ラールシム・ゼリーン
私は獣人が嫌いだ。
人間みたいな格好をしているけど、人間とは根本的に異なる。人では出せないような力を出したり、人が捨て去ったはずの凶器である爪や歯で襲いかかってきたりすることもあるなんて話は、実家では幻聴が聞こえるくらいに聞かされた。そのくせ人間のように知恵が回り、狡猾さにおいては何倍もあるという。それが群れでやってくるのだから、手に負えるわけがない。
そんな存在と、分かり合えることなんてあるだろうか。なまじ人のようにも見える分、余計に違う存在だということがはっきりさせられている気がする。
だから、本音を言えばアカデミアになんて来たくなかった。アカデミアでは獣人達が「ここが自分の場所だ」と主張するように歩き回ってる。いつそんな獣人と出くわしてしまうか、気が気でない。
そのうえ同期にはあのなんとかとか言う獣人がいるんだからやってられない。
まあ、これでもオトナだから、面と向かって文句を言ったりはしない。それくらいの分別はつくのだ。それにアレは、まあ身長を除けば自己主張も激しくないし。
そんなわけで、教室移動の際には、なるべく早めに、さっさと次の教室に着くようにしている。迷うなんて論外だ。動く量が増えればその分獣人に出会う確率が上がるはずなんだから。
それでも、どれだけ気を付けていても出会ってしまいそうになることはある。そんなときは、ちょっと引き返してみたりする。アカデミアは回廊みたいになっているから、遠回りにはなるけれど目的地に着けないことはないはずなのだ。
それで、後ろからも来た場合は……。ひとまず誰もいなさそうな部屋に入ってみる。別に悪いことしようとしているわけじゃないし、入ってすぐになにかが起きることもないはずだし、万が一があれば謝ればいいはずだ。うん。
その考えが間違っていたことに気付くのは、すぐの話だった。
*****
その日も獣人に挟まれてしまった。ちょうど灯りも付いておらず鍵も掛かっていない部屋があったので、そこに隠れることにした。
ドアに耳を当て、2つの足音が去って行くのを聞いて深く息を吐く。
「そこの方、どうかしたのかい?」
気の抜けたところに暗闇から声が聞こえてきて大声を上げそうになった。でも外には獣人がいると思うと、なんとか口を塞いで声を上げずに済んだ。
「ああそうか、灯りが必要だったね」
声の主がつけたのだろう、ろうそくが何個か灯されて部屋が薄暗くも照らされた。教室と同じくらいの広さで、窓はあるようだけれど光が入らないように閉じられているようだった。
声の主は、おどろおどろしかった雰囲気とは違って、思ったより若そうな人だった。よく思いだしたら声もそんなに年いった風じゃなかったし、状況がそう思わせただけなんだろう。
「あ、あの、すみません。使っているなんて知らなくて」
とりあえず謝るとその優しそうな人は手をひらひらと振った。
「いやあ別に謝ることなんて。そもそも誰かに追われてたみたいだけど、大丈夫そうかい?」
「は、はい。たぶん」
「そうか。とはいえその追跡者が去った振りをするような、ずる賢いのが相手だったらよくない。ああ、そんなのは見逃せないよ。どうかな。時間があるならだけど、もう少しここで時間を潰すのは」
別に追われていたわけではなかった気もするけれど、たしかに相手は狡猾なはず。幸い次の授業までもうちょっと時間もあるし、お言葉に甘えるのもよさそうだ。頷くと、目の前の人は頷いて椅子に座るように勧めてきた。
「それじゃあ、お茶は好きかな? あいにく種類はないけれど、その分飲みやすいものを用意したつもりだ」
「そんな、悪いので」
断りながらも椅子に座ると、有無を言わさず私の目の前にお茶が置かれてしまった。
「なに、私は若い人の話を聞くのが好きなのでね。悪いと思うのなら、君のお話を聞かせてくれ。それがお茶の代金ということで、どうかな」
ちょっとあやしい。でもアカデミアにいるということはこの人も魔女なのだろうし、たしか私達見習いにはアカデミアの魔女から危害を加えられないように魔術が掛けられているはずだ。きっと問題ないだろう。
「それじゃあ……といっても、どんな話をすればいいんでしょう」
「そうだな……それじゃあ、差し支えなければ、故郷の話とかはどうかな?」
それで、私は誘われるがままに故郷について話すことになった。
*****
語り始めるまでは話すことなんてないと思っていたけれど、一度口を開くとよくもまあこんなに話題が出るものだと思う。気がつけばカップの中はからっぽになっていた。
「……だから、獣人さえいなかったら私もこんな所にいなかったはずなんです! あ、ここが悪いってわけじゃないですけど」
「分かるよ。ここには憎き獣人がいるんだものね。しかし故郷の農地が獣人に襲われていたとはね。それじゃあ憎むのもしょうがないねぇ」
そう! 別に私は聞いた話だけで逆恨みをしたりしているわけじゃないんだ! 嫌いになるだけのことをされているんだ!
……話をして少し喉が渇いたな。カップを掴んで、中身が空になっていたことを思いだした。ティーポットからおかわりをもらおう。
「あっ」
「え、まずかったですか?」
「いや、ちょっと思いついたことがあってね。独り言だと思ってくれ」
なんだ。お茶を注いだところで声を上げたから、おかわりしたらまずかったのかと思った。別に問題ないのなら遠慮なくいただこう。このお茶、変な味するけどちょっと癖になりそうな感じ。
で、なんの話だったっけ。
「それで、こっちに来てからはどうなんだい? ここだと獣人を避けるのも難しいだろう?」
「そう! それでこの部屋に逃げ込んだりしたんですよ。……どうしてあんなのが同じ建物にいるんですか」
「それは……まあ、そうだねぇ。魔女らしいことを言うなら、欲しいものがあるのなら、ねだるのではなく、自らの望むままに実現せよ、といったところかね」
……なるほど、そうか。たしかに獣人は人間にはない特性を持っていることがある。それでも魔女には敵わないはずだ。魔女で獣人だとまだ難しいかもしれないけど、いつかはそっちだって――。
「――なんだけど、でも『解説者』がね――」
! 今の声、同期の……たしか、ヤ……なんとかだ。例の獣人といつもつるんでいる。ということは近くにあの獣人もいるはず。
――あの獣人なら、勝てるんじゃないか? いつもなにかに怯えているようだし、背はたしかにちょっと高いけど、奇襲を掛ければきっと固まるだろう。よし、目に物を見せてやろう。
とはいえ武器がいる……見渡せば、壁に剣やら斧やらが掛かっているじゃないか。
「あ、ちょっと」
「これ借ります!」
「借りますって、いったいなにを」
魔女の人に静かにしてもらうように合図を出して、足音を確かめる。たぶん3つ、だんだんとこちらに近づいてきている。
よし、もうちょっと……3、2、1、今だ!
私は勢いよく扉を開け、剣を掲げて大声を上げながら突っ込んで行った
*****
「……やっぱり2杯は多かったかな。ともあれ、『魔術遣い』に連絡しておこう」




