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Another Face 〜バイトしてたら人間やめることになりました〜  作者: 蔵井海洋
第五章 欲望の檻/夢の向こう側
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Episode5 尋常の日

 朝陽差し込み、爽やかな風が吹きながらもどこか湿気た空気のある梅雨の朝。

 滝山市を流れる川の一つの土手の下、魔人はかなり勝利を急いだ様子で、異形と対峙していた。


 異形は蛇と非常に酷似した肉体から二本の腕を生やしており、その深緑色の鱗を朝陽で怪しく輝かせながら蜷局を巻き、いつでも噛みつける体勢を示しながら目の前の白い魔人を威嚇する。


「……!!」

「――――」


 これで戦いを終わらせると言わんばかりに、魔人は左腕に力を籠め、雷の刃を形成する準備を行う。左眼から放つ紅い輝きを以って周囲の景色を彩った。


 そもそも、何故魔人は焦っているのか。

 それは、この日、この場所、この時間に問題があった。


 今日は祝日でもない普通の平日、その上、朝それも登校や出勤時刻である。

 隆一が珍しく早起きして妹である椿姫と登校している最中、川の土手で大蛇の姿を見つけてしまったことが、現在起こっていることの発端に当たる。幸い大蛇による被害者は一人のみで、打撲とショックによる気絶程度で済んでいる。今は椿姫に離れた所へ運ばれて救急車の到着を待っていることだろう。


 しかし、このままでは多くの衆目にこの光景が晒されてしまう。最悪の場合被害が拡大する恐れがある。何としてもそれを阻止するべく魔人は勝利を急いでいるのである。


 とはいえ、油断は禁物。それは魔人もこれまでの戦いで学んできたことである。


 青い稲妻を全身に奔らせる魔人へ強い警戒を持ち、逃げ出そうとさえ考えた異形であったが、魔人の瞳がそれを決して許さない。まるで蛇に睨まれた蛙のようであった。いや、蛇は異形自身なのだが。


「――――」

「……」


 ゆっくりと、しかし確実に距離を詰めてくる魔人へ鬼のような形相で威嚇をするが、全く効いている様子はない。

 魔人と大蛇の距離が一息で詰められる間隔になった時、


「……!」


 魔人が勢いよく前に飛び、一気に大蛇と息が触れ合う距離まで詰め、大蛇の左腕を掴む。そして、あらん限りの声なき叫びを上げ、轟く稲妻の刃を発現させる。


 大蛇は必死にもがくが、魔人の尖った爪先が自身の手に食い込み、逃げることは叶わない。


 咆哮を上げながら、太陽にも負けない眩い光を瞬かせる、青き灼熱の刀身は大蛇の躰を焼焦がしながら裁断していき、もがいていた大綱のような肉体はその動きを鈍らせていき、やがて動かなくなった。


「もう終わったのか」


 魔人の後方、川の土手から中年の男の声が聞こえてくる。


「…………」


 魔人は振り返り、声の主、荒城を真っ直ぐに見据えて頷いた。

 見る者を威圧する風貌の異形を前にしても荒城は身じろぎもせず、部下に命令を送り、自身もまた土手の下、魔人の所へと降りていく。


「そうか、後はこちらで処理をしておく。あのバンが止めてあるから乗りなさい。“着替える”のはそれからだ。そのまま走らせて君と椿姫くんをいい感じのところで降ろす」

「……」


 魔人は頷くとバンにのそのそと歩いていく。そこに先ほどまでの機敏な動きは欠片もない。


 程なくして、バンは走り出し、その場には紺色のスタッフジャンパーを身に纏ったAPCO職員、九名が土手の下で各々が自身の作業に徹し始める。


 そこで、荒城は全体の動きを見ながら指示を出し、ぽつりと呟いた。


「昨夜の蜘蛛のシーカーに続き、またこの近辺で……これでもう五件目か……一体どうなっている」





 一方、APCO社用車にて。

 隆一と椿姫はバンの内側に沿って取り付けられた左右のベンチに向かい合うように座っていた。乗り心地はまずますと言った所である。


 隆一はどこか苛立たし気にそっぽを向き、対する椿姫はどこか達観したように無表情で携帯を手鏡代わりにして自身の髪や肌を確認している。


「ああもう! ギリギリじゃないか! 折角今日は早起きしたっていうのに、あーあ昨日の蜘蛛野郎といい、今日の蛇といい、朝から最悪な気分だ」

「兄さん、色々言っても仕方ないじゃないですか。お陰でさっきの人は一応今の所は助かったんですから」

「ま! そりゃそうか!」


 隆一はすぐにあっけらかんとして、バッグに入っていた菓子パンを取り出し、幸せそうな笑顔で食べ始める。が、すぐにその表情が固まった。

 不思議と、味が感じられなかった。


「兄さん、気にしても仕方ないですよ。ああするしかなかったんですから……相手の命について考えることは兄さんの優しさであり、美徳なのかもしれません」


 兄がすぐに浮かない顔になっていることに気づいたのか、鏡を見ることを止め、兄の瞳を真っ直ぐに見つめながら、諭すように、愁うように、そう言った。そして、


「ですが、気にしていたら、きっと兄さんは……兄さんはいつか死んでしまいます。ですから、考えることはやめるか、少なくとも戦闘の前や戦闘中には止めるべきだと思います。もしくは一度カウンセリングを受けることをお勧めします。幸い、APCOには常駐するカウンセラーもいますから」


 痛いほど椿姫の思いやりが隆一の胸を打った。そして自身の不甲斐なさも痛烈に感じる。 柳沼は考えろと言った。そして、自分もその言い分に納得もした。しかし、今では妹に心配を掛け、あまつさえ助言すら貰う。いくら出来た妹とはいえ、これでは立つ瀬がない。――――隆一は自身を恥じる。そして、同時にこうして助言してくれる存在がいるということに感謝した。


 だが、こうして考えることを止める気はないという気もあった。それは、友人の死に対して向き合うためであった。

 だから、


「ありがとう、椿姫。でも大丈夫だ、俺は死なない……お前を残して死んだりしない。だって俺はお前のヒーロー……らしいからな」


 最後は少し照れが入り、そっぽを向いてしまう隆一。

 そんな兄の姿を見て椿姫は噴き出し、続いて、笑い声をあげる。


「に兄さん、最近は特に恥ずかしいことたくさん言うようになりましたね。ふふっ」

「う、うるせえなぁ……カッコくらい付けさせてくれよなあ……まあ、いいか。ほんとありがとうな」

「どういたしまして」


 にこやかな雰囲気が車内に訪れた。

 丁度その時、車が停車し運転手がこちらに話しかけてくる。


「お二人さん。今回はここで降りてくれ」

「はい! ありがとうございました!」

「ありがとうございました」


 二人は礼をするとバックドアから降りていった。


「あんな子どもが前線張って戦うってんだから……俺たち情けねえったらありゃしねえ」

「まあ、そうね……」


 運転手と助手席に座っていた男女はそっと呟き、ゆっくりと車を走らせ始めた。





 時刻は午前八時五分。

 学校前に降ろされた訳ではなかったが、始業のホームルームにはギリギリ間に合う距離であった。隆一と椿姫はさほど急がずに歩き、程なくして校門前にたどり着いた。


「おはよう!」


 校門前でジャージ服を着た教員、豪山が二人に向かって大声で挨拶をしてくる。今時、珍しい絵に描いたような熱血教師だが、同時に爽やかな雰囲気も持ち合わせていて、隆一にとっても恩師と言えるような存在である。


「おはようございます!」

「……おはようございます」

「おっ滝上! 今日は妹と登校か、仲がいいな。お前はともかく珍しく妹の方もギリギリかあ? あと隈があるなあ、ちゃんと寝るんだぞ! まあ、怪我も病気もしていないようで何よりだ。今日も一日頑張れよ」

「はい! それじゃ失礼します!」


 隆一は元気な声で、対して椿姫は軽く会釈をして、昇降口へと歩いて行った。

 そして、昇降口までの僅かな道のりで二人は会話始める。


「椿姫、お前にしては最後のアレなんだよ」

「私あの先生の事ちょっと苦手なんですよね。なんか違和感があるっていうか」

「まあ、珍しいって思っただけだよ。誰でも相性が悪い人っているもんだしな」

「それに……」

「それに?」

「いえ、何でもないです。それじゃ」

「おう……?」


 まあ、いいか――――隆一は椿姫が言い淀んだ言葉の続きが気になったものの、校舎に取り付けられた時計を見て、慌てて自分の下駄箱へと走っていった。





「……はあ……」


 ホームルームが終わり、隆一は自身の机に突っ伏してため息を吐いていた。


「どうしたんだよ。お前らしくもない」

「……街田かあ……」

「どうしたお前、本格的に元気ねえな。大丈夫か」


 街田啓。

 隆一のクラスメイトであり、現在行方不明となっている木島優斗に並ぶ、隆一の友人の一人である。クロエをデートに誘った時も、木島同様、力になった恩人でもある。


 他人の機微には少々疎いが面倒見がよく、積極的にリーダーシップを取る人間ではないものの、その補佐をする役回りに回ることが多い。普段はお節介焼きで無遠慮な物言いをするが、ここぞといった時に遠慮してしまう所が玉に瑕。が、時々心に秘めた熱いモノを見せる。おまけに、美人の幼馴染を二人も持っており、まさに男が一度は夢に見るであろう理想的な環境と資質を持ち合わせた男。

 というのが、隆一が持つ街田啓という人間への印象である。


「いや、ちょっと……寝不足でさ」

「あーそういえば新しいバイト始めたって言ってたな」

「おう」

「あんまり無理すんじゃないぞ」

「おう……おう…………」

「おい。おーい。大丈夫かー」


 街田が話し掛けながら、隆一の左頬を軽く二度叩いた。周囲に乾いた音が響き渡る。


 だが、街田の優しいビンタをものともせず、隆一の瞼は半分ほど閉じ、露出している瞳も焦点が合わず虚空を眺めたままであった。


「ねーるーなー! っての。次の授業は豪山せんせーの保健だぞー怒られるぞー」


 街田は隆一の鼻っ柱を力強く掴むと勢いよく前後させ、うつらうつらとする隆一の意識を現実へと引き戻そうとする。

 隆一の虚ろいだ視線がゆらゆらと揺れ、思考が否が応でも覚醒した。


「むう……」

「おいおい、そんな目で見るなっての」


 むすっとした顔で鼻を押さえながら睨みつけてくる隆一に、苦笑いを作る街田。





 これはありふれた日常の景色。

 だが、既に日常を蝕む病魔は蔓延していたんだ。

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