休暇-4
早朝。窓から入る日差しによって目を覚まします。空気の入れ換えのために窓を開ければ、湖から優しく吹き込んでくる涼やかな風が体を包み込みます。今日は快晴。夏凪が近いためか風も穏やかで、水遊びにはぴったりの気候となりそうでございました。
姫様はお声がけをしない限りは決して目を覚まされません。少なくともここでは、そのように振る舞われておいでです。しばらくすればお食事が運ばれることでしょうから、それまでもうしばらくお休みいただくことがよいでしょう。
裏手のドアが開き、食器の用意する音が聞こえてまいります。念のために確認すれば、もちろん配膳係のものでした。
「お客様方は?」
「みなさん目覚めていらっしゃいました。慣れない所で、眠りが浅くなってしまったのかもしれません。ですが、お元気そうでしたよ」
お元気であるならば想定内というところでしょう。ミル様のお食事については、こちらも慣れない量で大変だったようですが、まあそれも想定していたことではありますから。
さあ、準備ができそうなので姫様をお起こししましょう。
ベッドの横に立って天幕に向かいお声がけをいたしますと、体をお起こしになる音とともにこちら側の天幕が引き上げられます。
「お早う」
「お早うございます。本日もよいお天気でございますよ」
それはよかったと微笑まれたところで、朝食が運ばれてまいりました。お食事をなさっている間に、今日のスケジュールについてご確認させていただきます。
「お客様方も皆様ご気分よろしいようで、予定通り湖の方へと行くのがよろしいと存じます。その際には、お召し物にお気を付けいただくことが必要かと」
お飲み物から手を離され、なにやら考えを深めているご様子。何かあったのかお訊ねすると、
「どちらがよろしいのかしら」
どちら、とは、持参したものか、昨日ヤーレ様がお選びになったものか、どちらがよいかということでございましょう。
「まだ見ぬものをお見せになるのもよろしいとは思いますが、選んだものが実際に使われることもまた喜ばしいことかと存じますよ」
姫様もそれで納得されたようで、ヤーレ様のお選びになった方をお召しになることとなりました。
*****
姫様のお召し替えも終え、エントランスへと向かいますと、すでにヤーレ様とナリサリス嬢がお待ちになっておいででした。
ナリサリス嬢はどうやら華美なものがお好みのようで、水滴を捕らえる特殊なレースをあしらったドレスをお召しになっておいでです。対称的にヤーレ様は先日も触れたシンプルなワンピース。今日はどうも体が傾いていらっしゃいますが。
「お待たせしてしまったようで」
姫様がお2人に会釈をなさいまと、ナリサリス嬢が返礼をいたします。ヤーレ様は……倒れぬよう使用人に支えられておいでですね。意識があるのかやや気になる所でございます。
「私たちも今来たところで……ちょっと、いつまで寝ぼけていらっしゃるの!」
「え……んー、あ、ケラマおはよー」
ナリサリス嬢に小突かれてお目覚めとなったのでしょうか、ヤーレ様も体を起こして目を……失礼、目はそう変わりませんでしたが、姫様の方へとお向けになります。そうしてゆっくりと姫様の方にお近づきとなりました。
「それ着てくれたんだ。うん、やっぱりすごいにあってる」
「ありがとう」
姫様がにこやかにされているのを見て、ヤーレ様もまた満足そうに微笑まれました。
さて、お2人が仲良くされているのも大変喜ばしいことではございますが、まだこちらにいらしていない方のことも考えねばなりません。
「ところで、ミルはどうしたのかしら?」
ナリサリス嬢もお気づきになったようで姫様の方にご質問なさいます。
「お目覚めになってはいらっしゃるそうですから、お召し物のご準備をなさっていらっしゃることと存じます」
そうお答えするとほぼ同時に、階上から足音が聞こえてまいりました。物陰に隠れているところを押し出されるように姿をお見せになったのは、やはりミル様でした。
「あ、あの……お、おは、よう」
あらぬ方向を向きながらどこともしれぬ方向へご挨拶をなさるミル様に対して、お3方は何も返さず、ただ見とれているご様子でした。
本日のミル様は、短めのコートに半ズボン。それにストッキング。要するに、男装をなさっておいでです。女性ものの水着は、残念ながら上下の一体になっているもののみでありましたが、男性向けであればツーピースもあり、これならば尻尾も外に出せるだろうと考えた次第でこのようになったのです。
幸いなことにミル様は私とも変わらぬ身長で、男性ものであっても十分着こなせる、どころかそのしなやかに伸びた四肢を考えれば並の男性以上の着こなしとなることは容易に想像できておりました。そして昨日の試着時点でその想像が誤りでないことは確認しておりました。
しかし、髪や化粧まで揃えると、なんと申し上げますか、ともすればいずこかの貴族とも見まごうお姿で、かくも人を惑わすお姿になろうとは、私だけでなくここにいるどなたも想像さえされていなかったのではないかと申し上げますか。
「あ、あの……や、やっぱり戻ります」
「お待ちなさい!!」
ホール中に響いたナリサリス嬢の声に、視線に耐えきれなくなりお戻りになろうとしていたミル様は動きをお止めになりました。
そのミル様の元へとナリサリス嬢がゆっくりとお近づきになります。そうしてミル様を検分されながら通り過ぎるように階段をいくつか昇り、ちょうど高さの合うところで足をお止めになりました。
「背筋!」
「は、はい!」
言葉の通りにミル様が姿勢を正されますと、上段にいらっしゃるはずのナリサリス嬢を少し見下ろすような形となりました。こちらからは顔半分しかうかがえませんが、どういう訳か姿勢とともにお顔もどこか凜々しく、猫のような耳と相まって別世界のような雰囲気を醸し出していらっしゃいます。
もちろん私にとっては姫様こそ第一ではございますが、お近くに寄られては毒ともなりえることでございましょう。ミル様から視線を向けられたナリサリス嬢もまた微動だになさいません。
「あ、あの……?」
声を掛けられてようやくナリサリス嬢も自分の体の動かし方を思い出されたようです。
「ま、まああなたのような方でも身なりを整えれば、多少は――」
しかし、動揺を抑えきれなかったのでしょうか、階段を降りざまにお踏み外しになってしまいました。このままでは階段を転げ落ちる――誰もがそう思ったところでございましたが、勢いのままに半回転して放り出されたナリサリス嬢の腕をミル様がお掴みになります。とっさのことでしたから踏ん張りが効かなかったのでしょう、ナリサリス嬢に引きずられるようにミル様のお体も前へ倒れていってしまいます。しかしミル様は怯まず、ナリサリス嬢を掴んだまま、水平に飛び上がって空中で一回転、階段を飛び越えて綺麗にフロアに着地なされたのでした。――いつの間にやらナリサリス嬢はおとぎ話のお姫様がされるように抱きかかえられておいでですが。
ともあれ、あわや惨事かといったところを華麗に救ったミル様の、服装と相まってまさしく物語の王子様とご様子に、自然と拍手が送られることとなりました。
「ちょ、ちょっと、早く私を降ろしなさいな」
「あ、は、はい!」
慌てて降ろされたナリサリス嬢は、鼻を鳴らしながら髪をたなびかせ、そのまま肩を怒らせるようにエントランスへと足を進めてまいりました。耳が綺麗に染まっていらっしゃったことは、まあ口にするのは野暮というものでございましょう。
*****
馬車に揺られ4半刻といった頃合いでしょうか、目的地であった湖のほとりへとたどり着きました。ひとまずは午前のお茶を済ませ、皆様ひとまずは水遊びをなさるということとなりました。
空は晴れ渡り、また本日も穏やかな風で、遠くを見れば湖面が空を写し、平穏とはかくたるものかという思いが湧き上がります。
もっとも、ご友人たちはそのような情緒を感じるには若いようです。
「わー! 海だーー!!!」
「いえ、だから湖と」
「そういえば海と湖ってなにが違うんだろう」
「いろいろ、ありますけれど――」
「まーそんなことは気にせず。ほら行こーー!」
ヤーレ様に引きずられるようにして、みな様一目散に砂浜から湖の中へとお入りになって行きます。
そういえば、皆様泳ぎの方はいかがなのでしょうか。まあたとえ泳げずとも服を着ている限りは沈むことはないはずではございます。あれらの水着は水を吸わないため、裸でいるより浮きやすくなるのです。
ナリサリス嬢は弁えていらっしゃるようで、姫様とともに水辺でおくつろぎになっておいでです。他のお二人については、体操の授業のことを思い返してみますと、ミル様は特に問題ないように思われます。実際ヤーレ様とともに水にお入りになったミル様の動きは落ち着きなさって、隣で過剰にはしゃがれているヤーレ様などは溺れているようにさえ見えます。
そのヤーレ様と言えば、体操の授業もあまりお得意ではなかったはずですが……はたと思い出したことがあり、側のものを呼び、すぐにパラソルとビーチチェアを用意させます。用意の終わりそうなころにもう一度湖の方を覗います。そろそろのようですね。
湖の方へと向かいますと、ちょうど水しぶきの上がり様が弱くなってまいりました。
「あ……」
「え、や、ヤーレ? ヤーレ!?」
案の定、体力の限界に達したのでしょう、ヤーレ様は水上にお倒れになりました。幸い仰向けになっていらっしゃるので、それほど緊急性はなさそうです。
「ミル様」
「うひゃあ!! あ、えっと」
お声を掛けただけのつもりでしたが、どうにも驚かせてしまったようです。しっぽまで天を指すかのごとくに緊張させていらっしゃいます。まあよいでしょう。いまはヤーレ様の方です。
「あちらにお休みできる場所をご用意いたしました。お運びいたしましょう」
「あ、はい」
幸い足のつくあたりでしたので、ヤーレ様の背中と膝のあたりに手を入れ持ち上げます。なるべく反動のないようにしたつもりでしたが、まどろんでいらっしゃったヤーレ様も意識を取り戻されました。
「あ、ええと、すみません」
「ご気分は問題ございませんか?」
「あ、え、はい。えへへ」
やや挙動不審にも見えますが、問題はないことと存じます。後ろからミル様がこちらの様子を伺っている気配を感じますが、ともあれまずはチェアの方で休ませるのがよいでしょう。




