思いと想い
碧、緑、白の連合は総勢数十万人に達し、今なお進むに連れて数を増やしている。白西国西軍は紅南国西から、白西国白軍と緑北国軍、それにほとんどを碧の民のみで構成された碧軍の三軍は東から紅南国を攻めることになっていた。
挟み撃ちという初歩的な戦法だが、三対一の戦いでこれは紅南国にとってかなり痛いはず、と祈真や剛山ら軍人は口を揃えて言った。紅南国は確かに強いが、その点を考えてもここまで圧倒的な数の差が付くと、戦も戦にならないという。普通に考えれば、こちら側が勝利するのは間違いない。
「ですが、相手は普通じゃない」
若く落ち着いた声を天幕に響かせたのは、緑北国最高将軍、津都惟だった。
今現在、天幕の中では高将らによる話し合いが行われていた。
祈真、遥世、剛山、津都惟、そして藍。
警戒に警戒を重ねて、天幕の外には隆生率いる藍の近衛軍が配置につき、内側から遥世の結界も張られていた。音が外に漏れることはないし、遥世が許可しない限り誰も内に入って来れない、まさに何もない草原での野営をしているにもかかわらず、この場所は非常に高い水準の極秘会場を保っていた。
「仕掛けてくるでしょうか」
「どうだかな。鬼神様の考えてることなんて、人間逸脱状態の俺でもさすがにわかんねーし」
津都惟の言葉に、祈真は軽く酒で喉を潤しながら言った。遥世と藍以外の男は皆、少量の盃を手にしているのだが、そこに余興などという言葉は少しも見当たらない。
紅南国に布告の書を送り付けてから三日後、藍達は橘を出た。
藍の演説は見事に成功した。己が神の末裔だという、ある種の象徴である青みを帯びた髪を自ら切り落としてまで、この世界の真実を伝えようとしたという、藍の必死さは受け入れられた。髪は女の命でもあるこの時世、藍のあの行動は自らの命をかけたものであるという証明でもあった。
実際、藍はこの戦いに命をかけていた。誰よりも自分が一番重要であることを理解している。――自分の価値を、皆も知っている。
藍はあの小高い丘で宣言した通り、嘘偽りなく全てを民に伝えた。藍が月の神子の生まれ変わりであること、鬼神が全ての夜叉を操っていること、嘉瀬村が鬼神であること、そして――鬼神が碧を滅ぼし、禍の世を作り出していること。
あの場にいた民のほとんどが、現実をすぐには理解出来なかっただろう。自分達の祖国を奪ったのが、実は人ではなく夜叉で、しかも禍の世を作り出しているなど、信じられる方が難しい、と祈真も言っていた。
だが今――明日には緑北国の国境を越え、碧の土地に入られるという地点まで来た今、軍の士気は高い。
現在白西国南城に留まっているものを抜かした全ての軍が、この一帯に集中している。そしてその半分が碧の民で構成された義軍だ。
この戦いが善と悪の戦いであると大半の民は理解してくれ、藍が率いる義軍に入った。彼等のほとんどが藍を分かってくれた。常時この報を聞き付けた者達がいろんな隠れ簑から集まって来ているから、兵は今も増えている。
「斥候の報告によると、緑と碧の国境に紅南国兵は現在配置されていないようです。焚火跡から約一週間前まではいたということですが……どうして退いたのでしょう」
「……罠かしら」
遥世は腕を組む。
「私達を誘い込んで一気に攻めてくる……とか」
「それはないだろう」
剛山が口を開いた。
「我等が橘を出てから約半月が経過している。元は我等の国なのだから、土地勘はこちらの方があるというのに、わざわざ誘い込むなどという危険な真似はしない。それに焚火跡が一週間前のものとなると、こちらも妙だ。七日前に罠を仕掛け、国境を離れるなどどう考えても早過ぎる。罠にかけるならせいぜい二、三日前までは留まり、こちらの動向を伺うはずだ」
「じゃあ逃げたのかしら」
「この状況で逃げるかあ?」
「逃げる以外何があるっていうのよ?」
「罠とかじゃねーの」
「だから罠じゃないって剛山殿が今さっきおっしゃったでしょう!」
「そうだっけ?」
「長はどう思われます?」
もう定番になってしまった夫婦喧嘩を始める二人を完全無視し、津都惟は藍に話をふる。一人黙り込み、口元に手をあてていた藍は、閉じていた瞳をゆっくり開いた。
「夜叉じゃないか?」
途端、祈真と遥世の二人が会話をぴたりと止めた。剛山は組んでいた腕をとき、津都惟は目を丸くする。
「まだ気配はない。だが克羅に入るまで、何の干渉もしてこないということもないと思う。紅南国兵がいないとなると、それしかないんじゃないか?」
おそらく、藍の予想は当たっているだろう。順当に考えて鬼神が使う手立てはそれしかないのだ。紅南国兵を碧の地から撤退させれば、紅の民に見えることなく好き放題夜叉を暴れさせることが出来る。今、鬼神が嘉瀬村に成り代わっていることが紅の民の多くに知れ渡るのは、鬼神にとって良いことではないだろう。津都惟が唸った。
「夜叉ですか……初っ端からやり合わなきゃならないんですね……」
「鬼神も全勢力をかけてくるだろうな」
「……どうかな」
再び、皆が驚いたように藍を見た。
「全勢力とまではいかないなきっと。鬼神は私達人間同士を殺し合わせたいと思うんだ。嫌な話だけど、その方が鬼神にとっては呪咀が増えて良い」
「……かもしれませぬ。相手は夜叉。そういう類の血をおそらく好むでしょう」
剛山が唸るように言った。藍は苦々しい思いで、前髪を掻き上げる。短くなったせいか、手に収まる感触が妙に冷え冷えとしていた。
「紅の民とは、戦いたくないのに……」
出来ることなら、朱雀城に単身で乗り込みたかった。女官として忍び込むなり女人として乗り込むなり、藍一人忍び込むのはたやすいだろう。嘉瀬村だけを斬った方が犠牲は少なくて済むし、戦を起こす必要もなくなる。
だが、祈真や遥世を含む者たちはそれを許さなかった。
もし成功したとしても、王を殺した藍がただで城を逃げ出せるはずもない。それに、失敗して藍がいなくなれば、この世界は破滅するだけになる。だったらより確実な方法でやった方がいい、と。
そして何より遥世や祈真が強調したのは、藍が全てを背負えるわけがないし、背負う必要もないという言い分だった。
この世界に住まうのは藍だけではない。だから藍だけに全てを任せられない。これは綺麗事ではなく、人として生を持ち、己という思考を持つ世界と関わりある者全ての義務なのだ――と、そう言った。
「出来る限り、人は殺さないよう心掛けなきゃな。戦力を欠けばそれでいい。紅の兵も案外ばらばらと投降してくると思うぜ。俺らの敵はあくまでも夜叉だということを忘れないようにしてれば、被害は最小限で済む」
「藍様が敵は夜叉だけだと超然としていれば、自然民の思考もそうなるでしょう」
祈真と剛山が続けて言う。藍は頷いた。
「軍の各隊の長に伝えておいてくよう取り計らってほしい。投降者への措置は寛大に取れ、と」
こればかりは譲れない、という意味を含めて断言した藍に、遥世が呆れたように溜息をついた。
「藍ってほんとお人よしね」
「……本当は敵を殺すなって命令したいくらいなんだぞ」
「あら。そんなこと言ったら、歴史に残る究極のお莫迦将軍になっちゃうわよ?」
「わかってる」
誰だって自分の命が一番大事だ。それを、相手を殺すなという命令の上で、相手に殺されては元も子もない。ただ、相手の命を奪っている、その者の人生を亡くしているということを、ちゃんと理解してほしいと思う。
「克羅までは簡単に行けるだろう。問題は鬼神のいる朱雀城に攻め込む時だ。取りあえず今は安心していいと思う」
夜叉の気配がしたらすぐに伝えるから、と付け加えて、藍は立ち上がった。明日は長い距離を移動しなければならない。大軍だから動きも遅いし、時間は無駄に出来ない。寝れるときに寝て、動けるときに動くのは戦のうえでの鉄則だ。
「日の出と共に行動を開始する」
剛山の言葉に皆頷いた。
天幕から出て藍は皆を送る。剛山ら将軍の休む天幕はこの近くだが、遥世や津都惟、祈真の天幕はここから馬で移動するぐらい遠い。軍の規模が大きい為、当然の成り行きだが、特に遥世などはまだ自分の姿を民に見せて以来日数が経っていなかったりして、それぞれ危険なのだ。特に暗闇は斥候や反乱の民がいても分かりにくい。
「じゃあ明日な」
「国長も。おやすみなさい」
「明日ね、藍」
祈真、津都惟、遥世の順で藍に声をかける。笑って手を降ると、それぞれ馬に跨がり、やがて闇に紛れて見えなくなった。
「……いい人達だと思わないか?」
「はい。知識が豊富で技能もある。そして心も強い、立派な方々です」
藍の問い掛けに、剛山は生真面目に答える。
「長は良いお仲間をお持ちになった」
「うん……」
考えてみれば不思議だった。王族が常に良い者とは限らないし、むしろ上に立つことに慣れた者は、傲慢さばかりが増して己の役目を忘れてしまうことの方が多い。碧の国の歴代の長の中にもそういう人物はいた。民を蔑ろにすることはなかったが、自分の意志を何よりも重視していた。
「惹きつけられているのです」
藍は顔を上げた。剛山は上空を見上げている。満天の星がそれぞれ輝きを放っていた。
「長の人柄に。貴女の周りに集まる者は皆、貴女の中の何かに惹かれている。かくいうわたしもその一人です」
ぽかん、と藍は剛山を見上げた。こんなに穏やかな表情でゆったりと話す剛山を、藍は初めて見た。
「そして惹かれて集まる者の人柄が、おそらく藍様の人柄を示しているのでしょう。……一応言っておきますが、わたしは遠慮というものをあまり理解できませんので」
突然厳格な口調に変わった剛山の言うところの意味に、藍は吹き出した。
「うん。剛山はいい人だよ」
にっこり笑うと、決まりが悪いのか剛山は肩をすくめた。藍が姫であった頃には絶対に見ることの出来なかったその表情を見て、藍も自然、剛山に語ることのなかった自己の思いを口にする。
「成長はしたと、自分でも思う」
一年前、藍は出来るはずのないことを無理に成そうとし、結局何も出来ない子供だった。己という人間は一人しかいないのに、藍と長姫という二つの存在を自分の中に作って、しかもそのことに気付かなかった。だから、自分の本当の望みが分からなくて、揚句、父母の仇という大目のもと、藍を悲しみの底に陥れた紅南国王を怨むという、身勝手で傲慢な思いを抱えていた。
それが今は同じ傲慢でも、自分が幸せになる為の傲慢さを抱えているのだ。父母が望んでくれた藍の幸せを、そして藍の幸せの種である民の幸せを作る。誰かが笑顔になれば、その笑顔を望んでくれている人を笑顔に出来る。
「けれど自信がない」
本当に自分は正しいのか、今こうしていることが間違いではないのか。不安でたまらない。
考え込んで俯いてしまった藍の横で、剛山が軽く笑った。
「本当に、芝韋様に似ておられる」
藍は顔をあげる。まるで家族を見るような、優しい目があった。
「父君も若い頃、よく迷っておられた」
「父上が!?」
驚いて聞き返すと、剛山は頷き、懐かしむように目を細めた。
「はい。位を継いだばかりの頃は特に。常日頃から、上に立つものはどうあるべきか、そして己が望むものは何かを考え、行動していらっしゃったが、それが最善だという自信がなかった」
当時まだ若かったわたしは長の近衛の下っ端を務めていたのですけれど、と剛山は言う。
「時折そのような様子を垣間見ることがありましたし、わたしはその頃から長を崇拝といってもいいほど尊敬しておりましたから、いつも引っ付いて回っていて、それを……なんというか、仕方のないやつだとお思いになったのだと思います。一度だけ話してくださいました。――碧の国は平和だ。しかしそれは同時に戦と無縁の日々を過ごしているということ。碧の軍は強固だが、戦もなければ内乱もない、揚句夜叉も出ないとあっては、経験を積むことが出来ず、他国の者が攻めて来たら敵わぬかもしれぬ、と。そのことでよく苦悶しておられた」
驚愕以外の何ものでもなかった。藍の知る長芝韋はいつも威厳と知性に溢れている非凡の者だった。強くて大きくて、幼い頃から藍の世界の尊敬をほとんど占める父。それは今でも変わらない。父以上の素晴らしい人間性を持つ者を今まで他に見たことはなかったし、この先自分の前に現れるとも思えなかった。そんな父が、自分と同じように、日頃から悩んでいた――。
「瀬那様に出会って変わられましたから」
信じられない、と顔に書いてあるであろう藍を見て剛山は心得たように言う。突然母の名が出て来たことに驚いた藍は面食らって目をしばたいた。
「母上が?」
「……芝韋様に口止めされていたのですが……お話しましょう。他に事を知る者はもうおりませぬし……。本当は藍様が伴侶を迎える日に、芝韋様が自分で話す、とおっしゃっておられたのだが……」
「私の伴侶?それと父上と母上の出会いと何の関係があるんだ?」
「芝韋様は貴女を大変可愛がっておられた」
藍はきょとんとする。そんなこと知ってる、と言うと剛山は満足そうに頷いた。
「だから貴女がいつか誰かと一緒になることを、ひそかに悲しんでおられた。娘を持つ父親の性です。皆まだ見えぬ相手に妬くのですよ。瀬那様は『父親最大の苦難は娘離れ』とよく笑っていらっしゃった」
きょとんとして、ぽかんとして、そして藍は何故か分からないが最終的に赤くなって、そっぽを向いた。
――父上がそんな……。
よく考えてみればそれだって当然のことだろう。国の主であろうが太古から続く神の末裔であろうが、父親は父親だ。娘が可愛いと思うのはきっと当たり前のことで、よく聞く『娘を嫁に行かせるものか』とかいう台詞を、もしかしたら藍の父も呟いていたのかもしれない。しかし、実際それを想像すると、なんだか気恥ずかしかった。今更だが、父上も普通の人だったんだ、と妙に安心し、妙におかしくなった。
「それで、私が結婚するときに、その悲しさを紛らわせる為、自分の結婚に至る経歴を話すって決めてた……とか?違うか?」
「そのとおりです」
「……父上、かわいいところがあったんだな」
神妙に藍が呟くと、剛山は吹き出して口元を抑えた。威厳を保つ為か、なんとか口を開けて笑わないようにしているらしいが、普通に笑い声は周囲に聞こえている。藍はまたもや赤くなって、笑うな、とぶすっとして言うと、とぎれとぎれながらも、申し訳ありません、という返事が返って来た。
「……で、どうして父上と母上は結婚したんだ?」
笑いを噛み殺している剛山を見ても、いつもと違って新鮮味があるとか、堅物さがこのままなくなればいいのにとか、そんなことを思う自分は全く見当たらなかった。早く笑うの止めろ、という文句だけが藍の頭の中に浮かんでおり、それが顔に出ていたのだろう。剛山はなんとか咳ばらいすると、必死に真面目な表情を取り繕った。
「瀬那様が、色々と迷っておられた芝韋様を一喝したのです」
「……は?」
――一喝されたから父上は母上と結婚したのか?
では瀬那がよく藍に言っていた、大恋愛というのは何だったのだろう。母が誇張したのだろうか。いや、しかし何をどう誇張したら『一喝』が『大恋愛』に繋がるのだろう。――なんだか頭が痛くなってきた。
「もーなんだか……私今すごく――」
「自信があるかないかは自分が決めるもので、他人が評価を下すものではない」
頭を抱えていた藍は、剛山を見上げる。
「自信があるということは己を信じているということ。ならばその者にとっての真実は己を信じることにあり、己を信じることだけが真実になる。そのために壊れて行くものがあっても、正すことはおろか、気付くことすら難しい。自信とは、強いと同時にとても危険なものであるのではないか」
不意に瀬那の笑顔が瞼に浮かんだ。ずっと思い出せなかった――あの時の血に塗れ息耐えていた母の姿を見てから思い出すことの出来なかった優しい瞳。
「だから、簡単に自信を持つことが出来る者は、強いのだろうけれど、裏を返せば限りなく恐ろしい者でもある。それが国を治めるような立場の者なら尚更。むしろ、自信がないという者は、自分のすることに疑問を持って、それを解決して先へ進む。進んでは疑問に思い、また戻って解決し、それを繰り返して成長して行く。自信がないということは、真実が定められていない、ということ」
風が鳴り、草が揺れる。暖かい夜の風を、藍は握りしめた。
「そしてそれが自然なことだ、と」
藍は瞳を閉じる。暗闇が一層深くなるが、嫌なものではなかった。
――そうか……。
真実は現実だ。そしてそれは常に変化し、形を変えて藍の目の前にある。定められていないのは当然で、ならば悩むこと、迷うこと、道を踏み間違えて戻り、また進むことは全て必然なのだ。
――悩んでもいいんだ。
泣くのが悪いことでないのだから、悩むのもまた本当の強さゆえなのだろう。藍は長い息を吐いた。
「これは瀬那様が芝韋様に申された言葉です。あの方は芝韋様が国の主であることを知っていて、それでも言わずにはいられなかったのでしょう。そして己を信じることよりも、他を信じることの大切さもまた、お伝えになった」
「己より他……。自信よりも信頼?」
「そうです。それも一方通行ではなく、お互いがお互いを支えるという信頼です」
「だから父上は母上を?」
「愛したのだと思います。そして瀬那様も芝韋様を愛しておられた」
ずっと昔に見た二人の姿が浮かんだ。初めて、藍が国祭で舞を舞った際、二人並んで藍よりも緊張して、終わった途端藍よりも嬉しそうな表情を見せてくれた父と母。駆け寄った藍を抱き上げて、上手だったぞ、と褒めてくれた父も、綺麗だったわ、と頭を撫でてくれた母も――。
「だからどうか、藍様も愛する方を見つけてください。そして愛されてください」
一拍あってから、藍は視線を背けた。その行動を、剛山は照れと受け取ったのだろう。暗闇で霞む藍の表情をよく確認することなく、言葉を続ける。
「瀬那様と出会って以来、芝韋様は御自身の平穏と安らぎを得られた。二方の信頼は全ての基盤で、それにより芝韋様は国を任される不安を少しずつ解かして行き、やがて藍様のよく知る国長になられたのです。民を思い、国を愛し、妃と娘を愛する父親となられた。――藍様」
剛山は今だ視線を合わせようとしない藍に、切に言う。
「貴女の立場が、父君とは比べられぬほど辛く難しい立場にあるというのは分かっております。ですが、貴女も女性。愛することも愛されることも、許されて――」
「許されてる。わかってるんだ」
藍は自分がどんな表情をしているのか、わからなかった。ただ、剛山が言葉を濁し、息を飲んだあたり、よっぽど泣きそうな顔をしているのだろう。泣けるとは思わなかったけれど。
「今も想ってる。支え合うことは出来ているかもしれないけれど、愛し合うのは……それはきっと無理なんだ」
――昴は敵。
いくら鬼神だけが敵であると唱えても、その鬼神が紅南国の王である以上、息子がこちら側に着くのは難しい。万が一それが可能になったとしても、藍が鬼神ごと昴の父親を殺さなければならないことに変わりはない。だから藍自身が、彼の傍にいることを望まない。
「ありがとう剛山。父上達の話が聞けて良かった」
呆然と、まるで初めて藍を見るように目を見開く剛山に、藍は笑いかけた。無理もない。藍自身自分の気持ちに自分で気付くことが出来なかったのだから、まして見ても聞いてもいない剛山が、分かるはずもない。
「明日は早いから、早く休もう。私たちが体力なくしたら何にもならないじゃないか」
おやすみ、と言って、藍は逃げるように天幕の中に引っ込んだ。無意識にぎゅっと自分の衣をにぎりしめる。胸の奥で押さえ付けているものが、ぎりぎりと静かに暴れているような気がした。
――信じたい。
悩んで、逆戻りして、それでも少しずつ前に進んで。いつか自分が自分であることを誇れるような人間になりたかった。そしてそんな風に少しずつ成長する自分を、彼に傍で見てほしいと思う心が、藍の中に存在している。
「……成長してるんだろ。藍」
自分に言い聞かせるこの言葉を、もう何度吐いただろうか。
感想やコメントいただけると嬉しいです。




