を引っ込めて座り、ヤーレもローさんの方にむき直した。
「1つは自分が他とは違うと知ってもらうこと。ただし相手はこちらのことを知ろうともしない、茨で囲まれた壁を壊さんとするかのような困難な道だ」
本当に困っているような表情で、額に手を当てて首を振るローさん。そうしてから、指を2本立ててこちらに向けてきた。
「いま1つはなにもしないことだ」
「なにもしない……って、なにもしないってこと」
「そうさ。なるべく近づかず、干渉し合わない。君たちが何もしなければ、あの子もわざわざ近づいたりはしないさ。殺人鬼にあえて近づく者がいないようにね」
「それでもいいんだ」
思わず声を漏らすと、ローさんが優しくこちらに微笑んだ。
「誰も万人の朋となることはできない。時には互いに干渉し合わないという取り決めも重要だよ。そもそもラールシム君は小心者だから、わざわざ危険な者に近づいたりはしない。実際、これまでそうだったろう? それに戻るだけさ」
たしかにそれはそうだ。でも、それでいいんだろうか。
「でもそんなの」
迷っていたらヤーレが口を開こうとして、ローさんに止められた。
「選ぶのは、ミルくんだ」
「わ、わたし……」
ローさんはなにも言わずに頷いた。
どうするのがいいかなんて、聞かれたって分からない。……ヤーレの方をちょっと見て、私は口を開いた。
「私のこと、知ってもらいたい、です」
ローさんはちょっと驚いた風だったけど、すぐに持ち直して私の手を取った。
「困難な道を行く者よ、私は祝福しよう。どうすれば話ができるか、作戦会議といこうじゃないか」
それでまたローさんが話を続けようとしたところで、ナリスさんが咳払いをした。
「作戦会議もよいですが、そろそろ」
「ああ、もうそんな時間だったか。じゃあ放課後にしよう」
それでみんなして席を立った。
*****
食堂から去り際、ローさん顔もいだしたように声を上げた。
「そうだ忘れるところだった。姫様」
ケラマさんは急に声を掛けられてちょっと驚いた様子だけど、すぐにいつもの表情に戻った。
「私からひとつ、お願い事があって」
「なんでしょうか」
「周りの人のことを気にしてほしい」
それでケラマさんは困惑した表情を浮かべたけど、すぐにちょっと慌てた様子になった。
「それは」
「いや、ちょっと気に掛ける程度でいいんだ」
ローさんの言葉でケラマさんはいつもの調子に戻った。
「すこしやるべきことができました。お二人はどうぞ先に」
少し急ぎ足で行くケラマさんを見送ったあと。
「どゆこと?」
ヤーレがぽつりとつぶやいたけれど、ローさんは「なんてことないことだよ」としか言わなかった。
昼休み後の授業が始まる直前にケラマさんは戻ってきたけれど、何をしにいっていたか尋ねても、やはりたいしたことではないとはぐらかすばかりだった。




