試験-3
寮に戻れば、同室の2人はそれぞれの机で勉強をしているようだった。
「おかえり、遅かったね」
ミルからの挨拶を無視して、ケラマの方へ向かう。
「ちょっとケラマ」
「いかがなさいました? あ、そうだ、甘いものはいかがでしょう」
文句を続けようとしたところで遮られてしまった。差し出されたのは、紙袋の中の焼き菓子だった。
「今日買ってきたものです。私も召し上がりましたが、とてもおいしかったですよ」
……知ってる。この味は私も食べたことのある味だ。街でも結構有名なところの――。
「って、ふぉうじゃなふて」
「お茶はいかがですか?」
そうそう、焼き菓子ってどうしても喉が渇くんだよね。自分の椅子に座って、ゆっくりすすると、口の中に残っていた甘みとお茶の香りが相まって、なんとも心がおだやかに――。
「だから、そうじゃなくて!」
「どうかなさいましたか?」
「どうかって、ケラマなんでしょ? ナリスに頼んだのって」
ケラマはチラリとミルの方をみて、それからゆっくりと頷いた。
「確かに、ナリスさんにお話を通したのは私ですね」
今の感じだとミルもなにか関わってるらしいけど、まあそれはそうだろうが、別にそれはいい。今はともかく愚痴を言いたいだけだし。
「頼むにしてもさ、もっと別にいい人がいたんじゃないの? おかげさまでこんな時間まで頑張る羽目になったんだし」
「それだけ、真面目に取り組んでいらっしゃる、ということでしょう」
「それは、そうかもしれないけど」
うーむ、口では勝てそうもない。となれば数の力だ。
「ミルからもなにか言ってよぉ。こんなの毎日続けてたら死んじゃうよ」
話を振ればミルはびくりと体を震わせた。
「た、確かに死ぬのは困る……」
よしよし、ミルは押しに弱いから、もう一押しで仲間になってくれそう。
「でも」
「でも?」
「……ヤーレが補習になるのも、嫌だから、頑張ってほしい、です」
目線を下げて耳も伏せて、手をもじもじさせながらなぜか敬語になるその姿を見ていると、なんだか変な気持ちになってくる。私より頭半分くらいは大きいくせに、可愛いじゃないか……。
「あ、ケラマさんからもうちょっと早く終わるように言ったら、ナリスさんも聞いてくれたりしないかな」
「そうですね。伝えておきましょう」
……まあ、2人がそう言うならもうちょっと頑張ってみようじゃないか。
それに、明日からはきっとましになるだろうし。死ぬのは冗談でも、毎日この時間までがんばってると、いくら最近調子がいいといっても倒れてしまう。
ひとまず茶器の片付けをしていると、そもそも現状に疑問が湧いてきた。
「でも、なんでまた補習させたくないなんて話になってるの? そりゃあ、私だって別に補習受けたいわけじゃないけど、別に連帯責任とかって訳でもないし」
そう尋ねると、またミルは顔を歪ませながら、口を開いては閉じる。どうしたものかと思っていると、こほんとケラマが口を開いた。
「私、お休みの間は、ここを離れることになっていますから」
「へー、やっぱり帰るの? っていうかずっと?」
「ずっと、ではありません。東の湖の畔にも、家がありますから、そこに1月ほど」
東の湖というと、馬車で数日のところにあるって、昔教えてもらったことがある。確か行くと面倒なことになる、とも言われてたっけ。なるほど、王族の保養地っていうやつか。やっぱりあるところにはあるんだなぁ。
「お2人がいらっしゃると、嬉しく思いますが――」
「え、本当に!? 行く行く」
いや待て、このタイミングということは。
「それはもしかして、補習とかぶるとか……」
ケラマに尋ねると、ちょっと真面目な顔に戻ったと思うと、また破顔した。
「あちらに着いてしばらくは、やらねばならないことがありますから。みなさんがいらっしゃるのは、終わったころになるかと」
「あ、そうなんだ。え、じゃあなんでいまその話を?」
ケラマは今度は答えずに、無邪気な笑みを手で隠しながらミルの方に目を向けた。いまの話だと、ミルはあまり関係なさそうだけど……。
私もミルの方を見ると、2人分の視線に耐えられなくなってか、ミルがいよいよ口を開いた。
「えっと、その、ケラマ、が、いなくなるわけだけど」
適当なタイミングで相づちを返す。
「でも、私は帰れるほど家が近いわけでもないし」
そのあとごにょごにょとなにか続けたけど、聞き返しても答えてくれなかった。
「と、とにかく、私はその、ケラマ、の家に呼んでもらうまではこの街にいる……わけなんだけど」
「うん、私が補習受けてる間ね」
「まだ受けるかは」
「だ、だからヤーレにこの街を案内してほしいなって。その、補習の、代わりに」
街を案内か。たしかにミルにもケラマにも、まだ食堂をいくつかくらいしか案内できてない。
「でもそれくらいだったら今週の休みにでも」
そう答えると、ミルはさらに縮こまってしまった。ケラマの笑みもどこか苦みを含んでいる。どうやらなにか間違えたらしい。
どうしたものかと思っていたら、ミルが口を開いた。さっきよりちょっと大きな声で。
「だから、一緒にお休みを過ごしたいの!初めてのお休みを、初めて出来た友達と……たぶん」
結局尻すぼみになったけど、勇気を出して言ってくれたんだろう。私より一回りも大きな体が、私よりも小さく見えるほどになっているのを見ると、その緊張しているのを見せるようにピンと張った尻尾を見ていると、どこか愛おしくなってくる。ペットがいたらこんな感じかもしれない。
それにしても。さっきの発言を思い出して、不意に吹き出してしまった。
「たぶんって、どこに掛かるわけよ」
「え、い、いや、私なんかが友達というのもおこがましいかなというか」
やっぱりそこかい。そこは自信持って言い切って欲しいところだったな、
「まあ分かった。そういうことなら私も頑張ってみるよ。なんせ、友達からの頼み、だからね」
そう言ってやると、ミルは嬉しいやら恥ずかしいやら、顔を隠しながらも後ろの尻尾がゆっくりと揺れていた。
「ところで、ミルは、私のことは、友達とは」
「え!?あ、えっと、その、もちろん、たぶん」
どっちだよ。声に出さないように笑いながら、ミルに詰め寄るケラマを横目に、先に休ませてもらうことにした。
さて、友達のためにも、明日からも頑張るか。
*****
さて、やると決めたからにはやろう。そう思って、今日は自分から図書館に向かう。そんな私に律儀にも今日も放課後に付き合ってくれたナリスとヨミーさん。
「さて、昨日解いていただいた問題ですが」
バカみたいに分厚い紙の束を手で叩きながら、ナリスがこっちを見てくる。なんとなく、緊張してきた。
そんな私の表情を見て満足したのか、ナリスは紙の方に目を向けて、パラパラと中身を見はじめる。
「まあ昨日も多少確認しましたが、やはり読み書きの方はそう問題はなさそうですわね。書く方は、まあ物足りなさもありますが、補習を受けるほどじゃなさそうですし」
よしよし、私だって出来るんじゃないか。思わず顔が緩む。ヨミーさんも小さく祝福してくれる。
が、そんな私達を、ナリスが紙の束を叩いて引き締めてくる。
「気を抜くのが早すぎですわ! 他は目も当てられませんのよ。歴史は魔女の関わってないところはほぼ空欄、生活は解答がぐちゃぐちゃ。算術に至っては足し算しかできてないじゃないですか。よくこれで普段の授業を受けていられますわね」
「い、いやいや! 他はともかく、そもそも算術は問題がおかしいんだって。昨日は突っ込めなかったけど、算術表は半分しか書いてないし」
「半分とおっしゃいますが算術表はこれで十分なのです! むしろこの程度、まるっと覚えてたっていいくらいですのよ」
「それは出来る人の理屈でしょ」
「そんなことはありませんの。ねえ、ヨミーさん」
「え?」
急に振られてなんともいえない微妙な顔になってるヨミーさん。これは、どっちの顔だろう。
「えー、ほら、下のクラスではまだやってないということもあるのでは?」
張り付いたような笑みを浮かべながら答えるヨミーさん。これは、ヨミーさんもできないんじゃ。物腰は同じくらいやわらかだけど、さすがにどこぞの姫様ほどにはごまかしがうまくないらしい。
そんなヨミーさんにため息をつきながらも、ナリスはヨミーさんを含めて算術表の作り方と使い方を教えてくれた。
「ここで、こうして、こう」
「いえだから」
「いやちょっとまって。こっちがこうなって、こうだ!」
自信満々にナリスの方を見ると、ため息しながらも「そうですわね」と頷いた。よしよし、これで算術はなんとかなりそうだ。
「いや大丈夫なのかな? 計算できるようになったくらいだけど」
「まあ幾何学についても、計算ができれば現状問題はなさそうですわね」
ヨミーさんは小さく拍手してくれたが、ナリスには今後は分かりませんがと釘を刺され、つい苦い顔になってしまう。
「それに、大問題なのは歴史と生活なのですわよ」
「ぐぅっ」
歴史……生活……。どうも生きるのが苦手なようだ……。
ため息をつかれながら、ナリスは窓の外に視線を向けた。どうやらそろそろ日も落ちようとしているようだ。
「まあともあれ成果も出たところですし、今日はここまでですわね」
「やった! ……じゃなくて、どうもありがとうございました」
「礼儀は弁えているようですわね。それではまた明日」
あれ、明日は学校はお休みのはずだ。そう指摘すると、残念そうに首を振られた。
「あなたの成績だと、お休みにゆっくりされると間に合いませんわね」
「……ってことは、休日返上?」
「当然ですわ」
なんと……。力が抜けてずるりと椅子から滑り落ちる。
これは、ちょっと失敗したかな……。




