data8. 女心と秋の空
僕は運動が苦手だ。球技全般に抵抗があり、走りに関しては相性が合わないと言い切れる。
だから体育の時間は苦痛でしかないのだが、一週間に2度もやってくるのだ。
早く昼休みになってくれないかな。
ボールの行き交うネット越しに、チラリと視線を送った。反対側のコートでも、女子がバレーボールをしている。
なぜか、制服姿で見学している生徒が1名。あのカザネとかいう金髪黒マスクが、なぜか登校し始めたのだ。しかも同じクラスだったらしい。
2年に進級して約二ヶ月半。一度たりとも顔を見せなかった奴が、
「ーーあっ、やべっ!」
「やま……!」
今更なにを考えているのやら。
ドゴッと鈍い音がして、エグいくらいの痛みが鼻から頬にかけて伝わってくる。
うわ、最悪だ。
尋常じゃない力で吹っ飛ばされて、僕の体は地面に叩きつけられた。
「大変だ! ぼさっとしてた山田にボールが当たったぞ!」
クラスメイトの声が聞こえてくる。
ぼさっとは余計だろう。それにしても、衝撃を受けた部分がじんじんと熱を帯びて来ている。
ドクドクと熱いものが流れ出すような……血? 手のひらには、土に滲んで赤い液体が付いていた。
鼻血が止まらない。目の前がくらくらして、意識が……。
「みんな、動かしちゃダメだよ! 誰かティッシュもってないかな?」
百合園さんが近付いて来て、僕の血塗れの鼻を体操着の端で押さえた。
そんなことしたら、血で汚れて汚くなるのに。
「山田くん、大丈夫? 今保健室に……」
「アタシが運んでやる」
百合園さんの背後から、背の高い女子が顔を出した。周りがざわついている。ぼやけていてはっきりしないが、あれは……。
気が付くと、保健室のベッドで眠っていた。
昼休みになっている。気を失っていたらしい。
上半身を起こしながら、腰の痛みに耐える。うう、いてて。誰かがここまで運んでくれたのか。
窓側に座る人と、パチリと目が合う。
げっ、出た! どうして金髪黒マスクがここにいるんだ。
慌ててベッドから降りようとしたら、襟首をぐっと引っ張られて。
「おい、待て。どこ行きやがる」
カザネにバフンと背中から倒された。見下ろされて、ぐっと顔を近付けられる。
「なっ、なんなんだ! 僕が……何したって言うんだ」
「放課後、少し付き合え」
「……い、やだ」
ボコられて川にでも落とされるのか? それとも、バイクで引き殺される?
どちらにしても、暗黒な未来が待っているのは確かだ。
「ここまでおぶって来てやったのはアタシだ。謝礼として、六花のプレゼント選びを助けろ」
「……はい?」
仰向けのまま、ぽかんとして金髪の顔を見る。
「今週末、六花の誕生日なんだよ。おまえ、最近やたらと仲良いんだってな」
「……そ、そうなのか」
百合園さん、誕生日なんだ。知らなかった。
「だーかーら! 好み教えろって言ってんだよ。六花が喜びそうなもんを」
胸元をぐっと掴まれて、より顔面が接近する。
コイツ、ほんとに女子だったのか。意外とまつ毛が長くてキレイな目をしているな。
「……六花に内緒で」
その時突然、シャーーッとカーテンか開いた。
おもむろに顔だけを向けると、きょとんとした百合園さんが立っていた。
「2人で……なに……してるの?」
「な、なんでもない!」
持っていたシャツを離しながら、僕よりも先にカザネが口を開く。
「じゃあ、またな」
じとっとした視線で無言の圧をかけて、カザネは保健室を出て行った。
黙っていろと訴える目だったな。
のっそりと上半身を起こすと、百合園さんが僕の顔を覗き込む。
「2人でいるなんて、珍しいね。なに、話してたの?」
「あ……いや、特に大したことでは」
話すなと釘を刺されたからには、口が裂けても言えない。命の保証はないからな。
少し不満そうな顔をする彼女に、
「それより、体操着ごめん。僕のせいで……汚れて」
「いいのいいの! 洗えば落ちるし、けっこう血出てたもんね。……びっくりしちゃって」
「……ありがとう」
なんだかぎこちない空気が流れている。この間はなんだろうか。なにか、僕から話した方がいいのか?
「えっと……元気そうだし、わたしもう行くね」
「あ、うん」
ドアの閉まる音が鳴って、パタパタと足音が遠退いて行く。
なにしにここへ来たのだろう?
首を傾げながら、うーんと背筋を伸ばす。
さてと、地獄はこれからだ。乗り切るための対策を練らなければ。
大きなため息を吐き出して、僕は保健室をあとにした。
5、6限をことなくやり過ごし、放課後。かばんにノートを詰めて中央玄関を出ると、正門の前にカザネの姿が見えた。
げっ、マジで待ってやがる。身を縮こめて通り過ぎようとするけど、ガシッと腕を掴まれた。
「なにどさくさに紛れて帰ろうとしてんだよ」
「……あっ、その」
「後ろに乗っけてやるから、ついて来い」
有無を言わさず近くのコンビニまで連れて行かれて、メットを渡される。そのままバイクの後ろに座らされて、猛スピードで街を走り抜けた。
なんだこれ、なんだこれ! 想像より怖すぎるだろ。
「しっかり掴まってねぇと、振り落とされるぞ〜」
「ひぃぃぃーーッ!」
荒い運転によろめいて、思わず腰へしがみ付く。
「キャァッ」
前から変な声が聞こえた気がする。でも今はそれどころじゃない。命の危険が優先だ。
「も、もっとスピード落として! 安全運転してくれぇ……」
必死に訴えたからなのか、徐々に加速が落ちていく。相変わらずエンジン音は激しいけど、これくらいの速度ならまだマシだろう。
「……手」
「……はい?」
「いつまで手回してんだよ。お、落としたんだから、早く離せ」
「えっ、あっ、すみません!」
腰に回していた手をサドルへ移動させる。
なんだよ、掴まっていろと言い出したのは自分じゃないか。
もしかして、肩の話だったのか? バイクの後ろに乗ったことなんてないから、よく分からないぞ。
もんもんとしていると、目的地であるショッピングセンターに着いた。
人が賑わう場所は、どうも苦手だ。俯向き加減で歩いていると、隣のカザネも落ち着きなくそわそわしている。
「……とりあえず、ここ入るぞ」
花柄の物が多く展示されている店舗。客層も若い女の人ばかりだ。
どちらと言わずも不釣り合いな僕らは、とても浮いている。地獄の始まりだ。
「こんなとこ、入ったことねぇんだよ」
「……僕もだよ」
「六花の好きそうなやつ、どれか選べ」
「ええ、そんな無茶な」
最近話せるようになったのは事実だけど、好みや趣味なんて話はしたことがない。
黄色の花が散りばめられたポーチを手に取る。上から下からと見てみるけど、全くワカラナイ。
「ねえ、アレ見て。ちょっと場違い過ぎない?」
「聞こえちゃうって。でも、たしかに」
ひそひそと笑う声が耳に入った。あきらかに視線がこっちを向いて。
ほらな。だから来たくなかったんだよ。地味で冴えない男が、こんなザ・女の子の店に入るなんて、注目を集めるに決まってるだろう。
彼女もいないくせに、何しに来たんだって言う店員の冷ややかな表情。一生胸に刻んでおくからな。
「くそ、誰がどんな店に入ったっていいだろ。用事があるからいるんだよ。お前らだけの場所じゃないんだからな」
ぶつぶつとつぶやいていると、ぐっと襟首を引っ張られた。
無言のカザネに、そのまま店舗の外へ出されてソファーにぐだる。
「あ、あのさ……猫じゃないんだから。普通に、してもらえないですかね」
「ああ、悪い。つい癖で」
シャツの離れた首元を押さえていると、カザネがチッと声を荒げた。
「それにしても腹が立つな。ヤンキーが女っぽい店にいちゃいけねぇのかよ!」
「えっ、アレは僕のことだと思うけど」
「いいや、アタシだ」
「僕だよ」
「うっせぇな! アタシっつってんだろうが」
寸前まで近付けられた顔面。あまりの迫力にまわりの人が振り返っていく。
河原で抗争してるんじゃないんだぞ。コイツ、やっぱり普通じゃない。
ーープッ。口元はマスクで隠れているが、眉が下がり目がなくなって、吹き出したことが分かった。
「な、なんで笑う? 笑うところか?」
「だって、どっちかなんてどーでもいいだろ。なのに、お前もアタシも必死になってさ。バカらしくて」
それほどおかしかったのか、あははと声まで上げている。ずっとおっかない奴だと思っていたけど、こんなふうに笑えるのか。
「ほんとはさ、こうゆう店に1人で来んの、ちょっと嫌だったんだよ。いい思い出ねぇし」
こっちのセリフだ、と心の中でつぶやく。
「こんな見た目だから、偏見持たれるのは仕方ねぇけど、山田は気の毒だな。普通の格好なのに」
何を思い出しているのか、またクククと肩を揺らしている。
「なんか喜んでません?」
「気分は悪くねぇよ。しっかり付き合ってくれてるしな。お前、思ったよりいい奴だな」
バシッと背中を叩かれて、あうっと前へよろけた。
悪口言われただけなのに、そんなに株上がったのか? やっぱりこの人の思考は理解できない。
「あっ、だからって六花のことはやらねぇからな」
「だ、誰もそんなこと……!」
「とことん邪魔してやるから、覚悟しろよ〜」
それからなんだかんだで、もう一度さっきの店へ戻って、百合園さんへのプレゼントを選び直した。
不思議と人の目が気にならなかったのは、あんなものはどうでもいいことだと気付いたから。
たまには、誰かと出かけるのも悪くはないのかもしれない。