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天錦宝史伝 〜新戦記編〜  作者: 花歌
第4章 〜郷愁〜
34/63

北へ

 翌日、今年初の雨が降ってくれたのは嬉しかった。あんなに星がよく見える夜だったから、てっきり快晴かと思っていたのに。止まることのなかった涙のせいで、藍の瞼は酷く腫れていた。雨が降っていれば笠をかぶれるから、あまり気付かれずにすむ。

 あれからどうやって横になり、どうやって眠ったのか覚えていなかった。目が覚めてからの現実はやはり現実で、やはり昴はいなかった。丁寧に整頓された部屋があるだけで、荷物も馬も消えていた。これでよかったんだ、と思うほか、藍に出来ることはなかった。

 祈真と藍と、それから供の二人との計四人で仁多城を出たのは、陽が昇ってしばらくしてからだった。前の旅と違って、今回、持ち物の中で一番多いのは銭だった。余程の自信がないと、こんなことは出来ない。追いはぎに合って金銭を奪われ、何も出来なくなるくらいなら、多少荷物がかさばろうとも、生きていく為の最低限の荷物は持っておくはずなのに。

「雨とはついてねーよなあ」

 第一関を出るまで口をきかなかった四人だが、都を出るなり祈真は晴れやかに言った。

「しかし雪でないところを見ると、仁多の玄冥ももう終わりだろう。これは思っていたより、橘に行くのは楽かもしれねーぜ」

「とんでもないことをおっしゃってくださいますな」

 共の一人、佐雲さくもが唸るように言った。共には、いかにも武人らしいがっしりした四十代半ばと思われる彼と、その娘、藍より五、六年上の佳子未かすみという二人の親子が付いてくれていた。ちなみに佳子未とは、仁多城での最後の宴で剣の手合わせをした一人である。結果は一本取られたものの、藍が勝った。

「緑北国の雪は侮れませんぞ」

「分かってるって。だから海岸沿いに行くんだろ。ったく……雪さえなければ」

 ぶつぶつと呟き始めた祈真に、藍は同感だった。今回の旅は、安全のため、標高の低い海岸沿いに大回りに行くと決まっていた。確かに安全かもしれないが、橘に着くまでふた月ぐらいかかると言うのだから、唸ってしまうのも無理ないだろう。

 ――ふた月か……。

 おそらく彼の方は、藍達の半分のひと月で柳瀬に着くだろう。白西国と紅南国の間には川があるだけだし、南には雪もない。

 藍は自分の乗っている馬を見た。昴は何も残さなかった。彼から貰い受けた馬は、すでにいなくなっていたから、仁多王から直々に毛並みの美しい白い馬を貰い受けていた。しとしとと降る雨の雫が、縦髪に絡んで消えていく。

「まあ、花月入る頃には雪も大分溶けるだろ。橘に着くのは花月の終わりか、草月の最初になる。……花月のうちには着きたいな」

 祈真と佐雲は二人して道中の話を始めた。藍はそれをぼんやりと聞いていたが、スッ――と違う馬が寄って来たのを見て、顔をあげた。

「御気分がすぐれませんか?」

 佳子未がにっこり笑っていた。

「藍姫は活発で元気のよろしいお方だと。けれど女性なのだからしっかり護るようにと、王より直に拝命されております。それが思っていたよりも口数が少ないので……」

 藍の腫れた瞼を見ても何も言わないので、この人が元気付けてくれようとしているのだと分かった。

「いいえ。大丈夫です」

 藍はにっこり笑った。

「それよりも先日の手合わせ、ありがとうございました。女性と剣を交えたのは初めてだったので……少し緊張しました」

「それにしては落ち着いていらっしゃったように思います。負けてしまったのは悔しかったのですが、私は恥じることのない打ち合いをしたと思っております。何せ剣術の腕に名高い藍姫から一本取れたのですから。仲間に自慢できます」

 形のいい唇の端を上げて笑う彼女が、男らしく見えなくもないと藍は思った。


 降り続いていた雨は、強くなったり弱くなったりを繰り返すばかりで、なかなか止まなかった。やっと曇り空がやってきたのは、旅を始めてから三日目で、晴れ間が見えたのは、それから更に一週間後のことだった。

 その間に、藍と佳子未は随分打ち解けたし、最近では佐雲と話すことも多くなった。祈真からも、

「祈真でいい。いつまでも大司空なんて他人行儀は気持ち悪い。それと敬語もやめろ」

 と言われたので、最近は大司空ではなく祈真と呼んでいる。

 そして仁多を出てから丁度半月目になる今日、初めて海辺に出ることが出来た。小さい頃に父に連れられて以来の藍は、あっけに取られてその風景を眺めた。

「こんな……すごかったっけ……」

 空との境目は霞んでよく分からない。それほどに同じ色をしている上と下。空にところどころ白い雲が浮かぶように、海面に揺れるのは白い波だった。まるでそこに鏡があるみたいに、青く透き通る海と空は美しい。

「冬だというのに、薄い色をおりますな」

 佐雲が不思議そうに言った。思わず藍は彼を見る。

「冬は色が濃いのですか?」

「はい。海程季節に敏感なものはありませぬ。温かいと薄く輝き、寒いと濃紺な色になるのです。今年は少し薄い……夏は暑くなるやもしれません」

「そんなことまで分かるのですか!」

「父は元々漁師でしたから。先代の王に武人としての腕を買われて、仁多に入ったのです」

「へえ。すごい……」

 佳子未の言葉に、藍は関心して佐雲を見た。彼は嬉しそうに笑んでいた。

「行くぜ」

 祈真の言葉に、一行は再び進み始めた。

 一日一日と足を進めるにつれ、佐雲の言うとおり、確かに海の色は濃くなっていた。馬を進める速度と、四人の会話の内容はあまり変わらないのに、気温は下がり、雪の白が視界の大部分を占めるようになったという現実は、北へ進んでいる証拠でもあった。

 それまで夜叉も追いはぎも出ず、佐雲と佳子未の出番はほとんど皆無で来た一行だったが、よく晴れたある日の早朝、藍はふと目を覚ました。

 まだ日は昇ったばかりらしく、いつも一番に起きる佐雲もまだ寝ていた。今日の見張りは祈真だったが、彼も木にもたれてこっくりこっくりと頭を揺らしている。座っている辺り、大きな音がしたら跳び起きると思うのだが、昨日、あんなに任せろと威張って請け負った見張りにしては、いかんせん不用心すぎた。

 昨日の焚火の残りが燻っているのを見てから、藍は袍と何枚もの布をかけ直した。一応風の当たらない場所を毎回選んで休んでいるが、まだ芽月が終わる季節だ。暦の上では、春である句芒に部類されるものの、花月後半にならないと、雪は完全に小川にはならない。

 ――寒い……っ!

 ぶるぶると身震いして、藍は頭まですっぽり布を被った。少しでも温まれるようにと、いつも傍でくっついて寝てくれる佳子未を起こさないよう、あくまでも慎重に。

 ――今頃……何してるかな……。

 思い出さないようにしているのに、時が経てば経つ程、藍は昴を思うようになっていた。表面には出さないよう、日中は考えないようにしているが、こうして一人だけになっていることが分かると、途端意識はそちらに動いてしまう。

 いつまでも昴のことばかり考えていては何も出来ないのは分かっているのに。何故こんなに引きずっているのだろう。

 ――来る。

 突然、藍の思考を割って入って来た声に、藍はハッとした。懐かしい、けれど聞くと身の毛のよだつ声。その声が恐ろしいからではなく、その声が聞こえた時に起こる出来事を知っているから、藍はぞっとして体を起こした。

 意識を辺りに集中させる。目を閉じて、どの辺りにいるか確認する。

 ――近い。けれど強い気配ではない。こちらに……。

 気付いている。

 藍は傍らに置いてある月華を掴んだ。その音に気付いた祈真が、はたと顔をあげた。

「……どうした?」

 眠そうに欠伸をしながら、祈真は言った。藍は無視し、髪を束ね、動きやすいよう準備する。帯をきっちりと締め直した。

「おい、お前本当にどうしたんだよ。……ああ、所用か」

「莫迦。違う」

 苛々して藍が言うと、その声に反応して、佐雲と佳子未がほとんど同時に目を覚ました。祈真と違って、二人の顔付きはいつもと変わらない。この辺りはやはり武人として当然なのだろう。

「いかがしました?」

 体を起こした佳子未が、準備万端の藍を見て不思議そうに言った。

「佳子未さん、弓と剣を取って下さい。祈真も佐雲さんも早く。夜叉が来るんです」

 がば、と祈真が体を起こした。

「ほんとかよ」

「嘘付いてどうするんだ」

 祈真は慌てて羽織っていた断熱用の分厚い袍を脱ぎ捨て、動きやすい格好になりはじめた。対し、佐雲も佳子未もきょとんとしている。

「あの……夜叉が来るとは?」

「藍の巫女としての能力だ」

 矢の本数を数えながら祈真が言った。

「お前らも知ってるだろ。天竜の村での夜叉の襲撃の話。こいつが事前に感知して知らせたからなんとかなったんだ」

 一瞬の間の後、佐雲と佳子未は同時に動き始めた。

 藍は胸に両手を当てて、深く息を吐いた。気配は大きくないけれど、油断は出来ない。前回の――虎妖みたいなのが出て来たら生きて帰れないかもしれない。

「落ち着けよ」

 祈真が弓に矢を番えながら藍の隣に立って言った。

「夜叉が迫ってることが分かってるだけで、こっちにとっちゃ有利だ。先読みしなくても、なんとかなる」

「……うん」

 だが、周りに木が多いから、何処にいるか分かりにくい。総合的に見てもこちらが完全に有利だとは言えない。せめて一頭目はどこから来るか、それだけでも分かれば――。

 藍は鞘から剣を抜き取って構えた。瞳を閉じて、暗闇が目の前に広がった所で、四方に意識を集中する。佐雲と佳子未も準備出来て辺りに気を配っているのか、物音は一切しなかった。

 暗闇の中にある、更に深い闇。底のない沼に引き込まれるような冷たい戦慄と共に存在しているその気配は――。

「右だ!」

 刹那、空を斬る鋭い音が響いた。祈真が矢を放ったのだ。藍の視界に一瞬だけ映った細い線は、飛び出して来た茶色いものに突き刺さっていた。

「鳥妖です!」

 佐雲が唸った。次の矢を番えた祈真は舌打ちした。

「まずい!やつらは強くないが数が多い!それに……」

 もう一度矢を放って、祈真は剣も抜き払った。

「空から来る!こう木が多かったら、間合いが取れねーよ!」

「……これより少し進めば海岸に出ます」

 佳子未が空を過ぎった夜叉を射止めながら言った。

「足場は悪いですが、見通しはいいかと……いかがしますか」

「少しって」

 藍の目の前に迫った夜叉を、祈真は寄ってくるなり藍より早く叩き落とした。

「どれぐらいだ」

「一里ありません」

「……来い!」

 祈真は藍の腕を乱暴に引っ張って駆け出した。それを狙っていたかのように鳥妖が頭上を掠める。背後から来る佐雲と佳子未のどちらかが放った矢のおかげで、鉤爪の軌道がずれ、藍の頭はなんとか無事だった。

「ちんたらするな。早く乗りやがれ」

 自分でなんとか出来るというのに、祈真は藍を馬に押し上げるなり自分もその馬に飛び乗った。何してるんだ、と思わず声をあげたが完全に無視され、そのまま祈真は藍を抱え込むようにして、手綱を取った。

「伏せてろ。飛ばすぜ」

 自分で出来る――と言おうとした所で、走り出した馬の衝撃で藍は舌をもろに噛んだ。口の中で血の味が広がり、痛みも伴って思わず顔をしかめる。情けないやら悲しいやらで、藍は仕方なく祈真に反抗するのを止めた。

 ――どうして急に過保護になったんだ。

 天竜の村にやってきた時、祈真は藍の手腕を買っていた。見事な剣の使い手だと誉めてくれたのに、今は藍を庇い馬の足が遅くなるのを承知で二人乗りまでしている。この変化のわけが藍には分からない。

 右後方から佳子未が飛び出して来た。案内するつもりなのだろう。

 頭上では甲高いつんざくような声をあげる鳥妖がいくつも飛び交い、空を覆っていた。下降しながらの攻撃を祈真はじぐざぐに馬を走らせて避ける。

 佐雲が佳子未の頭上に寄って来た夜叉を射止めた瞬間、唐突に光が広がって、藍は目を細めた。正面に海が広がり、右手の空を見れば紅色が美しい。間も無く夜明けだ。

 その光を見て、木立を抜けたことを確信する。相変わらず夜叉は追って来ているが、藍はひとまずほっとした。周りが開けているここなら、空から来る鳥妖の動きも良く分かる。

 祈真と藍は転がるようにして馬から降り、空を見上げた。

 低空を飛んでいる。藍達を狙っている証拠だ。鷲程の大きさのそれは、あまり形を小さくしていない。

「数は約三十ってとこだな」

 すぐ近くにいた祈真がニッと笑った。

「思ったより少ないぜ。……藍」

 藍は祈真を見た。彼は剣をしまっていた。

「降下してきたのを俺が射る。藍は剣でとどめを刺せ」

 初めて祈真を見たときの姿が浮かんで、藍はハッとした。祈真が射て、部下が留めを刺すあの一糸違わぬ連携攻撃。祈真はそれを藍に求めている。

「……やってみる」

 あんなに上手く出来る自信はなかったけれど、藍は頷いて言った。

「気負いがなくていい返事だ」

 ビッと、祈真は矢を放ちながら言った。

 鳥妖の動きは、犬妖に比べるとかなり遅かった。だが、その巨体と羽のせいで、避けるのは他の夜叉よりずっと難しい。現に藍は、飛びのいたり転がったりする方にばかり体力を使っていた。斬るのには祈真が一度射て弱らせてくれているおかげで、そんなに力はいらなかった。

 相変わらず藍の斬る――いや、月華で斬る夜叉は砂になって消えていた。佐雲と佳子未の周りと藍と祈真の周りの、汚れかたの違いは歴然だった。

 思ったよりも短い時間で、藍が最後の夜叉を斬り捨てることが出来た。斬り終わるなり祈真は藍を見て嬉しそうに笑った。

「すげーな」

 藍は乱れた息を整えようと、大きく息を吸ったが逆にむせ返ってしまった。その間、祈真は上機嫌で辺りを歩き始めた。

「いやー、これは便利だ。夜叉が消えれば矢は残るもんな。新調しなくて済むぜ」

 ――すごいって……そのことか。

 けほけほと咳をしながら、藍の眉間には皺が寄った。確かに矢が残れば便利かもしれないが、少しは自分を気遣ってくれたっていいだろう。祈真の迷惑にならないよう、藍はこれでもかというほど集中して夜叉を倒していたのに。

 なんだか気が抜けてしまって、藍はその場に座り込んだ。祈真の手には矢がいくつも握られている。大司空という役柄の割には、案外節約家だな――なんて、どうでもいいことを思った。

「それが月華の剣でございますか……」

 振り返ると、佐雲が手に着いた血糊を払いながら、藍の剣を眺めていた。

「噂には聞いておりましたが……本当に夜叉の死骸を残さんのですな」

「お怪我は?」

 今度は佳子未が寄って来た。藍は首を振り、平気です、と答えた。

「お二方は?」

「私も父もなんともありません。それよりも、早く元の場所に戻り、荷を取ってこなければ。馬も一頭置いたままです」

「それから、わしらは着替えんと。結構な量の血を浴びてしまった」

「そうですね……早く戻らないと……」

 相槌を打って藍はもう一度祈真を見た。彼はまだ呑気に矢を集めている。

「……とりあえず馬を連れてきましょう」

 少し離れた場所で三頭かたまっている馬の方へ歩み出しながら、藍は深い溜息をついた。この先もうすぐ彼との二人旅になることを考えると、足元の砂を蹴っ飛ばすくらいしても良かったかもしれない。


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