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天錦宝史伝 〜新戦記編〜  作者: 花歌
第4章 〜郷愁〜
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夜明け

部屋に戻るなり寝台に飛び込み、ふわふわとした上質の蒲団に顔を埋めたが、心は晴れなかった。いつもなら嫌なことがあっても、少し横になっただけで、今までの苦労に比べれば――という気になっていたのに。

 ――喬と稽古がしたいな……。

 ふとそんなことを思った。一応毎日型の確認の為剣を振るっているが、かかさなかった打ち合いは、仁多に来る前までの実戦以外、この一ヶ月半の間、一度だってやっていない。体を動かすと気分が晴れるのに。

 喬は腕が良いだけでなく、教えるのも上手かった。そういえば幼い頃藍は、彼のような剣の使い手になりたいと思っていたっけ。それを言ったら彼は、藍が目指すのは俺じゃなくて長の芝韋様だろう、と笑っていたけれど。

 それはもちろんそうだ。藍は長である父をとても尊敬していたし、だからこそ自分に負い目を感じていた。皆に尊敬され、皆に愛される父のようになりたいと、必死になって勉強して、自立しようと踏ん張って――。

 ――莫迦だったよな……。

 ごろん、と転がって、藍は仰向けになった。装飾の美しい仁多城は、天井までも彩色豊かで、少し目がチカチカした。

「私は私のままでいれば良かったんだ……」

 今なら喬が言った『お前は何を己としているんだ』という言葉に答えることが出来る。藍は藍だ。克羅の姫だし、碧の宝だし、今は碧の国の長かもしれないけれど、それはあくまでも藍という一つの木で見れば葉っぱでしかない。幹も根も、大事なのは自分だ。だから――。

「月の神子の甦りが、万が一私だったとしても……ありえないけどさ。億が一……いや、兆が一私だったとしても、私は私以外のものにはならない。私は藍だ。うん」

 口に出して自分の声を聞くと、なんだかほっとした。

 ずっと私怨に動かされ続けていた以前の自分や、父母らの死を夢に見ることはまだあるし、彼等を思って己が幸せになることを決意した今でも、時々、本当にこれでいいのか――と、決心が揺らいでしまうこともある。

 それでも感じる。自分は本当の意味で強くなっている。少しずつ――本当に少しずつ。

「よし。決めた!」

 藍は飛び起きた。着ていた一衣服を脱ぎ捨て、しまっていた旅の為の分装服を取り出し、誰も入ってくる気配がないのを確かめると、急いで着替えた。

「暗く考えるばかりじゃ、何も得られないことは学んだ」

 布を頭に巻いて髪を隠す。

「私は甦りなのかもしれない。もしそうなら、私のせいで碧が滅んだことになる……」

 藍は月華の剣をじっと見た。碧玉の飾りと、銀色に輝く刃。藍の手にしっくりと馴染むそれは、昴や祈真いわく、とても重たいというのだから、全く信じられない。

「だったら尚更、私は民を救いたい。世界が何らかの理由で動き始めているとかいないとか……そんなの本当に必要なら、なるようになる」

 藍は碧玉が見えないよう、布を柄に巻き付けた。

「私は私のしたいようにするし、それを止める権利は誰にもない。私は束縛されていないから」

 自分が感情的なのも、嘘が嫌いなのも、自分の事で精一杯な未熟者なのも知っている。この性質はどう考えたって、治める側に有利なものじゃない。けれど、それが何だというのだ。

 藍は誰にも死んでほしくないと思っている。誰にも悲しんでほしくない、誰にも泣いてほしくないと。この心の強さは誰にも負けない自信があるし、それは藍が姫だからではなく、藍が藍だからだ。

 全ての準備が整うと、藍は部屋を抜けだした。

 ――兵の訓練に紛れ込んでやる。

 とにかく身体を動かしたかった。頭では分かっていても、怖いことはあるものだから。心の奥底にある漠然とした不安は、簡単には拭えそうにないから――。


 自らを抑えることが必要不可欠だった藍にとって、心の底にある感情のまま動くのは初めてだった。克羅の姫ともあろう者が、誰にも言わないで勝手に兵に紛れて剣を振り回すなど、自国でならまだしも他国でそれを行うなんて、もっての他。

 常識外れであることは充分理解していた。けれど、藍は自由になれたことが素直に嬉しかった。そして、嬉しいと思えたことがまた嬉しかった。

 将来有望な、藍と同じ歳頃の子供ばかりを集めた白軍の訓練場に忍び込んで、総当たりの手合わせで全勝した藍だったが、案の定、その日のうちに大司空に見つかってしまった。

 大事になるのを覚悟しての、男装訓練だったが、結果から言えば全くそうならなかった。

 どういう風の吹き回しか、祈真は藍の家出ならぬ城出を、おもしろいと称し、まだ彼と昴しか事の次第を知らないのを良いことに、少年兵育成担当の者に、藍がしばらくの間ここに通うことを許してもらえるよう取り計らってくれた。

 祈真いわく、

「剣を振り回してると落ち着くのは、俺にも良く分かる」

 らしい。藍の場合、身体を動かして嫌なことや不安なことを吹き飛ばして、スッキリしたいだけだったのだが。

 そんなこんなで、藍は剣術の稽古に打ち込み、碧や紅の国勢状況、善悪の神々などについては一切触れなかった。仁多王から正式な碧への助力決定の報せが来るまで、身体を動かすことだけに専念した。

 そして再び玉殿に来るよう言われたのは、藍が少年兵の稽古に加わってから、一週間目のことだった。

「今から?」

 呼ばれた藍は、訓練からそっと抜けだして、固い表情の昴をまじまじと見た。

「明日とかじゃなくて、今から?」

「ああ。王直々のお呼びらしいから、早く着替えた方がいい」

「……急だな。何かあったのか?」

「おそらくはまたあの男が何かしでかしたんだ。さっき官が話しているのを聞いた。なんでも――」

 昴は眉をしかめると、藍の耳元で小さく言った。

「勝手に緑北国と連絡を取っていたらしい。その返事が今日届いたって」

「はあ?」

 自分の勝手振りが相当なのを藍は自覚しているが、祈真も祈真でまた引けを取らないのではないだろうか。よりによって勝手に緑と連絡を取るなんて――。

 ――やっぱり豪放なんだろうな……。

 はあ、と溜息をついてから、藍は着替えるベく城へと向かった。


 急いで着替えて身なりを整え、昴と共にほとんど走るようにして玉殿に入ると、藍は驚いてあっけに取られてしまった。

 今までは品格漂う厳かな雰囲気があって、官の着る黒い袍と、静寂が玉殿の象徴だったのに、今はどうだろう。皆私服のままなのが、色とりどりの鮮やかな模様が目に飛び込んでくるし、そのうえ藍が入ってきたことにすら気付かないほどがやがやと煩い。一体全体何が起こっているのだかサッパリで、藍はすぐ傍の昴に声かけた。

「どうかしたんだろうか?」

「さあ……でもあの大司空のやることは予測不可能だからな。何かまずいことでもしたんじゃないか?」

騒ぎの中央から離れて、入口付近でぽつねんと二人立ってその光景を眺めていると、一人の官がこちらに気付いた。

 初めてこの城に来た時、藍と昴を玉殿まで案内してくれた官だった。藍が克羅の姫だと知ってからは態度が激変していたが、あえてそこは突っ込まないことにしている。

「すいません……。大司空と王が――」

「……喧嘩ですか?」

「はあ……まあそんなところです」

 昴が問うと、官は申し訳なさそうに言った。

 ――喧嘩……。

 王と大司空が兄弟だというのは昴が聞いていたが、よりによって喧嘩。しかもこんなにたくさんの官を巻き込むなんて、案の定というか、らしいというか、図太いというか。しかし、祈真はともかく、あのおおらかで優しい仁多王がこんなに大勢の人を巻き込んで喧嘩するなんて。

 ――驚いたっていうより……興味深いなぁ。

 思って藍は昴の袖をつんつんと引っ張った。

「なあ、行ってみないか?」

「……好奇心旺盛だな」

「昴に言われたくない」

 二人してこそこそと群衆の中に紛れ込み、王と祈真がいると思われる中心に向かって進み始めた。声はすぐに聞こえて来た。

「ふざけないでください!」

「だからふざけてなんかないっつってんだろ」

「ふざけてないなら取り下げてください!」

 藍と昴は思わず顔を見合わせた。怒鳴っているのはどうやら王の方らしかった。

「わかんねーのか。莢生、これはもう紅と戦とか、碧が滅びたとか、それどころの話じゃない」

「ですが――」

「もう一回言ってやろうか?」

 官を掻き分けて進んで、藍と昴はようやく、王と祈真を囲む最前列の後ろまで出て来た。二人にばれたらまずいので、そこから動かず隙間から二人をそっと窺う。

「天竜の村での果てしない数の夜叉。その夜叉の異種間での連動した行動。百年前から続く禍。そして消えかかっている善の神の血と、月華の剣を扱える娘。橘王にそれを伝えると、彼女は今こそ口伝を公にするべきだろうという連絡をよこしてきた。これの意味するものが分からねーのか」

 ――口伝を公にする……だって?

 藍は祈真を凝視した。

「この世界が出来て三千年。今までになかった事が次々と起きている。緑はその理由を知っているんだ。この禍の世を解き放つ解決策もな。それを聞かないでどうするんだよ」

「だからと言って、それが藍姫を緑北国に送る理由にはならないでしょう!」

 え――と声をあげた藍を、前に立っていた官が振り向いて見て、驚いた表情を見せた。

「追い出すようなものではないですか!そんなこと、わたしには出来ません」

「橘王が連れてこいって言ったんだぜ。俺に言うなよ」

「ですが兄上は向かわせるつもりなのでしょう。わたしは許可しませんから。これは王としての命令です」

 だああ――と、祈真はこめかみを押さえた。

「あのな、四ヶ月の間あの姫さんは剣一つで放浪してたんだぜ?天竜の村で夜叉の大半を倒したのもあいつだ。そんな保護してやらないとくたばっちまうような、可愛らしいやつじゃねーよ」

「彼女は女性です」

「お前が手元に置いておきたいだけだろ」

「なっ……」

 王は顔を真っ赤にした。そこには威厳も何もなく、ただの十五歳の少年がいた。

「わたしはそんなつもりで言ったのではありません!ただ、一度預かった身を再び放り出すのは道理に反していると――」

「だから本人に許可を取るって言ってんだよ。何回言わせりゃ気が済むんだ。いい加減にしやが――」

 祈真の言葉が突然止まった。

 気が付けば、藍の前には誰もいなかった。さっき、藍がいることに気付いた官は、わざわざご丁寧に脇に避けてくれたらしい。祈真の視線は藍に注がれており、そんな兄を見た王もまた藍を見て硬直した。

「あ……えっと……あー」

 皆の視線が藍に注目していて、かなり焦った。こういう場所でぺらぺら喋るのは得意だったはずなのに、出てくる言葉は意味のない単語ばかりだった。

「……なんだ藍姫。いたのか。丁度いいぜ」

 しろもどしている藍を見て、祈真は言うと、彼はこちらに歩み寄ってくるなり紙切れを突き付けた。

「読め」

 困惑しながら、藍はおそるおそる受け取り、声に出して読み始めた。

「橘より仁多へ」

 題は簡潔だった。おそらく紛失した時の為に具体名は出さないでいるのだろう。これなら、都同士のやり取りにも見える。

「貴殿より拝観しました連絡、大変興味深く思っております。また、少女がそちらにいらっしゃること、剣のこと、その他全てを含めまして、これはただ事ではないとだけ申し上げておきます。細かいことは此処には書けませんが、伝えることは可能です。出来ることならば、そちらにいらっしゃるという少女と共に、どうか橘までおいでください。今この時こそ、長い間あなた方が持ち掛けていた、言葉を文字にすることを実行する時ではないかと思います」

 要約して言えば、ようするに、藍を連れて橘まで来い、といったところか。口調は丁寧だが、いかんせん内容が勝手すぎるうえ、大事なことは一切書かれていない。確かにこれでは仁多王も納得出来ないだろう。

 しかし、藍は妙な引っ掛かりを覚えた。美しい流麗な文字の中で一際目に入る、ただ事ではない――という言葉。

 ――大司空の言う通り……緑は何か知っている……。

 最後の方に書かれた、言葉を文字にすること――これはおそらく、口伝を教えるという意味のはずだ。橘王から送られて来たと思われるこの手紙、何か焦りと苛立ちが含まれているような気がしてならない。

「どうだ?」

 顔をあげると、祈真がこちらをじっと見ていた。

「行くか?」

 王の視線も、昴の視線も、何十という官の視線も痛いほど感じていた。

 ――橘に……。

 数ヶ月前までの旅を思い出していた。辛く、苦しい山越えや、長い道のり。前回は季節が季節で、山の中には木の実などがあり食もなんとかなったが、今は玄冥の影月。雪も溶けていないし、食も底をつけばおしまいだ。

 前回よりずっと厳しい旅になることは分かっていた。分かっていながら、藍はもう一度手にある紙に視線を戻す。――ただ事ではないとだけ申し上げておきます――。

 藍は顔をあげ、祈真を見た。彼の表情は真剣そのものだった。

「行きます」

 芽月まで、あと一週間だった。


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