書庫
突然の来訪者を克羅藍と認めるかどうかという会議は、それから一週間続いた。噂は城下まで広がっていたらしく、ある日突然、
「民からの贈り物です。安全確認はいたしましたのでこれをどうか克羅の姫に」
と、箱いっぱいの花やら簪やらを女人から突き付けられた日には、あまりのことに昴は声も出なかった。
それからすぐに、部屋から出ることを許されていない藍の元に、世話をする女人が身なりを整えに来て、数刻の後には、仁多王が直に藍を見舞に来た。驚く藍にその口で、
「あなたが克羅の姫君であらせられることが、認められましたよ」
と、笑って言った。
その時になって、昴は初めて王の脚が不自由であることを知った。王が座る椅子には車輪が付いていて、腕を使えば自分でも動かせるように出来ているらしく、脚を動かすことのないまま手を動かして前に進んだり後退したりしていた。大きな移動の時は仕え人が押したり引いたりしているらしい。いつも傍らには数人の文官と武官、それから身軽そうな男が二人ついていた。
仁多王が訪れてきた時、藍はとにかく城内を動き回る許可がほしいと訴えた。腕は完治していなかったが、医師には、
「まだしばらく動かすのは厳禁ですが、それ以外はもう大丈夫ですよ」
と、一応の許可はもらっていたから、部屋から出られないのはかなり暇だったのだろう。
王は笑ってそれを了承し、活気のある姫君ですね、とからかうと、
「ただ、護衛はつけてくださいね。わたしの身の安全も確かではないし、無礼を承知で言わせて頂ければ、貴女の方はもっと危険です。こちらも十分警戒しているつもりなのですが、何分見えない敵というのはどこにでもいるもので……」
と、これだけは真剣に伝えていた。
何ならこちらから信頼できる護衛を付けましょうかとまで言っていたが、藍はそれを、
「気持ちだけ受け取っておきます」
と言って断った。護衛を買って出ようかとしていた昴の心中を、藍はとっくに悟っていたらしい。
それから王は、明日には藍にも会議に出てほしいことと、今日の夕方辺りに大司空がここに来るから部屋にいてほしいこと、それから、
「今更だけれど昴殿の部屋はどうします?なんなら隣の部屋も開いておりますので準備いたしますが」
と、呑気なことを言った。この一週間、寒い中藍が情けでくれた彼女の蒲団の布一枚だけでずっと壁にもたれて寝ていた昴だったので、この申し出を一、二もなく受け取った。
王が部屋を去ると、藍は月華を腰に携えるなり、
「さあ、城を見回ろう!」
と、吊った腕のことなど全く気にせず、ウキウキと言った。
昴は一応、
「白からしてみれば他国の姫に城を徘徊されるほど、嫌なことってないんじゃないか?」
ともっともなことを言ってみたが、ものの見事に黙殺され、さらにはさっさと付いて来いとばかりに一睨み。先日の可愛らしさは何処へやら、以前の気迫の凄さも健在だった。仕方なく、昴は護衛の任も含め藍に付いていくことにして、結果――。
「あれ……ここ、さっきも通ったような……」
ものの見事に迷子になったのである。
昴の方も、藍に付いていっただけなので、道なんぞ覚えているはずがなかった。仁多城は万が一敵に侵入された時の為に迷いやすいように出来ているというから、悲しいことに、もろに引っ掛かってしまったらしい。そういえば以前藍は、三ヵ月かけて克羅から緑北国に入ったと言っていたが、普通ではありえない期間だ。子供の足で行ったとしても二ヵ月と少しで着くのだから、あっちへこっちへと目茶苦茶に進んでしまったのだろう。
――もしかしてこいつ……方向音痴?
昴の運の良さは一体何処へ行ってしまったのやら。もはや全く人気のなくなった廊下のど真ん中で、多分こっちだ、だの、左のような気がする、だの勘を頼りにずんずん進んで行く藍が、疫病神に見えなくもなかった。
結局、藍の用意された部屋に戻ることが出来たのは、大司空と会うと約束した刻限の直前だった。わざわざ藍の世話を任されている女人が探しに来て、見つかるなり、ああ良かったと声をあげ、あれよあれよという間に藍を引っ張って行ってしまったのだ。護衛も護衛で仕事がないにこしたことはないが、ないはないでまた大変だということを痛感させられた。この少女の護衛だからかという疑問は、この際なかったことにする。
大司空が部屋に来たのは、刻限通りの時間だった。午後の間ずっと歩き回っていた藍は、思いがけない体力の消耗にぼーっとしていたが、やって来た祈真が、
「よう!藍姫!」
と威勢良く声かけると、飛び上がらんばかりに喜んで、にこにこしながら近寄った。
「お久しぶりです。ずっとお会いしたかったんです」
「お、ほんとに?」
「はい」
「いやぁ……そうかそうか。これでまた一人俺の虜になる女が増えたな……」
――違うだろ。
傍らで控えていた昴は心の中で突っ込んだ。
「本当にお会いしたかったんですよ。ずっと機会がなくて――」
「ああ。ちょっと野暮用が重なっちまって来るに来れなかった。莢生が……と、王が来ただろ?明日のことは聞いた?」
「ええ。会議に出席させていただけるとのこと。感謝いたします」
「礼は明日会議で皆に言えよ。別に俺が用意したわけじゃねーし。そこでこの国に来た目的も言うんだな。別に庇護してもらう為に来たわけじゃないんだろ?」
「もちろんです」
大真面目に言う藍を見て、祈真は笑った。
「今日、迷子になったんだって?」
え――と藍は硬直して祈真を見上げた。その様子がおかしかったのだろう、祈真は吹き出し、腹を抑えて笑い始めた。こうやってみると、やっぱり年若い青年にしか見えない。
「……この城、入り組んでるんです」
せめてもの反抗、とばかりに、藍はぶすっとして言った。ここまで盛大に笑われては、立場も何もないのだろう。
「そりゃ、そうだろ。っくく」
息もとぎれとぎれに、祈真は呟いた。もはや大司空も何もない。
「……大司空。先日は私の為に、王に謁見する場を与えていただき、さらには舞の準備と手合いという洒落た行い等々ありがとうございました。それから、倒れてしまいご迷惑をおかけしたことを詫びます」
爆笑している祈真を、本当はこの部屋から叩き出したいのだろうが、そうもいかない藍は、棒読みで言った。むっつり顔を崩さない。とっとと出て行ってくださいとばかりに、声を低くした。
「ははっ。あー、おもしれ。き、気にすんな。俺の好きでやっただけ……あー。あー笑える。うん、まあ後でとんでもない目にあったけど」
そんなことはおかまいなしで、祈真にちらりと見られて昴はぎくりとした。あの時怒りに任せて手をあげたことを謝ろうとは思っていたが、藍の前で言われるとは予測していなかった。――いや、これは予測しなければならなかったのかもしれない。なんせ相手は大司空だ。
「とんでもない目?」
藍は訝しんで眼を細めて祈真を見た。まだ笑いがちゃんと止まっていない祈真は、腹を押さえながら昴を顎で示す。
「昴が?」
――ああ、もう!
こっちを見て眉をひそめた藍を見て、昴は苛々と心の中で叫んだ。
何がおもしろくて機嫌の悪い藍から不況を買わなければならないというのだろう。怒るとそんじょそこらの娘とは比べものにならない程、冷たくて恐ろしいというのに。
「俺を殴った」
「殴られたのは俺だ!」
祈真の嘘に思わず反論すると、藍はわけがわからないといった様子で、昴と祈真を交互に見た。
「昴が殴られた?なんでまた――」
「こいつが俺の寝込みを襲おうと……」
「誰がするか」
「まあ要約して言えば、こいつが殴り掛かってきたっていう」
「は?昴がですか?」
「……わけわからん嘘から、揚句の果てに大事な部分は要約か……この……」
――相手は大司空だ、相手は大司空だ、相手は大司空だ……。
殴りたい衝動を渾身の理性でもって押さえ付ける。この男と話していると全く自分の調子を失う昴であった。
取りあえず、自分が大人になるんだと言い聞かせて祈真に謝罪したあと、藍にも少しお小言を貰い、それでその日は終わった。
隣の部屋に寝床を与えてもらった昴だったが、護衛を買って出たのだ。藍の傍を離れられない。それに気付いた時には時既に遅く、昴はしぶしぶ藍と同じ部屋で、やっぱり座り込んでかじかむ寒さの中眠るのだった。
翌日、まだ日も昇らぬ暗い中で物音がして、ハッとした昴が剣を抜いたが、相手は緊張して眠れず部屋をうろうろしていた藍だったというなんだか阿呆みたいな出来事も起きたが、とりあえず朝が来て、城が動き始めると、昴の意識は会議の方へと一気に傾いた。昴も参加することになっていたし、前回大司空に狼藉を働いたというのと、藍の身分が分かったというのもあって妙に緊張した。
昴にとって緊張という言葉は、戦いの佐中でしか使われないものだったから、小船に立って乗っているように揺れる、なんだか変な感じのものだった。
昴は前回と同じような黒の服に。藍は前回とは違う、もう少し動きやすい上から下まで女用の服を着て髪を全部結い上げるという格好だった。簪も前よりずっと軽そうで、藍の顔には安堵の笑みが浮かんでいた。
玉殿の間に招かれたのは、昼餉が過ぎてからだった。官の導きで入ると、やはり目に入ったのは明るい光だった。前回の松明の赤い光に対して、今は昼の陽の黄色い光が溢れている。連日雪だったが、今日は久々の快晴だった。
「よく参られました。藍姫」
壇上の王はにっこり笑った。昴は一般人ということになっているので、藍より二歩程後ろに下がり、膝を付いていた。頭まで下げなくて良かったのは、官がそう言ってくれたからで、昴にとってこの配慮はかなりありがたかった。頭を下げれば何も見えないし、位置が下がるので声も聞き取りにくくなる。もう少し贅沢を言えば、藍の表情が見える位置が良かったかもしれない。
「こちらこそ、城に留め置きくださりありがとうございます。信じてくださったことも……実を言うと、内心放り出されたらとヒヤヒヤしていたのですけれど」
「とてもそんな風には見えませんでしたよ」
二人で呑気な会話を交わしている間、昴は左右に犇めく大勢の官をちらちらと見ていた。
――大司空は……。
と目を凝らすと、やはりいた。昴から見て壇の右下。位置は誰よりも王に近い。
「――して、克羅の姫。あなたがこの国に来た理由を教えていただきたいというのが官の意見です。今日はそれを教えて頂きたく、こうして呼んだのです。監督長官」
は、と声があがり、黒い服の群れの中から中年の男が腰をあげた。手に何か持っていて、ごほん――と咳ばらいすると、声高らかに読み始めた。
「中央、監督外省、碧白の誓約。第一章――」
碧と白の同盟の際に結ばれた誓約を、男は読み始めた。第一章から第十二章まで続いたそれは、結果から言えばそんなに長いものではなかった。けれど重要なことが多々書かれており――例えば、『碧と白のどちらかが戦を始めた場合、加戦するか否かを決める権利は中立している方にある』とか、『自国の許可なくこの誓約を使用して事を成す場合、それを無効とする。ただし緊急時を除く』とか、『碧と白、どちらか一方の国の政が再起不能と判断された場合、もしくは双方の合意が成された場合にのみ、誓約破棄が可能であり、破棄する方はこれを公にしなければならない』とかだ――昴が聞いていて思ったのは、藍が何をしようとしても、この誓約は藍の完全な味方になっていないということだ。ちらりと祈真を伺うと、彼は眼を閉じて腕を組んだまま、身動き一つしなかった。
これをもって碧白の誓約とする――の言葉で声は止まった。王は祈真と同じく瞳を閉じて聞いていたが、やがて、
「長官、早急な命にも関わらずに総状したことに感謝します」
と言うと、藍を見据えた。
「これが貴国と我が国との間に交わされた同盟の誓約です。これに背かない限りで、私達は事を考えようかと思っています。この際ですから、はっきり申し上げておきますが、貴女が此処に来るまで、私達はこの誓約を破棄すべきか否かを協議しておりました。克羅の一族は――碧は滅んだと思い込んでいましたから。しかし、貴女が現れ、それにより状況は一変しております。貴女が我が国の庇護を求めるのか、碧を取り戻すべく兵が欲しいのか、あるいは紅南国を滅ぼしてほしいのか。何れにしても、貴女の言葉により、我が国の在り方は変わってきます」
昴は壇上の王をじっと見ていた。思慮深い、現実の的を射た言葉。しかし情のある思いやりの強いそれを見て、これが王族か――と、思わず尊敬してしまう自分がいた。
「……私は今、自分が碧の国の長であると思っております」
その藍の大胆な台詞に、官がざわめいた。昴も驚いて眉を潜め、大司空を見ると、彼も眼を開けた。
「幼き頃より、国の主となるべく育てられてきました。父芝韋が亡くなった今、私が後を継ぐのは必然です。ですがその私には力がない」
藍は拳を握った。
「私は克羅の姓を持っています。それは国の為にだけに在る証。民を思うことこそ全てです。そして今この時、碧の民は緑北国に逃げる他術を持っていません」
私の異名をご存知でしょう――と藍は言う。
「碧の宝です。宝は己に価値を見出だすからではなく、他に価値を見出だしてもらえるからこそ存在出来るのです。国が滅ぶは我が死と同じ。民を見捨てれば私はもはや私ではなくなります」
ですから――と藍は膝をつき、額を地に押し付けた。驚愕の声も、好奇の声も、沈黙以外何もなかった。
「どうかお願いです……。紅を滅ぼすなど……父母の仇を討つなどとは言いません。ですが民が……民を救わなくては……。この玄冥の寒さと雪で消える命も多くあるでしょう。一つでも多くの命を救う為にも、力をお貸しください。今この時、住む家も食べるものもなく苦しんでいるのは、私の民なのです」
会議が長引くのは目に見えていた。だからその間、藍は白西国の文献の閲覧許可を貰たいと――紅南国が戦を始めた理由を調べることに従事したいと王に説明した。白は四大国中歴史は最も浅いが、保持している文献資料は半端ではない。各国に伝わる逸話や書簡、書物などを書き写して仁多城奥深くにしまってあるのだ。世界の書庫でもあるこの仁多城に、ないものはないと言われている。過去の歴史も史実も、全てがここに集結しているとあっては、手を出さない理由もないのだろう。
幸運なことに、白西国の秘密事項が書かれた書物は、文献書庫とは別の部屋にあるということなので、勝手に漁って勝手に読んでいいという言葉はその場で返して貰えた。
「近々舎人部の者を遣わしましょう。それまではどうか控えてください」
という王の言葉と共に、その日の会議は終了した。
それから藍も昴も互いに口を聞かずに一日は終わった。何度も話し掛けようと昴は思ったのだが、一体何を話せば良かったというのか。
お前は凄いなと言ったところで、莫迦言うなと返されるのが当然だし、どうしてそんなに頑張るんだと聞いたところで、これだけでは頑張ったとは言えない、と返されるだけだろうから。
公の前では毅然と振る舞っているが、実際は極度の緊張と不安と責任を感じているに違いないのだ。今、藍が藍であることを許される時間はそう多くない。彼女は克羅の姫として全てを行っている。
――守る……か。
もう慣れたのか、座り込んで壁に寄り掛かり寝る体勢に入っても、昴の体は違和感を感じなかった。既に寝台にこちらに背を向けて横になっている藍をじっと見て、小さく息を吐く。
――藍は民を救いたいと思っていて……それは守るということだよな。
乃依が藍に、守るというのは無条件に愛するのとは違う、と言ったのを昴も聞いていた。
藍は分かっているはずなのだ。彼女自身が成そうとしていることは、とてつもなく矛盾していることなのだと。幸せになると言ったその口で、碧の国の民を救う為に白西国に助力を求めている。確かに民を救うには国を紅から奪い返す以外手段はないだろうし、戦いは必然。白西国の長期協議を見越したのもそのためだろう。――しかし藍は自ら戦の為に動いているのだ。戦いを拒んだ彼女が戦を経て幸せになれるはずがない。
「上に立つものはこうでなくてはならないのか……」
昔を思いだし、思わず呟いた昴の言葉は、白い吐息となって宙に消えた。
雪が増え、仁多の都はもはや白一色に染まっていた。粉が降る日は、闇に染まりかけた羽根のように灰色に鈍く光る。金色の光が注す日は、まるで空を移し取ったような淡い水色の色を反射させる。それぞれの雪は都をきらきらと輝かせ、何よりも美しくみせていた。
雪月が終わり、明日から新月が始まる。この城に留まって半月が過ぎた今、昴は藍と共に仁多城深部にある書庫に閉じこもっていた。
もう一週間も鮨詰め状態だったが、いかんせん関係資料が莫大なので、探すところから始まり、必要な部分を抜きだして、写してとやっていてもあまり進んでいないのが現状だった。藍に言われて昴も、この世界が出来た時の史実、つまり天神と地祇の争い、善の神と悪の神の誕生、高原と葦原の建国などの書簡や書物を引っ張り出していたが、それがどんどん積み重なって行くばかりで、結局処理しきれなくなり、結果、昴も藍と同じように資料をまとめることになった。かび臭い場所でかび臭い本を広げるのはなんとも陰気な作業だった。
「あーあ。これもだ。『天神と地祇の戦いにより、世界は破滅へ向かう。時同じくして二人の神表れ、剣を持ちて地祇と地祇の悪の式神、夜叉を滅ぼす』……どれも同じような内容ばっかりじゃないか」
「母上は善の神と悪の神が甦るという予言を百年前緑北国から受けたと言っていた。紅はそれらを探して戦を起こしているんだから、二つに関する情報を嫌でも集めるんだ。そうしたら何か良い方法が見つかるかもしれない」
戦を起こさずにすむ方法が、と藍は小さく付け加えた。
見ると、藍は厳しい表情で紙切れと睨み合っていた。ほとんどこの日の当たらぬ書庫にいるせいか、快活な表情はもはや見受けられない。表情にも大きな動きがなく、苦笑いや眉をひそめることが多くなった。
そんな藍の右手には筆が握りしめられていて、何故か今の碧の国を表しているように見えた。細い棒を支える小さな手。藍に初めて会った緑北国の村で、碧の国からの難民は姫が生きているという噂だけを頼りにしている、と聞いた。おそらく藍はそのことを知っている――。
――今から百年前、世界は荒れ始めた。
昴は目の前の本を閉じた。ばふっと埃と風が顔にかかる。気持ち悪かった。
――善の神と悪の神が蘇えると予言されたのもその時だ……。
蘇生したのかそれとも転生により生まれ変わったのか、そこまで詳しいことは分からなかったと聞いている。確か当時の緑北国の王が各国に伝えたはずだ。それから夜叉が増加し、干ばつや豪雨が増えて、紅は戦を始め――。
「……待てよ」
ふと、引っ掛かりを覚えて、昴は積み上げてある書物を見た。昴の背丈以上の高さに重ねあげられているそれは、もう調べ終えたものだった。無意識に指先で上から下まで触ってみて、なんとなく真ん中のものを引っこ抜いてみる。塔のような書物の山はぐらぐらと揺れた。
――何故緑北国は神の蘇りを知ったんだ?
ぱらぱらとめくって目を通す。書物は碧の国南方に伝わる風記だった。確かこれに載っていたのは善の神と悪の神の別称だった気がする。――何だったか。
「藍」
昴が呼ぶと藍は顔をあげた。
「何?」
「緑はどうやって出来た国だ?」
「……割譲したんだったと思う。確か当時の碧の国を治めていた人が国を二つに割って、一つを最も信頼の厚い臣下に治めさせたんだ。うん、そう聞いてる」
「何故自ら治めなかったかは?」
間発入れずに問うと、藍は顔をしかめた。
「そんなの知らないよ。当時の国長にでも聞かないと。大体緑と碧は緑が出来てからの約二千五百年間国交がなかったんだ。だから――」
藍の言葉はもはや耳に入らなかった。昴の中で、一つの答えがまとまりつつあり、みるみるうちに膨張して一気に固まった。
――緑北国は何かを知っている。
信頼の置ける臣下に国をわざわざ造らせて、だがその後は関係を持たない。それなのに二千五百年間も両国の間柄は温厚だった。普通ならありえない。紅と白や白と緑は未だに国境付近の小競り合いが耐えないし、以前は紅と碧も領地問題で争っていた。それが碧と緑にはなかった。これは出来過ぎている。
もしかしたら――これはとても大きな仮説だが、二千五百年前の碧の国長が国を割譲した際、その臣下に何かを託したのではないだろうか。その何かは善悪両神の蘇りを感知出来て――とか。
漠然すぎて説得力も何もありはしないが、少なくとも緑北国という国は、善と悪の神を語る際に何か引っ掛かる。
――緑北国の史実も調べてみるか……。
思って昴は目の前の台に突っ伏した。一体どれだけの量の資料になるのだろう。
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