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天錦宝史伝 〜新戦記編〜  作者: 花歌
第5章 〜双光輝く玉〜
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陽炎

 今まで無傷できただけに、それ以降の夜叉との戦いの日々は、衝撃と苦痛を伴って人々を傷付けた。

 夜叉は気味が悪いぐらい正確に、同じ時間に同じ数だけ現れ、同じ被害を負わせてから消えて行った。おそらくは藍を狙ってくる、と主張していた祈真や遥世の意見に本人以外は皆同調していたがしかし、藍は全くの無傷だった。剣の腕が上がったというのもあるし、遥世からもらったお守りが効いていたのもあると思う。しかし何よりも夜叉自体が藍を避けていた。藍に斬られた夜叉は数知れないが、夜叉が藍に付けた傷は一つもなかった。

 だからといって、状況が良かったというわけでもない。碧、白、緑の死傷者は予想を遥かに上回っていたし、その分軍の動きも鈍り、日程が大幅に狂った。己の生まれ育った土地に途中、帰る者もいた。

 結局、予定より一週間遅い風月の半ばに、全体の兵の数が元の七割弱に減ったという状況で、一行は克羅に到着した。何の縁か皮肉か、栄華を誇ったこの旧都に再び足を踏み入れたのは、碧の国が滅んでから一年目前夜――翌日に藍の十六度目の生誕日を控えた夜だった。

 紅南国軍は完全に撤退していた。駐留しやすいよう戦いで荒れた都を、整備していたのであろう、あの時の惨劇を考えれば、克羅の都はおそろしいまでに調っていた。片付けられていないまま放りっぱなしにされている無数の土木道具が不釣り合いなほどだった。

 ――薄れてるな……。

 克羅の姫帰京の噂を聞いたのか、都に残されたままだった碧の民の熱烈な歓迎を受けた後、紅南国軍が新設した館に入り、一段落ついたところで、藍は軍の報告書簡を見直しながらぼんやりと思った。

 ――この国の香りが消えかけている……。

 正直、愕然とした。自分の故郷に帰って来たというのに、全くそんな気がしなかった。

 聞けば、藍達が碧に入ってから、なぜか急に夜叉が頻繁に現れるようになったという。こちら側が動き始めた分、やつらの数も増えているのだろう。そのせいなのかもしれない。こうも禍々しい空気が碧の地を覆っているのは。

 ――私を殺さないのには理由があるのか……?

 鬼神は月の神子の力を恐れている。ならば夜叉に藍だけを狙わせればいいのに、これまでいっさいそうしてこなかった。

 ――周りから崩して鬼神に何の得がある……?人を滅ぼすつもりか?

 書簡を開いたまま、しかし藍は口元に手をあてて考え込んでいた。

 今の状況がどこか納得出来ない。

 第一、紅南国兵が一人もいないなんて、一体全体何がどうなっているのだろう。今藍のいる館は、新しい素材で出来ているし、造りも碧のものとは大分違う。紅南国が紅南国の為に――この旧克羅の都を統治する為に、拠点として造ったものであることは間違いない。都も随分と整理されていた。克羅のにおいを感じさせないくらい綺麗さっぱり片付けられていたから、碧の民として言えば腹立たしいことこの上ないが、紅南国がこの土地を重要視していたことは、はっきりと分かる。

 なぜ紅南国は――鬼神である嘉瀬村は、兵を引かせ、わざわざ藍にこの土地を返すような真似をしたのだろう。

 こちら側にあえて兵力を貯めさせ、全面対決となったときに流れる血を、より多く見る為だろうか。夜叉は血と殺戮を好むから、それはそれで正しいはずだ。だが――。

「なんで私を殺さないんだ?」

 結局、たどり着くのはそこなのだ。鬼神の行動も意図も全く読めない。だからこれだけの大軍でいても、不安は胸を去らない。

「……駄目だ」

 悩めば悩むほど、なんだか鬼神の思う壷である気がする。考えても答えが出ないなら、考えない方がいい。元々自分は、考えるより先に体が動いてしまう方だ。いざとなれば本能でなんとかなるだろう。

 他人が聞けば、なんて適当な、と呆れるであろう結末で藍は考えるのをやめ、気晴らしにと表へ繰り出した。橘で出会ってから藍の近衛を務めている隆生は、相変わらず背筋をきちんと延ばして部屋の入口に立っていた。

「休んでいいよ?もう克羅に入れたし。敵もそう動けないだろう」

「!これは長、もうお休みになっていらっしゃるのかと」

「んー。書簡いじってた」

「……読んでいたの間違いでは?」

 いや、今日はいじってた、とさっくり否定すると、隆生は遠慮することなく溜息をついた。やっぱり藍様は藍様だよなぁ、と小さな呟き彼の口からもれる。

「考えごとをしてたんだ。別に面倒だからとかそういうんじゃないからいいだろう」

「だとしてもそういうことは、配下の者に言うものじゃありませんよ」

「だって相手、隆生だし」

「……相当の信頼を受けてるって解釈しときます」

 隆生は苦笑混じりに言った。

「うん。じゃあ私は外に行ってくる」

「え?今からですか?」

 突然の藍の言葉に、今度は慌てた様子で隆生は問う。藍は頷いた。

「気晴らしだ。仮に駐留してるとはいえ、紅南国の造った館はどうも慣れないし」

「ならば護衛を――」

「いらない。すぐ帰ってくるから」

 じゃ、と藍は以前隆生に会った際にも身を隠す為に使っていた布を巻き付けると、隆生の元から素早く去る。

「あ、え!?ちょっと藍姫――じゃなくて長!そう!貴女は既に長なんですぜ!なのに昔みたいに抜け出すっていうんかい!まだ治安の善し悪しは分かってないんだからって、あーーー!!!」

 以前の口調にすっかり戻って慌てている隆生を尻目に、藍は小さな小窓から飛び降りた。

「おっと。あ、祈真」

 上手い具合に着地し、走り出そうとした瞬間誰かにぶつかり、顔を上げると、めずらしく驚いた表情をしている祈真がいた。

「何してんだお前」

「祈真こそ」

「俺はこれから遥世んとこに夜這いにな」

「……それって堂々と言うことじゃないと思うぞ」

 お前、夜這いの意味知ってんのか、と笑って祈真が言うのと、隆生が小窓から身を乗り出したのはほぼ同時だった。

「さあ姫!観念してくださいよ。今休憩中の近衛も呼びましたからね!俺も今そっちに……大司空じゃないですか!大司空!姫を捕まえてください!」

 藍ですら体を捻らなければ出られなかった小窓から、ずっと体格の良い隆生が簡単に出れるはずないのに、彼は目の前にいる藍を捕まえることしか念頭にないのか、そこから出ようと必死にもがいていた。 中から兵の足音と声も聞こえる。どうやら近衛を呼んだというのは本当らしい。

「私、一応長になったんだぞ。隆生、姫って連発するな」

「……随分世話のかかる長なこって」

「お忍びは昔から大好きなんだ」

「お前、人のこと言えねーじゃねーかよ」

 一向に藍を捕まえようとしない祈真を、藍はじっと見た。目で問うと、祈真は、仕方ないと言った様子で苦笑する。

「夜叉の気配はないんだな?」

「うん」

「剣は持ってるか?」

「うん」

「出来るだけ早く帰って来るか?」

「うん」

「……しゃーない。行ってこい」

 ぽんぽんっ、と頭を叩かれて、それがなんだか久しぶりでくすぐったかった。

 ありがとう、というお礼に、夜這いが成功するといいな、という言葉を添えて、藍は笑った。祈真は溜息をつき、

「もう数え切れないくらい挑戦してるんだがなぁ」

 と淋しそうに言う。明日になったらおそらく、祈真の頬に平手打ちの赤い跡が見られるだろう。ついでに遥世の祈真に対するつんけんした態度も。

「……じゃあね。隆生、すぐ戻って来るから」

「ああっ!?ちょ、藍姫!?」

 ひらひらと手を振り、藍は裏口の方へと駆け出した。

「気をつけろよなー!」

 祈真の声もすぐに遠くなる。


 行きたい場所が、藍にはあった。遠くはない。馬を使わなければならないわけでもないし、わざわざ剛山に報告しなければならないほどの距離でもない。だが、都の外にあるから、徒歩で行けばそれなりに時間はかかる。

 ばれないよう、以前橘でやったように、大きめの羽織りをかぶり、足先から目元まで覆い、藍は藍であることを隠していた。もちろん、腰元には普段通り、月華を忍ばせている。

 墓があるのだと聞いた。

 代々克羅の一族は都の東に位置する丘に、名前だけ掘った石が添えられるだけという、王族のものとは思えないほどとても質素な墓に埋葬される。碧の国の基となる高原を建国した、初代克羅――つまり、善の神と言われ、月の神子であるその人のものも、確かに形として残っているのだ。

 だが、藍の目的はそれではなかった。

 亡き父と母の墓がある、と聞いたのだ。

 父は克羅ではない地で亡くなったと聞いた。彼の遠征地は紅南国国境に近い南西の方角だったから、その地で亡骸となったはずだ。克羅まで戻って来た上、埋葬されたのだとしたら、それは紅南国の者らがそうしようと思ったからそうなったに外ならない。克羅は占領されていたのだ。碧の民が勝手な行動を行えるはずがない。

 草の匂いが交じる生温い夜の風が、曇り空の下、音もたてずに吹いていた。微かに水の匂いがする。それが一年前を思わせて、目の前が一瞬うるんだ。

 丘はすぐに見えて来た。近づいてよく見ないと、名の刻まれた石は普通の石と変わらないからどれが誰の墓か全く分からない。いや、それ以前に、それが墓であるかどうかすら疑わしいのだ。人は地に生まれ、空を見上げ、再び地に帰る。来た場所へ戻るだけのことだから、自分の証は別段、大きな形で遺さなくてもいい。それが克羅の考え方だったから、全ての墓がこんなにも質素なのだ。

 藍は纏っていた羽織りを剥ぎ取った。三千年前からこの国を治めてきた歴代の克羅の長達が、皆この地で眠り、地に帰ったのだ。そしてきっとどこかでまた生まれる。

「――私で最後になりました」

 深く、礼を取った。

「そして、私で世界の行く先が決まるみたいです」

 苦笑を禁じえず、他人事のように言う自分がなんだかおもしろかった。

 破滅か、存続か。その瀬戸際に世界があることを知る者も知らない者も、戦として戦い合い、死んだり傷つけ合ったりしている今の状況が、地のない場所に必死に立とうとしているようで、しっかりと意識出来ない。

 自分以上に自分が大切な存在であるということ。つまり、藍は決して諦めてはならないということを義務付けられた存在として、既に世界の大部分の者に認識されている。

 ――楽じゃないな……。

 藍はいくつもある石の中から、父と母の名の刻まれたものを探しながら思った。

 正直、疲れていた。責任の重さが恐ろしかった。

 頭では理解している。藍が夜叉を――鬼神を倒せば世界は禍の世を脱す。藍が、月の神子としての前世で成し遂げられなかったことに、踏ん切りがつく。本当に藍が月の神子であったらの話だけれど。

 だが、どうして自分なのか。どうして自分だけなのか、という感情が最初から心の奥深く――藍自身にすら分からないくらい深くに眠っていたことに、斬り捨てる夜叉の数が多くなるにつれて、はっきりと自覚させられることに、最近気付いた。

 そしてその感情が強まるときには、必ず彼を思い浮かべてしまう。

 ――成長したいとは思うけれど……。

 父と母の墓は、思いの外すぐに見つかった。

 克羅の長は、父、克羅芝韋で百五十代目を大きく超えるぐらいまでになるという。長年の統治の中、その正確な数字は忘れられてしまったが、父がまだ長になる前に数えたところによると、彼自身が百八十九代目ということだった。史書に名の残っていない長もいるだろうから、実際はもう少し数を超えているかもしれない。

 その歴代のたくさんの長に加え、その妃や家族の墓がいくつもある中で、両親のものをすぐに見つけられたのは、二つの石の周りに、たくさんの新しい花が無数に添えられていたからだった。

 碧の国が消え、辛い思いをしてきた民の中での彼等が、どんな風に思われているのか、藍は知っている。怨みも憎しみもある。それは時に藍自身に向けられ、だから隆生があれほど心配していたのだ。

 ――だが、全てがそうじゃない。

 変わらず、愛してくれる者も多くいる。

 まだ新しい二つの墓の前に藍はひざまづいた。

「お久しぶりです。父上、母上」

 石に掘られた名をそっと指でなぞる。生きた人の肌と反する、冷たく固いその感触は、逆に彼等が藍の言葉を聞いてくれているような気がした。

 目を、閉じた。髪を揺らす風の音が、今だけ消える。伝えたい思いはたくさんあったのに、沸き上がる感情は一つだけだった。

「……愛していました」

 ずっと。ずっと昔から。

「まだ、笑顔で過ごすことは難しいです。迷いもあります。不安も……。けれど自分の望みの為に――未来に、笑顔でいる為に、前に進んでいる。だから、ご心配なさらないでください。私は大丈夫です」

 不思議な気分だった。思っていることが、すんなりと出てくる。瞼の裏に、二人の姿が浮かんで、尚更自分の本音がぽろぽろと零れていた。

「……昴が好きです」

 口から飛び出したその言葉にも、特に驚きはしなかった。当然のようにその想いが胸に収まるのは、それが藍にとって当たり前のことだからなのだと、今なら思えた。

「忘れられないんです。だから……怖い。鬼神を倒すために柳瀬へ向かうのに、彼に会う為に私が必死になっているのだとしたら……意志がすり変わってしまったら……」

 どうして自分だけが――。この感情の裏に常にあるのは、昴を想う気持ちだった。どうして昴と一緒にいることが出来ないのか。彼を敵に回さなければならないのか――。

 だから、昴に会いたいと思いたくなかった。思えば藍の中の奥深くに眠る不満が、いつか目を覚ましてしまうかもしれない。それはつまり、鬼神の勝利を意味するのだ。

 鬼神を倒したいと強く願ってこそ、藍の望みは叶う。笑顔でいたい。そのためには、皆に笑顔でいてほしい。聞こえだけは綺麗事の、莫迦みたいな望み。

 ――大切にしろ。

「えっ……?」

 不意に頭の中に響いた男の声に、藍は目を開け、辺りを見回した。誰もいない。まさか、と思い、父の墓に目をむけてみるが、何かが違う。――父の声でも気配でもない。

 ――それはお前自身の思いだ。

 立ち上がり、藍は一点を見つめた。少し離れた場所にある、一つの墓。父、芝韋や母、瀬那の墓とは違い、花一つない、かなり昔のその墓へと、藍の足は意志とは関係なく向かった。乗り移られたような感覚でもなく、無意識の行動でもない。何も感じていなかったが、体は熱かった。

 墓の真ん前に立ち、じっと見下ろす。石に刻まれている文字は、月日と共に風化したせいか、判別しにくかった。かかっている砂を手で払い、息を飲んでその文字を見つめた。

 刻まれているのは名ではなかった。小さな文字で、短い詩が四行になって書かれているだけだった。


   闇の中の灯は

   木々の宝を胸に秘め

   風の音色を聴かずとも

   秋と夢を供にする


「……月の神子」

 この短い詩の示す意味に、藍はただ立ちすくむしかなかった。

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