「悟りとは何か」を悟る
仏教において最大の真理は悟りとされる。多くの一神教では、人は何も疑わず神の言葉に従っていればいいと説く。それに対し、仏教は釈迦の言葉や行動を自分たちなりに解釈して伝えたものだ。それは本当の真理ではない。
悟りの内容は、ひとりひとり異なる。そもそも悩み自体がそれぞれ異なるし、できることや、それまでの人生も皆違う。つまり、具体的な事象の解決策というものは、共通化できないということになる。
仏教が優れているが、判りにくいのは、この個人によって真理が異なるということだ。しかしそれでは誰も真理にたどりつくことができない。なので、真理にたどり着く条件を示している。
仏門に入り早朝から務めに励むものもあれば、百万遍の念仏を唱えるものまでと、条件の内容は宗派によって異なるが、条件を実践によって満たそうとすることで真理にたどり着くという思想は共通だ。
悟りとは自分で導き出すものであり、教わるものではない。そして、悟りとは何かを悟ることが大事なことなのだ。
悟りの内容は個人によって違う。それは悩みがそれぞれ異なるからだ。
つまり、悟りとは真理ではなく、状態を指す。宇宙の真理を悟るということはできないのである。それは、そんなもの誰も真に悩んでいないからである。
仏教は真理を教えない。これにより疑うべき余地が生まれない。
悟りの状態というのは、悩みが解決された状態と言い換えられる。そこで悩みを解決方法、つまり条件が重要になる。
ただし、条件が整ってもやり方が間違っていれば悟れは得られない。仏教の最大の奥義は、悟りを得るにはどうすれば良いのかを悟ることであると考える。仏陀は苦行の末、そこに辿りついたのではないだろうか。
「悟り」の類義語は「気付き」だと思われる。