婚約破棄にヤバいやつが乱入してきた話
「アイリーン・ヴァロワ! 俺は貴様との婚約を破棄する!」
場所はロンダル王国の聖メリーアンヌ学園、場面は卒業を祝うパーティーの最中。
煌びやかなシャンデリアが照らす中央階段の踊り場から、真っ赤な絨毯の上に円卓が並べられている華やかな会場内に向けて、怒気をはらんだ声が発せられた。
各々に談笑していた、卒業生一同を含む参加者たちから注目を集めた声の主は、次代の国王である王太子殿下のミハエルだ。
金髪美男子といった外見をした彼は、ピンクの髪色が特徴的な男爵令嬢サクラを抱き寄せながら、階下をこれでもかと睨みつけていた。
「婚約破棄、ですか?」
階段の手すりにもたれかかり、独り寂しく佇んでいた少女が顔を上げる。
驚愕から会場内がざわめく中、金髪縦ロールの髪形が似合っている美少女――公爵令嬢アイリーンがよく通る声で聞き返した。
サクラをヒロインとするなら、さしずめ彼女は悪役令嬢といったところだろうか。
美しく整っていながらも、冷酷や非情といった単語がぴったりな冷たい顔立ちは、庇護欲を駆り立てるような可愛らしい見た目のサクラとは正反対である。
「理由をお聞かせいただいても?」
「まさか身に覚えがないとでも言うつもりか!? はっ、白々しい! その汚らわしい胸に手を当てて考えてみずとも、すぐに思い至るだろうに!」
「汚らわしい胸……」
ミハエルからの責め苦に、表情一つ変えずに落ち込んでみせるアイリーン。
本当に身に覚えがない彼女は、淡い水色のドレスで着飾った己の胸元に目を落とす。
そこには、かつてミハエルから贈られたダイヤのネックレスがあり、照明の光を受けてきらきらと輝いてもいた。
およそ断罪の場には似つかわしくない、目にも美しい輝きでもって。
では、今日この場に至るまでの経緯を簡単に説明するとしよう。
まず、貴族の子弟のみに門戸が開かれている聖メリーアンヌ学園に、平民の身にありながらも聖なる魔力を有するサクラが特待生として転入してくる。
思うがままに明るく、ときには小動物のように可愛らしく、誰よりも自由奔放に振る舞うサクラは、ミハエルを始めとする男子生徒たちの心を虜にしていった。
次に、ときに常識知らずで身勝手ともとれるサクラの行動は、女子生徒の多くから反感を買ってしまう。
王太子殿下であるミハエルを始め、宰相の息子から騎士団長の息子まで、あざとさ全開といった仕草で男性生徒たちを次々に篭絡していく姿に、女子生徒たちは怒髪天を衝く。
それこそ、陰口にとどまらない直接的なイジメを始めてしまうほどに。
最後に、数々のイジメの首謀者がアイリーンであるとされていることを述べれば、説明は終わりだ。
実際問題、彼女はサクラに対する数々のイジメとはまったくの無関係であるのだが、そこは陰で首謀者に祭り上げられてしまっていたのが運の尽き。
普段から孤高の一匹狼を貫いていたアイリーンには、誤解を解いて回る暇はおろか、己が首謀者に祭り上げられていることを知る由すらなかった。
そうしていまの、ミハエルに婚約破棄を突きつけられているという悲惨な現状に至っている。
「貴様がサクラにした仕打ちの数々は到底許せるものではない! よって、その数多の罪を犯した報い、己が身で償うがよい! 衛兵ども、アイリーンを捕らえよ!」
ミハエルの指示を受け、壁際に控えていた衛兵たちがアイリーンの捕縛に動き出す。
その迅速な動きは事前の指示あってのものであり、用意周到な計画があってのもの。
ミハエルの強攻策は、宰相の息子であるロイや騎士団長の息子であるレオンたちの協力により、婚約破棄からアイリーンの投獄までのシナリオがすでに描かれている。
いまのアイリーンには、味方もいなければ太刀打ちできる術もないだろう。
まさしく絶体絶命の危機。
無実の罪を着せられたアイリーンが、己が暗い未来を悟って顔を伏せたとき。
そのときだ――
「チュンチュン」
およそ場違いな、能天気な鳴き声とともに一羽のスズメが舞い降りた。
「スズメ……?」
誰かが呟き、衛兵たちの足もぴたりととまる。
予期せぬ乱入者の出現に、場は水を打ったようにしんと静まり返った。
そうして誰も彼もが、アイリーンのすぐ前に降り立った小さなスズメを注視している。
「あら、チュンボーイ・ザ・デスティニーキッド三世じゃない!?」
伏せていた顔をぱっと上げ、嬉しそうにしゃがみこんだアイリーン。
(((チュンボーイ・ザ・デスティニーキッド三世……)))
恐らくスズメの名前であろう、とてつもなくダサい名前を心中で復唱する一同。
「それであなた、どうしてこんなところにいるの?」
「チュンチュン」
「もう、チュンチュンじゃわからないわよ。それにいまはパンだって持ち合わせてないんだからね?」
アイリーンは己が名づけたチュンボーイ・ザ・デスティニーキッド三世――以下チュンボーイを手にのせ、人目も気にせず楽しそうにキャッキャウフフと話しかける。
けっして笑みをみせず、常に無表情であったアイリーンがみせる、年頃の少女のような可愛らしい振る舞い。
スズメの唐突な乱入以上に、その目を疑ってならない光景に、ミハエル含む一同は呆気に取られてしまっていた。
あの悪役令嬢がかくもあるものなのかと。
「失礼します」
さらに、そのとき。
透き通った湖の水面を思わせる、落ち着いた物静かな声が会場内に響く。
と同時に、アイリーンの前の空間が黒く歪み、やがて人一人が通れるほどの大きさの楕円形をなす。
そして、その中から一人の青年が姿を現した。
「初めまして、アイリーン・ヴァロワ嬢。私は魔帝国ディアナの王太子、シリウス・ディアナと申します」
シリウスと名乗った、ミハエルが霞んで見えるほどの美丈夫。
日に焼けた浅黒い肌が健康的かつ男らしくもあるシリウスの顔立ちは、洗練された凛々しさで満ち溢れている。
艶のある黒髪も、思慮深い眼差しも、まとう穏やかな雰囲気も。
彼を飾るすべてに非の打ちどころがないといってもけっして過言ではないだろう。
「あ、はい。どうも初めまして」
アイリーンは、シリウスの背後にある空間の歪みが徐々に消えていくのをしげしげと眺めつつ、綺麗なカーテシーを返す。
彼女の手にとまっていたチュンボーイは右肩へと場所を移動している。
「突然の訪問、誠に申し訳ありません。ですが本日は、そちらのチュンボーイ・ザ・デスティニーキッド三世の代わりに、あなたにお礼をしたく馳せ参じた次第です」
「え? チュンボーイ・ザ・デスティニーキッド三世の代わりに私にお礼を、ですか?」
「はい。チュンボーイ・ザ・デスティニーキッド三世の代わりのお礼を、です」
「そうなの? チュンボーイ・ザ・デスティニーキッド三世」
「チュンチュン」
アイリーンが問いかければ、チュンボーイが元気よく鳴いて答える。
ただの鳴き声にしか聞こえないが、否定しているようには見えない。
そもそも人と意思疎通ができるなんてチュンボーイってばすごいのね、とアイリーンはいたく感心しながら、またシリウスへと視線を戻す。
その先にいる彼は、アイリーンに優しく微笑みかけてきていた。
ところで、ただのスズメに見えるチュンボーイであるが、彼はなにを隠そう、れっきとした魔族なのである。
種族はスズメではなく、チョイワルスズメ。
チョイワルスズメは、かつて野生のスズメが突然変異により進化を遂げた個体だ。
見た目こそそこらへんにいるスズメとなんら変わりはないが、強さに関しては平均して約三倍を誇っており、カラスと対等に渡り合うことも十分に可能である。
では、シリウスはといえば、彼もまた魔族にほかならない。
ここロンダル王国より遠く離れた地にある、魔帝国ディアナ。
自己紹介で述べたとおり、彼はそこの王太子であり、国を統べる統治者の一人。
ひいては、魔人と呼ばれる種族の頂点に位置する一族にして、魔族全体における最上位者でもあった。
「でも私、チュンボーイ・ザ・デスティニーキッド三世にお礼をされる覚えはないのだけれども……あっ! もしかして常日ごろの餌づけのお礼かしら!?」
「違います。では長くなりますが、私の口から説明させていただきますね――」
アイリーンが思いついた答えは、残念ながら外れだったようだ。
シリウスは若干苦笑しつつ、邪魔が入らないか周囲に目を配って確認してから、口頭での説明を始めていく。
皆、様子見に徹しているのか、いまのところ邪魔立てするものはいなさそうであった。
◆
アイリーンとチュンボーイの出会いは一年前に遡る。
ある日、カラスとの縄張り争いに敗れて深手を負ったチュンボーイは、ヴァロワ公爵家の庭へと息も絶え絶えに舞い降りた。
自然治癒の見込みはなく、あとは死を待つばかり。
そこへ、アイリーンが散歩にやってきたのが、二人の運命的な出会いであった。
「大変! あなた、なんて酷い怪我をしているの!?」
「チュンチュン……」
「大丈夫、私に任せて! 絶対にあなたを助けてみせるから!」
かくして、アイリーンの手厚い介抱により、チュンボーイは無事に一命を取り留める。
血に塗れた己の体を優しく抱いてくれたこと、嫌な顔一つせずに下の世話までしてくれたこと、花の咲いたような笑顔で甲斐甲斐しくも励まし続けてくれたこと。
極めつけに、とてつもなく美味しいパンをご馳走してくれたこと。
その多大な恩に、チュンボーイは心から感謝し、なんとしてでも応じねばと思い、アイリーンに恩返しすることを胸に誓った。
ところがだ。
どうすれば恩に報いることができるのか、チュンボーイにはさっぱりわからなかった。
それというのも、彼が好むものをアイリーンは好まなかったからである。
幼虫、芋虫、羽虫、最後に毛虫。
チュンボーイの主食にして大好物である虫たちを、アイリーンは頑として受け取らなかった。
助けてくれたお礼にぜひと、彼女のもとにせっせと運んでみても困った顔をするばかり。
手にとって口に運ぶことは一度たりともなかった。
そうして、チュンボーイは進退窮まり、瀬戸際まで追い詰められた。
なぜなら、魔族の格言には、「魔神の顔も五度まで。五タテする無能は潔く死すべし」という言葉があるからだ。
これは、「魔神が微笑んで見守るような案件にて、許せられる失敗は四度目まで。五連続で失敗するようなやつはもはや死んだほうがマシであり、寛大な魔神もさすがに激オコ不可避」という意味を表している。
成果主義かつ実力主義の魔族らしい格言であるともいえよう。
アイリーンへの礼に、チュンボーイはすでに四度続けて失敗している。
それもただの失敗ではなく、命の恩人である人物に対しての失敗。
もし次も失敗してしまえば、死んだほうがマシという無能のレッテルをはられてしまうどころか、自責の念から廃人ならぬ廃鳥と化してしまうかもしれない。
それほどまでの由々しき状況へと、チュンボーイは追い詰められていたのであった。
「――チュンチュン!」
だが、そのとき。
チュンボーイは天啓を得た。
かつてアイリーンに助けられたように、誰かに救いの手を求めればいいという、画期的な解決策を閃いたのである。
そうしてチュンボーイが大急ぎで訪れたのは、近くの森に住む幼馴染のもと。
そこらへんにいる野生のリスそっくりな、ワルブルリスという種族の幼馴染――リストランテに、どうすればいいのか相談を持ちかけたのであった。
以下、彼ら魔族の会話をわかりやすいように日本語へと翻訳していく。
「というわけなんだ。リストランテ君、どうしたらいいと思う?」
「う〜ん、人間のことを聞かれてもわからないよ……あ、そうだ! 兄貴に聞いてみるよ!」
「うん、よろしくね」
そうしてワルブルリスが大急ぎで訪れたのは、頼れる兄貴分のもと。
そこらへんにいる野生のウサギに角が一本生えた見た目をした、イキリウサギという種族の兄貴分――ウサインに、どうすればいいのか相談を持ちかけたのであった。
「というわけなんだ。ウサインの兄貴、どうしたらいいかな?」
「いや、人間のことなんか聞かれてもわからないんだけど……あぁ、そうだ。賢者様に聞いてみるよ」
「本当? じゃあお願い」
そうしてウサインが大急ぎで訪れたのは、森の賢者のもと。
か弱い森の小動物たちに尊敬されている、ほんの少し知識があることだけが取り柄のスライム――スジャータンに、どうすればいいのか相談を持ちかけたのであった。
「というわけなんです。賢者様、どうしたらいいでしょうか?」
「そうだねぇ……あ、ちょっと時間をもらってもいいかな? どうすればいいかはもうわかってるよ? でもほら、なんていうかアレだし、ちょっとだけ待ってくれる?」
「はい、わかりました」
そうしてスジャータンが大急ぎで訪れたのは、森を治める王のもと。
そこらへんにいる野生のオオカミに瓜二つな、ワルスギオオカミという種族の王――ポチに、どうすればいいのか相談を持ちかけたのであった。
「へへ、というわけでして。陛下、どうしたらいいっすかね?」
「なんでそう見栄を張っちゃうかなぁ……まぁ、俺もわかんねぇからさ、とりあえずご主人様に聞いてみるわ」
「あざっす、おなしゃあっす!」
そうしてポチが大急ぎで訪れたのは、己を飼うご主人様のもと。
人型の魔族としては底辺の弱者に位置するゴブリン――ゴブレットに、どうすればいいのか相談を持ちかけたのであった。
「というわけなんです、ご主人様。どうしたらいいでしょうか?」
「えぇ? おらに人間のことさ聞かれてもわかんねぇだよ……んだば、客人さに聞いてみっがぁ」
「ワンワン、お願いしますワン」
そうしてゴブレットが大急ぎで訪れたのは、ゴブリンの村に滞在している客人のもと。
剣の修行を目的に各地を旅しているオーク――ブタドンに、どうすればいいのか相談を持ちかけたのであった。
「というわけなんでさぁ。ブタドンさ、一体どうしたらいいっぺか?」
「ふむ、そうだな……一宿一飯の恩義ゆえ、ここは某に任されたし。しばし時間をちょうだいする」
「お願いしますだぁ」
そうしてブタドンが大急ぎで訪れたのは、森を越えた先の谷に住む、己を鍛えてくれた師匠のもと。
こん棒の格好悪さにうんざりしたがために剣術に傾倒したオーガ――オガエモンに、どうすればいいのか相談を持ちかけたのであった。
「という次第なのです。師よ、どうしたらいいでしょうか?」
「おぉん? なんじゃ、お主、まだ生きておったのか? クソ雑魚オークのくせに存外タフじゃのう……だが、うむ。そうじゃな。なにはともあれ、このわしに任せなさい」
「どうかよろしくお願いいたします」
そうしてオガエモンが大急ぎで訪れたのは、森や谷を含んだ山、ひいては周辺一帯を支配する王者のもと。
かつて腕試しにと勝負を挑んだ際、尻尾による戯れの腹パンならぬ腹テール一発で、失神ならびに失禁させられた相手――ハングレドラゴンのドメスティックに、どうすればいいのか相談を持ちかけたのであった。
「というわけなんじゃ。のう、どうしたらいいじゃろうか?」
「なるほど、それは責任重大な案件ですね……わかりました。では、私が絶対の信頼を置く方に助力を仰いでみるとしましょう」
「すまんのぅ」
そうしてドメスティックが大急ぎで訪れたのは、大海を支配する絶対王者のもと。
かつて若気の至りで勝負を挑んだ際、延々と攻撃したものの傷一つつけることすら叶わず、鼻息一つで昏倒させられてしまった相手――マフィアクジラのクジタンヌに、どうすればいいのか相談を持ちかけたのであった。
「というわけなのです。クジタンヌ殿、どうしたらいいでしょうか?」
「あら、しばらく見ない間に随分と丸くなっちゃって……でも、そうねぇ、餅は餅屋っていうし、ここは魔人族の子にお願いしてみようかしら」
「すみませんが、どうぞよろしくお願いします」
そうしてクジタンヌが大急ぎで訪れたのは、海を越えた大陸にある漁村に住む知人のもと。
かつて竹の釣竿でいとも簡単に一本釣りさせられた挙句、吹っかけた喧嘩では素手でこてんぱんに叩きのめさせられた知人の少女――サキュバスのソフィアに、どうすればいいのか相談を持ちかけたのであった。
「というわけなの。ソフィアちゃん、どうしたらいいかしら?」
「うぅむ、それは大事ですね……わかりました、大船に乗ったつもりで私に任せてください! 頼れる幼馴染に相談してみますので!」
「あら、そう? じゃあお願いね」
そうしてソフィアが大急ぎで訪れたのは、幼馴染であるダークエルフのロックのもと。
さらにロックは、兄貴分である魔兎人のウサキチのもとへ向かい、人任せの相談リレーは続いていく。
ウサキチは、賢者であるゲル魔人のゲリストテレスのもとへ。
ゲリストテレスは、役人である魔狼人のウルティマのもとへ。
ウルティマは、客人であるサイクロプスのチョウカッペのもとへ。
チョウカッペは、師匠であるリッチキングのボンボーンのもとへ。
ボンボーンは、貴族である魔龍人のルーズベルト・グラリアのもとへ、
ルーズベルト・グラリアは、大貴族である半魚魔人のメデタイ・サッカナーのもとへ。
最後に、メデタイ・サッカナーは、魔人の王太子であるシリウスのもとへ。
そうやってチュンボーイの相談は巡り巡り、たらいまわしにされた結果、シリウスが受け持つことになったのであった。
ちなみに、シリウスも一瞬、父親である魔帝国の現国王ディアナ十三世に相談をしかけたのだが、多分ブチギレられそうな気がしたため思いとどまっている。
◆
「――というわけなのです。長々と話してしまって申し訳ありませんが、ご理解いただけたでしょうか?」
小一時間と続いたシリウスの話がようやく終わった。
いまのいままで、特に誰かが騒ぎ立てることもなく、皆、大人しく話を聞いていたものである。
途中、お手洗いにと席を外すものが何人かこそいたが、アイリーンはもとよりミハエルやサクラも静かに聞き入っていた。
「ええ。でも、その、なんと申し上げたらいいのか……」
返答に窮してしまうアイリーン。
庭で死にかけていたスズメを助けたところ、そのお礼になんと魔帝国の王太子が訪れてきたのだ。
話の流れこそ理解はできても、どう反応するのが適切なのか、アイリーンは瞬時に判断することができなかった。
「そこで勝手ではありますが、どんなお礼をしてしかるべきか、あなたの身辺を調べさせていただきましたところ、いわれなき罪を被せられていることを知ったのです」
「いわれなき罪、ですか?」
「ええ。そちらのサクラ嬢に対するイジメの首謀者が、なぜかあなたであるとされているということにです」
「ああ、そういうことでしたのね」
シリウスが一瞥した先、何人かの女子生徒が目に見えてうろたえていた。
アイリーンもまた、顔色を悪くしている彼女たちを視認し、己が置かれている現状についてやっと得心が行く。
要するに濡れ衣を着せられている、ということをようやく理解できたのだ。
また、無断で身辺調査されていた件について軽く聞き流しているあたり、アイリーンの呑気な性格の一端が垣間見えているともいえよう。
「そして、肝心のお礼はこれです」
言いかけて、シリウスは右手を胸の高さまで掲げ、親指と中指の先を擦り合わせて、パチンと音を鳴らした。
すると次の瞬間。
低く鈍い、鈍器で地面を叩いたような音が聞こえると同時に、パーティー会場である講堂の天井が跡形もなく吹き飛んだ。
開放的に露わになった、雲一つない晴天の空。
その天高くに浮かんでいる太陽の放つ光が、場にいる皆を暖かくも照らす。
「はい……?」
「失礼」
「えっ――」
状況を飲み込めず、呆けてしまっているアイリーンを、シリウスが胸に優しく抱きかかえた。
そうして彼は、同じく呆けているミハエルに向き直ってから、大きく息を吸い込んだ。
「聞け! 愚かな人族どもよ!」
びりびりと、大気を震わす声が響く。
「貴様らが罪を被せんとしたアイリーン・ヴァロワは、我が同胞チュンボーイ・ザ・デスティニーキッド三世の命の恩人である! よって、彼女の名誉を不当に傷つけ、あまつさえ罰さんとする不敬な輩は、このシリウス・ディアナの敵と見なし、問答無用で一族郎党極刑に処す! さぁ、不服なものは手を挙げろ! いますぐ血祭りにあげてやる!」
先の穏やかな雰囲気とは打って変わった、死を色濃く匂わせる、あまりにも鋭い殺気。
その殺気は肌を刺すにとどまらず、心臓を鷲掴みにされたような、鮮明にして苛烈な感覚をも呼び起こさせる。
その威圧は平静を許さず、その眼光は逃亡を許さず、その存在は生を許さない。
アイリーンを除く会場内にいる誰もが心の底から恐怖し、体にまとわりつく重圧を感じながら、己の死を本能的にはっきりと意識させられた。
やがて描かれる、阿鼻叫喚の地獄絵図。
次代の宰相と名高い、銀縁の眼鏡が似合うインテリ系イケメンのロイは、ぶくぶくと泡を吹いて崩れ落ちるように倒れた。
次代の剣聖と名高い、たくましい体つきをした硬派系イケメンのレオンは、すでに失禁ならびに失神済みだ。
公爵家の長男であるアイリーンの兄も、国内有数の商家の跡取り息子も、王弟である妖艶な男性教師も、皆がたがたと激しく震えており、足元に汚らしい水溜りを作っている。
女子生徒たちに関しては、失禁どころか発狂するものまで続出する始末と、もはや目も当てられないほどの悲惨な状況に陥ってしまっていた。
「これは酷い……」
シリウスの胸から解き放たれたアイリーンは、周囲の惨状を確認してぼそりと呟く。
ダンゴ虫さながらに丸くうずくまっているミハエルとサクラは、両名とも尻を真っ茶色に塗らしている。
アイリーンの肩にとまっているチュンボーイは、白目を剥いて気絶こそしていれども、幸いにも脱糞とまでは至っていなかった。
「申し訳ありません、アイリーン嬢。本当ならもっと穏便に済ませてしかるべきなのでしょうが、なにぶん時間がなかったものですから、手っ取り早く力ずくで処理させていただきました」
「左様ですか」
シリウスの弁明に、アイリーンは粛々と相槌を打つ。
なぜ時間がなかったのか、聞くに聞けないし、たとえ聞いたところでどうしようもない。
そう結論づけ、アイリーンは現実逃避するように思考に蓋をした。
また、シリウスに時間がなかった理由については、恩返し案の採決に手間取ってしまったからにほかならない。
幼馴染のためや弟分のためなどなど、関わったすべてのもの各々に面子があるため、シリウスとしても独断独行することができなかったのだ。
誰かに提案・確認しては、また誰かに話をし、さらに誰かに話をもっていき、いざ最後のチュンボーイから返事を受けたら、また誰かに話をし、さらに誰かに話をもっていく。
そういった人づての議論を幾重にも経た結果、連絡内容の間違いや度重なる修正も絡んで採決は揉めに揉め、恩返し案の実行は遅れに遅れてしまった。
最終的には、「いい感じにお願いします」という、これまでの議論を無にする案に落ち着いたのだから、さすがにシリウス一人を責めるのは酷といえるだろう。
ともあれ、当のアイリーンにとっては、恩返し案の採決云々は無関係な話でしかない。
彼女はただ、恩返しをされる側にすぎないのだから。
「では最後に、私の代行によるチュンボーイ・ザ・デスティニーキッド三世からのお礼を受け取った証拠として、こちらの書類にご署名をいただけますか?」
「あ、はい」
「お手数をおかけして大変申し訳ありませんね。宰相のサッカナー公爵あたりが、ああだこうだと、こういったことにはまぁ口うるさくて仕方がないものですから」
シリウスがどこからか取り出していた、一枚の紙を挟んだクリップボードと羽ペン。
その見慣れぬ文字が羅列された紙の、恐らく署名欄であろう空白の箇所に署名しつつ、最後にアイリーンはしみじみ思った。
――ヤバいやつが乱入してきたものだ、と。
周囲の惨状は依然としてそのままである。
この後、なんやかんやでアイリーンとシリウスは恋愛関係に発展し、やがて両思いに至った末に結ばれて結婚し、二男一女の子宝にも恵まれた幸せな家庭を築く。
シリウスの脅迫で深刻なトラウマを植えつけられたものたちも、ゲル魔人の賢者の治癒魔法によって無事に立ち直ることができ、ミハエルとサクラの結婚を始めとして各々に幸せな生活を送っている。
また、騒動を機にロンダル王国と魔帝国ディアナの国交も始まり、異文化交流や貿易も盛んになって両国ともに繁栄。
と、婚約破棄の一悶着も振り返ってみれば、いいことづくめの結果に終わっているといえよう。
ただし、一点。
レオンの父親が行方不明になっていることが、唯一の気がかりとして挙げられるかもしれない。
人知れず逆上し、誰にも告げずに単身、魔帝国ディアナへと攻め入ろうとした当代剣聖にして国内最強の騎士団長。
その彼が、道中で出会った魔族――八つ当たりにも斬り捨てようとした一匹のオークに、瞬殺の返り討ちの目に遭って細切れにされたことを知るものはいない。
死体もまた、やけに賢ぶったスライムによって完食されてしまったため、これからもその死が発覚することはないだろう。
しかしながら実のところ、騎士団長はあまりにも醜すぎる性根から家族を含む皆に煙たがられていたので、いなくなって悲しんでいるものも一人としておらず、やはりなんの問題もないのかもしれない。
めでたしめでたし。