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Another Face 〜バイトしてたら人間やめることになりました〜  作者: 蔵井海洋
第八章 友の行方/リュウの雄叫び
78/104

episode8-2

 時間を遡ること、約五分前。

 椿姫が柳沼との会話を終えて、公園のベンチを立った直後のことである。

「ああ、滝上さん」

「何でしょうか?」

「隆一君は元気だろうか? それが気に掛かっていてね」

「はい、元気ですよ。兄も貴方のことを気にしていました」

「そうか……。彼には悪い事をしてしまったな」

「……何がです?」

 自嘲するような表情を浮かべる柳沼。

 それに対して、椿姫の視線はやや厳しいものへと変わる。

「いや、彼には黙っていたことがあってね。それだけが気掛かりだった」

「黙っていたこと、ですか?」

「彼ともう一人に、関わることさ。私が口を出すことでもないし、君もきっと口を出すべきではない、プライベートなもの。私は彼と出会った時からずっと、黙っていたんだ。偉そうに、説教じみたことを言ってしまったこと、今でも後悔している。だが、彼、いや彼らならば、きっと、乗り越えてくれると信じている、とだけ言っておこうかな」

「何だか、よく分からないですが、そのこと、言わないでおきますよ」

「ありがとう。次に会った時はこちらからも何か用意をしておくよ」

 そう柳沼に言うと、椿姫は荷物を纏めて立ち去ろうとする。

 それに合わせて、柳沼も帰路へ付こうと立ち上がった。

「……伏せてください!」

「……ッ!」

 ナニカを捉えた椿姫が柳沼を地面に伏せさせる。

 瞬間、頭上を熱く燃え盛る黒い炎が通り過ぎ、公園の遊具に燃え移った。

 黒焔は芝生に燃え広がることなく、無人の遊具のみを蝋燭のように融かしていき、やがて火の手が消えた時、遊具は塵のように風に流されて、跡には何も残らなかった。

 椿姫はすぐさま、炎が放たれた方向を見る。

 そこには、

「……ウラギリモノ、ノ【聖賢】……ミツケタ」

 黒い体毛に覆われたソレは、後ろ向きに反り返った長い角を持ち、身体中からは黒い火の粉を撒き散らしている。火の粉はチリチリと空気で弾けて、奇怪な音を鳴らしながら消えていく。中でも、特徴的な青き眼が椿姫たちを捉え、同時に強い敵意を伝えてくる。

「幻獣!? いきなり、神出鬼没ね!」

「あれは……!」

 公園に響いていた歓喜の声は、一瞬のうちに悲鳴へと変わった。

 大人は子どもを抱きかかえると、一心不乱にその場から逃げようとする。

 転んでしまった子どもも、その場から離れていこうと地面を這いずり回る。

 そんな中、椿姫と柳沼、そして山羊の異形は一歩も動かずに睨みあっている。

 ゆっくりと椿姫は鞄の中に入れていた携帯を取り出し、兄の番号に掛けた。

「兄さん! 今すぐ水戸公園に来て! 幻獣がっ!」

 椿姫が言い終える前に、山羊の異形が低い唸り声を上げて歩いてくる。

 椿姫は通話を切り、すぐさま体勢を立て直して、柳沼を立ち上がらせた。

「柳沼さんは逃げて!」

「すまない……。あれは」

「……こっちに来なさい!」

 柳沼を先に逃がすと、椿姫は異形の進行方向に立ちふさがる。

 彼が口にしようとしたことは、悲鳴の数々によってかき消された。

 口惜しさ

 そして、彼女はすぐ近くにあったトイレからモップを取り出して構える。

 山羊の異形は鈍重な歩みであったが、それが自身の力をセーブしている、或いは、自身の力量や動きの癖を、椿姫に悟らせないためのものであることは明らかであった。

「ジャマ、ダ……」

「人語を話すタイプは輪に掛けて面倒なタイプが多いのよね……」

 緊張を和らげるために、椿姫は誰に言うでもなく呟いた。

 異形や黒い炎は、自身の持つモップ程度では明らかに対処できるモノではない。

 だが、やらねばならない。使命感と自身の誇りに掛けて、この場からは一歩も出さない、被害は最悪自身のみに止めて見せる、その一心で、椿姫は異形に対峙していた。

「ドケェェェェェェェェェ!」

「来るっ!」

 山羊の異形が全身に炎を纏わせながら、尋常ならざる速さで突進してくる。

 椿姫は既の所で突進を躱し、すれ違いざまに異形の脚にモップを引っ掛ける。

 山羊の異形は顔面から地面に勢いよく激突する。そして、立ち上がった異形は怒りに満ちた視線を彼女に向け、標的を柳沼から変更して向かってくる。

「マジ……?」

 思わず椿姫の口調が崩れてしまう。

 彼女の視線の先には糸の束が消え去り、ただの棒になった元モップ。

「ジャマダァァァァ!」

「棒術にはそんなに自信ないんだけどっ!」

 蹄ではなく、凶悪な五つの爪が付いた片腕が、椿姫の頭目掛けて振るわれる。

 その狂爪を椿姫は真正面から受け止める訳にもいかず、棒を振り上げて、異形の腕を叩き、軌道ごと変更することによって攻撃を潰した。しかし、棒は異形に触れた傍から融けていき、その長さは三分の二ほどになってしまう。

「やっぱただのモップじゃダメかっ」

 椿姫は棒の先を異形に向けて投げつけると、後方に大きく後退する。

 当然のように、異形も彼女を追撃し、黒炎を飛ばしてくる。

「ニゲルナァァァァァァァ!」

 身体能力だけで言えば、人間の域を超えない椿姫と異形の差は歴然だった。

 致命傷となる黒炎こそ当たらないが、迫りくる異形との差を開くことが出来ない。

 そして、

「サッサト、キエロ……!」

 少女の背中を異形の狂爪が捉えた。

 その鋭い爪は少女の柔らかな白い肌など簡単に貫いてしまうだろう。

 肌を破り、骨を砕き、内蔵をいともたやすく使い物にならなくするだろう。

 それを現実のものとするために、黒炎を纏う狂爪は風を切って進んでいく。

「全く気配を隠せていないわねっ!」

 必殺の一撃は少女をすり抜けて、身体ごとある物に激突する。

 とある物とは水飲み場。異形によって粉砕されたソレは勢いよく水を噴き出し、辺りに夥しいまでの水飛沫をぶちまけた。その殆どは異形の肉体に掛かり、黒い姿は水浴びをした後と見紛うほどに塗れた。

「アァァァァァァァァァァ!」

 体毛のように黒く燃え盛っていた炎は、水に触れることによって勢いを失う。

 奇妙な音を立てながら燻る火の粉を全身から噴出しながら、異形は地面を這う。

 だが、明らかに弱った姿を晒す異形に、とどめを刺す手段が椿姫にはなかった。

 一先ず武器となるモノを探す椿姫。応援で呼んだ兄が来るまで時間を稼ぐためだ。

「作戦のための調整だからって、アレが使えないのはなあ……!」

 脳裏に浮かぶ藍色の鎧の姿に、少女は歯噛みしながら公衆トイレへ走る。

 そして、中に入って早々用具入れの中から武器として使えるものを探し始めた。

「ん?」

 そんな中、椿姫は背後から聞こえていた呻き声が消えたことに気づく。

 しかし、気配は感じられた。明確な殺意と獣の持つ生々しい敵意が近くにいる。

 椿姫は感覚を極めて鋭敏にして、壁の向こうにいる異形の正確な位置を辿る。

「……ッ」

 それと並行して、用具入れの中にあったデッキブラシを取り出す。

 少女は音を立てないように、ゆっくりとその場から離れようとした。

 その時、

「なっ!」

 少女の横側にあった壁をいともたやすく貫いて、黒い腕だけが内部に現れた。

 水が染みこんで、ボロボロになった泥人形のような手が、少女の腕を捉える。

 異形の腕は腕力の強い成人男性ほどの力で、彼女の腕を掴み自身に引き寄せてくる。

「はっ、なせ!」

 椿姫はデッキブラシで何度も異形の腕を叩く。

 掴まれた箇所から感じる熱から、異形の腕が徐々に再生していることが分かる。

 そして異形の炎が再び燃えれば、椿姫の腕は遊具やモップのように融けるだろう。

 何としても異形の手を離させなければ。その一心で椿姫は異形の腕を叩き続ける。

「離しな、さいってば!」

 だが、一向に異形の腕は離れない。

 人肌とも、火のものとも思えない独特な熱が腕を通して伝わってくる。

 椿姫は形容し難い奇妙な感覚に怖気を覚え、本能は逃げろと伝えてくる。

「ぐっ……!」

 加えて、異形の腕に熱が戻り始めていることに、椿姫は一層強い危機感を覚える。

 しかし、何度叩いても異形の腕は離れない。まるで大木を叩いているようだった。

 諦めない――――椿姫がそう思った時、ふっと自身を掴む力が急激に弱まり、身体は尻から地面に倒れ込んでいった。一瞬、身体から離れていた彼女の意識が戻ってくる。ふと、掴まれていた腕を見ると、黒い腕だけが自分の腕を掴んだまま、だらんと床に垂れ下がっている。

「……!」

 壁の向こう側で青白い光が一際強く輝く。

「……待ってましたよ、兄さん」

 異形が開けた孔から見える、白い甲殻と紅い瞳を見て、椿姫は笑顔を浮かべた。





「……ォクレ、テ、ゴメン」

「……? あっ謝罪はいいから目の前のヤツに気を付けてください!」

 白き魔人は壁の向こうにいる妹に向けて謝罪の言葉を投げた。

 それはくぐもって、最早別人のような声であったが、椿姫には伝わったようだ。

 彼女の言葉に従い、魔人は腕を切り落として、彼方へと蹴り飛ばした異形を見る。

「あの幻獣の黒い火には特に気を付けて! ドロドロになりますよ!」

「……!?」

「……水には弱い感じなので、まあ、そんな感じで。感情豊かになってません?」

 一先ず魔人は返答せずに、目の前の敵に集中する。

 蹴ってから短い間であったが、山羊の異形が体勢を立て直すのには十分だった。

 山羊の異形は周囲にある草木を炎で融かしながら、立ち上がって雄叫びを上げる。そして、球体の黒炎を上空に投げる。それは空中で爆音を上げながら弾けると、豪雨のように魔人へと降り注ぐ。

「……!」

 魔人は右腕から水を生み出し、黒炎の豪雨に向けて放射する。

 薄く広く放たれた水は、視界を埋め尽くす黒炎を次々に鎮火させていく。

 歪な音色を断末魔のように上げて、黒炎の群は跡形もなく消え去っていった。

 黒炎が全て消え去ったと同時に、魔人は一気に山羊の異形に接近する。

「……ァ!」

 魔人は勢いよく地面を蹴って跳びあがると、三〇メートルは優にあった距離を一息に詰め、そして、濡れた右腕を山羊の異形の頭部に狙いを定めて、力強く振り下ろした。

 白い甲殻に覆われた拳を、山羊の異形は両腕をクロスさせて防御する。

 鈍い音を立てて、魔人の振り下ろしが防がれた。

 すかさず、魔人の腹に異形のカウンターが入る。

「……グッ!」

 間を空けず、魔人の腹部から鈍い音と何かが弾けるような音が響いた。

 魔人は反射的に山羊の異形から離れて、自身の腹部を確認する。そこには、彼の腹を守っている甲殻が、燃え移った黒炎によって融かされ始めている光景があった。彼は慌てて右腕から水を放射して、黒炎を鎮火させる。

「……ゥゥ」

「ジャマモノハ、ケス」

 魔人の腹部の甲殻は地面に融け落ち、内部の黒い肌が露になる。

 異形は魔人に対して明確な殺意を向け、身体中から大量の黒炎を噴き出した。

 それによって、周囲の草木が再び融けていく。だが、異形の足元の地面は融けることなく、その形を元のまま留め続けている。

「……ッ!」

 殺傷力が高い上に指向性を持つ黒炎を前にして、接近戦を仕掛けるのは不利だと判断した魔人は、その紅き左眼を煌々と輝かせた。すると、空が段々と暗くなっていく。しかし、それはとても限定的な範囲で、公園一帯の空だけが分厚い雲で覆われている。

 次第に頭上の雲から雨が降り始めた。雨は地面を濡らし、草木に燃え移った黒炎を鎮火させる。当然、魔人や山羊の異形もその雨に濡れ、大量の雨粒を滴らせる。

「ァァァァァァァァァ! イタィ! アツィィィィィ!」

 山羊の異形が苦痛で叫び声を上げながら、濡れた地面の上でのたうち回る。

 彼が地面で動き回るほど、泥が跳ね、草木だった黒いナニカが彼の身体に付着し、哀れな姿を晒していく。

「……!」

 魔人は左腕に青白い雷を集束させて、雷の刃を形成する。

 そしてその刃を天に掲げ、一気に振り下ろした。

「待ってくれ! 隆一君!」

 ぴたりと魔人の動きが止まる。雷の刃は山羊の異形の鼻先で制止している。

 声を投げ掛けたのは、この場から避難させたはずの柳沼であった。彼は息を荒げながら、魔人が降らせた雨に濡れている。そして、よく見ると彼の身体からは不規則に黒い火花が散っていて、山羊の異形ととても酷似したモノだった。

「彼は私の……私の!」

 そう、柳沼が言い終える前に、

「ゥゥゥゥ……」

 異形の肉体が黒い靄に包まれていく。

 間を開けず、黒い靄が雨に溶けるように消えていき、

「……? ぅぅぅぅ」

 内に眠っていた一人の青年の姿が露になる。

 その姿を見て魔人は目に見えて狼狽えた。

「おい! 木島! 木島だよな! 無事だったのか!?」

 魔人の姿は一瞬にして滝上隆一のものに戻った。

 そして、山羊の異形の正体、木島優斗に近づき彼の肩に触れようとする。

 だが、

「ゥゥゥゥゥゥゥゥ! アァァァ!」

 木島は獣のように低い声で唸り、隆一を威嚇する。

 そこに理性というものは感じられず、人とも思えない状態だった。

 隆一が木島に向けて差し出した手は、木島によって振り払われてしまう。

「木島……。俺のこと、分からないのか? 冗談、だよな?」

 頭上から降り注ぐ大量の雨と、心が宿っていないかつての友人の無慈悲なまでに無機質な視線が、隆一の身体を芯から冷やし、木島に向かっていた足を一歩後退させる。口からこぼれ出た言葉には力が籠っておらず、ただ、呆然として、目の前で起こっていることが理解できない、いや、しようとしていなかった。

「……ゥゥゥゥゥ」

 だが、他ならぬ木島が隆一に理解させようとするのだ。

 目の前にある変わり果てた友人は、紛れもなく現実なのだと。

「兄さん!」

 椿姫の声とともに隆一ははっとして、木島の手元を見る。

 しかし、遅かった。木島が手に不規則に蠢く黒炎への反応に僅かに遅れたせいで、隆一は自身の目の前で弾ける黒炎を、避けることが出来なかった。黒炎は隆一の視界を黒く塗り潰し、その視界を奪う。

「ァァァ!」

「待てッ!」

 その隙に木島は尋常ならざる脚力で跳びあがり、公園から姿を消す。

 椿姫は反射的に木島を追おうとするが、目を押さえる隆一を放ってはおけず、彼に近づいて、肩を叩き声を掛ける。

「兄さん! 兄さん! 大丈夫ですか!」

「大丈夫、だから。……これくらい、すぐに回復、する……するから」

 取り乱した椿姫を抑えつつ、隆一は柳沼がいるであろう方向を向く。

 怪我を負った隆一に彼の姿は見えなかったが、酷く落ち込んでいるように思えた。

「柳沼さん、木島について……何か知っているんですよね? 貴方が知っていること、教えてくれませんか?」

「…………私からも、お願いします」

 二人の視線が、柳沼に刺さる。

「……分かった。私が知っていることを教えよう」

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