Episode1-2 心からの善意
「ふう……」
教室に自身の鞄を置き一息つく。
昇降口から教室までの間もクロエと談笑をしていた隆一は、自分への嫉妬や羨望の混じった視線を冷や汗をかきながらも一身に受け止め続けていたためであった。
教室を見渡すと、クロエはクラスのグループと楽しそうに話しているようだった。
時折女子たちがこちらに視線を向け、嬌声をあげているのを見る限りでは、今度のデートの話をしているのではないかと隆一は考えた。
「よっ滝上! おはようさん」
後ろから声が掛かり、振り返るとにやけた顔をした、愛想のよい短髪の男がこちらへ軽く手を振っている。
木島勇斗、隆一とは同じクラスでよく遊ぶ間柄である。
自身があり、誰にでも憶することなく接することができるため、人を仕切るタイプではないが友人たちの間では頼れる存在として認識されている。
今回、クロエとの仲を進められたのも彼を始めとした友人たちの後押しがあったためである。
「おはよう、木島」
「で、どうだった?」
木島は肩を組むと、ひそひそと周りに聞こえないような声で喋りかけてきた。クロエとの事を聞いてきているのだろう。
「デートすることに……なりました!」
思わず敬語を使う隆一。木島はそれを聞いて心から嬉しそうな顔をする。
「良かったなぁ! いやぁ俺もうそのことで頭がいっぱいで眠れなかったんだ。それ聞けて安心したって実感してるぅ」
「大袈裟だなあ……でも、ありがとうな。お前が居なかったらこんな風に……」
礼を言おうとする前に人差し指を顔の前で左右に揺らされ話を遮られる。
「それは、最後までとっとけ」
そう言って満面の笑みを浮かべる。
「木島……」
思わず涙が出そうになるほど心に響いたのか、二人はお互いの顔を見つめあう。
「で、お前に言いたいことがあるんだけど」
「ん? どうした」
木島は表情を先ほどまでとは一変させ、話題を変えた。
「例外はあるが、デートにはお金が付き物だよな?」
「……そうだな」
木島の話を隆一は神妙な顔をして、相槌を打ちつつ静聴する。
「お前確かこの前バイト代使い果たしたとか言ってなかったか?」
「……あっ」
隆一は鳩が豆鉄砲を食ったような顔になり、頭を抱え始めた。
先月に貯まったバイト代で最新機種のゲームを買ったことを思い出したためである。
「どうしよう……」
この世の終わりのような表情で木島の肩を掴む。
「ふっふっふ。まあまあ落ち着き給えよ隆一君」
そう言って、芝居がかった声で待ってましたと言わんばかりな誇らしげな顔をする。
「これを見給え」
手に持っているスマートフォンを某時代劇の印籠に見立て、画面をこちらに向けてきた。
「うん?」
期待と不安の混じった表情でそれを見る。
そこには、五月二十三日、滝中町三丁目、山西鉄工所、午後九時、時間厳守と書かれたメールが映し出されていた。
「なにこれ?」
隆一はさっぱりわからないという顔をする。
「いやーこの前、配達のバイトに勧誘されたって言ったろ?」
「おう」
全く心当たりはなかったが、話の腰を折らないように頷いた。
「本当は俺が行く予定だったんだけどな? 俺の彼女がどーーーーうしても行きたい場所があるって言ってさ? 彼氏としてはそういうの叶えたいじゃん? つーか俺も内心楽しみだし? もう俺たちラブラブな真っ只中な仲だからさ? でも仕事とかぁお金って大事じゃん? それにもう引き受けちゃったわけだしさ? でもさ彼女の方が大事じゃん?」
「つまりはアレか? 俺に金がないのはお前にとって渡りに船だったってことだな?」
「そういうことぉ~」
指を鳴らして隆一に指を指す木島。
――むかつく。内心ではそう思いつつも隆一は顔に出さず話を続ける。
「勿論、金は全部やるからさぁ〜」
随分と気前のいい話だ。――隆一は木島に何か裏があるのではないかと勘繰る。
だが、バイト代の前借を普段のバイト先に願うのは申し訳ないという考えや、自分の恋路を助けてくれた友人の助けになりたいという思い、そして何よりもクロエと楽しいデートをしたいという願いが、隆一の心を揺さぶる。
「分かった、背に腹は代えられないからな。それに恩を返したいしさ」
「悪いな隆一、面倒なことを押し付けてさ」
木島は急に悟りを開いたかのような顔つきになる。
(まるで別人みたいだなぁ……)
「あとでその写真送ってくれよな」
「了解。あ、あとコレ先に渡しとく」
木島は隆一に何かを投げつける。手を確認すると四四という数字が書かれたキーホルダーが付いた鍵があった。
「何だこれ?」
「ああ、川元駅近くのレンタルロッカーの鍵。そこにいつも金と荷物が入ってんだ」
それホントに安全な仕事か?――疑念の言葉は間の悪い始業のチャイムによってかき消された。
教室の自席から窓を覗くと、校門から校舎へ急いで駆けこんでいる生徒が見え、先生から伝えられた、妹が体調だという言葉が頭をよぎる。
(椿姫のヤツ大丈夫かなぁ……。今朝は体調良さそうに見えたのにな)
隆一は朝のホームルームが始まっていることにも気づかず、春の日差しで目を細めながらも窓越しに空を見つめ続けるのだった。
春の柔らかな日差しと青空の下、制服の上に、藍色のスタッフジャンパーを羽織った椿姫が緊張した面持ちで、高さ七〇メートルの高層建築物の門の前に立っていた。
門に嵌められた表札には、滝上重化学工業本社ビルと彫られている。
椿姫はその敷地内それも関係者以外は進入を固く禁じられ、登録された者でなければ例外を除いて立ち入ることの出来ない場所に用事があった。
「はあ……」
椿姫は、思わずため息を吐いてしまう。それにはある理由があった。
魔狩師は昔と違い、それを生業とする者はとても少なくなった。そこで、滝上家は莫大な資産と政府からの援助金によりある組織を創った。
それが、
超常生命体対策組織・APCO――Anti Paranomal Creature Organization――である。
そこに所属している正しい意味での魔狩師は父の隆源と椿姫のみであり、それ以外は滝上家の分家の者や元従軍経験者、元警察官、政府から派遣された者たちによって、構成されている。
そして、足りなくなった魔狩師を質でカバーするべく開発されたのが、タブレットに載っていた藍色のパワードスーツである。
それを用いて幻獣と戦いを行うことを目的とし新設されたのが、椿姫が配属されることになった実働部・装甲機動隊第一班である。
この装甲機動隊第一班、略して装一が椿姫のため息の原因であった。
本来であれば、高校生である椿姫が装一ましてやAPCOに所属することなど、たとえ滝上家の後継者でもあってはならないことなのだが、
最近頻発している幻獣の出現により、急遽修行中の身である椿姫が抜擢されることになったのである。
「滝上? どうしたんだこんなとこで」
スーツの上に椿姫と同じ藍色の上着を着た、四〇代半ばほどの線の太い、頭頂部が少し寂しくなった男が、カップコーヒー片手に椿姫の横に並んで話しかけてくる。
「荒城さん……おはようございます」
「おはようさん。なんだ元気なさそうな顔してるな?」
荒城と呼ばれて男は気さくな笑顔を浮かべながら疑問を口にする。
「そうですか?」
「まあ、新しいことを始めようってときは大体そんな風にもなる」
椿姫は図星を刺され、わずかに固まる。
「人員が足りていればこんなに早く君を戦場に出すことはなかったろうに……すまない」
「荒城さん、ありがとうございます。でも私大丈夫ですから、これが私の運命なんだって、分かってますから」
でもなと言い、荒城は一旦コーヒーに口をつける。
「あまり気負いすぎるな。如何に滝上家のご令嬢といえど、君はまだ若い、そして未来がある。何かあったら誰でもいいから相談すると言い、君より長く色々な経験をしてきた者ばかりだ。きっと君の力になるだろう」
そう言う荒城はどこか遠くを見つめるように、コーヒーに口をつける。
二人の間にわずかな沈黙が生まれるが、不思議と悪いとは思えない静けさだった。
「おっともうこんな時間だ。そろそろドックに行こう、流石に隊の指揮官が遅刻するわけにはいかないからな」
時計を見て移動を促す荒城。
椿姫も自身の腕時計に目をやると、指定されていた時刻の九時まであとわずかだった。
二人は急いで目的の建物へ駆けて行く。椿姫の表情には先ほどまでの曇りはなくどこか晴れやかだった。
「なあなあ隆一! これ見ろよ!」
昼休みになり、自席で欠伸をしながら伸びをしていると後ろから木島が自身のスマホをこちらに見せてくる。
その表情には興味の対象を共有したいという色に満ちていた。
隆一はまたかと思うものの、そのコレとやらが気になるのも事実のため、液晶に視線を落とす。
そこには人ほどの、いや、それよりも大きい、光る角を生やしたナニカが廃工場で動き回っている様子が映し出されている。
「これ、前からよく噂になってる……あれ、えっと、なんだっけ?」
「シーカーな」
シーカー――Seeker――探求者。
五か月ほど前から騒がれ始めた、ブルーアイと同じようにこの街を賑わせているもう一つの噂。
街に現れる異形の存在、誰が初めにそう呼んだのかは定かではないが、若いものやネットではそう定着している。
最近頻発している変死事件や惨殺事件が報道されたときには、シーカーが行ったものなのだと口を揃えて熱弁する者もいる。
木島もその一人だ。
「これ今までの中でもかなり鮮明に撮れてるな」
「だろぉ! いやぁ俺もさっき見たときは興奮しちゃってさ!」
「あれかなり目立ってたぞ」
先ほどの英語の授業中、驚きの声を上げた木島は全身に視線の針を浴びていたことに全く気付いていなかったようだが、こんな映像を見れば噂好きの木島が驚くのも無理はないと納得する隆一。
「この動画があげられた途端、もうあちこちの掲示板で持ち切りだぜ」
木島はその一つを見せてくる。その内容には個人の妄想が多分に含まれていたが、一部を除き、この動画は本物であるという方向性で話が進んでいるようだった。
「ってここ見ろよ。ここの窓に映ってるヤツ」
動画を止め、寂れた工場の窓を指す。よく見てみると隆一は見覚えのあるピンク色の看板に気づいた。
「確かここ滝中町にあるケーキ屋だったような……」
隆一の母、美冬が自慢げにこの店のケーキをお土産として買ってきていたのを思いだす。
そこのシュークリームが中のクリームの程よい甘さと、固い生地に降りかかった粉砂糖が何とも言えない絶妙な美味しさを生み出していたことを思い出す。
「そんなことはどうでもいいからさ。それにしても滝中町か……」
隆一は思わず食レポを口にしていたことに気づいていなかったらしい。頬にとどまらず耳まで少々赤くなっている。
対して木島は神妙な面持ちで考え事ごとをしているのか、右手で顎を軽く撫でている。
「滝中町……滝中町?」
隆一は滝中町という言葉に気づく、今日のアルバイト先も滝中町だったはずだ。
「そう滝中町だ。バイトどうする? まあ俺が言うのもアレだけどやめることを勧めるぜ」
自身に言える資格がないことを自覚しつつ、木島は友人の身を案じているようだ。
だが、それに対する返事は普段の隆一を知っている者としては意外なものだった。
「いや、行くよ。金欲しいしさ」
「えぇ、マジか」
木島は、自身が蒔いた種であることに罪悪感を覚えるものの、深く止めはしなかった。
都合の良い考え方だと自認したが、友人の意見を尊重すべきだと考えたからだ。
「まあ、そこまで言うなら止めないけど、なんかあったら言えよな」
「ありがとな」
感謝すら述べる隆一に木島はさらに罪悪感を募らせ、呟く。
「お前もっとこう……俺に恨み言とかないのか? こんなこと押し付けやがって! とかさ」
「ん? 全然?」
こういう奴だったな――木島は滝上隆一という男を思い出す。
普段は頼りないように見えるくせに、人が困っていたら真っ先に助けになる男で、普段は優柔不断なくせに、ここぞという時は自身の内にある芯を見せてくる。超ボンボンのくせに親しみやすく、本気で人を恨んでいるところなんて見たことがない、そんな奴。
「お前って奴はよう……」
「なんだよ」
「いや、何でも?」
じろりと自分を睨みつける隆一を見て、木島はくすりと微笑んだ。
こいつにはいつまでも、こいつでいて欲しいな。――男は静かにそう願う。