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Another Face 〜バイトしてたら人間やめることになりました〜  作者: 蔵井海洋
第五章 欲望の檻/夢の向こう側
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Episode5-5 少女の非日常/青年の日常

 午後四時五三分。放課後。滝山学園にて。

 夕陽に照らされる風景が下校していく生徒や教室で駄弁る生徒たちの会話で彩られる。


 そんな中、一人の女子生徒が周囲の気配に気を配りながら、校舎裏の人気のない屋上へと向かって階段を上っていく。ひっそりとした小さな足音でさえ反響して、幾重にも木霊する。


 そして、その足音の主を音もなく追跡する、一人の影があった。……窓の外に。


「……兄さん……何してるんです?」


 がらりと、窓を開き椿姫が窓枠に器用にぶら下がっている人影に向かって話し掛けた。


 椿姫の表情筋は口角を無理やり上げて作られた苦笑いによって、悲鳴を上げている。


「…………」


 対して、外壁に張り付く謎の人影、いや、隆一の顔は無表情で、まるで自身は存在していないとでも言っているようであった。


「……いや、気づいてますから。……あの、何しでかそうとしているのか知りませんけど。友達から最近、物凄く同情するような視線を向けられるので、ほどほどにしてほしいですね。……それでは私は用事があるので帰ります。……何かあったらメッセ送ってくださいね」


 何処にでもいる一人の女子高生としての切実な思いであった。そして、海よりも広く深い包容力のある視線を隆一に向けると、その場からそそくさと離れていった。……あまり長時間接していたくないという感情があったことは言うまでもない。


 妹から憐みの視線を向けられ、水が滴ったような気がする隆一であった。


「いやいや」


 首を左右に振り思考を振り払い、腕の力だけで一層上の階の窓枠へと飛び上がる。音もなく、悠々と上の窓枠を掴み、隆一は中の様子を確認する。


 幸い、件の女子生徒、峰山恵水が気付く様子はなく、ほっと胸を撫で下ろした。


 それにしても、峰山は一体屋上へ何をしに行くというのだろうか――――

 ついに峰山が屋上の扉へと手を掛けた。ゆっくりと後ろを確認し、そして屋上へと上がった。


 しっかりと扉が閉まったことを確認した隆一は、端に寄り先程までよりも入念に音を立てないように注意して、屋上の扉を囲う壁の死角へと飛び上がる。続けざまにゆっくりと顔を出し、屋上の様子を窺う。


 誰も近くにいないことを確認すると、音すら立てず、屋上に設置された貯水タンクの裏の陰に飛び上がり隠れる。近づいていくと、死角によって峰山が何者かと話している声が聞こえてきた。





「峰山、誰にもばれてないよな?」

「……はい」


 夕陽に照らされ、梅雨の湿った空気が流れる屋上で。


 ちらちらと周りを確認しながら、“彼”はそう言いました。普段の温和な雰囲気はどこかへ消え、怪しく下卑た視線をこちらを向けながら。


 もう何度も似たようなものを経験してきたことですが、私の背筋は凍り付きました。


「正直言って、初め、あいつからお前を紹介されたときはどうなることかと思ったが、まあ用心深くてなによりだよ」

「……はあ、そうですか」


 “彼”は柔和な笑顔を浮かべました。でも、それはどこか陰りがあって、白々しい、そんな言葉が似合う笑顔です。


「これでどうかお願いします」


 私は内ポケットから集めた札束、計五枚を“彼”に渡しました。

 “彼”は機嫌が更に良くなり、私からゆっくりとした動作で束を受け取りました。


「ふんふん……」


 慣れた手つきで鼻歌交じりに束を数え始めました。


「よし、いいだろう」


 全部数え終わった“彼”がこちらへどこか仄暗さを感じさせる笑みを向けてきました。それは“彼”の顔の半分が夕陽に照らされ、もう半分が影になっているせいかもしれません。


「じゃあ、約束通りこれを」

「あ、ありがとう、ございます」

「だが、これからはもっと気を引き締めておけよ」


 “彼”が自分の懐に手を入れながら、そう言います。その言葉に薄っすらと冷たい棘が含まれていた、そんな気がしました。

 首筋から薄っすらと汗が垂れてくる感触が、私に不快感を与えます。


「最近、俺たちを嗅ぎまわってる組織があるのを知っているか?」

「え、APCO……でしたっけ」


「ああ、そうだ。奴らのせいで、この前同業が潰された。まあ、俺たちとしては、他が潰れてくれることで売り上げが伸びるのも悪くないが、色々と面倒なことの方が多いからな、特に捕まるなんてことにはなったら最悪だ。お前もそう思うだろう?」

「……そう、ですね」


 “彼”の言葉に私はぎこちないながらも同意を示しました。

 下から聞こえてくる歓声と静寂に満ちたこの場所が、まるで見えない膜で隔てられているように感じられます。


「あんまり話を長くするのも、いけないな。俺も歳ってやつか、まだまだ現役だと思ってたんだけどなあ。ああ、すまない。あんまり長い事学校に留まらずさっさと帰らなくちゃなあ? じゃあ約束のものだ。無くすんじゃないぞお?」

「……はい」


 “彼”はまるで世間話でもするかのように、私に可愛いキャラクターが描かれたピンク色の化粧ポーチを渡してきました。


 私はポーチのファスナーを開き、中身を確認しました。中は私の想像通りのモノがしっかりと入っています。


 私には、そのポーチが妙にずしりと重く感じられました。


「よし、俺が先に出るから、お前はちょっと経ってから帰れ。寄り道するんじゃないぞ。じゃあな」


 そう言って“彼”は屋上の扉を開き、階段を下っていきました。開け放たれた扉が自力で戻り、大きな音を立てて締まり、静まり返ったこの空間ではそれが痛いほどに響きます。


 私は一人、フェンスに近づいて夕焼けと夜の闇が入り混じった空を見上げ、考えました。


 何故こんなことになってしまったのか、と。

 しかし、私はすぐに考えることを止め、誰もいない、虚空目掛けて言葉を投げかけます。


「……はい。分かりました…………豪山先生」


 そう呟いた瞬間、私の背後で足音が聞こえ、振り返るとそこには。





「滝上……君?」


 この静かな屋上では彼女のか細い声でも、容易に聞き取ることが出来る。


 峰山の表情は作り笑いすら作れないほどに強張っている。それは、自分のせいであることを隆一は自覚していた。しかし、それでも尚、彼は言葉を紡ごうと口を開く。


「峰山、一体……何が目的でこんなことをやっているんだ。お前、啓がどんな思いで過ごしてきたのか、何をしようとしてきたのか…………」


 とめどなく溢れてくる思いや考えを、浮かんできたものから口にしていく。


 それは何かを諦めたような声色であり、それを話す青年の顔は悲しみに濡れていた。頬を伝い雫が次々と屋上に敷き詰められた灰色のタイルへと落ちていく。


「と、唐突に、な、何の話をしてるんだか……私、分かりません」


 少女は口を震わせ、額から玉のような汗を大量に流しながらも、必死に声を発し平然を装おうとする。震えた声は隆一に届くことはなく、空へ虚しく吸い込まれていった。


 しかし、少女のささやかな否定の甲斐なく、それが青年に通用することはなかった。


「お前も……豪山先生も……」


 隆一の瞳はまっすぐ峰山を捉えている。お前の考えていること、していることを、全て見通していると言わんばかりに。


 峰山の眼には、茜色の空を映した隆一の黒い瞳が赤く光っているように見えた。


「なんで……なんで、“ブルーアイ”なんか」

「っ!」


 少女は懐にあるポーチを自らに身体に密着させるように引き寄せた。


「峰山、今日の朝どこに居た? 俺が言おう城川公園だ! お前はそこで! “ブルーアイ”を売っていた! 若しくは、売った相手を観察していたんだ! 陰からこそこそと! 人間が化け物になる様をな! 俺は初め、啓とお前はお似合いだと思っていたよ! 結ばれて欲しいと願っていた! でもそれは間違いだった! お前が何を考えてそうしたのかは知らないが! お前を裏切ったと言っても過言じゃないことをしている!」


「えっ? いやいやいや! なんか勘違いしてますって! 本当に! そそそれに、あ、ああ朝は私ほら学校あるじゃないですか! そ、それに私、街田くんを裏切ってなんか」


 青年と少女が体面を憚ることなく、まるで獣のように、子どものように、お互いへ感情を発露させ、支離滅裂にぶつけ合う。言葉を吐くたびに飛沫が飛んだ。しかし、それをどちらとも気にした様子はない。しかし、この時の二人に何よりも足りないのは、お互いの話を聞こうとする姿勢である。


「それは嘘だ! 啓は峰山が一限の最後辺りに来たと言っていた! それに! お前は左袖のボタンをあの場所に落としてたんだよ!」

「あっ」


 隆一が懐の中からビニールパックに入った一つのボタンを取り出した。

 少女は自身の左腕を首元に寄せ、有無を確認する。そこには、二つ無ければならないはずのボタンが一つ欠けていた。


「とぼけても無駄だ! さっきの豪山先生との話も映像を取っているんだ! 言い逃れは出来ない! APCOだけじゃない……啓に見せることだって、」

「すいません! 朝、学校にいなかった時は認めます! で、でも……」


 怯えながらも、涙を浮かべ、峰山は隆一の言葉を否定する。


 そして、そんな様子を目の当たりにした隆一は、はっと我に返り、落ち着きを取り戻した。同時に、悪戯をして説教をされている子どものように、ばつが悪いといった表情を浮かべ、首筋に手を当てる。隆一も一人の男。女の涙には弱かった。


「ごめん……ちょっとかっとなった……」


 隆一が峰山に向けて、しょんぼりとした様子で弱弱しい謝罪の言葉を贈った。


 血が上っていない冷静な状態の頭で考えれば、ポーチの中身を確認してからでないと峰山が“ブルーアイ”を売っているかどうか、決めつけるのは尚早である。話し方もスマートとは決して言えない粗暴なものだ。……普段がそうであるわけでもないが。ともかく、隆一は己の取った行動を恥じた。


 深く息を吸い、吐く。呼吸、そして思考を整えた隆一が峰山に話しかける。


「なあ、何でそんなことをしていたのか、教えてくれないか。……正直、俺はまだ峰山の行動について納得なんてこれっぽちも出来てないけど、啓が悲しむ顔を見たくないから、峰山が啓を想っているっていうなら、“ブルーアイ”を売るのをやめてほしい。話してくれたら、俺は峰山の力になれる。………………啓はまだお前のことが好きなんだよ。それにとっても心配してる。だから……頼むよ……俺ちょっと色々あって、多分その……“ブルーアイ”関連には力になれると思うからさ」


 届いただろうか――――今言える最大限の思いが峰山に伝われば良いのだが、隆一は何故峰山が“ブルーアイ”を売ることになった経緯を知らない。もしも、他人には話せない理由で“ブルーアイ”を売っていたとしたら、手を貸してほしくなかったとしたら、その時は。


 隆一が一人勝手に最悪の手段を考えた時、止まっていた場の空気が動き出す。


「いやいや! ですから! 話を聞いてくださいよ。本当に勘違いしてますよ! 私“ブルーアイ”を売ってないんですってば!」

「え?」


「すいません。“ブルーアイ”を持っているのは本当なんです。それに、朝あの公園にいたことも本当です。で、でも取り敢えず、一旦頭の中の考えを整理してください! お話しますから! ……あんまり話したくないですけど」



 それはありふれた悲しい悲劇。

 しかし、青年の想像していた真相とは少し違うようだ。

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