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Another Face 〜バイトしてたら人間やめることになりました〜  作者: 蔵井海洋
記憶の欠片 黒き龍の娘
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episode雷

「クロエ、知らない者と仲良くなるのに大事なことは何だと思う?」

 懐かしい、存命だった父がよく聞いてきたものだ。

「……?」

 その頃の私はまだ小さかったから、いつも首を傾げていた。

 そんな私を見て、父は決まってくしゃりと笑いながら、頭を撫でてくる。

 父の顔はきめ細やかな黒い龍燐に覆われていたけど、私には確かに笑って見えた。

「相手の事を知って、お互い尊重すること。そして」

「そして?」

 私を見つめるのは、控えめに言って、この世の何よりも恐ろしい作りの顔。

 でも、私にとっては何よりも慈しみに満ち溢れた瞳だった。

 私もその瞳を真っ直ぐ見つめ返し、父の言葉を待った。

「仲良くする気持ちを忘れないことだ」

 そしてもう一度、父は私の頭を撫でてくれた。

 気分が良い日は、背中に乗せて大空を飛んでくれた。

 父の表情はとても解りにくかったが、気持ちは伝わってきた。

 私に無償の愛を施してくれた。とても恵まれた家庭だったと思う。

 何もかもが上手くいっていた訳ではないけど、楽しかった。





 それから幾らかの年月が経った頃。

 ヒトの世に渡った父は、ヒトに殺されたらしい。





「竜ヶ森クロエです。よろしくお願いします」

 私は好奇の視線を一身に浴びながら、頭を下げてそう言った。

 その瞬間、とある忌々しい光景がフラッシュバックする。

『さて【雷姫】、今回めでたく六柱となった君にしてもらうことは……潜入だ。ただの潜入と侮らないでくれたまえよ。あちらの世界での活動において、最も障害となる魔狩師の一族に接近してもらうんだからねえ。君ならば、きっとやり遂げてくれると期待しているよお……?』

 あの化け猫野郎、思い出すだけで苛々してくる。その上、目の前には大勢のヒト。

 ヒトに父を殺された私にとっては、気が気でいられない状況である。まあ、そんなことで感情を顔に出す私ではないし、頭では彼らが直接父を殺したわけじゃないことも理解している。だが、苛立ちと憎しみは消えはしないのだ。

 そう考えているうちに、

「竜ヶ森さんはこのように日本語が堪能だが、海外暮らしが長かったそうなので、みんな彼女が困っていたら助けてあげるようにな。それじゃあ、竜ヶ森さんの席は……。って」

 教卓の横に立つ、赤いジャージを着た大柄の男、豪山が参ったと言わんばかりに片手で両目を覆う。原因は大方、空いた二つの座席を見たことによるものなのだろうが。

「滝上のヤツ、また遅刻かあ? 全く困ったもんだ」

 滝上、その名前には聞き覚えがある。

 確か魔狩師、いや、現在はAPCOという名前で活動しているのだったか、ともかく、今回の調査対象となっている家の者達の苗字だったはずだ。この滝山学園に転校してきたのも、その滝上に近づくためである。

 しかし、遅刻とはなんて志の低いヤツ。全く親の顔が見てみたい。

 そう思っていると、左側の扉がガラリと大きな音を立てて開かれる。

「はあ、はあ、すいません! ままだギリギリセーフ! ……ですよね?」

「ド遅刻だよ。……ほら転入生の前だから、さっさと席に座れ」

「は、はい」

 これが滝上家、現当主の息子か。写真で見るのとはまた違った印象を受ける。

 武術には精通していないようだけど、中々引き締まった身体をしている。

 顔はだらしなく緩んでいるが、顔の作りは強面の部類に入るだろう。

 そんな風に観察していると、ふと滝上隆一と目が合ってしまった。

 私は慌てて微笑み返す。困った時はいつもこれで乗り切ってきた。

「竜ヶ森クロエですっ。よろしくね」

「ああ、どうも。よよろしく」





 これが私、クローリアと滝上隆一の出会いだった。

 何とも締まらない、ロマンスの欠片もない出会いだと思う。

 でもそのおかげで、私の肩から任務という錘が降りたというのも事実だった。

 そうでなければ、私と彼が仲良くなることは、決して、無かっただろう。





「竜ヶ森が好きなものって何なんだ?」

「好きなもの……か。モンブランとか好きかな」

 転入から一週間ほどが経って、彼と私はそれなりに仲良くなった。

 少なくとも、こうして何気ない日常の会話をスムーズに行える程度には。

 こうまで早く接近することが出来るとは、私自身思っていなかった。

 彼と一緒にいると、何故か心と身体が任務を忘れて心が安ぐのだ。

「じゃあ嫌いな、もの……とかは?」

「オバサン」

「叔母さん?」

 あっしまった、つい本音を言ってしまった。

 口に出してしまったものは仕方ないが、日本語で何と表現すれば良いのだろう。

 いやいいか、誤魔化そう。本当のことを言ってしまうと色々と面倒なことになる。

「えーっとその、まあ。嫌味なオバサンがいるんだよね。何かと世話を焼いてくるのもうざったいしさ。その上小言が多くて堪ったもんじゃないわ」

「あー分かる気がするな」

 隆一の表情から察するに、何とか誤魔化せたようだった。

 彼が家族と不仲であるということは、事前に調べがついていたし。

 この年頃の子どもというのは大抵年上という存在が目障りなものだ。

 そういったこともあり、彼の注意を逸らすのはそう難しいことではなかった。





 この頃には、仮面を被るのにも慣れてきた。

 罪悪感や後ろめたさが全くないと言えば嘘になる。

 彼に深入りしすぎたのだと、そう思うこともある。

 そうでなければここまで悩みも、苦しみもなかった、と考えてしまう。

 この感情の裏打ちが恋というものなら、なんと辛く、悲しいものなのだろう。

 クソ師匠が恋や愛というものを敵視する理由の一端を理解できる。

 しかし、この気持ちを無くしてしまいたいとは思わない。





「竜ヶ森ってさ、時々すげえ寂しそうな顔をするよな」

 初めて二人で出掛けてから数日が経った後、隆一が唐突にそう言った。

 偶に彼はこちらの隙をついて、心の奥深くに刺さる言葉を放ってくる。

 特に、この発言は心に刺さってしまった。

「そうかな?」

 私は笑顔を作り、そう返す。

「勘違いだったら、申し訳ないけど。この前のカフェでのことを思いだして」

「ふふっ、やっぱり敵わないな。……何でそんなに私の事を考えてくれるの?」

「それは、その……。目が離せないっていうか。気になるっていうか」

 隆一は控えめに言っても隠し事が下手すぎる。

 そういう所が好きな要素の一つでもあるけど。

 でも、私と彼はあくまで敵同士ということを忘れてはいけないのだ。

 ましてや、目の前にいるのは敵のトップの息子。

 本来心を許してはいけない相手なのだ。





 この頃から、父の仇を取るためには、自身の心を鬼にしなければならない。

 彼には悪いが、自分自身の目的を達成するために利用させてもらう。

 ……そういった自分への誤魔化しが段々と通用しなくなっていった。

 彼の前に立つだけで心が高鳴り、頬が熱を帯びるのを嫌でも感じる。

 嘘を付けばどうしようもなく胸の奥が痛み、罪悪感で一杯になる。

 そんな自分を心配する彼に対して、私は実家のような安心を覚えた。





「お母様! 何処にいるの! 答えて!」

 王都で勃発した暴動を抑えた後。

 師匠である【轟焔】に大見得を切った私は、母がいる森の小屋へと足を運んだ。

 しかし、母の姿はそこになかった。いつもの大樹のように埃塗れのベッドに根を張った、まさに生ける屍とも呼べる彼女の姿は、始めから存在していなかったように消えてしまっていたのだ。

「お母様! 返事をして! クローリアにお声をお聞かせください!」

 私はすぐに母の行方を捜し始めた。

 母から漏れ出た力の影響で、虫や動物が消え去った死の森を走る。

 かつては豊かな自然に恵まれた森であったが、今となっては見る影もない。

 空気に含まれる、薄ら寒い死の気配を振り払いながら、私は必死に周囲を見渡す。

 母はどこへ行ったのか、死んだとは考えられなかった、いや、考えたくなかった。

 まだ父が生きていた頃、いつも太陽のような笑顔を振りまいていた、元気な母の姿が脳裏を駆け巡った。胸が張り裂ける感覚に耐え、必死に走れば走るほど、昔の、楽しかった頃の思い出が壊れたように、何度も、何度も、再生される。

「あの世のお父様、どうかお母様をお守りください」

 今は亡き父に祈りながら、走る、走り続ける。

 不鮮明であるのか分からない希望を胸に、母をただ呼び続けた。





 結局、母は見つからなかった。

 それから間もなくして、【幻相】から連絡がきた。

 力を貸してほしい、心にもない、小馬鹿にするような口調だった。

 酷く怒りを覚えたけど、もう母を捜す気力は残っていなかった。

 私は逃げるように、あちら側の、“安息”がいる世界に向かう。

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