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Another Face 〜バイトしてたら人間やめることになりました〜  作者: 蔵井海洋
第七章 血濡れの白鴉/青年の背信
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episode7

 殆ど光が届かない部屋の中に俺はいた。

 冷え切ったレンガの床の上で地団駄を踏みながら叫ぶ。見っともない子どものように。

 だけど声は誰にも届かない。目の前にある堅い鉄格子をすり抜けて、幾重にも反響し、そして、戻ってくる。一体これを何度繰り返したことだろう。だが、やらなければ。

「なあ、もういいだろ! 出してくれよ! もういつからここに居るかすら分からない! お願いします……! ここから出してください! ただ朝日を拝むだけでもいいんだ! 頼むよお!」

 俺は何時からここにいるのだろうか。

 最早、俺の中の自分が曖昧になりつつある。

 始めに曖昧になったのは理由。何故ここにいるのか。

 次に曖昧になったものは目的。何故ここから出ようとしているのか。

 本当に出たかった理由は太陽の光を浴びたかったからではない。何か大切な、自身の命よりも大事な愛おしいものに会いたかったからではないだろうか。だが、それも忘れた。

「なあ! 聞こえているんだよなあ! 注射のせいで俺の身体が変になってるんだ! 身体中を高熱の蛇が這いまわるような感覚がする! 激しい痛みもだ! ライトでもいいから! この身体が一体どうなっているのか確認させてくれよ!」

 身体が、心が、猛烈に何かを求めている。

 その衝動に俺は従う。それが正しいことだと感じているから。

 ああ、一体、俺は何モノになるのだろうか。自分を自分だと認知するための記号がどんどん鑢で削られていき、その上から新たな『自分』が塗られていく。『俺』という存在が増々希薄になるのだ。ああ、忘れたくない。名前も思い出せない、家族や恋人、友人たちの顔が目の前に浮かんでいるというのに! ああ、ぼやけて消えてしまう。

「なあっ!」

「なら、私がここから出してあげようか? 元【幻祖六柱】、その一角を担っていた【聖賢】の子孫クン。いや、君に言っても分かるわけがあないよねえ。木島勇斗クンって言った方がいいのかな?」

 俺の名前を知っている。

 こんな知り合いは俺の記憶にはない。

「お前は誰だ!」

「随分と元気じゃあないか、木島クン。恋人と一緒に連れてきた時は大したものを感じなかったが、くくっこれは傑作だよ。運命だ」

 俺は目の前の男に対して、鉄格子を勢いよく掴んで大きな音を立て、威嚇する。

 暗くて人相ははっきりとしないが、恐らく男だ。何処にも光源などないというのに、男の青い目だけが強く輝いている。とても妖しい光だ。見つめていると何処までも吸い込まれていくような。妖しく美しい光だ。……青い瞳、それについて何か知っているような気もしたが、きっと気のせいだろう。

「おおっと! 怖い怖い。そんなに怒らないでくれたまえよ。僕は君のお友達である滝上隆一君の友人さ。まあ、彼が私を友達だと思っているかは分からないが。僕にはどうでもいいことさ。私がそう思っていることが重要なんだからねえ。おおっと! すまないすまない。話を脱線させてしまうのが僕の悪い癖でねえ。私の仲間にもよく白い目で見られるものさ。ええっと続き続き……ああ、そうそう! ここから出してあげるという話だったねえ! で、どうだい? 私に従うという条件を呑んでくれるというのなら、ここから出してあげてもいい!」

「本当か!」

 まさに藁にも縋るような気持ちだった。

 それとともに、俺の心に青い太陽の光が差し込んでくるようだ。

「ああ! そうさ! 信用してくれたまえ! 私はいつだって頼れる存在だからねえ! 今度の私は完璧さ! そうだ。私は誰よりも優れている! 頂点に立つものとしてこれほど相応しい存在はいないのさ! 君も私に着いてきたのなら、これ以上ない程に幸福になることができるだろうねえ! 遠くへ行ってしまった恋人とも会わせてあげようじゃあないか! さあ、どうする?」

 俺が取る選択肢は一つしかない。

 こんな暗くて寒い地獄と一刻も早くお別れしたい。

「ああ行く! 俺はアンタについていく! だからここから俺を出してくれよ!」

「はは、いい返事だあ。私は君のそういう所好きだねえ。さあ、僕の瞳を見てごらん」

 そう言って彼は俺に顔を近づけてくる。

 先程までは分からなかった瞳孔や虹彩さえもはっきりと分かる。

「ゆっくり、深呼吸をしながら、じいっと僕の瞳を見つめることに集中して? 他のことは頭の中から追い出していこう。代わりに、だんだん安心感が君の胸の内を満たしていくはずだ。そう、良い調子だあ……」

 彼の瞳を見ていると、俺の中から不安が消えていく。

 一緒に大切な、とても大切な者たちが薄れていった。

 しかし、俺は彼の瞳から目を外すことが出来ない。

 ああ、消えていく。何もかも。

 俺の名前は木島勇斗。





「はあ、しかし皆が頑張ってるときに何も出来ないっていうのは歯がゆい。っても、どうしようもねえし……。あーあー、父さんも何でこんな時に身体検査なんか入れるかなあ。それも日を跨ぐような……」

 ある昼下がり、隆一は父に恨み言を呟きつつ、専用の病室で携帯電話を構っていた。

 それから程なくして、扉が二度ノックされる。隆一が返事をすると、扉が横にスライドして中に入ってくる。

 視線を画面からその人物に移した隆一は呆気に取られる。

「え? 何でお前が来たの? 見舞い?」

「見舞いに決まってるだろうが。これでも一応心配して来てるんだけど?」

 病室に入ってきた人物は隆一の友人、街田啓であった。彼は不貞腐れた表情を浮かべつつ、缶コーヒーが数本入ったコンビニ袋を腕に下げ、両手には二つのカップコーヒーをそれぞれ握っている。

「検査入院って言った気がするんだけど?」

「でもよぉ、お前とこうして二人で話す機会ってあれ以来なかったじゃないか」

 あれ以来、というのは学園で起きた事件の後のことだろうと隆一は思い当たった。事実、学校以外で街田と顔を合わせる機会は少なかった。連日、異形との戦いによってプライベートの時間はかなり削られていたためだ。しかし、それは街田に彼女が出来たという理由もあるため、一概にそのせいとは言えない。

「そうだな?」

「まあ、なんだ。さっきも言ったけど心配だったのはマジだ。検査入院って言ってもさ、ほら、その、あの白いかっこいい感じの姿が関係してんのかなあってさ」

「関係してるには……してるけど、そんな気負うようなものでもないから安心しろ」

「そ、そうか。取り敢えず元気なようで何よりだ」

「ああ、それよりさ。コーヒー買ってきてくれたんだよな。飲もうぜ、冷める前に」

 隆一が近くにあった椅子を指差し、街田をそこへ移動するように促す。隆一の口角は上がっていたが、その瞳はどこか愁いを帯びており、室内にややしんみりとした空気が流れている。

「隆一、何かあったのか? 浮かない顔してるぜ」

「それは……その、検査入院で注射しなくちゃいけないから……」

「それは確実に嘘だな」

 街田はきっぱりと言い放った。その眼には確固たる確信が宿っている。

 目を見開いた隆一は観念したのか、くつくつと笑い始めた。

「やっぱ隠せないか……」

「当たり前だろ。何年友達やってると思ってんだ。お前の場合は、目を見れば本当か嘘か簡単に分かるからな。で、何があったんだよ」

「啓怖ぇ……うーん」

 街田の説得を受けてもなお、隆一は一向に渋い態度のままである。

 しかし、街田は諦めなかった。彼が培ってきた本能がそうさせるのだ。

「不安ってのは口にするべきだって、俺はアレ以来学んだぜ。……俺が力になれることは少ないけど、それでも、話を聞くくらいはなんてことないはずだ。俺じゃあお前の力にはなれないか?」

 真っ直ぐな二つの眼光が隆一に浴びせられる。

 隆一はその視線を真正面から受け止めた後、一呼吸おいて、机の上に置かれたカップコーヒーに口を付けた。そして、ぽつぽつと語り始める。

「前に、さ。俺が記憶喪失って言ったことあるよな」

「知り合ってから、ちょっと経った後だから……中学んときか」

「それくらいだな。そう、小五のときに遭った事故以前の記憶が、“俺”にはない」

 閉め切った窓の向こうから、やけに大きい蝉の鳴き声が聞こえてくる。

 隆一の舌の根は渇き、掌からは止めどなく冷たい汗が湧き出てきた。だが、彼は自身の胸の内にある思いを、最早せき止めることは出来なかった。奥底から溢れ出す感情の濁流が口から一気に漏れ出てくる。

「最近、変な夢ばかり見るんだ。それらはどれも見たことない景色でよお……。黒い龍になった“俺”が紫色の空を飛んでいたり、知らない家族と一緒に湖で遊んだり、見たこともない化け物と戦ってたり……。不思議な夢だっていうのにやけに現実を帯びていた。最近は“俺”を別人と同じ存在なんじゃないかっていう奴が現実に現れてさあ。“俺”は一体何なんだろうな」

 無意識の内に隆一の拳には力が籠り、まだ半分ほど残っていた黒い液体が居場所を追われて外へ飛び出した。液体は未だに白い湯気を立て、自分の手に掛かっているというのに、彼は全く意に介していない。その深い闇に包まれた黒い瞳は、不安と自身に対する疑いの念が込められていた。

 街田は言葉を失ったが、竦みはしなかった。肩を震わせている彼の傍に近寄って、こぼれた黒い液体を彼の代わりに布巾で拭き取る。そして、震える肩に手を乗せる。

「少なくともお前は、“俺が知ってる滝上隆一”だ」

「え?」

 下を向いていた隆一の顔が街田へ向けられる。

 太陽の光を背に優しく微笑む街田の表情は、見る者に安らぎと平穏を心に届けてくる。

「男同士で何やっとるんじゃ、むさくるしいわ」

「え?」

 病室に古めかしい口調の女の声が響いた。しかし、ドアの方からではない。二人の男の視線が声の聞こえた窓の方へと向けられる。そこには、窓枠の上で中腰になった青い着物の女の姿があった。

「よっ」

 青い着物の女、【水龍】は音を立てることなく病室に着地する。

 街田と隆一は声を発することも出来ず、彼女の様子をじっと見守っていた。

「えっ誰この人、知り合い?」

「一応……はそうだな。知り合いなのか、うん、知り合い」

「歯切れが悪いのう。そこはもっとハッキリ言わんかハッキリと。それに、単なる知り合いというのも何だか味気ない言い方じゃな。妾と貴様は協力関係にあるということを忘れるでないぞ。【幻相】のヤツがこちらに戻ってくるまでにやっておきたいことが山ほどあるのじゃからな」

 【水龍】が勢いよく捲し立て、場の空気を掌握する。

 二人の男は彼女の圧倒的な存在感に翻弄されるばかりだった。

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