Episode1-3 鋼鉄の鎧
「それでは、強化装甲・TP‐01の動作及びシステムの最終調整に入ります」
スピーカー越しに女性らしい高い声が、吹き抜けになった飾り気のない倉庫内をこだまする。
多くの人間と機械の中心に、大きさ約一.八メートル程の、一つの人型の鉄塊がライトに照らされその体を鈍く輝かせている。
「ではまず、カメラ映像はきちんと映っていますか? ノイズなどは走っていませんか?」
「映っています。ノイズなどは今のところ見受けられません」
鉄塊から発せられた返答は若い女性のものだった。椿姫である。
椿姫の見ているモニターの映像はとてもクリアで、複数の小さな白い四角枠が目の前に映る人々を捉えている。
「次に右手を動かしてください」
自身で動かすときよりも早く右手が反応し、目の前に突き出され、手を握る、開くと交互に続ける。
ヘルメットに内蔵された脳の電気信号を検出する装置から右腕へ指令を送り、椿姫が自分の右手を動かすよりも早く動作させているのだ。
これによって椿姫は考えただけでこの無骨な鉄のドレスを自身の手足以上に動かすことができる。
何らかの不測の事態がない限りではあるが。
その後も最終調整は続いたがすべて滞りなく進んでいった。
「ふう……。冷たっ!」
調整が終わり、黒いインナースーツに全身を包んだ椿姫が椅子に腰かけていると、突然首筋に何か冷たい感覚が走り、驚いた。
振り返るとスポーツ飲料を持った女がにっこりと笑っている。
水崎華峰、二六歳。APCO・実働部・装甲機動隊第一班・オペレーターを務めている。
先ほどまでスピーカーから聞こえていた声の持ち主は彼女である。
温和で茶目っ気が強く、周囲から親しまれている水崎らしいといえばらしいのだろうと、椿姫は短い付き合いながらもそう思った。
「お疲れ様。んしししっ」
よほどツボに入ったのか、笑いを堪えようと努力するものの、水の泡であった。
それに対し、椿姫は冷ややかな視線を送る。
その視線の意味するところに気づき、思わず背筋を伸ばす水崎。
「申し訳ないです……はい」
年下の後輩に敬語で謝る。その姿に年上としての威厳は全くまったく見受けられない。
悪い事をしたと心から思ったようでその顔には反省の色が見られた。
「そこまで気にしなくても……」
椿姫は逆に恐縮してしまう。
「これ、ありがとうございます」
雰囲気を変えるために水崎が差し入れてくれたであろうボトルを受け取る。
「いや、どういたしまして」
二人の空気に平穏が戻る。水崎は椿姫の隣に座ると世間話を振ってきた。
「で、どうだったアレ」
水崎は抜け殻になり、ケーブルが繋がれている鉄の鎧を指さす。
その周囲では複数の整備員がパソコンや工具を用いつつ専門用語を飛ばしあっている。
「アレですか……まあすごいですよね」
椿姫が如何に特殊な家庭に生まれ、特別な稽古を受けていようと、その感性は一般的な女子高生のそれと変わらない。
「まあ、すごいよね」
水崎は業務上アレのスペックを頭に叩き込んでいるが、装着する側から見ればそんなものだろうと思い、深くは聞かずに流す。
「名前……」
「ん?」
「アレの名前ないんですか?」
椿姫はぽつりと素朴な疑問を口にする。椿姫がアレについて知っているのは、なんかすごい技術が使われているという事とその使い方、型番号ぐらいなものであったからだ。
「ないよ。確かにTP‐01じゃ呼びにくいよね……」
「それに全く可愛くないですよね」
それは重要なことなの? ――水崎は内心でそう思ったが、口には出さなかった。先ほどの椿姫の視線を思い出したからである。
「まあ、隊長は何も言わないだろうけど、お偉いさん方に見られても恥ずかしくない名前にしなくちゃね」
APCOは滝上重工よって設立されたが政府も関与する組織である。下手な名前は付けられない。
「勝手に名前とか付けちゃっていいんですか?」
「いいんじゃない?」
そこは適当でいいの? ――椿姫は内心でそう思ったが、口には出さない。
いくら砕けた喋りをしていても、れっきとした先輩だからである。同時に彼女の発言には信憑性があると信じているためでもあった。
「この子の名前は……」
その先は言えなかった。召集のサイレンが鳴ったからである。水崎は既に倉庫内に設置されたコンソールの前で待機していた。
椿姫は自身の定位置がないため、椅子に座ったままだが、その背筋をピンと伸ばしている。
「皆そろっているようだな」
地獄の閻魔のような低い声とともにドックに入る荒城。そこに普段の温和な気質の片鱗はない。
倉庫にいる者を一瞥しながら、水崎のいるコンソールへとまっすぐに進んでいいき、手に持っていたタブレット端末を渡した。
程なくしてプロジェクターから壁に複数の変死体の写真が投影される。それを確認した荒城が話し始めた。
「では任務内容に入る前に、概要を話しておく」
明かりが消え、静寂とともに全員の視線が荒城と写真に集まる。
「皆の中にも知っているものがいるだろうが四か月前から増え始めた変死体。これらにはある共通点があった。これだ」
画面が切り替わり、青い目を持つ猫が描かれた注射器が映し出される。
「ブルーアイ。巷ではそう呼ばれている。うちの研究班でも調べているそうだが、未だに製造方法も、何で作られているのかも分かっていない。だが、これを見てくれ」
映像が映し出される。白い壁に様々な実験道具や観測機器、研究班の研究室だろう。
三人ほどの研究員のうちの一人がモルモットに注射器を打ち、ガラスケースの中に入れると映像が早送りになった。
三十分ほど経ち、ある変化が起き始める。体は二〇センチを裕に超え、爪は禍々しく鋭く伸びる。
そして体をガラスの壁に叩きつけ始めた。叩きつける度にその体は歪な甲羅で覆われ、叩く音も肉から石に近いものへ変わっていく。
もはやモルモットと呼べる姿ではない。いや、この世のモノとはかけ離れている
研究員は危険を感じたのか実働部の隊員を呼び、万全を期した状態で観測を続ける。しかしそれは杞憂で終わる。
モルモットは痙攣を始め、苦しそうにのたうち回る。
そして絶命した。
一連の事象を見た隊員の反応は様々だった。顔を背ける者、吐きそうな顔をする者、興味深そうに見る者、全く動じない者。
「このように、この物質は生物の体に特異な変化をもたらす効果が発見された」
そう言うと画面は複数のモルモットの写真へと変わる。
爪が体より長く伸びた個体やハリネズミのように変化した個体、触手が口から生え絶命しているもの、頭が幾つにも枝分かれしたもの、目が頭蓋より大きくなり絶命しているもの、蛹のように殻を作るもの、紫色の液体を身体中から噴き出しているもの、炭になっているものetc……。
似た症状が起きている者はいたが、いずれも全く同じ変化をした個体は一つとしてなかった。
「この後も実験は続けられたが、その姿は千差万別。いずれもこの世の理から外れているものばかりだ。そしてこれを」
再び映像に切り替わった。だが、今回のものはかなり画質が違う。 恐らく携帯によって撮られたものだろう。
場所はどこかの廃工場、その中に怪しい光を放つ角を持ったナニカがしきりに動いている。
大きさは先ほどまでのモルモットたちとは比べ物にならないほど大きい。
「数時間前に動画サイトにアップされたものだ。現場はすぐさま封鎖し、捜索に当たったがこの生物の姿は既になく、死骸も見つかっていないことから生きているという方向で捜索が現在まで続いている」
あのような化け物が街に解き放たれているという事実に一同は絶句する。
「ネット上では以前から幻獣に気付いている者もいたが、シーカーと呼ばれるUMAの一種として、実際には存在しない架空のものとして考えられていた。だが、今回この動画がアップされたことにより、その存在が広く一般に周知されてしまった。かつ、この個体はブルーアイを使用したものであると考えている」
全員の中の緊張がさらに高まる。
「そして今回、かねてより薬の出所を探っていた別の捜査班が、本日取引が行われるという情報を掴んだ」
任務内容の話に移ると、一同の顔つきが仕事時のそれへと切り替わる。
「普通ならば捜査班の管轄だが、先ほど見てもらったように、この化け物に遭遇することを上層部は危惧している。よって、今回は万全を期すために捜査班と合同で任務に当たることになった。指揮は私が取ることに決まっている」
椿姫は自身がこのために呼び出されたのだと思った。一同に伝えられたことは突然だったが、上層部の方ではいずれ必要になると分かっていた。
そして、捜査班が情報を掴んだため緊急で調整を行ったのだと。そう考えた。
「取引場所は滝中町三丁目にある山西鉄工所、現在は廃工場。時刻は午後九時に行われるらしい。今回は謎の物質の売人の検挙及び流通経路を押さえる、またとないチャンスだ」
椿姫は自身の腕時計に目を配る。現在の時刻は十六時過ぎ、取引現場からはあまり離れていないが、こちらの準備時間などを考えれば、捜査班と綿密な打ち合わせをする時間は取ることは難しいだろう。
「装甲機動隊にとって初めての実戦になる。皆気を引き締めて事に当たろう。以上だ。では作業に移れ」
そういうと全員各々のやるべきことをするために自身の持ち場へと戻る。装一班は整備員の数は多いが、逆に戦闘員はとても少ない。
特に、パワードスーツを着て戦うものは未だに椿姫しかいない。量産体制が確立されていないということと、莫大なコストが掛かり僅かな予備パーツを除くと試作品の一機しか造られていないという理由があるのだが。
「滝上」
「はい!」
勢いよく椅子から立ち上がり、気合の入った返事をする。勢いが付きすぎて椅子が倒れてしまうほどに。
荒城はそんなことを気にも留めず、こちらへ来いとでも言うように手招きをする。
「君は今回の任務の要だ。時間はあまりないが、捜査班と打ち合わせをするから来てくれ」
「分かりました!」
椿姫は荒城の後を追ってドックを出る。その表情には緊張と期待が入り混じっていた。
午後四時二三分、運命は確実に動き出している。