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天錦宝史伝 〜新戦記編〜  作者: 花歌
第4章 〜郷愁〜
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撫子の宮

 後宮の宮一つ一つは繋がっているが、用もない男が通ることは許されていない。例え昴が紅蘇であろうと、蘇芳以外の宮に勝手に入れば罪になるし、下手をしたら首を跳ねられかねないのだ。それ故、十を超した年の子供は実母の宮から出ないし、母親の方も出来るだけ自分の宮から出さないようにするのが一般的である。

 しかし、王の子が他の宮の妃に会ってはならないという決まりもない。例え血は繋がっていなくとも、後宮に住む宮号妃は母だし、母と子として親しくすることには何の問題もないのだ。

 許可されていない宮には入れない。しかし、許可された宮には行きたい。そういう時は、庭の通路を歩いて、階段元からその宮を訪ねる。身分の高い者はあまり徒歩かちという手段を使わないのだが、この後宮という場所は特別だった。馬を持ち込むわけにはいかないし、輿こしは後宮に王族以外の男は入れない為、担ぐ者がいないのだ。

 撫子の宮は後宮の南西奥にあり、昴の住まう蘇芳の宮から行くまでに、萩の宮と椿の宮の傍を通らなければならない。

 昴が歩を進めると、案の定、紅蘇が撫子を訪ねるという噂を聞き付けた女人や侍女が、昴の姿を目に収めるべく廊に出ていた。

「来たわ……」

 ひそひそと耳打ちし合う声と、注がれる視線を全て無視し、昴はさっさと足を進めた。批難の視線にも好奇の視線にも、この一月で随分と慣れてしまった。自分の心の感じ方も大分麻痺したと思う。どれだけ蔑まれても、憎まれても、美しいものを見ても、おいしいものを食べても、何も感じない。平静を保つには心を頑なにするしかなかった。

 煩い宮を離れ、撫子の宮が見えた時には少しほっとした。誰も昴を興味本位で出迎えようとしていないのか、静かで安穏としている。

 ふと、階段に誰かが座っているのが見えた。目を凝らして見ると、その影は大分小さい。昴がわざと足音を響かせると、影は顔をあげるなりパッと立ち上がり、次の瞬間蕾が開くような笑顔を見せた。

「兄上!」

 その言葉を聞いて、昴は仰天した。今いる場所が後宮であること忘れ、思わず大声をあげる。

「和歌滝!?」

 髪を振り乱して駆け寄って来た子供は、勢いよく昴に飛び付いた。昔より一回り大きくなった体や、少し力強くなった昴にしがみつく腕が、この男の子が自分の弟であるという確信を持たせてくれない。

「兄上、おかえりなさい!」

 しかし、昴を見上げる瞳は変わっていなかった。自分に似ていない茶目っ気たっぷりの可愛らしいくりくりした目。昴の衣を固く握りしめたまま、にこにこと和歌滝は笑った。

「兄上!和歌滝は大きくなりました!」

 ややあって、昴は盛大に吹き出し、声をあげて笑った。

「兄上?」

 腹を押さえてくの字になり、涙を浮かべて笑っている昴を、小さな眉をへろっと曲げて和歌滝は心配そうに見る。

「すまない……いや、和歌滝は悪くない……」

 こんなに笑ったのは久しぶりだった。

 昴の中に溜まっていた何かが弾けてしまったようだった。この一月、ずっと堪えて感情が爆発し、盛大に襲い掛かっている。それがたまらなく気持ち良かった。

「うん、大きくなった」

 ようやく笑いが治まると、昴は和歌滝の頭を少し強くがしがしと撫でた。

 子供特有のさらさらの髪が絡み合う。しかし全く気にした様子はなく、むしろ本人はくすぐったそうに笑っていた。

「さあて、どれぐらい大きくなったかな……っと」

「うわぁ!」

 昴は和歌滝の両脇を掴むと、高く抱き上げた。和歌滝の頭で太陽が遮られ、自分の視界が影に隠れる。驚愕した表情が目に入った。

「おっ。かなり重たいなあ」

「兄上!離してください!た、高い――」

「あ、こら、足を振るな!顔に当たる」

 あわあわと慌てて必死に昴にしがみつこうと和歌滝を、昴は微笑んで見ていた。

 随分と大きくなったと思う。昴が城を出た当時和歌滝は三歳だったから、今は七歳前半ぐらいだろうか。

「あにうえ~」

 ふと、和歌滝とは違う幼い声が近くで聞こえて、昴は足元を見下ろした。

 いつの間にやら、昴の足丈もない小さな男の子が、昴の袴を握りしめていた。ぎゅっと結んだ唇は小さく薄く、ふよふよと柔らかそうな頬は、林檎のように赤い。もともとなのか、それとも怒っているからか分からなくて、昴は目をしばたいた。

「とーともするの~」

「とー……何?」

「……うぅ」

「え!?」

 突然眉を歪ませ、詰まった声――おそらくは幼子が泣く前の声を聞いた昴は、慌てて抱き上げていた和歌滝を降ろし、その小さな男の子のどんぐりのような小さくてくりくりした瞳に涙が溜まるのをなんとか止めようと焦った。

 『とーと』の意味が全く理解出来ない。そもそもこの子供は一体何者なのだ。突然しがみついてきて、幼児語を連発されてもかなり困る。

飛渡とびとも高いのしたいの?」

 昴に降ろされ、安心したようなつまらないような複雑な表情を浮かべていた和歌滝が、ふと言った言葉に、昴は驚いて反復した。

「飛渡……」

 唖然として自分の足にしがみつく子供を見た。

 城を出た当時、まだ一歳にもならなかった赤ん坊。友佳が腕に抱いていた姿をよく覚えている。

 当時、病に臥せていた母の病状を伝えるという役目を任されていた昴は、週一程度の割合で撫子の宮を訪れていた。頼めば侍女が行き来してくれただろうが、他ならぬ母とその大親友のやり取りなのだから、友佳には自分の目で見た母の様子を事細かに伝えたかったし、母には友佳の状況や子供たちの様子を自ら伝えたかった。

 昴自身が幼かったこともあって、その頃は今みたいに幼子が苦手ではなかった。

 だから、訪ねる度、昴は和歌滝と遊んでやっていたし、生まれたばかりの飛渡に必ず一度は声をかけていた。それこそ、眠っていても、笑っていても、不機嫌な時でも、だ。自分の弟達が可愛かったし、兄であることが嬉しかった。

 しかし、和歌滝は懐いてくれていたものの、飛渡はそうでもなかった。昴を見てもにこりともしなかったし、笑わそうと努力しても、全く無表情だった。

 そんな、昴に全く興味を示さなかった赤ん坊が、今は足に引っ付き離れようとしない。

 ――子供って分からない……。

 はあ、と溜息をついてから、昴は飛渡を抱き上げた。和歌滝の言う「高いの」をやってほしいのだろう。

「ほら」

 兄と比べるとまだまだ軽い。飛ぶように地面から離れた瞬間、飛渡はきゃーっと声をあげた。

 その声に、泣かれるのかと思って、昴は無意識に顔を背けた。やってられない――、と言った心境である。しかし。

「あにうえがちっちゃくなった!とーとの方がおっきいー!」

 え、と昴は驚いて視線を戻した。飛渡はにこにこしながら和歌滝を見下ろし、足をぷらぷら揺らしている。きゃっきゃっと騒いで好き放題しゃべりまくる飛渡に、昴はいつの間にか自分が口をぽかんと開けて見入っていることに気付いた。無表情どころか、これでもかというほど飛渡は満面の笑みを浮かべている。

 ――和歌滝とは似ていないな……。

 飛渡を見つめながら、昴はふとそんなことを思った。

 昴にこそ懐いていたものの、和歌滝は人見知りが激しかった。友佳と共に蘇芳の宮を訪れて来ても、友佳、静紅、昴以外の者には寄り付かなかったし、置いてけぼりにされようものなら、小さな脚を必死に動かし、走り回って探すのだ。人目があるので泣くことこそしなかったが、そういった状況の中、ようやく昴に会えた時などは、引っ付いて絶対に離れなかった。

 三年ぶりに再会した昴の元に、元気よく飛び付いてきたのも正直驚いた。これだけの月日が経っていれば、和歌滝が昴を兄として見てくれないかもしれないことも、覚悟していたのに。大きくなったからか、相手が昴だからか。どちらにしても兄として嬉しいことに変わりはない。

 そんな兄、和歌滝に対して、弟の飛渡のほうはそうでもないらしい。最後に会った当時、まだ一歳にもなっていなかった飛渡が、昴のことを覚えているはずがない。なのでおそらく本人は初めて会った人として昴を認識しているはず。その得体の知れない相手に対して、「とーともするの~」ときたものだ。

「兄上、飛渡ばっかりずるいです!」

 ぼんやりと昔のことを思い出したり、あれこれ考えていた昴は、再び足元から聞こえて来た声に、振り向いた。

「ずるい?何が?」

「飛渡の方が長いっ!」

「……」

 そんなに抱き上げられることが楽しいのだろうか、と昴は疑問に思った。確かに二人はあまり男には会えないし、会えたとしてもそれは礼でのみ知る堅物の役人だけだろう。こんな風に高く抱き上げられたことはないのかもしれない。

「じゃあ和歌滝はまたやってほしいんだな?」

「はい!やってください!」

「よおし」

 抱き上げていた飛渡を降ろし、和歌滝に手をのばす。しかし――。

「やー」

 右の袖口を引っ張られ、昴の動きははた、と止まってしまった。降りたばっかりの飛渡が小さな掌で昴の衣をにぎりしめていた。

「とーとがもっかいやるのー」

「飛渡は今やっただろう。今度は僕の番だ」

 はし、と和歌滝は昴の左腕を掴み、飛渡を睨み付ける。

「とーとだもん」

 兄に負けじと、飛渡も昴の腕を引っ張った。

「お、おい」

 右へ左へと引っ張られ、昴は声をあげた。しかし二人は気付く様子もなく、むしろ引っ張る力を強め、駄々をこねはじめる。

「いやだぁ!とーとのー!」

「離れてよ飛渡!兄上と僕のほうが仲良いんだぞ!」

「とーとの方がおっきーもん!あにうえちっちゃくなったもん」

「あれは高いのやってもらったからだろ!僕の方が背高いぞ!」

「あにうえのばぎゃぁあ!」

「ばかはそっちだ!」

 ぎゃあぎゃあと後宮の庭で騒ぎ始める紅子と朱子。間に挟まれ途方にくれている紅蘇。一体はたから見たらどんな構図でどう思われるのだろう、と今の状況を他人事のように考えながら、昴は引っ張られるままあっちへこっちへふらふら揺れていた。

「あらあら、随分人気者なのね」

 パッと、昴も和歌滝も飛渡も動きを止め、声のした階段の上段を見た。

『母様!』

 幼い二人の声が重なり、共に駆け出す。

 たっぷりとした長い髪は、紅南国にしては珍しく、結い上げられていた。特に後宮の侍女を含めた女は、うなじや首、肌を見せるのを嫌がるため、髪は降ろしたままのことの方が多いのだ。

 しかし友佳は昔からそんなことを気にしていなかった。彼女いわく、

「うっとおしいの。夏もそのままだったら耐えられないわ」

 らしい。

「母様、あのね、飛渡がずるいんです」

「ちやうもん。あにうえがあにうえとるんだもん」

 先程と昴の時と同じ様に、和歌滝は友佳の左腕を、飛渡は右腕を掴み、両方とも頬を膨らませて口々に文句を言っている。端から見るとこうなるのか、と昴は一人納得した。

「あら、そうなの」

 友佳は愉しいことこの上ないと言った様子で、和歌滝、飛渡、そして昴を交互に見つめる。

「二人ともそんなに彼と遊びたいの?」

『うん!』

「そう。でも……」

 突然友佳は右腕をあげ、ある方向を指差した。

「お行儀が悪いから今日は駄目よ」

 彼女が差す階段元には、二人が母親に駆け寄る際に脱ぎ捨てられた沓があっちへこっちへと飛んでいっているという、なんとも子供らしい構図が存在していた。

 しまった、という顔をした二人を、友佳はにっこりと見据える。

「片付けたら部屋に戻って字の練習をしなさい。二人とも途中だったでしょう」

「でも母上――」

「和歌滝~?あなた、確か今日百文字書くからっていう約束で、昨日の三十文字は見逃してあげたのよね?」

「うっ……」

「とーとはやったもん!」

 抵抗出来ずにがっくりと頭を下げた和歌滝を片目に、飛渡は胸を張って言う。

「とーとは字のれんしゅう、終わったよかあさま!」

「飛渡は今日は友理の面倒見てくれるんでしょう?母様に約束してくれたわよねー?」

「あっ……」

 ――母強し。

 昴は半分尊敬、半分呆れの眼差しを込めて友佳を見た。

 昔からそうだったが、友佳は宮号妃とは思えないくらいの教育母である。彼女自身、代々学者をしている家に生まれた人だから、教養もあるし、頭も良いのだ。

「ほら、二人とも自分のすることしてらっしゃい」

 実母から極上の笑顔を向けられて断れるはずもなく、和歌滝と飛渡は二人そろってとぼとぼと部屋へと戻って行った。

 残されたのは昴と友佳。階段の上と下で視線が交わる。

「お久しぶりでございます。撫子の上君」

 昴はにっこりと笑うと、深く礼を取った。

「文まで頂き、さらにはこうしてお招き頂いたこと、心より感謝いたします」

 礼儀に適った言葉を、昴はきちっと取った。

 こういう表面上の笑顔には慣れている。そして友佳はそれを見破られない程、愚かな人間じゃない。案の定――。

「威厳と謙虚の交じる誰もが模範とする礼ね。でも私にしても、何も出ないわよ」

 一瞬の間のあと、その場に二つの笑いが広がった。どちらも最初はくすくすと上品だったが、しまいには人目も気にしない大きなものに変わる。

「お久しぶりです」

 懐かしさに笑みを浮かべ、昴は沓を脱ぎ階段を上がると、にっこりして友佳を見た。

「すっかり大きくなっちゃって。私、確か昴を見下ろしていたはずよ。いやあね。月日を感じちゃう……」

「友佳殿は相変わらずお美しいですよ」

「このお。いっちょ前にお世辞まで叩くようになっちゃって!」

 言いつつ、友佳は満更でもなさそうだった。昴を満足そうに見て、そしてふと一点で目が止まった。

「頬、どうしたの?」

「え?ああ、これですか」

 怪訝な顔をして昴の右頬を指す友佳に、昴は苦笑する。

「随分前にやり合った際に付けられたんです。なんでもありません」

「なんでもなくないわ。静紅にそっくりの可愛い顔に傷付けるなんて……もったいない」

「いいんです」

 キッパリと言い切る昴を、友佳は不思議そうに見た。

「どうしてよ」

 昴はただ笑って答えた。

 初めて会った日に藍が無意識につけた傷は、未だ消えていない。最初はそんなものに興味がなく、塞がっても痕が残っているのを見て、暫く消えないか、なんて暢気に考えていたけれど、今となっては自分の心の象徴のようなものでしかない。

 取っておいてはならないのに、取っておいてしまう、己の弱さ。

「昴を負かすなんて相当の人物ね」

 昴が何も言わないことに何かを感じたのか、友佳はそれ以上追求しなかった。

「最近和歌滝が弓を使えるようになりたいって騒いでるのよ。もしよければ教えてあげてくれる?昴は弓も使えるでしょう?」

「はい」

「じゃあお願いしてもいいかしら――って私ったらこんな所で立ち話なんて。ごめんなさい。つい夢中になっちゃって……。さあ、中に入って。和歌滝と飛渡が来る前に話しちゃわないと」

 いそいそと友佳は廊から宮の中へと入って行った。昴も続きながら、その背に問う。

「今日はどういうお話ですか?」

 会話の発端になればと思ってかけた、なんでもない言葉だった。友佳のことだから、三年間分の世間話よ、とか、せっかく城の外に出るのに協力したのにのこのこ戻って来た理由を聞かせてもらわないと、とか、そういう類の言葉が返ってくるのだと思い込んでいた。

 しかし、昴が聞いたのは、突然立ち止まり沈んだ口調で呟いた友佳の意味深な言葉だった。

「私しか知らない話よ」

「え?」

「今は駄目。奥へ入ってからでないと。何も聞かないでね」

 再び歩き始めた友佳を、昴は呆然と見ていた。

 ――友佳殿……?

 彼女は温和で明るくて、暗い影など全く見せない人だった。本当に悲しみを表に出したのは、昴の母静紅が亡くなった時だけ。友佳の場合、負の感情を無理に押し殺しているわけではない。全てを良い方向へと持って行こうとし、持って行くことの出来る強い女性だから、陰が全くないのだ。

 その友佳があからさまに見せた、不安の色。深刻な何かの話――それも彼女の言葉からするに、他人に聞かれてはまずい話であることは確かだった。

 昴について回っていたあの視線も、さすがに後宮であるここまでは付いてきていない。撫子の宮は他の宮と比べて元々小さいし、侍女も友佳が全て把握しているから、見知らぬ者が入って来たらすぐにばれる。

 友佳と昴の間に何もないことを確かめる為、話に立ち会う者――つまり、王から遣わされた者だけは知らない相手だが、彼等は遠くから昴と友佳の姿を遠くから見るだけで、話の聞こえる位置にはいないのだ。

 通されたのは、見覚えのある友佳の自室だった。静紅と友佳がここで語り合い、目の前の庭で昴が和歌滝の相手をしていたのは昔のことなのに、今でも鮮明に思い出せる。ここに来ることが出来た時、母はまだ元気だった。

「かけて」

 いつも母が座っていた場所を目で指しながら、友佳は言った。

「……失礼します」

 ――妙な気分だ。

 母が亡くなってから、こうして友佳の自室に招かれるのは初めてだし、母がいつも座っていた場所に腰を降ろすのも、いけないことのような気がしてしまう。まるで三年前で時が止まってしまったような錯覚が、昴にはあった。

「世間話もしたいわ」

 腰を降ろすなり友佳は言った。

「けれど何よりも昴に伝えておかなければいけないことがあるの。もし私が死んだら、この世界を欺いている事実が、永久に消え去ってしまうもの。これを知る者が一人しかいないのはいけないわ。……だから静紅も私に秘密を託したのかしらね」

 最後の方はほとんど思い出すように言った友佳の表情は、随分と強張っている。

「秘密……ですか」

「ええ」

 その面持ちのまま、友佳は昴を見る。

「昴にとってはつらい話になるかもしれないわ。でも聞かないと、卑怯になってしまう。それに これは静紅が伝えられなかった遺言でもあるのよ。聞く気は……あるわね?」

 ――遺言……。

 そんなものがあったのか、といった驚きと、友佳の言う「卑怯」という言葉が気になった。

 話の意図は全く読めない。だからと言って、聞かない理由もない。むしろ、友佳がこうしてわざわざ呼んでくれるほどのことなら、逆に聞きたい。

「是非、聞かせてください」

 あとで思い返せば、この時昴はあまり真剣に考えていなかった。ずっと政や人との付き合いばかりに気を取られていたし、これからどうやって味方を増やして行くかという、紅蘇としての自分ばかりが際立ってしまっていたのだ。

 この時に気付けていれば良かった。自分はかの少女と同じ道を辿っていると。

 己を昴と紅蘇という二つのものに二分化し、混同させて、我を見失いつつあることに。

 そうすればきっと、やつに付け入られることはなかったはずだ。


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