騒動-2
ラールシムさんのことは気になるけれど、ひとまず私達はアミー先生の言う通りに授業に出た。気になることがある中での算術は集中できなかったけれど、ノートはちゃんと取ったからあとで見返そう。
そうして授業が終わった頃。
「姫様!? 大丈夫ですか!?」
教室にナリスさんが駆け入ってきた。血相を変えて、というのはこのことかと思わせる雰囲気だった。
一方のケラマさんは涼しい様子だった。
「ええ、私は変わりありませんよ。それで、なにかありましたか?」
「え、あ、あれ? 私はその、姫様が暴徒に襲撃されたとうかがって」
それでケラマさんもあぁと声を出して、ナリスさんに微笑みかける。
「それでしたら、ミルさんに助けられたので」
「ああ、そう、でしたの」
それでナリスさんの視線がこっちに向けられて、一緒に私も目をそむける。
「……まあ、今回はお手柄でしたわね」
「い、いやそんな。そもそも私が狙われてたみたいだし」
「どういうことですの? ミルさんを襲ってもメリットなんてないと思うのですが」
私もそう思う。
追いかけてきたのだろう、ナリスさんと同室のヨミーさんがものすごい肩で息をしながらやってきた。
「な、ナリス、さん。お急ぎなのも、結構です、けど。私も、お話を」
「……とりあえず座ったら?」
ひとまずヤーレが2人に席を勧めて、説明をしてくれた。
*****
ヤーレの説明はときどき、というか魔女が出るたびに脱線しそうになっていたけれど、そのたびにナリスさんが引き戻していた。
「まあ大体分かりましたわ」
「ミルさんも災難でしたね」
「あいや、その。まあ、はい」
いまだにヨミーさんにはどういう感じで接すればいいかがよく分かってなくて、いつも以上に変な感じになってしまう。
「しかしまあ、やはり魔女の方々にも危険人物がいらっしゃるようですわね」
「いやまあ、『詐欺師』のやり口はちょっとひどかったみたいだけど、でも悪意はないはずだよ。たぶん」
「お隣の襲われた方にも、同じことを言って差し上げればよろしいんでなくて?」
呆れたようなナリスさんの物言いに、ヤーレがこっちを見て、顔を伏せた。
「あ、う。ご、ごめん」
「ううん、気にしないで。その、『詐欺師』さんにも別に怒ったりしてないから」
それでもヤーレはちょっと落ち込んでいる様子だった。やっぱり、怒った方がよかったのかな。でもさっきの話しぶりからすると『詐欺師』さんにとっても予想外だったみたいだし。
「ミルさんのお人好しぶりは置いておいて。ラールシムさんの方はどうなんですの?」
「ああ、それね。『詐欺師』があの子は獣人が嫌いっていってたけど、それってすごい変だよね。そりゃあ、誰かが嫌いってことはあるだろうけど、そんな野菜が嫌いみたいなまとめ方を人にするなんてさ」
ヤーレの発言は他のみんなの注目を集めて、それでヤーレもたじろいだ。今日はヤーレがよくうろたえる日みたいだ。
「え、なんか変なこと言った?」
「いえ、私もその通りだと思います」
「ええ、ヤーレさんは是非そのままで」
ケラマさんとヨミーさんはどこか母性を感じさせる目でヤーレさんのことを眺めてて、ナリスさんが呆れたようにため息をついた。
「野菜のようかはともかく、種族まるごと嫌うということはまあそう珍しいことでもないでしょう。今後のことも踏まえて気になるのは、どうしてそうなったか、ですけれど」
「その辺りはローさんなら何かご存じかもしれませんね」
ローさんは、たしかラールシムさんと同室の人だ。なんというか……まあ、うん。濃い人だったと思う。
「ちなみにミルさんは、これまでラールシムさんとこういうことはあったのですか?」
ヨミーさんに尋ねられて、首を振って答える。
「話したこともない、です」
「それなら、今後はそういうことはなさそうですね。今回は不運が重なったといいますか」
「そうですわね。……そうなるとよろしいですけれど」
最後にナリスさんが不安にあるようなことを言っていて、ちょっと詳しく聞きたかったけれど、尋ねる前にナリスさんが手を叩いた。
「さて、ひとまずはみなさんの無事を確認できたことですし、私たちも次の授業に向かいましょう」
「次は歴史でしたね。みなさんも別の教室に?」
「あそっか。早く行かないとだね」
それで各々次の教室に向かうことになった。
*****
歴史の授業は、算術の授業に比べると、集中しなくても内容が理解できる。だから今の私でも集中しなくても理解できる。逆にいうと、集中しないでいる時間ができてしまうわけで。
目の前で、見方によっては残虐な歴史人形劇(魔術で描いた姿も人形でいいんだろうか)を前にしながら、ついつい昼休みの出来事を考えてしまう。
『詐欺師』さんは悪くない……と思う。目的はどうやら正しいことだったみたいだし、それに今回は事故だったらしいし。
ラールシムさんは? ラールシムさんだって、『詐欺師』さんの件がなければこんな風にはならなかったんだろう。……ヤーレは獣人だから嫌う理屈が分かんないって言ってたけど、……正直覚えはある。
つい耳を隠すように触ってしまう。息が浅くなってしまうのを意識的に戻す。ちらりと横を見る。ヤーレには気付かれなかったみたいだ。
ともあれ、それでもラールシムさんからはこれまでひどいことをされた覚えはない。だから、たぶんだけど、ラールシムさんも別に悪い人ではないんだと思う。
じゃあ、どうして。どうして、こんなに口の中が乾いてしまっているんだろう。どうして、さっきから心臓の音が大きく聞こえてしまうんだろう。
……そういえば、避ける時にラールシムさんの背中を踏んじゃってたな。それは、うん。私が悪かったかもしれない。
悪いことをしたんだから、謝らないと、だよね。うん。
自分の中で結論が出ると、なんとなくちょっと心が軽くなった。
*****
歴史の授業が終わって教室を出ると、ちょうどラールシムさんがこっちにやってきたようだった。
「あ」
「あ、あう」
顔を合わせると、苦い顔をされた。う、ま、まあ。そうなるのも分かる。
それより……顔をそむけて来た道を引き返そうとするラールシムさんを引き留める。
「あ、あの。ご、ごめんなさい!」
「は?」
「え?」
ラールシムさんだけじゃなくてヤーレまで変な声を上げた。そう、なるか。ちゃんと説明しないと。
「その、避けるとき背中踏んじゃったから」
「あー」
ヤーレは納得したような声を上げながらも、なんだか心配そうな顔をこちらに向けた。大丈夫。大丈夫。これでラールシムさんが受け入れて、もしかしたらこっちも悪かったなんて感じになって――。
「なにそれ」
「え」
思いがけない言葉に、ラールシムさんの方を見る。ちょっと見上げるように向けているその顔は、私の方を、その、頭の先を見て。
長いため息のあと、舌打ちの音が聞こえてきた。
「言っておくけど、私は悪くないから」
そう言い残して、ラールシムさんは元来た道を引き返していった。
その姿に、村での記憶が掘り起こされる。誰もが私と距離を置いて、冷たい目を向けていた。近づいて来るのは、もっと違った目。嘲りと、敵意を含んだ――。
どうしよう、息がしづらい。頭が、重い。
不意に、ぎゅっと手が握られたのを感じた。私の手が白くなるくらいまで、ヤーレに握り絞められていた。
ヤーレは唇をとがらせながらラールシムさんの方を睨み付けていた。
「なにあれ、感じ悪。行こ、ミル、ケラマ」
それで私の手を引いてヤーレは歩き出した。
ケラマさんもいつものように微笑みながら、「そうですね」といってヤーレについていく。
それで、その日はすぐに寮に戻った。後から考えたら、晩ご飯を食べ損ねていたな。




