休暇ー0
皆々様ご機嫌よう。勘の良い方であれば、今回はケラミリア王女殿下の視点から物語が進められるというお考えをお持ちでいらっしゃったかもしれません。しかしながら、姫様のお考えを衆目に晒すようなことはあってはならず、そしてそれが少ない休暇のこととなればもう値千金、いや萬の財貨を持ってしても垣間見ることさえも許されはしないのです。残念ながら、これこそ天地開闢の時より定められた運命。最高の魔女、万能の神を持ってしても帰ることのできない不文律なのでございます。
自己紹介が遅れました。私、サレッサ・ノレイノウと申すものです。いついかなる時も姫様の身辺をお守りし、その願いをこの身の許す限り叶え、それによって姫様の麗しきお顔を暗くせぬようにすることこそ我が仕事、いえ使命であります。今回のことも、慈悲深き姫様の命により、こうして僭越ながらも影に隠れるべき私が、皆々様に何が起きているかをご紹介する件となったのでございます。どうぞ姫様に深謝なさるよう申し上げます。
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さて、どこからお話をすべきかを考えますと、やはり姫様がいかに聡明で、そして可愛らしいお方であるかということから始めるべきでしょうか。
姫様は当然のように優秀な成績でアカデミアの第1年度前期を修了され、2月ほどの長い休暇に入られました。しかしながらすぐにこのヴェンドル湖の公邸に向かい、そうして幾人かの貴族の訪問をお受けになったのです。
公的には、姫様のもつ政治的なお力は全て剥奪されていることになっております。しかしながら、その賢慮を頼る哀れな者は少なくないのです。魔女入りの発表からもはや半年は過ぎようというところですが、いまだに姫様のご復帰を願う声が多いことは疑う余地もございません。
その一方で、姫様はアカデミアで育まれた友情をさらに確かなものにせんと、ご友人方をこの公邸にお呼びしたいと、ご尊顔を朱に染めながらそうおっしゃったのであります。
その頭脳で国を憂う姫といえど、やはり年相応の部分も兼ね備えていらっしゃる。これほどに尊いものを守れずして何が侍従であるかと。これぞ国の宝。もし写真機が手元にあれば迷わずそのお顔を恐れ多くも写真に収め、そして姫様のご尊顔という国の宝を世に放つという危険を犯したことに気付いて即座に写真機を破壊していたことでしょう。
ともあれ、姫さまがそのご友人とお戯れになる間、この公邸には必要以上の人間を入れぬように手配したのでございます。そもそも姫様は本来はすでに姫と呼ばれることすら許されない身。姫様の望まれない訪問を受ける理由は何一つございません。
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種々の調整を済ませている間に、気づけば夏休みも間近。姫様の成績と所感を本国にお送りする頃には、姫様の方も外出のご準備を終えられ、湖の方に向かうこととなりました。
夏休みになると、接触を禁じられていた各国の侍従やお付きが、アカデミアの門の前に馬車と共に現れ始めます。「家を捨て、貴賤の差なく扱われることを自覚する」という名目で、我々使用人の接触はかなり制限されておりましたが、帰省にあたってはやはり危険が伴うということで、こうしてお世話をすることが認められております。
使用人とお会いするご学友の方々を見ると、多くの方々はどこかホッとされたような、気の抜けた表情をなさいます。異国の地で異郷の人々に囲まれ、これまでの環境からも大きく異なる状況、肩肘を張らずにいるという方が難しいことでしょう。
ああ、姫様もご心労いかばかりのことでしょうか。ご友人の方々とご一緒されている時は普段通りのようにお見受けいたしましたが、そもそも姫様は微笑みの裏にすべてをお隠しなさる方、素直に心うちを色に出すことはなさらないでしょう。それでも、私に対しては、どうかその心根をお見せいただければと、恐れながらも思ってしまうのでございます。
そのようなことを考えているうちに、馬車が来るという知らせが届きました。姫様にもご連絡をお回しし、他の使用人と同じように門の近くでお待ちいたします。
アカデミアの面する通りは馬車が多く通れるほどに大きく、また人通りも途切れぬほどにあります。まさに街の中心部といったところで、アカデミアが役所を兼ねていることも伊達ではないことを実感させられます。しかしその雑踏の中でも、姫様のおみ足が奏でられる音を聞き逃すことは、私にはできません。
音の方を向くと、高貴さを窺わせる銀の御髪が、その歩みとともにお可愛らしく左右に揺れていらっしゃいます。その手には、姫様自身が入りそうなほどに大きな鞄が。
慌ててそのお荷物を受け取りに行かねばと考えますが、なんとか理性が働きアカデミアの敷地内に入ることはせずに済みました。もし入れば、姫様にどれほどご迷惑がかかるか、想像に難しくありません。
それでもなるべく近くでお待ちし、門にたどり着いたところでお辞儀を差し上げます。
「こうして、顔を合わせるのは、なんだか久しいですね」
姫様からのお声がけだけで、思わず顔が綻びそうになりますが、気合いで表情を維持いたします。
「そのようなお言葉、恐悦至極に存じます。さあ、お荷物を」
姫様は少し躊躇われてから、それでも私に荷物をお渡しいただきました。私が困るほどではないものの、それなりの重量が感じられ、これが姫様の細腕を苦しめていたと考えるとそれだけで声を荒げそうになります。
「このようなお荷物、申し付けいただければお運びしましたのに」
馬車に荷物を詰めながらつい言葉が漏れると、姫様は困ったように微笑まれました。
「1人で、と思いましたが、やはりまだ、難しいものですね」
それでようやく私の犯した罪を自覚いたしました。姫様がお考えもなしに行動を起こされることがないことなど分かっていたのに、それに意見するなんて。しかし1度出した言葉を撤回しては、なおのこと姫様を傷つけることになってしまうでしょう。慎重に言葉を選ぶ必要があります。
「姫様はまさに成長なさっているところですから。きっとすぐにお1人でなんでもなさるようになるでしょう」
言いながら近い将来、姫様が魔女になったときのことを考えてしまいました。そうなれば、もう私がお付きとしていられなくなるでしょう。
馬車にお乗りいただくために手を差し出すと、そんな私の考えなどお見通しのように、姫様は手を取りながら優しく微笑んで、
「それまでは、甘えさせてもらいますね」
と仰ってくださいました。
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公邸に着けば、公邸専属の使用人達がおりますから、私の仕事はほぼなくなります。王侯の使用人に向けた保養所として用意されていることを考えれば当然のことではあります。もちろん姫様からご用命をいただければそれに従うのみですが、姫様のことですから、むしろ私の休暇を兼ねてのこととお考えでしょう。
一方の姫様は、前述の通り諸貴族の方々と面談なさっているはずです。さすがに初日はお休みなさっていましたが、以降はお食事の時ですらどなたかとお会いしているはず。こちらも必要なことは全て屋敷の使用人達が行っています。本来であれば私も側にお仕えいたしたいところですが、私がいるとかえって姫様のご迷惑になることもありますから、こうして自室にこもっている所でございます。
……とはいえ、こうして部屋にこもるのも不健康に思えます。窓に近づけば、雲を映した湖から吹く風が頬を撫でます。散歩にはよい気候ですが、どうにも1人だけ遊んでいるようで落ち着かなさそうです。
スケジュールによるなら、もうしばらくすれば姫様も御休息を取られるはずですね。それなら、午後のお茶をご用意して差し上げるのがよいかもしれません。1人の時間も必要でしょうから、姫様がお茶をお楽しみの間は少し庭の方を散歩でもして、次のご予定の頃に回収に向かえば良いでしょう。
そうと決まれば、早速厨房のほうへ注文に向かいましょう。
厨房では当然ながら予定にないことを言われたことに苦い顔をされましたので、お茶菓子だけいくつか拝借して、残りはこちらで準備することとなりました。まあ問題はありません。こういう時のため茶葉も用意しております。
用意したお茶をティーポッドに移して冷めないように覆いをし、お茶菓子と一緒に配食用の台車に載せます。そうして姫様のいらっしゃるお部屋まで運び、ノックをいたします。
「ケラミリア嬢が目付、ノレイノウ家のサレッサが参りました」
姫様のお名前を呼ぶ罪悪感を感じている内に、部屋付きの使用人がドアを開きました。
「どうかしました?」
「お時間があるかと思いましたので、差し出がましくもお茶をご用意いたしました」
姫様が微笑みながら小さくうなづいたので、そのまま部屋に入り準備を始めます。お部屋のテーブルに食器や焼き菓子をセットした後、姫様のためにティーカップにお茶を注ぎ、用意していた小さなカップにも同じように注ぎます。そうしてお茶菓子とともにそのカップのお茶を飲み干して、問題がない事を確認、そうした後に準備完了の合図に椅子を引いて、姫様に一礼を捧げます。
「私のものだけですか?」
姫様は椅子にお座りになりながら、こちらにお尋ねになりました。もしかしたら、次にお会いになる方とお茶をするつもりだったのかもしれません。
「はい。次のご会席の頃には片付けに参ります。もし必要でしたら、その時にご準備いたしますが」
こちらの意図をお伝えすると、姫様は小さく笑いながら首をおふりになりました。
「もしかして、お忙しかった?」
予想外の言葉に固まってしまいましたが、すぐに首を振ります。
「いえ、ただ私などが同席してもよろしいのでしょうか」
「もちろん。そもそも、今の私は、王の娘であることを捨てた身。正しくはあなたの方が、位は上では?」
「そんな、恐れ多いことを」
確かに、公的には姫様の身分は今はないに等しい状態。公爵家の娘である私の方が上位ということになってしまいます。もちろんそのように考える人間は少なくともまだ誰もいません。正式に魔女になるまでは、暗黙の内に王族の一員として扱われておいでです。
ところが姫様はあくまで空いている椅子の方に目を向けられます。仕方がありません。こうなっては断る方が失礼でしょう。配食台には食器のスペアが用意されているはずですから、そこから取り出せば問題ありません。
そうして準備を始めると、姫様は部屋付きの方にまでお声をかけられます。なるほど、どうやら2セット用意するのが良いようです。
ついでに使用人の分も用意すると、逆に恐縮させてしまったようでした。考えてみれば彼女に任せるのが正しかった気がしてきましたが、まあそれだけ私も動揺していたということでしょう。
こちらの使用人は部屋付きのベルン。第2王子派であるマノイレル子爵の母で、つまりは味方です。もちろん第1王子が敵というわけではありませんが、あの王子に派閥をまとめる力はございません。それゆえ、なかには少々行き過ぎたことをなさる方もいらっしゃるのです。
ともあれ、この方の前であれば多少の粗相も忘れていただけるでしょう。
「殿下の方はいかがお過ごしでしたか?」
「こころよく過ごせています。みなさんよくしてくれますから」
言いながら姫様はベルンの方に微笑みかけ、ベルンもまた上品に小さくお辞儀をします。
「サレッサの方はどうですか?」
「そうですね、こちらを利用するのは初めてのことでしたが、隅々まで配慮が行き届いており、私も大変リラックスできています」
「お2人にそうおっしゃっていただけると光栄です」
ベルンは照れたように頬を押さえながら、しかし首を振られました。
「しかしやはりこの屋敷を空けるのは少々心配でございます。お休みを頂くのもいつぶりだったか」
言いながら茶菓子をかじり、その後にお茶を飲まれます。
姫様のご友人をお招きする際には、給仕や掃除を担当する者を除いて使用人達には休暇を取るように手配いたしました。
「大勢に囲まれることに、慣れていない方も、いらっしゃいますから」
姫様はベルンに優しく微笑みかける。休暇の理由はご友人達に気を遣わせないこともありますが、1番は姫様への訪問者を断る口実とするためでした。しかしお伝えすることもないでしょう。
「期間中にいらっしゃるのは平民の方々で、そう多くもございませんから、私の方で対応可能かと。最低限は居残りますし」
「たしかに。サレッサさんがいらっしゃいましたら、万事つつがなく進められますわね」
ベルンは小さく頷いたあとに、少し笑った。その笑みの真意が読めず姫様とともに反応すると、ごまかすようにまた笑いながら茶菓子を口に入れた。
「これは失礼を。ただ、こうして殿下がご自身でお作りになったご友人をご招待されると考えると、喜ばしい限りで」
姫様もまんざらでもないように照れていらっしゃる様子を見ながら、ベルンは何度も頷きました。
「殿下、恐れながら年の功から申しますと、これより先の人生、良き友こそが金貨に優る財貨となることでしょう。どうか、お大事になさってくださいね」
姫様は感謝を述べながら頷き返されます。
さすがというべきところで、友を貨と呼ぶのは面白いたとえに思えます。たしかに姫様のこれからにおいては、良き友こそが生きる糧となることでしょう。
そう、悪い友ではなく、良き友が。




