data.2 哀しき勘違い
男とは単純な生き物だ。そう誰かが言っていた。全くその通りだと僕も思う。
だってさ、一瞬女子と目が合ったり、消しゴムを拾ってもらっただけで、自分のことが好きなんじゃないかと錯覚出来るんだぞ?
素晴らしくポジティブでいいじゃないか。
でもそれは、自分に自信があるからこその思考なのだ。
例えば、僕の斜め前の席に座る崎田。クラスのムードメーカーで、男女とも友達が多い。
最近ピアスを開けたとかで、俺はモテるぜオーラが体中からプンプン出ている。
「どの角度から見ても可愛いよな〜百合園さん」
「マジで神だな」
「俺、さっき目合った」
「えー、ずりぃ」
「ぜってぇ気あるよな?」
ねーよ。僕なんかがっつり見つめ合ったから。手まで握られちゃってさ。
カリカリと書き残していた黒板を写しながら、心の中でツッコむ。
「その辺の女子にはない、こう儚さっていうの?」
「分かるわー! 重い荷物持てなそう。腕細すぎだろ」
片手で男子1人持ち上げられると思う。しかも、熊を飛び蹴りしてたからな。
可哀想な妄想を繰り広げているところ申し訳ないが、人を見た目で判断すると痛い目に遭うぞ。
彼女の本性を知ってもなお、お前らは好意を寄せられるのか?
……あっ、まだ途中だったのに。
日直に消されていく文字を必死に追っていると、視界にスカートが入って来た。
おもむろに顔を上げたら、百合園さんがにこりとして僕を見ている。
「これ、わたしの貸してあげる」
差し出された現文のノート。緊張しなから受け取って、軽く頭をさげた。
百合園さんは、誰に対しても優しい。
だから、お前だけが特別じゃないんだ。
斜め前からトゲトゲしい視線を感じながら、ノートを広げた。
こっ、これは……!
一面に敷き詰められた文字は、もはや文字という原形をとどめていない。
暗号……いや、なにかの呪文かもしれない。
「山田くんって、字上手なんだね。わたし、下手だから恥ずかしいな」
「いっ、いや……そんなことはない」
言いながら、手がぷるぷると震えてしまう。写そうにも、なにが書いてあるのか解読出来ない。よって、芯をノートに付けたまま動けないのだ。
「どうしたの? もしかして……余計なお世話だったかな」
百合園さんが、申し訳なさそうに眉を潜める。
「……山田のヤツ、百合園さんに話しかけられて固まってね?」
「いいよなぁ。俺もノート借りてぇ。めっちゃ字キレイそう」
外野の視線がうるさくなってきたので、僕はノートを持って教室を出た。
あのアラビア語のような字をみんなに知られたら、きっと百合園さんは恥ずかしがるだろう。からかわれでもしたら、立ち直れないかもしれない。
案の定、彼女がついて来た。
よし、そのままこっちへ。猫が迷い人を案内するように、振り返りながら誘導する。
誰もいない資料室へ入って、一呼吸置く。ここでなら、人目を気にせず話が出来る。
「山田くん、急にどうしたの?」
さりげなくドアを閉められて、二人きりになった。
この静けさが妙にうるさく脳に響く。
とりあえず教室から離れようとしただけなのに、この密室空間はダメだ。呼吸がもたない。
「……もしかして、迷惑だったかな」
「そ、そうじゃなくて……!」
ただ、字が分かりづらかったと告白したかっただけなのに、勘違いしているらしい。
慌てて否定したのがまずかったか、百合園さんはさらに憂いため息をついて。
「この前もね、成瀬先輩に告白したんだけど、返事をもらえなかったの」
「……えっ?」
告白って……いわゆる愛の告白ってやつだよな?
昨日、あんなお願いをされたから、てっきり自分がヒーローポジションになれるものだと思ってたのに。
くそぉ、僕は噛ませ犬だったのか。早とちりで、変な発言をしなくて良かった。
「……へぇー、百合園さんって、成瀬先輩が好きだったんだ」
あからさまな棒読みになっているけど、致し方ない。
人間、驚きのあまり空いた口が塞がらないというのは、あながち嘘じゃないらしい。
「生まれて初めてラブレター書いてみたんだけど、やっぱり迷惑だったのかな」
「……ん、ラブレター?」
「うん、文字にした方が、気持ち伝わるかなぁって思ったんだけど」
うつむき加減で、少し瞳が潤んでいるようにも見受けられた。
本人は真剣に悩んでいるんだ。はっきり教えてやらないと、また百合園さんが傷付く前に。
それはフラれたのではなく、暗号を解けなかっただけなのだと。
「あの……もし、よかったら、書き方教えましょう……か」
「えっ、山田くんもラブレター出したことあるの?」
「いや、それはないけど。一文字ずつ気持ちを込めたら、たぶんイケるんじゃないかと」
自分のノートを破って、僕が先に書く。止め、ハネ、払いを協調させて、文字の基本を丁寧に見せた。
ラブレターの書き方を教えていると見せかけて、字を正す。これなら抵抗なく修正出来るはず。
ふむふむと、となりに座った百合園さんの肩が当たりそうになって、心臓が穏やかでなくなる。
こんな息がかかりそうなほどの距離で、果たして僕は生きて資料室を出られるのだろうか。
「やっぱり山田くんの字ってすごい! 見やすいし、これなら思いが伝わるね」
キラキラと瞳を輝かせながら、ゆっくり字を書き出した。
一文字ずつ集中して、いい感じにちゃんとした字になっている。これなら読めるぞ、と思った矢先に違和感を覚えた。
なにやら、とても重厚感のあるオーラを感じる。彼女の身体中から出ているのは、気か?
「えっと……なんだろう。なんか、圧がすごいんだけど……?」
「念を込めてみたんだけど、どうかな?」
次の瞬間、青い炎が立ち上がって、紙がボワッと燃えて消えた。
ええー、そんなことある? 百合園さんって、念も使えるのか。気の毒だけど、少し羨ましい。
「たまに集中すると、こうなっちゃって。これじゃあ、少女漫画みたいな甘い展開なんて一生無理だよね」
がっくりと肩を落とす彼女に、なんと声を掛けたらいいものか。
「……まあ、僕で良ければいつでも。練習、付き合うけど」
「ほんとっ? やっぱり山田くんにお願いしてよかったぁ!」
やはり笑顔が極上に、別格に可愛い。
成瀬永久との恋愛成就は正直どうでもいいけど、百合園さんが喜んでくれるのなら、まあいいか。
彼女が少女漫画の世界へ行き着くには、まだまだ道のりは遠い。