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天錦宝史伝 〜新戦記編〜  作者: 花歌
第5章 〜双光輝く玉〜
42/63

再来と勾玉

「今の柳瀬は悪の神の血を引いていないわ」

 遥世はなんの躊躇もなく言った。口調は至って平生。表情は無。落ち着き払い、別段呼吸が大きくなるでもなく、余計なものは省いた彼女がそこにいた。

「これを話しておかないと、禍の世の説明がつかないのよ。だから――」

「ちょ、ちょっと待て」

 先を続けようとした遥世を手で制したのは、祈真だった。彼にしては非常に珍しく、驚き慌てているようで、いつもの澄ました表情が完全に崩れていた。

「柳瀬が日の神子の血を引いてない……?んな阿呆な。遥世、それはいくらなんでも冗談きつ――」

「百年前よ」

 黙ってて、と言わんばかりに遥世は祈真を睨み付けた。その強く真剣な眼差しに、さすがの祈真も口を閉ざす。

 それを確認すると、遥世はまたもや抑揚のない声で語り出した。どうやら自分の感情を表に出さないよう気を使っているらしい。

「百年前の王。それまでの柳瀬は確かに悪の神、つまり日の神子――は知ってるわよね。日の神子の血を継いでいた。けれど何があったのか、次に起った王に、神の血は流れていなかった。当時それを知っていたのは――」

 言いながら、遥世は自分の首元に手を延ばした。

「紅南国王本人と一部の者、それから緑北国王だけでしょうね」

 ころん――と、彼女が首からさげていたものが、床に転がった。

 衣の下に首飾りのようにしてかけられていたのだろう。二本の細い糸の先には、それぞれ一つずつ勾玉が通っていた。どちらも透明で、水のように透き通っている。

「碧玉と紅玉よ」

「……は?」

 間抜けな声をあげたのは祈真だった。

「どう見たって玻璃だぜ?無色透明だ」

「こっちをよく見て。微かに青いから」

 遥世は勾玉の一つを祈真に渡した。祈真はそれを近付けたり遠ざけたりして、確認する。

「緑北国が出来た二千五百年前、当時の碧の国の長は、口伝と一緒にその二つの勾玉をこの国に預けたの。二つは共に日華の剣の紅玉、月華の剣の碧玉と同じ石で出来ている。だから本来、今祈真の持っている方の勾玉は深い青色をしているはずなのよ」

「確かに微かに青いけど……」

 祈真は藍の持つ月華の碧玉と比べる。

「どう見ても違う石の色だ」

「……藍」

 突然呼ばれ、藍はハッとした。

 遥世の放った最初の言葉の衝撃が大きすぎて、それでも以降の彼女の言葉を聞き漏らさないようにと必死になっていた。

 本当は、柳瀬が悪の神の血を――自分と敵対する血を引いていないと聞いた瞬間、脳裏を掠めた人物がいた。

 彼について考えたかった。彼と共にいることが出来るかもしれないという僅かな期待を胸に抱いた自分を否めなかった。

 けれど、柳瀬が悪の神ーー、いや、日の神子の血を持たないというのは世界の在り方そのものを根底から覆す、大きな問題でもあるのだ。

 藍自身のことばかりに構っていてはならない。だから遥世の言葉を頭に叩き込まなければ。

 他のことを考えられないよう、改めて遥世の話に耳を傾ける。

「何……?」

「その勾玉、持ってみて」

 不可解な遥世の言葉に、祈真も藍も揃って怪訝な顔を向けた。しかし遥世はいたって真面目。藍の方にも特に断る理由はない。

 何かあるのだろうか、と、おそるおそる祈真からそれを受け取る。

 手の平に転がった小さな石は、ほんのりと温かかった。遥世が身につけていたからか――と、悠長に考えていた次の瞬間、藍の意識とは関係なく口が勝手に開き、言葉を紡いでいた。

「やっと戻って来た……」

 そしてふと、手にしていた勾玉が持つ熱は、人肌のものでないことに気付いた。炎にあたっているかのように熱く、しかしどこか心地良い、身体に染み込んでくるような不思議な光。

「おい……。藍、大丈夫か?」

「え?」

 呼ばれて顔をあげる。目に入ったのは眉をしかめて藍を覗き込んでいる祈真だった。

 ハッと気が付いて頬に手をやると、涙が頬を伝っていた。

「あ……」

 慌ててごしごしと目を擦るが、涙は藍の意思とは関係なく、次から次へと溢れてくる。

 ――どうして……。

 分からない。分からないけれど藍は嬉しかった。

 この勾玉が自分の元に返って来たことが。

 約束を果たす為に、ずっと待っていたのだから。何よりも強く思っていて、当たり前みたいに傍にあったのに消えてしまったものの為に、この勾玉を再び手にすることを望んでいた。いや、手にしなければならなかった。

 頭がくらくらして、藍は額を押さえた。

 藍じゃない誰かがいる。けれどそれは藍以外ありえなくて、だから今ここにいるのは自分自身のはずなのに、意識が二つあるような気がした。

「私は……」

「月の神子の生まれ変わりね」

 瞬間、頭痛が止んで、涙もようやく止まった。唐突にやってきて唐突に去って行った得体の知れない感情に、今更恐怖が沸き上がって来る。一体今のは何だったのだ。

 ――落ち着け。私は私だ。

 胸に手を当てる。信じられない程鼓動は速い。大きく息を吸って吐き、なんとか落ち着かせる。

「……確かなのか」

「ええ。藍は月華の剣も使えるんでしょ?しかも斬った夜叉は塵となり消える。完全に消滅させることが出来たのは、月の神子だけだった。加えて夜叉の気配まで分かるんだもの」

「藍が克羅の一族だから出来る、という可能性は?」

「ないわ。……見て」

 遥世は藍の手を取ると、にぎりしめた拳を開けるよう促した。

 祈真と遥世のやり取りを落ち着こうとする傍らなんとなく聞いていた藍は、やはり遥世の言葉は二の次で、ほとんど無意識的に掌を開いた。こんなにこぢんまりとした部屋にいるのに、自分だけ取り残されたような気がしてならない。藍だけが世界の異端者であるような――。

 遥世に促されるまま、流れに任せて自分の掌を広げ見つめるはずだった藍はしかし、それが視界に入って硬直した。

 隣で祈真が息を飲んだ。正面に座る遥世も口調からして予測していたはずであろうに、僅かに怯んだ。

 藍の掌で、確かに勾玉は美しい光沢を放っていた。しかし先程と異なるその色。

 薄い青が分かるか分からないかという程度の無色透明だったはずなのに、今あるのは完全なる青だった。清浄な青と取るには深すぎ、紺碧と取るには明るすぎる。澄んでいて、けれど深みのあるそれは、藍の心を強く揺さぶった。

 ――綺麗。

 実直にそう思った。

 この世にはない青をもったこの勾玉が、神秘的な何かを持っているのは漠然とわかる。祈真も遥世も理解しているだろうし、おそらくその神秘がこの勾玉の全てなのだろう。

「……遥世?」

 沈黙が長い。藍は顔を上げて遥世を見た。

「あ……ごめんなさい」

 はっとしたように言うと、遥世は乗り出していた身を引き、口元に手を持って行く。

「分かっていたのだけれど……あまりにも変化が大きいから……」

「何なんだよこれ」

 信じられねえ、と言葉も荒く、祈真は藍の手元から勾玉を取り、最初と同じように瞳に近付けたり遠ざけたりしながら、小さな石を観察していた。

「月の神子の勾玉」

 大きく息を付き、遥世は言った。

「祈真が持ってる勾玉は、碧の国の長がまことの血を持つかを証明する為のものなの。色がない場合、時の長は月の神子の末裔ではない。色がある場合、時の長は確かに克羅の一族で、その勾玉が砕けた時は、克羅の血が途絶えたことになるの」

 現に――、と遥世の声は急に感情的になる。一瞬、藍をちらりと見たような気がしたが、また視線を逸らした。

「克羅の都が攻められた次の日に……この勾玉は色を失ったわ」

 藍は顔をあげた。そしてすぐに、床に視線を戻す。

「そう……か」

 では、都が落ちた翌日に――藍の生まれた日に父は亡くなったのだ。

 藍は目を閉じた。たった一度強く波打った胸に手を当てる。

 痛みはない。あるのは、引っ掛かっていた紐が外れたような、閉まっていた扉が開いたような、開放的な感情だった。

 ――父はやはり……。

 父の死だけは、状況も形も分からないまま知らされていたから、心のどこかに期待している部分があった。もしかしたら――もしかしたら、誰も知らないだけで、本当はどこかで生き延びているのではないか。藍を探そうとしてくれているのではないか。

 嘉瀬村を殺すことだけを考えていた時も、自分の幸せを掴もうと決めてからも、父だけは別の場所にあった。強くて、優しくて、国を、民を、そして藍を愛してくれた父は、いないと分かっていても、藍の最後の寄り城だった。

「命日が分かって良かった」

 藍は笑った。

 だからこそ、父が確実に死んだという確証がほしかった。藍はまだ、完全に母や喬らの死を乗り越えられていない。支えであった昴さえいない今、少しでも油断すれば、また闇に飲まれて以前の自分に戻りかねないのだ。父芝韋が生きているかもしれないという淡い期待を心の内に秘めていれば、無意識にそれを優先してしまうことだってあるかもしれない。

「……克羅芝韋が亡くなる以前は、もちろん、勾玉は色を持っていたわ。彼は確実に月の神子の末裔だったのよ」

 遥世は何も言わなかった。彼女なりの優しさだろう。

「それまでも、碧玉の勾玉が色を失ったのは、長が継承される僅かな時間だけ。おそらく三千年前からこの勾玉は色を失わなかったはずよ。そして同時に、ここまで深い青を持つこともなかった」

 祈真の持つ勾玉を、遥世はじっと見る。

「『月の剣用い悪を払う者のみ、ぎょくに色取り戻す』。これは口伝の一文。克羅の長が生きている時の勾玉の色を私は何度も見ているけれど、空のような淡い青だったわ。その色を変えた……それもここまで清らかで深く、美しい色に変えたのは……藍、あなたが月の神子の生まれ変わりに他ならないからよ」

 唇を真一文字に結んだまま、藍は顔を伏せていた。膝の上で握っていた拳が震えた。

「髪が青いのも、生まれてすぐ碧の国が潤ったのも、それが理由かもしれないわね。百年前に私の先祖の橘王は、日の神子と月の神子が甦ると予言したわ。それはこの二つの勾玉の輝きが曇ったからなの。紅玉の勾玉にいたっては、完全に色を失った。『二つの色が薄れ、神の子が再来する』。これも口伝」

 遥世の言葉は、藍の胸に深々と突き刺さった。

 藍は藍。自分以外の何者でもありはしないと、己を大切に思うことを学び、それを成そうとしていた。

 その矢先、突き付けられた現実。自分はかの神の生まれ変わりだというのだ。

 どうしてこんなことになるのかわからなかった。

 藍の意思や心情とは関係なく、物事は動いている。月の神子というからにはおそらく、禍の世と関係しているであろうし、もはや藍だけの問題でも碧の民だけの問題でもなく、緑、白、紅を含む全ての国に関わることなのだ。

「私は何をすればいい?」

 冷静に藍は聞いた。

 もし藍が月の神子なんかと無縁の存在なら、遥世の口伝から聞いた知識を元に、紅南国王を脅してでも碧から兵を撤退させるか、このまま緑北国を南下し、各地にちらばっている民を集めて兵をあげる。

 けれど遥世によれば、どうやら藍は藍だけで構成されていないらしい。

 ――善の神か……。

 突っ張ってその事実を受け入れられないかと思いきや、案外そうでもなかった。目の前で石の色が変わったり、自分の意思とは関係なく涙が流れてくるという奇異を突き付けられたせいというのもある。先程無意識に呟いた「やっと戻って来た」という自分の言葉も、おそらくは勾玉が藍の前世である月の神子のものだったからだろう。

 しかし、それだけでなく藍の心がそれを納得してしまっていた。感覚的なものだった。

「何も」

 何をすれば良いか、との藍の言葉に遥世は首を振って言った。

「貴女は藍として今ここにいるの。だから貴女のしたいことをすればいいわ」

「何も?」

 予想外の台詞に祈真が驚いたように聞き返す。

「そうよ。なぜなら藍は藍だから。前世がなんであれ今は違う人間よ。月の神子が生まれ変わることを望んで、藍が生まれてくることを望んだから、今、克羅藍はこうしている。もし月の神子が何かを成す為に再びこの世に現れなければならないのなら、甦りが示されてから百年もたった後にわざわざ生まれ変わったりしないわよ。勾玉が曇ったその時に生まれ変わるか、もしくは復活してるわ」

 だったらどうして藍にこんなことを言うのかっていう話なんだけど――と遥世は言う。

「藍は知っておかなければならないのよ。夜叉を完全に消滅させることが出来るのは、世界に貴女だけだということを」

「……無知は罪じゃねーが、知ろうとしねえのは罪、ってことか」

 心得たように祈真は言った。藍は視線をそちらに向ける。

「そういうことだ。ほら」

 勾玉を握っている拳ごと祈真は突き付ける。藍が両手を添えると、そこに転がした。

「藍が自分に秘められたものを知ってんなら、好きなように生きていいんだよ。それはお前が常に考えてるってことだし、自分に責任を持ってるってことだ。人が生きていく上で、知らなかったじゃ済まされないことは数多くある。考えて失敗する方がまだましだ」

「ようは何も変わらないってことなのよ。藍の知識が増えただけでね」

「でも」

 藍は自分の掌に転がる勾玉を、じっと見つめた。

「知識が増えたということは、私は変わったということになるだろう?」

「それは違うな。知識が人を変えるわけじゃねーし。人が変わるのはその者の意思の向きが変わった時だけだ。知識の吸収はきっかけに過ぎないからな。藍は己の真実を理解しているけど……受け入れられねーんだろ」

 まあ当然か、と祈真は息を吐く。

「突然、あんたは神の生まれ変わりだからあとはよろしく、とか言われてもなあ……」

 しん、とここに来て初めて沈黙が場を包んだ。

「とにかく」

 しばらくの沈黙の後、遥世が口を開いた。

「この勾玉にはそういう力があるの。こっちの今現在色がない方も同じよ。日の神子の血が絶えたら砕け、王が柳瀬でなければ色はつかず、日の神子が握れば、紅玉は元の赤を取り戻す。今現在の紅南国王は柳瀬嘉瀬村。確かに王位に就き、まつりごとを担っているわ。けれど予言の下された百年前以降、勾玉は色を失ったまま。つまり、今の柳瀬は偽の柳瀬。神の血は流れていない……分かった?」

 藍は顔をあげた。まさか、と呟くと遥世は頷いた。

「禍の世が始まったのも、神が甦ることが橘の王に知らされたのも、今から百年前に柳瀬が本物ではなくなったからなのよ。世界は今も神々の恩恵を受けているから……そのせいで均衡が崩れ始めている」

 遥世は目を閉じた。

「今から三千年以上の太古の昔、まだ神と人は近かった。もともとこの世界は人という弱く愚かな存在を守る為に、天の神である天神らと、地の神である地祇ちぎらが協力して造った世界だったから、人が神を祭り崇めるのは当然だったの。けれどある時から突然、人々は地祇に対して感謝の意を示さなくなった。地、川、海、花、木を始めとする地の神である地祇は、人と近すぎたのよ。人間の関心は未知の領域である天へと向いていた。陽、月、空、風、雨などの神、天神だけが人から感謝を受けるようになった」

 藍の全く知らない話だった。おそらくこれが、緑北国に伝わる長い口伝。遥世はそれを一言も話し忘れまいと、今必死に記憶を辿っているはずだ。

「もちろん、地祇である神達は怒ったわ。愚かな人の憎しみや怨みの心を利用して、夜叉を造った。今までずっと平和だった世界に悪が蔓延はびこったことで、天神も介入を余儀なくされ、結果として、天と地という表裏一体の存在の滅ぼし合いが始まったの。これが天神と地祇の争いの始まり。発端は人だった。夜叉を作り出したことで、天神と地祇の戦いは地祇有利で進んだわ。それに、天神は天の神だから、地上に長い間留まることは出来ない。だから代わりに、二人の神子を遣わした。それが日の神子と月の神子」

 ぴくりと反応した藍を見たがしかし、遥世は全く気にせず、なんの頓着もなく続ける。

「天神達は、日の神子には地祇を滅ぼす力のある剣、日華を、月の神子には夜叉を滅ぼす力のある剣、月華を与えた。二人の神子の力があって、戦いは次第に天神側が有利になっていき、そしてとうとう、地祇の中でも最も力のある神を、日の神子は見事に倒した。けれど……」

 遥世は藍と祈真を見た。

「鬼神、という言葉を知ってる?」

 突然質問され、藍は一瞬驚いたが、すぐに首を横に振った。全く聞いたことがない。

「地祇が実際に造った夜叉は、たった一つだけだった。その一つを鬼神というの。神という字を使うし、力は同じくらい強いけれどけれど、この夜叉は神ではないわ。この鬼神が人妖を始めとする夜叉を造っている。だから鬼神を倒せば、全ての夜叉がこの世から消えるはずだった。月の神子はそれに失敗した」

 遥世は再び目を閉じた。

「失敗した月の神子を、天神は許さなかった。天神の中で最も力のある神は、死をもってこれを償えとおっしゃった。月の神子はこれを受け入れようとした。けれど何を思ったか、日の神子が死を命じた天神を斬ったの。日華は神を滅ぼす剣だったからその天神は消滅したわ。――互いに力の強い神を失った天神達と地祇達は、干渉することを止めた。この世界を人のものとし、全てを知る日の神子と月の神子にそれぞれ国を与え、天界と地界へ戻った。夜叉という驚異の存在と、月華という平和の為の剣を残してね」

 遥世の声がかすれてきた。

「神々から見離されたこの世界は、闇に包まれた。神を殺し、世界が神から見離される原因をつくった日の神子は、必然的に悪と呼ばれ、夜叉を滅ぼす力と剣を持つ月の神子は、希望の意味もあって、善と呼ばれるようになった。二つの神子は国が潤うよう手を尽くしたけれど、どうにもならなかった。――この世界に幸を取り戻すには、神々の力を再び受ける以外に方法はないことが分かっていた二つの神子は、神々とある取り決めを交わしたの。それが何かは分からないけれど、天神も地祇も了承し、空は光を、大地は輝きを取り戻した。それでも、神々は二度と人の前には姿を現さず、完全な豊さを営めないようにした。だから干ばつや洪水がこの世界にはあるのよ」

 はあ――と、遥世は大きく息を吸い、その後で再び沈黙が場を包んだ。

 なんとも壮大な物語だ。天神と地祇の戦い、善の神と悪の神の二つに、そんな真実があったとは。

「日の神子と月の神子は神格化されて、悪の神と善の神になったんだろーな」

 ぼんやりと、祈真が呟く。

「二つは敵対していると誰もが思ってたのに……こりゃあ何もかもが根本からひっくり返るぜ」

 確かに、それぞれに天神から剣を賜った日の神子と月の神子はむしろ、仲間意識が強かったに違いない。いや、それ以上に――。

 ――柳瀬が日の神子の血を引いていない……。

 藍は掌にある勾玉をぎゅっと握った。温かさはずっと継続している。

「本物の柳瀬がどこかにいるんだな?紅玉の方の勾玉は色を失ってはいるが、割れてはいないし……血は続いてるんだろう?」

「ええ。おそらくは」

 遥世が神妙に答えた。そして、無色透明の勾玉を藍に渡す。

「藍が持ってた方がいいわ」

 ころん――と、藍の掌には二つめの勾玉が置かれた。

「碧の勾玉は元来月の神子のものだったのだから、今返す。紅の勾玉も持っていて。きっと藍が持っていた方がその石も救われるはずよ」

 にっこりと笑っている遥世を見て、藍はとまどったが、結局何も言わずに二つに繋がる紐を首から下げた。胸元が温かかった。

「……で?」

「で、って?」

「莫迦。お前文に書いて寄越しただろ。ただ事ではありません、って。それについては何も解決してねーだろが」

 祈真が眉間に皺を寄せて言うと、遥世も露骨に顔をしかめた。

「あるじゃないのよ。碧の国が滅びて月の神子が甦って、藍が勾玉を輝かせて……」

「二千五百年の間外に漏らさなかった口伝を伝えたんだ。してほしいこととか、しなければならないこととかあるんじゃねーのか?」

「……本物の柳瀬を探す」

 独白のように藍は言った。

「違うか?」

 柳瀬の血を持たない者が柳瀬を名乗り、王位についたせいで世界が乱れているのなら、やはり元の通り、日の神子の末裔に紅南国を治めさせる以外、禍の世からこの世界が抜け出す方法はないだろう。

「そうであって……そうでないわ」

 遥世の声は今までと違って、自信がなさそうだった。

「ここからは私の予測でしかないのだけれど……紅南国王嘉瀬村は……彼はもしかしたら」

「なんだよ」

 祈真が急かす。藍も息を殺して言葉を待つ。遥世は小さく言った。

「鬼神じゃないかと思うの」

「……なんだって?」

 藍はこれでもかという程眉間に皺を寄せて、遥世を睨むようにして見た。これまでに突飛で理解の難しい話をたくさん遥世にしてもらったが、これほど不可解なものはない。

「ずっと考えていたのよ」

 藍の否定的な声色に、遥世は敏感に反応した。

「紅南国王が日の神子の末裔でなくなったのと同じ時をして、勾玉は曇り、甦りの予言が出されたわ。それは同時に禍の世が始まった時であり、紅南国が戦の国へと変わった時である。……鬼神は肉体を持たないの。人に取り付いて、思うまま操り、力を発揮する。過去にも実際そういうことがあったのよ。だからもし百年前に、鬼神が柳瀬でない誰かに取り付き、王位を奪って柳瀬を名乗ったとしたら……子が生まれる度に肉体を奪い、取り憑き変わっているとしたら……」

 藍の頭の中にある言葉が浮かんだ。

 ――戦鬼。

 戦好きとされる嘉瀬村の影の呼び名。鬼神という言葉をひねったように思えるような気がしなくもない。

 そして百年前から、紅は戦の国へと変貌した。柳瀬でない誰かが王になってから、禍の世は始まり、夜叉も増えた。それは、夜叉を束ねる鬼神が絶対的な安全を手に入れたからなのだろうか――?

「鬼神は月の神子を怖れている。唯一自分を滅ぼすことの出来る存在だものね。だから血眼になって戦を起こし、探し続けているのよ。そしておそらく……」

「藍がそれだと気付いた」

 遥世の言葉を継いだ祈真は、腕を組み静かに言った。

「天竜の村で起きた夜叉の異種間行動、異様な程多い数、巨大でめったにない虎妖。そして極め付けは、夜叉は迷わず藍のいる天竜の村までやって来た。これは最初から村を――藍を狙ってた証拠だろ」

 ぞっとする話だった。太古の昔に地祇が造り出した悪の塊が――鬼神が、自分を狙っている。藍を殺す為だけに、国々と戦をし、ついには碧を滅ぼした。その卑劣で残酷な存在。

 ――怖い。

 自分が克羅の最後の一人というだけに留まらず、紅南国に狙われ、夜叉に狙われる月の神子の生まれ変わりであるなんて、誰が考えられただろう。

 いくらなんでも重すぎる。確かに碧の民を救う為、紅南国と戦になるかもしれないことは予測していた。仁多王の助力も得られることが決まったし、そうなれば藍は自ら戦場に立つつもりだった。だが、それとこれとは話が違う。本当に今から百年前、鬼神が人に憑き、日の神子の一族から王位を奪い、そのせいで禍の世がやって来たのだとしたら――藍がこれから相手にするのは、夜叉の王とも呼ぶべき存在なのだ。

 禍の世を造ったのは鬼神。そして、禍の世を終わらせられるのは藍だけ。嘉瀬村を斬らなければ、本当の平和は永久に訪れない。

 客観的には良いのかもしれない。自分にしか倒せない相手がたまたま戦おうと思っていた、人にとって脅威の存在だった――一石二鳥だろう。だが主観は――藍からしてみればこの現実は――。

「……一度間を開けましょう」

 黙り込み、俯いたまま身動き一つしない藍をおそらくは気遣って、遥世が言う。

「まだ朝早いわ。二人とも橘に着いたばかりで疲れているでしょうし、食事もまだでしょう?夕方辺りにまたここに集まって、続きを話しましょう」

 祈真がそれに賛同し、ややあってから藍も頷いた。早朝から体がだるいのは、疲れのせいだけじゃないはずだ。

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