12話
靴を脱ぎ捨て、足の指も地面に突き刺す。
さて、本気で行くか。
さっきよりも速く手足を動かし、一気に地面を這う。
また頭に何かが触れた。
その瞬間、右手を地面から抜いて、触れたものを掴む。
「なに?」
あのエルフの声だ。
手に伝わる感触から、あのエルフが持っていた、警棒のような武器を握ったみたいだ。
いっきに体が重くなり、体が空に向かって落ちて行く。
嘘だろう、今度は空かよ。
とっさに手を伸ばし、エルフの腕を掴んだ。
エルフと一緒に空へと上がっていく。
「なっ⁉︎」
エルフが驚きの声を上げた。
どんとん空に向かって加速していくが、絶対に放すつもりはない。そう伝えるために捕まえた腕をギュッと握る。
スピードがだんだん落ちてきた。そして一瞬止まり、今度は普通に地面へ向かって落ちていく。
エルフを下敷きにしようと体勢を変えようとするが、一気に落ちるスピードが上がった。
思いっきり地面に叩きつけられる。
なんだこれ。
めちゃくちゃ体が重い。
エルフは涼しい顔で立っていた。
掴んでいた手も、いつのまにか外されている。
「合格だ。
素晴らしい反射神経だった」
エルフが声をかけてくる。
「なんだ、おまえ」
「まだ意識があるのか。
すごい生命力だな」
痛みは一切ない。ただ重いだけだ。
意地で立ち上がる。
「お前が暴れないのであれば、お前にかかった重力を戻してやる。
どうする?」
エルフが声をかけてきた。
立ち上がることできたが、かなり体が重い。
さっさとランの元へ行きたいし、口先だけの降参ならいくらでもしよう。
「わかった、降参だ」
エルフの力が解かれた瞬間、全力で走り出す。
とりあえずエルフに蹴りを入れてから、そのままランのところへ急ぐ。
少し溜飲が下がった。
エルフを置き去りにして、屋敷の二階の部屋に入る。
すると、ランが実の母の胸を、剣で貫いていた。
ニンマリとランの母が笑った。
そして、体から黒い煙が吹き出る。
黒煙は一瞬でランを包み込んだ。
慌てて駆け寄ろうとするが、その時には黒煙は消え去った。
ランの母親は、青白い顔で倒れている。
剣は胸の中心を貫いていた。
おそらく生きてはいないだろう。
「きゃっ」
小さな悲鳴が聞こえた。
ランを見ると、髪が伸びていき、喉仏が消え、やや凛々しかった顔も少し柔和になっていく。
胸が膨らみ、腰もキュッとなった。
この部屋で最初に見たランの母親をはるかに超える、美しい女性へと変化していた。
その目から涙が一筋流れる。
「ラン」
とりあえず呼んでみた。
それ以外に声をかけれなかった。
でもランの返事はない。
慰めようと、ランに近づく。するといつのまにか、エルフがランの母の亡骸の前に立っていた。
片手で腹を抑えているのは、最後の蹴りが効いているんだろう。
ランに注意を促そうとして、やめた。
エルフはランの母を抱きしめて泣きだしていたからだ。
声をかけるのを躊躇うほどに泣いていた。
「お疲れ様、リリィ。
ゆっくり休むといい」
エルフが口を動かした。
嗚咽混じりで囁くような小さな声だ。
たぶん、抱きしめている人にしか聞かせるつもりはないんだろう。
ここにいることが酷く場違いに思えた。
音を立てずにランの隣へ移動し、そっと肩に手を回す。
こうするのが正しいかはわからない。
けど、ランもとても悲しそうな顔をしていた。
母親を殺した少女にかける言葉なんて知らない。だから、背中を軽く手を当てるくらいしかできない。
どれほど経ったのかはわからないが、しばらくして、肩をツンツンされた。
振り返ると高橋が立っている。
目で、どういう状況かを尋ねられた気がした。
首を少し横に振る。
俺だって、どういう状況なのかを把握していない。
本当にどうすればいいのか、まったくわからないんだ。
エルフの押し殺すような泣き声だけが聞こえる。
ランはまったく声を上げない。ただ静かに涙を流している。
高橋は困ったような雰囲気を出しながらも、俺と同じようにランへ近づき、背に手を当てた。
「ラン。
これからする話は、お前を傷つけるだろうし、たぶんお前の母、リリィも望んでいないと思う。
それでも聞いてほしい」
かなり時間が経った後、エルフが声をかけてきた。
「なに?」
無機質な声でランが返事をする。
「リリィは、お前を守り続けていたし、守り抜いたんだ」
意味がわからない。
どういうことだ?
ランは反応しなかった。
「ラン、お前は女の子として生まれた。
お前の母は、自分の子が男子であることを願っていたんだ」
「そうでしょうね。
そんなこと、今更言われなくてもわかっているわ」
ランは涙を流しながらもエルフを見た。
「いや、わかっていない。
人族の男女差別は異常だ。
人族の女性には自由が一切ない。
女性は、家長と称する男の財産でしかない」
「知っているわよ、わざわざそんなこと言われなくても。
異母姉や異母妹たちを見れば、そんなことは明らかだもの。
私が受けた教育でも、男が全てを決めると習ったわ」
ランが呟くように言った。
「リリィは自分の子の自由を願い、女子として生まれれたなら、性別を変える呪いをかけるつもりでいた。
そのために私は呪術を教えたのだから」
「権力のためでしょう?
お爺様がそう命じて、お母様はそれに従っただけ、ってことよね」
「たしかに、お前の母方の祖父は、王子の祖父としての権力を夢見ていた。
そのために私を雇い、リリィに呪術を習わせた。
だが、お前の母の思いは違う。
婚姻の道具としてしか生きられない、リリィのような生き方を子供にさせたくなかった。
自分の子には、自分よりも自由に生きて欲しいと願っていたんだ」
「私は、理解できない。
男としての教育を受けられたことは、すごく良かったと思う。
でも、男として生きるのは辛かったの、すごく」
「政略結婚の道具になる人生よりも、王として、少しでも自由を。
リリィがそう思っていたのは間違いない。
だが、どうしてもランが女性として生きたいと望んだなら、呪いを解くつもりでもいたんだ。
そして、王子は病死したことにするつもりだった」
ランが首を横に振った。
「嘘よ。
お母様は呪いを解くつもりはないと言い放ったし、実際に、死ぬまで呪いを解かなかったじゃない」
「想像もしていなかった事実がわかったからな。
お前はユニークスキル、『傾国の美女』を持っていた。
これは持っていることがわかれば、いかなる身分であろうと殺される。
望まなくても、『傾国の美女』は災いを撒き散らすのだから。
まだ力のほとんどを発現していない、赤子のうちに殺されてしまう。
『傾国の美女』を封じるために、性別変更の呪いで『傾国の美女』の力を弱める必要があったんだ」
「嘘を言わないで。
『傾国の美女』なんて封印できるわけがないわ。
国すらも壊すユニークスキルよ。
人が封印できるわけない」
「リリィはこれ以上ないくらいの呪術の天才だった。
その全てをかけて封印したんだよ。
もちろん、簡単なことではない。
『傾国の美女』の名の通り、女性であることは大事な要素だ。
男性へと変えることで、ユニークスキルの力を大きく削ることに成功したんだ。
結果としてお前のユニークスキルを封印し、隠し通すことができた」
ランは黙りこんだ。
「言っておくが、リリィは、堪え難いほどの強烈な痛みを受け続けていた。
お前の力を封印し続けることは、凄まじい負担だったんだ。
しかも、封印していられるのは、リリィが生きている間だけだ。
だから『死の呪い』を用いて、『傾国』の力を削りることを決めたんだ」
「『死の呪い』って?」
高橋がこのシリアスな雰囲気を無視して、エルフに質問した。
「呪術師が、殺された恨みを全て呪いに変える、文字通り最期の呪いだよ」
「おかしくないか?
ランちゃんの母親が、ランちゃんを恨むとは思えない。
お前の話が事実なら、だけどね」
「ああ、私がリリィに頼まれて2つの呪いをかけたんだ。
1つは、愛を憎しみに変える呪い。
もう1つは、『死の呪い』を、最期に使わせるための誤認識の呪い。
どちらも、キーワードを唱えたら発動するようになっていた」
「おい、ランちゃんを鑑定してみろ」
高橋が俺の耳元で囁く。
言われるままランを鑑定する。
ランのユニークスキルの欄に、『 美女』というものが増えていた。
『美女』の前に、不思議な空白が存在している。
それが今の話を裏付けているのかもしれない。