休暇-5
熱を持ったヤーレ様のお身体を休ませながら、扇いで風を送っている間に、事情を察したのか姫様とナリサリス嬢もこちらへとお戻りになりました。
「おかげんは、いかがでしょうか?」
「なんだかお姫様になった気分」
ヤーレ様は姫様に軽口でご返答しなさいますが、ついて来る笑いはやはりまだお力が乗っていないようでございます。
「あ、ほら、私のことは気にしないでさ。せっかくの水遊びなんだから、みんなはもっと遊んできてよ」
皆様の心配そうな顔にヤーレ様はお告げになりますが、それではと離れるのも難しいでしょう。とはいえこのままでは、皆様の邪魔になってしまったとヤーレ様のお気持ちもさらに沈みかねません。
姫様がこちらに視線をお送りになるのを感じ、しばし思案いたします。そして、桟橋の方へと目線をむけました。
「それでは、小舟などはいかがでしょう?」
私めの意図をお読みいただき、姫様がご提案なさいました。しかし、ミル様はやはりまだヤーレ様のことがご心配の様子。
「でも……」
「まあそう遠くに行かなければ、何かあればサレッサさんが連絡してくれるでしょうから。それより、元気になったヤーレを乗せられるよう練習しておくのが良いのではなくて?」
ナリサリス嬢の言葉を受けてミル様もやや安心なさったのでしょう、垂れていた耳が少し立ってまいりました。そうしてヤーレ様の方をお伺いになります。
「じゃあ、頑張ってね」
「……はやく元気になってね」
「大丈夫だから。あと……半刻もしない内に向かうから、ちゃんと漕げるようになっててね」
それでようやく安心なさったミル様はお2人とともに桟橋の方へと向かっていかれました。
*****
姫様方がボートの方へついた頃には、ヤーレ様のお顔色もずいぶんとよろしくなってまいりました。水を取りやすいようにと角度を上げたビーチチェアの上で、こちらで用意しましたドリンクをご笑味いただいています。
「あー、ここが楽園かもしれない……。え、というかケラマはいつもこんな生活を? それであんなにしっかりしてるってすごすぎない?」
独り言のようでもありましたが、こちらにお訊ねになっている様にもみえましたので、首を振ってお答えいたします。
「ケラミリア様は、お部屋以外でお一人でお過ごしになることはありませんでしたから」
「へー、友達とすごすのが好きなタイプ……ということじゃないよね」
無言でお答えいたしました。もちろん姫様と気の合う方もいらっしゃいましたが、姫様とお会いになることそれ自体が政治的な意味合いを持つことは避けられませんでした。尋常ならざる姫様においては、なおのことご自身の立ち居振る舞いを気にすることなく誰かに会うことはなかったでしょう。
「そんで、そんな窮屈なとこから救いだしたのが私ってわけ」
不意に背後より声が聞こえ、即座に声の主を確かめます。そうしてその正体はすぐに分かりました。
「あまり驚かせないでいただけるとありがたいのですが。『修繕家』様」
肩幅よりも広いつばの付いた三角帽をかぶり、体のラインの出るタイトな衣装を身に纏って、自信満々といった立ち居振る舞いでいらっしゃったのは、王国と契約されている魔女の『修繕家』様でございました。
「いや、見知った人影が見えたから挨拶しとこうかなって。で、そっちの子は? 姫様には捨てられたの?」
「こちらは魔法学院における姫様のご学友で、ヤーレ様です。ヤーレ様、こちらは」
ヤーレ様の方へ向き直ると、体を起こしていて鼻息もかなり荒くなっていらっしゃいました。血行がよくなるのは喜ばしいところですが、限度というものもございます、周りのものに額を冷やさせてまた横になっていただきます。
「ヤーレ様、こちらは『修繕家』様。この公邸の魔術関係の設備を管理していただいております」
「あと姫様をアカデミアに推薦したのも私ね」
「そう! そこなんですけど、アカデミアへの推薦って、アカデミア以外の魔女でもできるんですか? たしか『修繕家』さんって魔女集会の方ですよね」
「あら、私のこと知ってるの? ねえ、書くものある? サインでもあげちゃおうか」
ヤーレ様はあたりを見渡しますが、紙などは特にございませんでした。そこで額に乗せていたタオルを取って、『修繕家』様へとお渡しいたしました。……そのタオルは屋敷の備品ではありますが、まあよいでしょう。
『修繕家』は受け取ったタオルの上で、指を光らせながら滑らせなさいます。すると、その跡が焼き付くように残っていきました。
「はい書けた。それで、私が推薦状を書いても良いかって話だっけ? もちろんいいのよ」
「でも、こう言うとアレですけど、たしか『修繕家』さんって、アカデミアとはほとんど関係ないですよね?」
「まあオフィシャルにはそうだけど。そもそもアカデミアに推薦するのは魔女なら誰でもできるのよ。魔女集会だろうと、それこそ魔術師団だろうとね」
ちなみに、魔女集会も魔術師団も、それにアカデミアも、このファクスパーナ大陸でよく知られた魔女のコミュニティでございます。大抵の魔女はこの3つのどれかに所属しているものとして捉えられるようです。
「まああの暗い魔術師団の人達がアカデミアに推薦を出すとは思えないけど、魔女集会からはたまに出してるのよ。素質はありそうだけど自分のとこで面倒見切れなそうな時とかね」
ヤーレ様は先ほど倒れたのが嘘のように、『修繕家』様のお話に何度も頷いていらっしゃいました。そのご様子に『修繕家』様も満足そうにお話を続けます。
*****
愚痴ともつかないようなとりとめもないお話をしているところで、思い出したように『修繕家』様が手をあわせました。
「そうだ、姫様はどちらに? 折角だからご挨拶しとかないと」
「それでしたらご案内いたします」
「あ、私もそろそろ」
ヤーレ様のご様子を見るに、たしかにもう問題なさそうに思えます。それでは、お2人を桟橋の方にご案内いたしましょう。
桟橋では、姫様ご一行がボートに苦戦していらっしゃるようでございました。ナリサリス嬢の指導の下、ミル様が苦心なさっている所を姫様が眺めていらっしゃるというご様子でしたが、こちらにお気づきになった姫様が御手をお振りになりました。
そうしてミル様が方向を変えてボートをこちらに寄せようとなさっているように見えましたが、なかなか方向が定まりません。見かねた『修繕家』様が手を叩くと、ボートのしたあたりの水面が盛り上がってまいります。そうして大きな波のようになり、そのままこちらへと大きな波となって倒れ込んでまいりました。その波に乗りボートは無事桟橋へとたどり着きます。……乗員の皆様は少々驚かれたようですが。
ともあれボートより上がる皆様をお助けすると、改めて姫様がご挨拶をなさいました。
「こんにちは『修繕家』さん。どうしてこちらに?」
「やあやあごきげんよう姫様。ちょいと野暮用で近くに来たらいるって聞いたからね。そちらの方々は?」
「アカデミアで、友達となりました、ミルさんとナリスさん。ヤーレさんは、もうお知り合いに?」
「ああ、さっきちょっとね」
なんだか生返事の『修繕家』様は、どうやらミル様のことが気になったご様子です。
「ミル?」
「え、はい。何か……?」
「あいや、知り合いにもそう呼ばれてる子がいたってだけで、深い意味はないんだけど。それにしても、かっこいい格好してるわね」
『修繕家』様は、所在なげに目線を逸らし続けているミル様を上から下まで眺めるようになさいます。朝の頃に比べるとやや着崩れてはいらっしゃいますが、相変わらず男装がよくお似合いなことでございます。そうでありながら気恥ずかしそう似なさっているお姿は……いえ、私の感想は置いておきましょう。
「あの、やっぱり変ですか……?」
「いやあ全然。よく似合ってるわよ。でも、そうだなぁ」
『修繕家』様がリズムよく何度か手を鳴らすと、黄金のような輝きがミル様の方へと向かい、顔より下を繭のように包み込んでいきます。
「わ、わわ」
「あまりもぞもぞしない方が良いわよ」
「で、でも、くすぐった、あ」
光の内側でなにが起きているかをうかがい知ることはかないませんが、『修繕家』様のなさることでございますから、害あることではないでしょう。ミル様もくすぐったそうになさっているだけであります。
しばらくミル様が悶えている様を皆で見守っていると、『修繕家』が再度手を打ち鳴らされました。すると一瞬のうちにミル様を包んでいた光が晴れ、その内側のお姿が露わとなりました。
「まあ」
「えっ」
「わぁ」
現れたミル様の御衣装は、コートがロングスカートとなり、細々としたところもよりかわいらしいものに、つまりは女性向けの衣装に変わっておりました。
「うん、やっぱり可愛いのも似合うわね」
『修繕家』様は満足げに何度か頷いて、ミル様に指を一度ならされました。そうすると水が飛び上がり、ミル様に施されていた化粧を洗い流してしまいました。
「さあできた。どう? もしかして、元の方がよかった?」
ミル様は水面に映るご自身のお姿を見たり周囲のみな様のお姿を見比べたりしなさって、満足げに尻尾を揺らされました。
「あ、ありがとう、ござい、ます。これだと、皆と同じ……だから」
「そう、よかった」
それで『修繕家』様はミル様の頭をなでられました。『修繕家』様の方が背が低いので、やや無理のある姿勢に見えましたが、お2人が満足そうなので口を挟むこともないでしょう。
*****
姫様方がまたボートに乗り(やはり苦戦なさりながらも)こちらの声の届かない辺りまで漕いでいかれました。
「はー、若いって感じよねぇ。やっぱり、4人だけの秘密の会話とかするのかね?」
「どうでしょう。ここから見る限りではボートの漕ぎ方に関するお話のようですが」
「あー読唇術ってやつね。過保護も行きすぎるとさすがに……いや待って、読唇術には翻訳魔術が効かないはずなんだけど」
姫様に深く関わる言語であれば修得するのは当然のことであります。まだ完璧というほどではありませんが。
「それよりも、姫様はあなたに気を配ったのかと思いますが」
歩引いたところからであれば、ボートを視界に捕らえながら『修繕家』様のご様子を伺うこともそう難しくはありません。『修繕家』様は片眉を上げて髪をお掻きになりました。
「いやー、私に気を使うことなんてないのにね」
「それでも姫様は、あなたがわざわざこちらへといらっしゃった理由を、私ならお尋ねできるとお考えなのだと」
「ふーん。どうでもいいけど、まだ『姫様』って読んでんだ」
ご指摘を受けて思わず口の辺りを抑えます。
「これは、あなたがそうお呼になるものですから」
対外的にはもはや姫様は姫ではなく、そのようにお呼びすることはあまり好ましいことではありませんでした。心の内ではともあれ。
『修繕家』様は私の狼狽する様をご覧になって満足そうになさいました。やはり個人的にはこの方もあまり好ましいとは思えません。
私がすぐに平静さを取り戻したところで、ようやく『修繕家』様も視線をボートの方へと戻されました。
「いや、姫様の様子を見に来たのは本当よ。楽しくやってるのかなーとか、いじめられてないかなーとかね」
「それは、ケラミリア様のことですから、ありえないことかと」
「まあその辺もうまくやるわよね。でもやっぱり辛いなってなってるなら、そこはほら、薦めた責任をとって私の弟子にしてあげようかなーとか思ったりもしたんだけど」
確かに姫様の目的からすれば、必ずしもアカデミアにこだわることはないでしょう。
「まー取り越し苦労だったかな。あの様子だと」
ボートの方に意識を向ければ、ヤーレ様とナリサリス嬢の言い争いをご覧になって姫様が口元を抑えていらっしゃいます。目元を見るに、笑っていらっしゃることでしょう。
「うん、やっぱりアカデミアに出して良かったかな」
「それはやはり、同年代の方と触れ合わせるためということでしょうか」
「そだねー。その方が、我欲が出てくるかなって」
「我欲、ですか」
「うん。ほらあの子って、国のことを考えて動き続けてた訳じゃない。魔女になろうとしてるのだってそうだし。でもやっぱり魔女になるなら、自分のために動けるようにならないとね。あなたみたいに」
心外な言葉とともに私の肩に手を置かれました。
「あまり触れていただきたくないものですが」
「うーん、やっぱりその程度なのか。性格的には姫様よりよっぽど魔女向きだと思うんだけど」
またなにか、魔女の素質を持つものにだけ分かることをなさっているようでしたので、あまり邪険にならないように手を下ろさせました。
「ごめんね、魔女にできなくて。ほら、魔法は万能だけど、全能じゃないから。魔女にできたら、姫様と離ればなれになることもないんだろうけど」
「……別に構いません。どちらにしても、いずれ姫様は私の手の届かないところへと向かわれる方でしたから」
ボートの方を見れば、どうやらオールを分担して漕ぐようになさったようで、不思議と先ほどより舳先が安定するようになっておりました。
私も魔女になれるなら、あのボートに乗っていたのでしょうか。
などと、あり得ぬことを夢想しても詮ないことでございましょう。




