5/9
悟りと科学
物事を多角的に見、深く考え、疑問点を無くしていく。これは、現代科学の思考法と共通する。
仏教は宗教だが、その思考方法は科学を同じなのである。
これが、仏教が不変的でいられる理由だ。
科学というものは知れば知るほど疑問が出てくる。仏教も同じで、悟れば悟るほど迷いが出てくるのである。人が生きている限り、迷いは出る。普遍的な解はない。迷いを消していくのは、自分で実践するしかない。
それは、あたかも登山のようである。山があるから登る。登山は最高峰に達すれば終わりではない。より困難なルートがあるから挑戦する。
困難への挑戦。これこそが人類の原動力である。
一休和尚を初めとして、我欲まるだしに見える僧侶も多数いる。かれらを不謹慎と思うかもしれないが、かれらの迷いは己には無い。だから己を厳しく律する必要もない。
かれらにあるのは、世の人々が抱く苦悩の救済である。他人の救済であるから、実践するのは他人である。かれらは、真理を教えるのではなく、真理へ至る道を示すことに奔走したのではないだろうか。