休暇-1
王国の民なら誰でも知る古いお話の中に、3人の厄介者が現れる者がございます。
類い希なる才を持ちながら、それを信じられぬ者――才が災いの種となり、にもかかわらずそれを自覚せず種を摘むこともできない。
膨大な知識を持ちながら、それを隠さずひけらかす者――知識は災いを抑えることもできるが、過ぎればかえってその災いを育てる。
財力を持ちながら、それに見合う権力を持たぬ者――その財力をもって災いを抑えうるが、見返りを求める。
なんということはありませんが、姫様のご友人方を見ると、そのお話をつい思い出してしまいます。ええ、深い理由はございません。
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前回に引き続いて、姫様の侍従であるサレッサでございます。
アカデミアが夏期休暇に入ってからおよそ1月。姫様がこの湖の公邸にお移りになって、いよいよご友人方をこの屋敷にお招きする次第となりました。屋敷付の使用人達には最低限を残してお休みを取っていただき、ご友人方には気兼ねなく来ていただける環境となったかと思います。
幸いお3方は同じ馬車で来ることができるということで、そのように手配を行いました。
ですが正直なところ姫様の仲介なくあの3人が仲良くお話ししている風景があまり思い浮かびません。特にあの女……ではなく、ナリサリス嬢については、どうも他のお2方との間に緊張感があるように思えます。
私の考えはともあれ、正式な社交界に出ることもなかった姫様としては初めての「ご友人」を迎える場。当然失敗は許されません。平民が相手とはいえ、いえむしろだからこそ楽しんでいただく必要があるということでございます。
姫様も同じ考えのようで、馬車が到着する予定の日にはしきりにお召し物をご確認なさっています。
「もっと控えめなものは?」
「これ以上となると肌着になってしまいます」
ご用意したドレスを身に纏っても、どうにもしっくり来ないご様子で、模様をなぞったり裾周りをご確認なさったりされています。華美なものは好ましく受け取られないのではないかと心配なさっておいでのようです。お3方が平民であることにあわせたとしても、どうせあの女の華美な着回しで台無しにするだろうという気持ちにはなりますが、私の気持ちはひとまず置いておきましょう。
「ホストとして皆様に不快な思いを与えないようにというお気持ちもよろしいですが、親しい間柄なのですから、なにより殿下自身がお楽しみになるのが大事ですよ」
「そう……ですけれど」
鏡越しに不満そうに口をすぼめる姿も大変愛おしくみえます。このお姿を見てなお文句を言う者がいるのならそれはまさしく私の敵でございます。
そうはいっても、姫様のことですから、人前に戻られるとまたいつものお顔に戻ることでしょう。思うところがないわけではありませんが、少なくとも私の前では素を、おそらく素の姿をお見せいただけているだろうことで、良しといたしましょう。
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姫様のお召し物と心が決まる頃に、馬車の訪れるだろう時刻が近づいて参りました。
「よろしいですか、私がお迎えいたしますから、殿下は合図が届きましたらホールでお待ちください」
「分かっています」
小さく頷く姫様は、いつもの微笑みより少し不自然に口角が上がっているように見えました。やはり緊張なさっているのでしょうか。まあ何ごとも経験と申しますし、たまにはこういう日もあるのがよいでしょう。
姫様のお部屋から出て、道の方への窓を覗くと遠くに土煙が見えて参りました。思ったよりも近くまで来ているようです。
到着を待つ間、出迎えの予行を頭の中で繰り広げていると、ふと姫様をどうお呼びするのが正しいのかという問題に当たりました。屋敷の主……というわけではありませんし、正式にはもはや姫殿下ではないわけですから、それに準ずる形はご挨拶の場面には適していないようにも思えます。とはいえお名前を呼ぶのは恐れ多く、正直避けたいところです。
うーむ、ここは定番の方法で切り抜けるしかなさそうです。つまり、呼ばなければよいのです。
結論が出たところで、ちょうど馬車が到着いたしました。御者にご挨拶をして、入り口の前まで誘導し、車の扉を開きます。
「うわぁー」
「おっきい……」
中の方々の無邪気な声を聞きながら、段を用意いたします。
「そうですか? むしろ小さい方だと思うのですが」
……耳に障る声が聞こえましたが、ここは大人の対応です。お連れの方々の「いや寮より大きいじゃん」みたいな声だけに集中いたします。まあ実際のところ、本来姫様の利用される別邸としては小さいのですが。
お3方を外まで誘導して馬車を見送ったところでご挨拶です。
「遠いところよりご苦労様でした。ここでの生活の間、皆様のお世話をさせていただきます、ノレイノウ家のサレッサと申します」
「あ、よ、よろしくお願いします」
「よろしくお願いしまーす!」
「ノイレソース家のナリサリスですわ。こちらの2人は……えー」
「ミル様とヤーレ様でございますね。存じております」
平民でありながら家名を名乗ったのは、まあよしとしましょう。
それとは無関係に、ナリサリス嬢は私の敵です。
この女が、姫様を姫でなくしたのだから。
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屋敷の中に入ると、ホールの中央でお待ちになっていた姫様が、窓から入りこんだ日差しに照らされていらっしゃいます。そうして完璧な微笑みをたたえながら、こちらにお辞儀をなさります。
「ようこそ、お越しになって、ありがとう」
先ほどまでの不安げな様子など微塵も感じさせない、日差しとともに空から降りて来たかのような優雅なご挨拶。姫様のお邪魔にならないように横に逸れながらお3方のご様子をうかがうと、どうやら息をするのも忘れるほどに見とれておられるようです。
やがてヤーレ様が引っ張られるように姫様の方に進み、手を伸ばしました。どうにも意図が読めず、即座にその手を横から失礼にならないように掴みます。
「どういったご挨拶でございましょう」
「え、あ、す、すみません。なんかお人形さんみたいだったから、つい」
細い目からは表情が読みづらいですが、害意なくただ困惑している様子なのは見て取れます。とはいえ恐れ多くも姫様にお触りになろうというのは見過ごせません。
「サレッサ」
姫様からのお声を受け、手を離して1歩下がります。すると姫様はヤーレ様の伸ばしていた手を取って、御自らの頬へと引き寄せなさります。
「どうでしょう、おかしなところ、ありますか?」
なんとヤーレ様は促されるがままに姫様の頬に触れ、さらに触れ、あまつさえもう片方の手も使って、両頬をもみ始めました。
「あ、あの」
「やわらかい……」
姫様のお顔が歪んでしまう前に止めます。姫様がお許しになっていたことなので口は挟みませんが、怖がらせない程度に睨みをきかせておくと、ヤーレ様は苦笑いを浮かべながら頬をかかれています。
「す、すみません。つい」
反省が見られませんが、まあよしとしましょう。姫様もお笑いになっていらっしゃるので、私の方から大事にすることではないでしょう。
「さあ、サレッサ」
「承知いたしました。まずはみなさんをお部屋にご案内いたします」
そう宣言すると、姫様もお3方のお隣に移動なさいました。
その時のお顔は、先ほどまでの完璧な微笑みとは別の、しかし魅力的な笑顔でございました。




