私が守るから
あれ?
気がついた時には宙に浮かび、棺桶に納められた自分を見下ろしていた。
お母さんは椅子に座ったまま、ぼんやりと腫れた目で遺影を眺めている……。その遺影は笑顔の私で……。
あれ? 私、死んだの?
雪が降る夜。恋人の和也くんへ彼の好きなチョコレートケーキを届けようと、逸る思いで歩いていて……。歩道橋の階段を下りていた時に足が滑って……。それで気がついたらこの状態で……。
頭を打ち、亡くなったのかもしれない。
涙が溢れてきた。
幼いころから私の夢は、大好きな和也くんのお嫁さんになること。和也くんのご両親が引っ越すまで、互いに実家は隣同士。家族ぐるみで仲がよく、大学途中までは毎年夏休み、二つの家族で泊りがけの旅行にも出かけていたほど。
それなのに、死んだら夢が叶わないじゃない!
素敵なウエディングドレスを着て、和也くんの隣に立って、皆に祝福されたかったのに! なんで? どうして? こんなのひどいよ! なんで私が死んだの? ひどいよ、神様!
……そうだ、和也くん! 和也くんはどこ⁉
気がつき慌てて会場内を見回すが、どこにも和也くんの姿はない。
会話から今日は通夜だと知る。
突然の訃報に仕事との調整がつかず、まだ到着できていないのかもしれない。真面目な人だから、途中で仕事を放りだすことができないに違いない。
だから仕方ないと思っていたのに、和也くんは遅れて来ることはなく、翌日のお葬式にも現れなかった。
あんなに私とも仲が良かったおじさま、おばさまも参列に訪れない。
ひどいと思ったけれど、もしかしたら未来の娘が亡くなったことがショックで、現実を受け入れられていないのかもしれない。和也くんもそう、きっと恋人の遺体と対面できる気分ではないのよ!
今ごろ和也くんは部屋で一人、泣いているに決まっている!
私は急いで式場を出ると空を飛び、和也くんの家へ向かう。
和也くんが幽霊になった私に気がついてくれるかは分からないけれど、それでも寄り添ってあげたい。泣いていたら慰めの言葉をかけてあげたい。
だって私が誰より和也くんを知っていて、誰より彼を愛しているから!
◇◇◇◇◇
ところが和也くんのマンションに着いても、そこに彼の姿はなかった。
てっきり部屋にいると思ったのに……。入れ違いになった? それともご両親に慰められている? そうかも! だっておじさまもおばさまも、葬式に来ていないもの!
そこで和也くんのマンションから程遠くないご両親の家へ行ったものの、そこにも和也くんの姿はなかった。
それどころかあんなに私を可愛がってくれていた二人が、何事も起きていないように普段着で車に乗りこみ、出かけ始めるところだった。
私の葬式を放って、なにをしているの?
怪訝に思いつつ二人に続いて後部座席に乗りこむ。しばらく静かに車は走っていたが、やがておじさまが口を開く。
「こう言ってはなんだけど……。これでやっと落ちつくな……」
「そうね、和也も参っていたし……。やっぱり警察に相談すべきだったのよ。昔からの知り合いだからと甘くしていたから、あんな……」
「長くつきまとわれ、和也は迷惑していたからな」
後部座席に私がいると気がつかない二人は、意味の分からない会話を始めた。
和也くんが参っていた? どういうことかと考え、気がつく。
ああ、例のストーカー女のことか。和也くんがよくつきまとわれ困っていると話していた相手。誰かは分からなかったけれど、知り合いだったんだ。それなら私の知り合いでもあるはずだから、和也くんも相談してくれれば良かったのに。そうすれば助けてあげられたのに。
ううん、和也くんは優しいから私を巻きこみたくなかったのかもしれない。でも……。
いじらしい人ね。
「和也は大丈夫だろうか」
「そうね……。自分の家へ向かっている途中で死んだようだから、色々と思うことはあるようだけれど……」
私のことだ!
やっぱり和也くんは私が死んだことでショックを受け、心の整理がついていないんだ! 今ごろ一人どこかを歩き回り、落ちつこうとしているのかも! 家で帰りを待っていないと!
私は二人の車から飛び出ると、また和也くんの家へ戻った。だからその後の二人の会話を聞くことはなかった。
「ずっと同じ学校でも不思議に思わなかったわ。学力も同じくらいだし、仲も良く見えていたし。だけど至る所で和也の彼女は自分だと言い触らし、つけ回し、引っ越しを繰り返してもどうやってか家を突き止め……。和也は甘いから、幼なじみだからと強く拒まなかったけれど……。そのせいでずっと不自由な暮らしを強いられ……。本人から相談されるまで気がつかなくて、あの子には悪いことをしたわ……」
「そういえば俺たちの引っ越し先、どうやって知ったんだろうな。前の家のご近所さんには、誰にも住所を教えず引っ越したのに。笑顔で玄関先に立っていた時は、ぞっとしたよ」
「あなたの勤務先を知っていたから、そこから尾行したのかもね。あなたの会社は土日休みだし、それなら平日の夕方に見張っていれば後をつけられるでしょう?」
「恐ろしいな……。そういうのを執念と言うのかもな」
「そうそう、前の家では盗聴機が発見されたわよね。亡くなった子を悪く言うのもなんだけれど、それを使って和也の情報を得ていたようだし。でもこれでやっとあの子も堂々と彼女と過ごせる……。本当、良かった……」
◇◇◇◇◇
和也くんは引っ越しが好きなので、部屋の中は殺風景。必要最低限の物しかなくて、少し寂しい室内が当たり前だったのに、今回は以前に比べ明らかに物が増えている。食器とかもだし、なによりこのクッション。和也くんの趣味と違う。引っ越し祝いの貰い物かしら。
私からは癒しになるようにとサボテンの植木鉢を贈ったのに、それはベランダの片隅に置かれていた。部屋の中に飾ってくれないと意味がないのに。移動させようと鉢を掴もうとしても、掴めず手は素通りする。
ああ、そうか。幽霊だから物に触れられないのか。そうよね、さっきから壁とか素通りできているし。
そういえば、匂いも感じない。
和也くんはお気に入りの香水を身につけているから、その香りが部屋にも漂っているはずなのに。
寝室など覗いてみても、どこからも和也くんの匂いを感じない。
残っているのは聴覚と視覚だけか……。
嗅覚も残っていれば、もっと和也くんを感じられるのに……。和也くん、寂しいよ……。会いたいよ……。早く帰ってきて……。
膝を抱え待っていると、やがて日が沈み部屋の中は暗くなってきた。気温が下がっているだろうけれど、幽霊になった私には関係ない。体感温度も失われているから、暖房がついていない寒い部屋でいくらでも待ち続けることができる。一人、和也くんとの思い出を振り返っていると……。
ガチャ。
玄関の開く音が響く。和也くんが帰ってきた‼
慌てて玄関へ向かうと、パーマを巻き、ゆるくウエーブのかかった長い髪の毛を揺らしながら、女がすたすたと慣れた足取りで部屋の中に入ってきた。最初から置き場所が分かっているように、エアコンのスイッチを入れるとコートを脱ぐ。それから台所へ向かうと、冷蔵庫を開ける。
……なに、この女。
……思い出した。和也くんと同じ会社の女だ。何度か同じ会社の人たちとの食事をしている所を見かけた。そんな女が、なんで和也くんの部屋の鍵を持っているの? 持っていないと入って来られないよね? どうして当然のように冷蔵庫を開けているの?
食材を取り出すと髪をヘアゴムでまとめ、エプロンを着け、料理を始める。
なんでこの女が和也くんの家の台所に立っているの?
……ああ、そうか。おばさまたちが言っていたのはこの女ね? 和也くんにつきまとい、困らせている女って!
睨んでいると、女の包丁を持つ手が止まる。
「……気のせい?」
私の方を見て、そう呟くとまた料理を再開した。
もしかして私の視線に気がついた? だとすれば……。
「ねえ、あんたが和也くんにつきまとっている女? 和也くん、迷惑しているんだって。おじさまもおばさまも困っているの。止めてくれないかなあ?」
耳元で忠告すると、女は目を大きく開き顔を向けてきた。
だけどやっぱり私の姿は見えていないらしく、首の後ろを何度も手でさする。
その怖がっている様子が面白く、クスクス笑う。
和也くんと結婚できないのは残念だけど、こうやって彼を守る方法を発見できたのは良かったわ。そういう意味では、この女に感謝ね。だけど許せないことに違いない。
「いつまで和也くんにつきまとっているつもり? 迷惑なの」
また耳元で囁く。
女の包丁を持つ手がぶるぶると震える。やはり私の声はこいつに聞こえているらしい。
「ねえ分かっている? そういう迷惑なつきまとい行為を、ストーカーって言うのよ」
女は何度も左右を見回すが、変わらず私の姿は見えない。不気味よね? 気持ち悪いわよね? でもあんたが悪いのよ、和也くんをつけ回すから!
「なに? なんなの? なんか気味悪い……」
自分を抱き震える女を見て、良い気味だと思う。同時にこの女は、私の声が音として分かるけれど、言葉まで認識できていないのではと考える。
先日和也くんがこのセキュリティの厳しい家に越してから、まだ私は家に入れていない。だから和也くんを守れるようにと、いつものように盗聴機等を設置できていなかったので、ケーキを届けた時に仕掛けようと思っていた。遅れてしまったせいで、こんな女に足を踏み入れられる隙を作っていたなんて……!
でも安心して、和也くん。私が和也くんを守るから。
「ただいま」
一人暮らしだというのに、律儀に帰ってくるとそう挨拶をする和也くん。もう、真面目なんだから。それとも幽霊となった私が来ると分かっていたの? だとしたら、嬉しいな。
「和也くん、おかえりなさい」
嬉しくて笑顔で告げると同時に……。
「和也!」
女が帰宅してきた和也くんに駆け寄る。
「なんかさっきから不気味なの! まるで誰かが傍にいるみたいで……。ずっとなにかブツブツ耳元で言われたり、見られたりする感じがするの! 見て、これ! 鳥肌だってこんなに……!」
袖をまくり、鳥肌がたっている腕を見せる女。
「今日は冷えるから、寒くて鳥肌がたっているだけじゃないのか?」
マフラーを外しながら何事もないよう、和也くんはあしらう。ほらね、やっぱりこの女が和也くんを困らせている奴ね。だからこんなに軽く、心配されない態度をとられるのよ。
「気のせいじゃないよ! ……ねえ、あの女、亡くなったんでしょう? もしあの女が幽霊になって……」
「バカなことを言わないでくれよ。幽霊なんているわけがないだろう?」
ネクタイを外しながら笑う和也くん。
残念、幽霊はいるの。私がここにいると証明できたら、和也くんだって幽霊を信じてくれるよね?
どうすれば伝わるのかな、私はここにいるって。
「和也くん」
「だってあんなに和也に執着していた女よ? そんなの分からないじゃない! 電話だって番号を変えてもどうやって知るのか、いつもバレていたし! 留守電だって酷かったじゃない! あの女、一時間に何回電話をかけてきた? 普通じゃなかったわよ! そんな女なら、死んでからもあなたに執着して、おかしくないわ!」
「和也くん」
「引っ越しだって何回させられた? 警察に被害届を出して、接触禁止にさせれば良かったのよ!」
「和也くん」
「それをあなたは幼なじみだからって、躊躇して……! だから……!」
「黙れ、くそ女」
あんたがずっと叫んでいたら、私の声が和也くんに聞こえないじゃない。
「ほらまた声が! なにを言っているのか分からないけれど、おかしいよ! 絶対この部屋、なにかいるって!」
「落ちつけよ、美和。俺にはなにも聞こえなかったよ?」
「私のいうことを信じてくれないの⁉」
「幽霊なんている訳がないよ、死んだらなにもできない。もう僕らは安全なんだ、これからは堂々と一緒に出かけられるし、心配することはなにもない」
和也くんは美和という名の女を抱き寄せると、優しく背中を撫でる。
和也くん。いくらあなたが優しい人だからって、ストーカーにまで優しくする必要はないのよ? そういう甘い対応をするから、勘違いしてつけあがらせるの。こういうのは、きちんと拒絶しないと。
それに家の鍵まで持っているストーカーなんて、まともじゃないわ。犯罪者よ。今すぐ警察に相談するべきだわ。こうやって誤解させる対応をする和也くんにも責任はある。そこは反省してほしいけれど、今は私が和也くんを守るしかないわね。
「いい気にならないことね。和也くんはあんたが暴走しないように、優しくしているだけ」
「⁉」
やはり美和って女には、私の声が音として分かるみたい。また体を大きく震わせ、辺りを見回す。
「少し休めよ、今日は僕が作るから」
「……ううん、大丈夫。途中だし、最後まで作るわ」
そして美和は台所へ行き、和也くんはテレビを点けた。
私は和也くんの隣に座り、一緒にテレビを見る。
ちらりと横顔を見る。こうやって並んで同じテレビ番組を見るのは、久しぶりだね。小学生のころは一緒にテレビアニメを見て、笑って驚いて……。楽しかったよね。でも和也くん、大学入学をきっかけに一人暮らしを始めて……。
それから引っ越しが趣味となって、なかなか落ちついて一緒に過ごすことはできなかったけれど、やっぱり和也くんの隣で同じ時間を共有できるのは嬉しい。和也くんと一緒なら、どんなものだって途端に面白く感じる。
「お待たせ、できたよ」
チッと舌打ちする。
せっかく和也くんと二人きりの時間を楽しんでいたのに、邪魔をするんじゃないわよ。だけど和也くんがなにも食べないで体を壊すのは嫌だから仕方なく、口を尖らせつつ二人の食事時間を見守ることにした。
「……ねえ和也。お葬式、行かなくてよかったの? 一応、幼なじみだったんでしょう? 後悔していない?」
「していないよ」
嘘、和也くんのその顔はなにか気がかりがある時の表情。本当は私の葬式に参列すべきだったと後悔しているんでしょう? 恋人の死は悲しいけれど、最期の別れをすべきだったって。
いいよ、和也くん。許してあげる。和也くんが私を大切に思っていることは、誰より私が分かっているから。
最後の合同家族旅行となった大学一年生の夏。思い切って夜、コテージの和也くんの寝室へ入りこみ、素肌を露出した。そんな私に和也くんは「自分を大切にすべきだ」と心配してくれ、「そういう大事なことはもっと別な時のために……」と、新婚初夜まで身を大切にすべきだと強く説いてくれ、感動した。
「墓参りはどう? 共通の友だちに聞けば、場所が分かるでしょう? 私もつきあうよ」
あんたなんかに墓参りされたくないわよ。
「そうすればスッキリできるんじゃない?」
「……考えておく」
食事を終えれば美和は帰ると思ったのに、驚いたことに何も言わず部屋に残る。いつ持ちこんだのか、クローゼットには彼女の着替えが入っていて……。よく見ればタオル、化粧品、歯ブラシ……。女性向けの品が部屋の至る所にある。
和也くん、迂闊どころの話じゃないよ? ストーカー女が持ちこんだ荷物をそのまま放置しておくなんて……! これじゃあ、ますます相手を誤解させるだけじゃない! 今すぐその女を追い出して!
そう願っていたのに、順番にお風呂に入った二人は一つのベッドに入るとあろうことか、体を重ね始めた。美和が和也くんの名を呼び、和也くんも美和の名を呼ぶ。
……嘘、嘘、嘘‼ なんなの、これは⁉ 嘘でしょう、和也くん!
「和也くん! どうして⁉ こんな誤解されることをするから、この女はいつまでもあなたにつきまとうんだよ⁉」
二人とも私の声に反応を示さない。触れないから止められない。
和也くんは美和を、美和は和也くんに没頭し……。
嫌、嫌、嫌! こんなの嫌よ‼ 信じられない‼
やがて二人の寝息が聞こえ始めると、私は美和を見下ろしていた。
「……調子に乗らないでよね。和也くんは私のもの! 大切にされているのも私‼ あんたなんかじゃない‼」
絞められないと分かっているのに、首に手を伸ばす。
強い恨みだった。同時に美和が哀れにも思えた。和也くんを苦しめているのに、利用されている女。私と違い、大切にされない女。貞淑を求められず、肉欲のはけ口だけの女。
だけど、もし私がこの女だったら……。
和也くんに利用されてもいい。和也くんが本当は『私』を愛したままでも構わない。
和也くんの傍にいられるのなら! 和也くんと結婚できるのなら‼ 見た目がどんな形でも構わない‼ 本当の愛が向けられていなくても、『私』が和也くんの隣にいられるのなら、それで構わない‼
欲しい……。
肉体が欲しい……。
和也くんの隣にいられる肉体を……。寄越せ、美和‼
◇◇◇◇◇
「あれ? 今日はご飯? いつも朝食はパンなのに珍しいね」
「そう?」
最後に焼き立ての卵焼きをテーブルに乗せる。
和也くんが好きなのは、甘みがある卵焼き。みそ汁の出汁には、おばさまが使っていたかつおぶしを使いたかったけれど、この家には顆粒タイプしかなかった。だから今朝のみそ汁はこれで許してね、和也くん。
「へえ、美和は洋食のイメージがあったけれど、和食も案外いけるな。練習していたの?」
「うん」
おばさまは料理が得意だから、その味に近づくように毎日頑張っていたの。
「ねえ和也くん、今度の日曜は映画を観に行かない? 和也くんの好きなシリーズの新作が、今週から公開されるでしょう?」
「ああ、そうだね。……美和?」
「なあに?」
美和の体に入りこんだまま、笑顔を向ける。
「あ、いや……。ほら、美和って僕をずっと呼び捨てにしていたから……。なんで急にくん付けで呼ぶのかなって……」
「うーん、気分? たまには変えるのも面白いかなと思って」
「できれば止めてほしいな。その……。その呼び方、あいつを、思い出すから……」
「分かった、和也」
やっぱり和也くん、私を忘れられないのね。当然よね、長い付き合いだったもの。
喜びながら美和の体を手に入れた私は、笑顔で頷いた。
これから二人でいっぱい思い出を作って幸せになろうね、和也。そしていつか結婚して……。
大丈夫。あなたはなにがあろうと、これからもずっと、ずうっと。そう、一生、私が守るから。
こちらはエブリスタ様で、“きくちあや子”名義で公開していた作品を加筆訂正した作品となります。
エブリスタ様では作品を取り下げ、なろうでの再掲でもあります。
村岡みのり