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天錦宝史伝 〜新戦記編〜  作者: 花歌
第4章 〜郷愁〜
31/63

二人の神子

「あ、昴。何処行って――」

戻ってきた昴に声をかけ、走り寄った矢先、藍の足はすぐまた止まってしまった。神妙な顔付きをしている彼のすぐ後ろから出て来たのは、対照的ににこやかな笑顔を見せる大司空だった。

「久しぶりだなあ!藍」

 陽気に突然登場する意味がわからず、自分でも気付かないうちに藍が眉をひそめて見ていると、大司空は、

「ちょっと付き合ってほしいんだ」

 と言うなり、藍の腕を引っ張った。身構えが出来ていなかったうえ、思ったよりも強い力で半ば引きずられる状態になったので、思わず反抗の声をあげる。

「何するんですか!というか何で呼び捨てなんですか!?」

 しかし祈真は彼にしては珍しく無視すると、そのままスタスタと進み始めた。それに昴も大人しく付いて来ているのだから、尚更わけが分からない。混乱する頭で必死に成り行きを理解しようとしたが、サッパリだった。

 仕方なく諦めてされるがまま付いてしばらく歩くと、祈真は、掃除用の布切れやら箒やらをしまっていそうなえらく汚らしい小さな扉の前で足を止めた。

「誰もこんなところに機密情報があるとは思わないだろ?」

 妙に誇らしげに言うと、懐から鍵らしきものを取り出し、小さな錠に差し込んだ。カチャリという可愛らしい音を聞くと、周りに誰もいないのを確かめ、扉を開いた。

「……嘘だろう」

 隣で昴が呟いた。藍の腕が引っ張られるのを平然と見ていた彼も、こればっかりは予測しきれていなかったらしい。

 呆然と立ちすくむ藍の視線の先に広がるのは、小さな部屋に詰め込まれた莫大な量の書物だった。扉からして中まで薄汚れていると思いきや、先程までいた書庫よりずっと清潔感が漂っていて、一つ一つが丁寧に保管されている。

「何してんだよ。関係ない官に知られちまうだろ。早く入れ」

 入口でぽかんとしている二人に、中をあちこちいじりながら祈真は声をかけた。ハッとして慌てて中に入り、それを確認した昴がしっかりと扉を閉じた。

「ここは……」

「白西国の秘密情報保管室。言っておくが何にも触るなよ。触ったら王族だろうとなんだろうと容赦しないぜ。そこに……」

 真剣な口調で、祈真は部屋の中央にある台と椅子を指差した。

「座ってじっとしてろ」

 いつものちゃらんぽらんした様子が見受けられない辺り、祈真の発言は本物なのだろう。藍と昴は思わず顔を見合わせ、黙って従うことにした。此処に一般人が入れないのは確かだろうし、ましてや他国の者など本来ならばもってのほかのはず。

「えーと、この間使ったからな……この辺に……」

 祈真はぶつぶつと一人呟きながら、棚を物色していた。藍はその様子を見つめているうちに、ふと自分が少し緊張していることに気が付いた。何故突然こんな場所に連れてこられたのか未だ不明だが、重要なことをこれから大司空がしようとしているのは確かだ。

「何が始まるんだ?」

 藍と同じく、隣に腰掛けていた昴に小さく問うと、同じく小さな声で答えてくれた。

「善と悪の神々に関する、白西国が保持している情報を提示してくれる」

「あった」

 驚いて思わず聞き返そうと口を開いた藍だったが、部屋に響いた声は祈真のものだった。振り返ると、彼は薄い書物を手にしてこちらにやってくる。思わず言葉を飲み込んで、藍はその書物を食い入るように見た。

「それが?」

 昴が意味ありげに訊いた。

「ああ。約百年前の王がまとめさせたものだ。基本的に閲覧は許されてないんだが――」

 題のついていない本の表紙は薄緑色だった。説明し、同じく椅子に座った祈真の顔とそれとを交互に見つめる。ひと月以上捜し求めていたものが目の前にあることが分かって、藍の心臓は奇妙な程大きな音を立てていた。

 祈真はパラパラと開きをめくり始めた。しんとなった部屋に、少し厚い紙がめくれる音だけが響く。

「言っておくが、これは白が勝手に作った書物だ。地方の伝説や逸話、各国の王家に伝わる文献を調べてまとめた結論がここに載ってる。だから事実と嘘が混同している可能性もあるし、もしかしたら全てが偽りかもしれない。それでもいいと言うんだったらここを読め」

 祈真は言うと、昴に書物を押し付けた。

「日と月の剣……」

 副題のように書かれたそれを藍は覗き込んだ。昴の言葉に続けて、声にだして読み始める。

「一般に知られる善と悪の神だが、この二神は別の敬称を持ち、それぞれ日の神子みこ、月の神子とされている。善悪の呼び名は後で付けられたものであり、これは碧の国南方の地に伝わる伝説から分かったものである」

「……書庫で見た資料にも同じことが書いてあった」

 昴が唸るように言った。藍は先を続ける。

「日の神子は柄に紅玉の飾りを施された『日華の剣』を用い、地祇と天神を滅ぼした。天神より賜ったその剣は、天神を斬ったと同時に消滅した。一方、月の神子は地祇が作り出した夜叉を滅ぼすべく『月華の剣』を振るっていたとされている。こちらは対象を逃してしまったので天神の怒りを買ったが、あまんじてそれを受けようとした。――これ、私も知ってる。昴も聞いたことあるだろ?」

 書物から視線を離して藍は昴を見た。何処にでもある伝説だ。日の神子と月の神子という呼び名は初めて耳にしたが、それ以外は常識の域だろう。案の定、昴は頷いた。そして今度は藍の代わりに続きを読み始めた。

「現在月華は碧の国東殿に祭られている。天神と地祇が世界から消えた為、日の神子が南西に葦原を造り、月の神子が北東に高原を造った。約三千年前から今日までの間に、緑北国と白西国という新たな国が出来上がったが、以前として碧の国長は月の神子の血を、紅南国王は日の神子の血を引いている。姓は克羅と柳瀬である。そしてこれに纏わる奇妙な話が、先日緑北国から入った――」

 昴は眉をしかめた。

「緑北国は、この善と悪である月の神子と日の神子が甦るという予言を伝えてきた。聞くところによれば、碧にも紅にも伝えたとのこと。この奇妙な話に、我が君主は橘に使者を送ってまで事の詳細を知ろうとなさったが、結局情報はこれを書いている今も得られていない。ただ、橘王の言うとところによれば、善と悪が甦るのは必須であり、信じるか信じないかは諸国の勝手であるので、それ以上もそれ以下ももはや干渉しないとのこと」

「これだ!母上がおっしゃっていたのは!今から百年前の緑北国からの予言……そうか」

 急に気がついて藍は昴を見上げた。

「昴が緑北国の資料を漁ってたのは、ここに緑が出てくるからだったのか」

 何を今更、と言った様子で、昴は目を細めて藍を見た。確かに、それにずっと気付かなかったなんて、阿呆もいいところだ。――少し自分が悲しい。

「これについて、ここからは筆者である私の推測であるが、緑北国は何かを知っているのではないかと予測する」

 昴はそんな藍を気にせず、続きを読み始めた。自分に失望している場合ではない。慌てて藍も書物に視線を戻した。

「人伝えに、緑北国の王である証は、ある物語を知っているかいないかにあると聞いた。代々口伝を王位継承者にのみ伝えている橘の何らかの物語が、善悪の神に関係していると考えてもおかしくはない。元々緑北国は碧の国から割譲され出来た国なのだから、伝説をそっくりそのまま受け継いでいても不思議はないはず。これまでにはなかった妙な予言の真意を探るためにも、白西国は緑北国にあるとされる橘の口伝について調査すべきで――」

 昴は続きを読むべく紙をめくった。

「――ある」

「……え?」

 藍は思わず昴の手から書物をふんだくった。パラパラと紙をめくってみて、それらしき文章を探してみる。

「終わりだぜ」

 今まで黙りこくっていた祈真が、ひょいと藍の手から書物を取り上げて言った。

「もっと丁重に扱えよ。これは大事な白西国の――」

「もう終わり?」

 相手が、助力を求めた国のお偉いさんだということも忘れて、藍は苛立ちを隠さずに詰問した。

「これしかないんですか?たったこれだけ?」

「藍、よせ」

 昴に諌められ、ハッとした藍は慌てて自分の立場と待遇を思い出した。深く考えるまでもなく、ここに入れてもらえるだけありがたいことなのだ。例え求めていた情報の文脈が短かろうが、紙切れ一枚で終わってしまうようなつたないものだろうが、大司空は藍の為、ひいては碧の民の為に見せてくれたのだから、これ程の待遇はない。

「すみません……無礼を詫びます」

ふと、祈真は改まった表情で藍を見た。

「お前あれな、一国の姫にしちゃ随分感情的だよな」

返す言葉もなく、藍は恥じてうつむいた。全く持ってその通りだと自分でも思う。

「やはり北の口伝が関係してくるんだな……」

 昴が横で呟いて、藍も祈真もそちらを見た。。

「百年前に予言がくだされ、それから世界は禍の世に入っている。天地は荒れ、夜叉は増え、ついには碧が滅んだ。この三千年間なかった異常事態がその予言の時からずっと続いている」

「変わり目だ」

 低い声に、藍も昴も祈真を見た。

「世界は常に動いている。良くも悪くもな。制止することなどありえないし、だからこそ俺らは意思を持って存在出来る。地を耕し、家を作って、衣服を着て、より良いものを求めて学ぶ。だが俺達人が意思を持つ限り、世界は簡単に栄えるし簡単に滅ぶもんだ。今はそのどちらかの選択する時なんだと俺は思うぜ。現に……」

 突然、祈真は藍の腰元に手をのばした。不意打ちだったため、全く反応出来ずに、ぽかんとしたあと我に返ってみれば、彼の手には藍が携えていたはずの月華が握られていた。

「な、何するんですか!」

 慌てて手をのばし取り返そうとしたが、祈真は腕を真っ直ぐに天井に向かってのばした。背の高さの違いは歴然だし、ぴょんぴょんと蛙みたいに跳びはねてまで取り返すわけにもいかず、藍は出来るだけ冷静に平和的解決を求めた。

「返してください」

 一瞬脳裏に優しい仁多王の姿が浮かんだ。本当に彼と目の前の高慢な男は、血が繋がっているのだろうか。祈真が嫌いだというわけではないけれど、毎度毎度こんな風に好き勝手されれば、こちらが苛々していても責められないだろう。

「それは碧の国の宝重です。返してください」

 藍はもう一度言った。

「……これが何か知ってるか?」

 しかし祈真は藍が唖然とするようなことをさらりと言った。からかっているのかと思って藍は乾いた笑みを浮かべてみるが、目の前の男の表情はいたって真剣で、笑みも勝手に引っ込んだ。

「……私を莫迦にしてるんですか?」

 いい加減にしてください、と付け加えて、藍は祈真を睨み付けた。

「自分の国の宝を知らぬはずがないでしょう。それに先日もそれは月華の剣だと申し上げたはずです。お忘れならばもう一度、今度はゆっくり言いましょうか。げ、っ、か、の、つ、る、ぎ、です。わかりました?さあ、とっとと返してください」

 祈真に対しての尊敬などあったものじゃなかったが、気にならなかった。月華は碧にとって大事なものだが、藍にとっても特別なものなのだ。師匠であり、兄であり、良き臣下であった喬が最期に藍を見て安心してくれた理由が、剣を持っていたからだった。それがあれば自分の身も守れるな――と。

 藍は、隠しもせず苛々と皮肉り、遠慮なく祈真を睨み付ける。

「月華の剣ね」

「何か文句でもありますか」

 祈真は目を細めた。

「この剣を振るうと夜叉が消える理由は、これで解明できた」

「え……」

 ぽかんとした後、その意味を悟って藍は硬直した。善の神――すなわち月の神子は、天神より夜叉を滅ぼす為に月華を賜った。

 ――そうか。この剣で斬るから……夜叉は砂になって消えるのか。

「だが、問題は重さだ」

 ようやく藍の斬る夜叉だけが跡形も残さず消えていくのかが分かって、ほっとしたのもつかの間。祈真は再び疑問を投げ掛けた。

「重さ……?」

「……やはり大司空も思いますか」

 意味が分からず顔をしかめた藍の横で昴が呟いた。

「ってことは何か。お前もこの剣を持ったことあるのか?」

「ええ。少しだけですけれど。天竜の村で」

「そうか……。やっぱり藍姫だけみてーだな。善の神の末裔だからか……」

「……あの」

 藍が小さく言うと、男二人はこっちを見た。

「全然話がよめないんですけど」

 正直に言うと、祈真はややあってから、無表情で藍に剣を押し付けるようにして返した。

「お前、この剣を使いやすいと思う?」

「え、はい。思います。……私は女ですから、大振りの剣は使えない。けれどこの月華は小振りで軽いし、柄も細くて丁度いい。……天神が、女神である月の神子に与えた剣だからかもしれません」

 あまり意識したことはないけれど、そもそも月華は善の神のものなのだ。碧の国東殿に納められている間は触れることすら許されなかったのに、いつの間に藍自身の身を守る為の武器に変わってしまったのだろう。不思議なこともあるものだ、と今更ながら思った。

「……俺達にとっちゃ、その剣は重い」

 祈真の言葉に、錆一つない刀身をじっと見ていた藍は顔を上げた。

「重い?」

「ああ。小振りな剣のくせに、俺の剣の二、三倍はある」

「……冗談でしょう?」

 祈真の腰元にある剣はかなりの大きさだ。以前手合わせした時、その長さに故、間合いを取るのに苦労した。

「貸してください」

 信じられなくて藍は祈真から彼の剣を受け取り、左手にそれを、右手に月華を持ってみる。――やはり、左の方が断然重い。

 それを言うと、祈真は腕を組み、昴は口元に手をあて、二人して藍をじっと見た。こんな風に居心地が悪くなる程見られるのは初めてで、思わず藍は眉をひそめた。

「月の神子の子孫だからだとしたら、頷いて済ませられる。だが、藍が藍だからだとしたら……これはまずいことだぜ」

「私が私だから?それはどういう――」

 祈真の意味深な言葉に、藍は更に眉間の皺を深くした。

「藍姫が善の神の甦りだったらってことだ」

「な……」

 藍は呆然として祈真を見つめた。

 ――私が……善の神の甦りだって?

 そんな莫迦げた話があるものか。第一藍は克羅の姓を持つ以外はただの娘だ。確かに夜叉の気配を感知出来るという巫女としての力は持っているけれど――。

 ――待って。夜叉の気配が分かる……?

 その事実に妙な引っ掛かりを覚えて、藍は思わず言った。

「……私、夜叉の気配が分かる……」

 祈真はいよいよ真面目な表情になって、頷いた。

「そうだ……。だから尚更可能性は高い。月の神子の敵であった夜叉に対する特殊な能力を持つものは、巫女でもそうはいない。実際、いた、という事実を聞いたことがない。月華の剣は、善の神の末裔だけが使えるものなのか、藍だけが使えるものなのか、克羅の一族が他にいなくなった今では確かめようがねーけど。少なくとも、善の神の子孫じゃない俺や昴が月華を持つと、異様に重く感じる。これは事実だ」

「……藍が月の神子の生まれ変わりだとしたら」

 突然、ずっと黙っていた昴が、藍を見据えながら呆然と言った。彼の顔面が蒼白なのに、藍は気がついた。

「紅南国はーー嘉瀬村は藍を狙っているということになるのですか?」

 全身に悪寒が走ったのを藍は感じた。昴の言葉が耳元で反芻し、じりじりと雑音を鳴らす。祈真が眉間に皺を寄せて昴を見たのが視界に入った。

 ――嘉瀬村が……私を狙っている……。

 まだ藍が月の神子の甦りだと決まったわけではない。むしろ、藍にその記憶が全くないのだから、可能性は低いと見ていいだろう。

 だが、ないわけではないのだ。嘉瀬村は善の神と悪の神を探している。もし本当に藍が月の神子の生まれ変わりか何かで、嘉瀬村が藍を狙っているのだとしたら――。

 ――碧の国が滅んだのは……私のせいだ。

 善の神の生まれ変わりを捜し求める課程で紅は碧を滅ぼしたのだ。藍が自ら出ていくなり何なりしていれば、戦にはならなかった。

 もちろん、嘉瀬村が月の神子は藍であるという可能性を知っていたはずはない。母である瀬那は、『紅南国はやみくもに探し回っている』と言っていたし、国にいる間、誰も月華に触れたことがなかったから、重さがどうのこうのとか、夜叉が砂になって消えるとか、そういうことが確認出来るはずもなかった。

 思い出さないようにしていた感情が、藍の中に僅かに浮上してくるのを感じた。自分のせいだと責めるのは、誰の為にもならないことは分かっている。あんな荒んだ自分に戻るのは、逃げだ。けれど。

 ――私がいたから、戦が起きて、たくさんの民が死んだ……。その可能性もなくはないんだ……。

「私、部屋に戻る」

 祈真に剣を返し、月華を鞘に収めてから藍は呟いた。

「戻るって……」

 祈真は眉根にますます皺を寄せて、藍の肩を掴んだ。

「待てよ。まだ話は終わってないぜ。これから――」

「またにしてください。今日は……もう疲れました」

 嘘ではなかった。朝から書庫に入り浸り、仁多王と話して、ここに来て色々知って。緊張したり驚愕したりの連続だったから、肉体面より精神面がいかんせん良くない。落ち着いた場所で落ち着いて物事を考えたかった。

「……失礼します」

 ぼんやりとしたまま、逃げるように藍は頭を下げてその場を離れた。

 頭の中は、嘉瀬村と善の神の甦りのことでいっぱいだった。


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