表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
富嶽娘  作者: 橋沢高広
6/11

【第6回】

 缶ビールを、そのまま口にして一気に喉に流し込んだ直さんは、「その缶、まだ入っている?」と、私の前にある缶ビールを指差す。私は缶の中に残っていたビールをグラスに注ぎ、「空」と、一言だけ発した。

 直さんは再び立ち上がり、冷蔵庫の中から、私にとって五本目、直さんにとって六本目となる缶ビールを取り出し、テーブルの上に置く。五百ミリリットルの缶がテーブルの上に十一本並んだ。中々、壮観な光景。

「呑み過ぎよね」

 自戒の念を込めて私が、そう言うと、「正直に言って、動揺しているのも確かなんだ……」と、直さんは呟き、言葉を続ける。

美礼みれいちゃんは、何回か俺の過去を聞き出そうとしたが、気になるかい?」

 その言葉に黙って頷いた。私が口を開かなかったのは何を言えば良いのか、適切な言葉が思い浮かばなかったから……。酔いが回っているみたい。普段なら何の躊躇もなく、言葉が出て来るのに……。

 直さんが話し始める。

「俺が今まで美礼ちゃんに自分の過去を話さなかったのは、一人の女性が俺の転機になる場面で度々、登場していたからなんだ。俺は過去の話に「もし」を加えても意味がないと考えている。だが、彼女だけは別。もし、彼女と会うタイミングが〈ズレ〉ていたなら、俺は和乃と結婚していなかったかも知れない……、いや、高確率で和乃と結婚していなかった筈だ」

(!)

 私の中に衝撃が走る。

(姉貴と結婚していなかった? どういう意味?)と、思った瞬間、直さんの口から言葉が紡がれた。

「彼女は俺よりも二歳下の女性……。俺は心の中で彼女を『富嶽娘ふがくむすめ』と呼んでいるんだが、今日、その富嶽娘と会い、和乃の妊娠を知った事で肩の荷が下りた気になったんだ……」

「『肩の荷が下りた』って?」という私の疑問に、「今なら、美礼ちゃんに俺の過去が話せそうだ。それを聞く気があるなら、『肩の荷が下りた』という言葉の意味が解ると思うが、俺の話を聞く気は、あるかい?」

 私はグラスに入っていたビールを飲み干し、五本目の缶ビールを開け、グラスに注ぐ。そして、「聞く気、満々!」と告げる。

 直さんは一度、笑った後、自分の缶ビールを手にして、プルトップを開けた。そして、直さんの話が始まる。


「高校三年の時、三滝みたきというクラスメイトから、文化祭に関する相談を持ち掛けられた。詳細は覚えていないが、何故か、「二人っきりで話そう」という事になる。俺は三滝が住んでいた街の最寄駅で待ち合わせをした。

 この待ち合わせ中に三滝は当時、付き合っていた女の子と会ってしまう。別の高校に通う女子生徒で一年生だった。三滝と彼女……、この彼女が富嶽娘なんだが、どこで知り合ったのかは知らない。正直に言って興味はなかった。

 富嶽娘には失礼だが、容姿としては、ごく普通の女の子。特段の美人でもなければ、特別に可愛い子でもない。俺は彼女に興味を持たなかった」


 私は黙って、直さんの話を聞き続ける。


「『会ってしまったのは、仕方ない』と、三人は駅前にあった喫茶店に入り、俺と三滝は何だかの打ち合わせをした。その内容は、もう覚えていないが、二人の話が終わった処で富嶽娘が俺に質問をする。

『太宰治って読んだ事、ありますか?』って。同時に彼女は、「相当な太宰ファン」とも告げていた。

 一方、彼氏である三滝は小説に全く興味がない。富嶽娘にしてみれば、太宰の話をしたいんだが、三滝じゃ相手にならないから俺に話題を振ったんだ。

 俺自身、太宰に対して特段の興味は持っていなかった。それでも何冊か読んでいる。これを知った彼女は一気呵成に太宰の話を始めた。俺は何度か富嶽娘の話に加わろうとしたものの、彼女は一方的に話すだけで俺の口は一切、挟ませない。

(なんだ、こいつは……)と、内心思っていたが、話を聞いている内に、ある事に気が付いた。彼女、そんなに多くの太宰作品を読んでいない様なんだ。半面、読んだ作品については、かなり詳しい。つまり、一つの作品を『深く読み込むタイプの読書』をしていると判断した。

 その中でも彼女は『富嶽百景』という作品が、お気に入りだと理解する。俺が彼女の事を『富嶽娘』と呼んでいる理由が、これだ」


「『富嶽百景』が好きなだから『富嶽娘』ね」と私は、ここで短く口を挟んだ。

 直さんの話が続く。


「いくら友人とはいえ、学校が違う三滝の彼女と頻繁に会う筈がない。実際に高校時代、富嶽娘と会ったのは、この一回だけ。その後、四年近い月日が流れた。

 大学四年の時、俺は卒業出来る目処はついたものの、就職先が決まらず、物凄く焦っていた時期がある。

 その様な時に偶然、富嶽娘と再会した。声を掛けてきたのは彼女の方からだ。俺は一瞬、(誰?)と思ったが、富嶽娘が簡単に自己紹介した為、全てを思い出す。

 俺は、『お茶でも飲みませんか?』と彼女を誘っていた。そして、近くにあったファミリーレストランへと入る。

 実は高校卒業後、俺は三滝と一度も会っていない。何度か連絡したのだが、音信不通となっていた。三滝の彼女である富嶽娘なら、(彼の所在を知っているのではないか?)と思い、お茶に誘ったのだが、二人の関係は既に終わっており、三滝の所在は知らないという。実質上、俺は彼女と話す話題をなくしてしまった。

 この後、何となく話題が太宰へと移る。俺は、この時、彼女が『富嶽百景』を好んでいる理由を知った」


 直さんは、ここで缶ビールを口に運ぶ。そして、話を続けた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ