片思い 10
蒼汰は自分の手を握るその強さに、胸が苦しくなった。
彼女の近況や、これまでの話を聞いて…むげにできるはずがない。
やはり、会うべきじゃなかったと後悔の溜息をついた。
じっと見つめる、かつてはずっと一緒にいたいと本気で思った相手に小さくでもしっかりと首を横に振って、そっと他方の手でその手を外した。
「あかんて」
「なんで?まだ怒ってるん?それとも、うちに子どもおるからか?」
明らかに動揺した瞳には、好きで自分にこんな事を言っているというより…不安で誰かにしがみついていたい…そんな気持ちがありありと浮かんでいた。
「どっちもちゃうよ」
「せやったら。な?あん時は遠距離とか考えられへんかったけど、今やったらうち、待ってられるし」
痛々しいまでに何とかしようとする彼女の声に、もう一度首を振って見せた。
途端に茜の顔は曇り、見る間に頼りない表情で涙を浮かべ俯く。
「もう…うちのこと嫌いなん?」
「嫌いやったら、ここには来ぉへんやろ。せやけど、ごめん…。やり直すことはできへん」
ハッキリ言わないと、きっと自分の為にも彼女のためにもならない。
さっき、明るく出て行った母親の顔を思い出した。
「やっぱり…子持ちはアカンな。どうしても邪魔に…」
「そんなん言うな!」
無意識に怒鳴っていた。
驚きに茜が顔を上げ、すぐに蒼汰が母子家庭で育った事を思い出したのか「ごめん」と呟き目をそらした。
蒼汰は思わずあげてしまった声に「怒鳴ってすまん」とこぼすと、さっきの滑り台の方を見た。
「なぁ…きっと、女一人で子ども育てるのって大変なんやろうなぁ」
「……」
茜は返事しなかった。
その頑なな怒ったような顔に、蒼汰は小さくため息をつき、話を続ける。
「おかん見てたら、ほんまそう思うわ。俺のせいで男も作れへんかったんやろうなぁって…。別に、父親とちゃう男が家におってもかまへんのに…」
茜の息をのむ声がした。言い方がストレートすぎかとも思ったが、自分にはこんな話し方しかできない。
「でも、それはな、おかんが絶対、俺のおかんを辞めへんって信頼があったからやねん。おかんが、おかんなんやったら…なんでもええねん。せやから…お前もそんな寂しい事言うなや」
そう言うと振り返り、泣き出しそうな赤い茜の鼻をつまんだ。
「お前が辛かったんは、よぅわかった。でもな…お前には子どもっていう最強の味方が傍におるんやん。一人やないで?」
「でも…」
「皆には、ちゃんと話しとく。もう、一人できばんのはやめとき?な?俺かて、いつでもこうやって話くらい聞くやん」
「…」
茜は涙が頬を伝う前にそれを拭うと、まだ諦めきれない気持をその強い視線に籠めて蒼汰を見つめた。
「どうしても、あかんの?」
「あかん」
きっぱりと言う。
手の中の着信ランプに嘘はつけない。
「好きな人がおるねん」
口にして、どれほど自分のその想いが強いか思い知った。
そうだ…どれだけ手の届かない相手でも、この気持ちはもう変えられない。
諦める日が訪れてくれるのかどうかも不安だが、傍にいられる今はそんな事も考えないで、彼女の幸せだけを見つめたかった。
自分の気持ちに嘘をついても仕方ないのはよくわかっている。
なら、早々に白旗を上げて、納得いくまで突っ走る…それだけのことだ。
だから…茜の気持ちには応えられなかった。
茜はしばらく苦しげに眉を寄せ唇を噛んでいたが、何かをまとめて吐き出すように溜息を夜空に吐き出すと
「そうやんな。もう…お互い、新しい生活してんねんもんな。ごめん。弱気になって、変な事言って」
「かまへんよ」
蒼汰はにかっと大きく口を開け、わざと幼く笑って見せると茜の背中を軽く叩いた。
「頑張れよ。俺も、頑張る」
「映画…撮るの?」
蒼汰はその単語に、心底嬉しそうに頷いた。
そうだ、帰ればあんなに心持にしていた神崎川のもとでの撮影が始まる。
思いっきり色々吸収してやるつもりだ。
「ほんまに…好きなんやなぁ。映画。アホやわ」
「ほんまやな」
苦笑する茜に、蒼汰は前髪をかき回すと、立ちあがった。
「行こか。家まで送るわ」
「ん…」
来た時より清々しい表情になった茜は、渡さなかったコーラを今度はちゃんと手渡し立ち上がる。
「映画かぁ…妬けるわ。映画がなかったら、今頃、まだ付き合っとったかもしれへんのに」
言葉の割には未練の響きはない。肩を並べて歩きながら
「映画知らんかったら、俺やないて」
そう答えた。そうだ、自分には映画のない人生はやはり考えられない。
茜はそんな元カレの無邪気で真っ直ぐな笑顔に、どこかで別れてしまった自分の道を少し悔みながらふと、頭に浮かんだ事を口にした。
「もし、その好きな人と映画、どっちかとらなぁあかんってなったら、うちの時みたいに映画とるん?」
それは別に他意があったわけではなく、純粋な疑問だった。
訊かれた蒼汰の方には皮肉にも聞こえたが、苦笑すると、夏の夜空を見上げる。
きっと、その彼女はこの夜空の下に、別の…自分が最も尊敬する男といる。
初めて、神崎川に対して嫉妬を感じた。
その焼けつくような感覚に目を細める。
「たぶんな」
自信はなかったが…そんな選択を迫られる日は来ないだろうと、深刻に考えるのは止めた。
「そっか…」
茜はどこか満足げに頷くと、ちょうど家の前だった。
携帯を取り出して振ってみせる。
「蒼汰からの着メロ、蒼汰の好きやった映画のにしてんねん。せやから、蒼汰はうちの着メロ、なんか特別なんにしてくれる?」
たわいもない注文だ。
そんな些細で聞き流しそうな事でも、その中に彼女の『忘れないで』というメッセージに気が付けないほど短い付き合いでも、浅い付き合いでもなかった。
蒼汰はそんな彼女の思いごと受け取ってみせると携帯を同じように振って見せた。
「じゃ、お前が好きやったアユの曲にしとく」
「ありがと」
素直に頷く茜は、好きだった時の笑顔だった。
「じゃ、またな」
「うん。またね」
『サヨナラ』じゃなくて『またね』。
その口約束は僅かでも彼女の心を軽くするお守りにでもなればと思った。




