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天錦宝史伝 〜新戦記編〜  作者: 花歌
第3章 〜西の古城 北の口伝〜
23/63

夢現

鈴が琴音の前に立ち、自ら夜叉の餌食になった――誰が見ても、鈴が琴音を庇ったことは明瞭で、だから誰も琴音を責めなかった。

 虎妖は、何処からともなく、まるで地面から生えて来たかのように現れ、鈴に手をかけた。その姿を見て悲鳴をあげた村人にいちはやく気付いた大司空が矢を放ち、動きを鈍らせたから彼の率いる兵が取り囲んで一気に討ち取ることができたものの、人妖犬妖相手に傷一つ負わなかった精鋭兵が、あの巨大な夜叉相手に、多数の負傷者を出した。

 あれから丸一日経ち、既に夜が始まろうとしている。夜叉の死骸は、白軍が今朝から処理を開始し、陽が降りたと同時に一度打ち切られた。村人の方もそれを手伝ったり、村で休んでいる兵の世話をしたりと、自ら率先して何かをしようとしていた。夜叉の来襲という恐怖から開放された事と、死者一名という奇跡に近い小さな被害も重なったせいか、気分もいいのだろう。今日も日は暮れたばかりだというのに、村はお祭り騒ぎだった。もちろん負傷者もたくさんいたが、命に関わる傷を負った者はいないという。

 乃依に呼び出されていた昴は、村を一直線に横切り、村長の家に向かっていた。白軍が個々の家に滞在しているせいもあって、夕食時の今、色々な場所からも騒がしい音が響いていた。

 その雰囲気に吊られて笑う、ということは、昴には考えられなかった。むしろ、嫌気がした。まだ幼い命が消えてしまったのに、それをなかったことのように振る舞う村人がいるのを昴は知っていたし、だから村は虚しく明るいのだ。

 村長の家に入り、軽く挨拶をしてから、昴はまっすぐ客間へ向かった。

「あっ。昴様」

 ふと、昴はすれ違い様に呼び止められた。振り返ると、いつも食事の準備と片付け、寝床の準備をしてくれる女が、表情を曇らせて立っていた。

「喬殿のことなのですが……」

 律義に彼女を喬と呼ぶ女に、昴は苦笑した。あの時――虎妖に裂かれた鈴を抱きしめていた琴音に声をかけた時、昴は彼女を喬と呼ばなかった。失念していたのは昴だったのだが、そのせいで、周りにいた兵も村人も、喬と呼ばれていた少年が、実は琴音という少女であることに気付き、噂は一気に村中に広まった。鈴を抱く琴音の態度も、それを増調させていた。

 軍や村人の反応は様々で、女には見えなかった、とか、あれほどの剣の使い手が女とは、とか、勇気のある娘よ、などの驚きの声がほとんどだったが、快く思っていない者がいるのも事実だった。戦いの際に女が采配していたことが許せなかったのだ。

「琴音がどうか?」

 昴は女の言葉に、わざと喬と言わないで答えた。女は少し間を開けたが、何も聞かなかったかのように、言葉を続けた。

「ずっとお食事を取っておりません。あのままでは倒れてしまいます」

「……」

 予想はついていた。昨日から琴音はふさぎ込んで、昴と口をきこうとしないし、表に繰り出そうともしなかった。

「無理にでも食べさせてあげてください」

「……わかりました」

 頭を下げて、昴は部屋へ行こうとした。しかし、女は、あっと声をあげ、再び昴を呼び止めた。

「あの、寝床は今まで通りでよろしいのでしょうか」

 は、と昴は意味が分からなくてきょとんとしたが、すぐに察しがついて、深く息を吐いた。こういう事態も予想はしていた。

「かまいません」

 それだけ言って、今度こそ本当に部屋へと向かった。


 琴音は部屋の角で膝を抱いてうずくまっていた。部屋の中央にきちんと並べられた夕食を見てみると、二人分の食事はやはり二人分のままだった。

 昴は琴音の傍に行き、腰を下ろした。

「行かなくてよかったのか?」

 しばらく待ってみるが、やはり返事はない。あれから琴音が動いたのは、この家に戻る時と、血まみれの袍を着替える時だけだった。昴の分も琴音の分も、村長が分装服を分けてくれた。

「飯、食った方がいいぞ」

「……いらない」

「少しでも。一口でもいいから」

 琴音は顔をあげた。ただでさえ白い肌がますます白くなって、病人みたいだった。

「食べたいなら食べていいよ」

 昴は息を吐いた。とんちんかんなことを言っている辺り、意識は昴の方に向いていないのだろう。

 昴は無理矢理琴音の腕を引いた。抵抗する気力もないのか、ふらふらと揺れながら琴音は昴に引っ張られるままに、膳の前に座る。まるで人形のようで普段の琴音からは考えられない有様だった。

「食べろ」

 しかし琴音は動かず、顔を伏せたままだった。昴は琴音が食べ物を口にするまで動かないことを決め、それもあってか、しばらくすると琴音は諦めたかのように箸に手をのばした。

「……食べたよ」

 一口食べて琴音は唸るように言った。退こうとする琴音を、昴は慌てて押さえ付けた。

「本当に一口しか食べてないじゃないか。もっと――」

「もういい」

「だが琴音――」

「本当にいいの。お願いだから……」

 琴音は昴をぐいと押し、遠ざけた。あまりに弱々しい力と態度に、彼女が思いの外心身共に参っていることに気付かないわけにいかなかった。

「食べたくない。心配かけてすまないけど」

「……」

 昴は黙って琴音を見つめた。

「……じゃあ腕」

「え?」

「腕出せ。交換してないだろ」

 部屋の隅に置いてある清潔な布と薬草。琴音の腕の怪我を処置する為に今朝、さっき会った女の人が持ってきてくれたものだ。しかし、触れられた様子はない。

 琴音が腕を出さないので、昴は勝手に手をとり、袖をまくった。案の定包帯は傷に沿って縦に黒ずんでいた。

 包帯を取りながら、昴は今日までのことを考えた。連夜、野宿の旅をしていた昴と琴音にとって、二人きりというのは当然のことだった。朝起きて、道を進んで、食べて、寝る。一月の間、ずっとそうやって一緒にいた。だが、村に来てからは二人で話す機会が減り、会う機会もあまり訪れなかった。お互いの様子を窺うことも減った。だから少し違和感を覚えて、昴は何度か琴音と話そうと試みたし、琴音も昴を気にしていたと思う。自惚れだと言ってしまえばそれまでだけれど、もしそうなら琴音は昴の名を呼んでくれることはなかったはずだ。人殺しの誤解が解けたことだけが理由じゃない。

「……っ!」

「我慢しろ」

 薬草を塗り付けると、琴音は小さく声をあげた。傷はかなり深い。治らないことはないだろうが、時間がかかりそうだった。

「暫く剣は扱えないな……」

 経過を言えば、ここ数日で――琴音にいたってはつい昨日――二人は互いを理解しようとした。名を呼んでくれたし、感謝と謝罪もあった。長い期間ただ一緒にいるだけではこんな風にはならなかったと、昴は思う。

 ――大丈夫かと思ったんだが……。

 名を呼んでくれたあの時、昴は琴音の心に少しだけ光が戻ったのではないかと思った。

 けれど鈴の――小さな命が自分を庇って消えたという、腕よりも深い傷が琴音を蝕んでいた。おそらくこの状態は元より酷い。

「明日、乃依様の所へ行こう」

 手を休ませず、単調に昴が言うと、一瞬にして琴音の表情が凍り付いた。

「今日の埋葬の後、彼女は俺を呼んだんだ。琴音と話がしたい、今日でも明日でも明後日でも、いつでもいいから来てほしい、と伝言を頼まれた」

 本当はそれだけじゃないけれど、乃依の言葉は昴が伝えていいものじゃない。言えば琴音の心の痛みは多少なりとも引くかもしれないが、それは優しさではなく同情になる。

 最後に包帯を縛って、昴は琴音の腕を離した。ありがとう、とおそらく無意識に琴音は言った。

「今日はもういいから、ゆっくり休むんだ」

 言って昴は床の準備をしてもらい、琴音を寝かしつけた。睡眠の邪魔にならないよう昴も急いで夕食を掻っ込み、火を消して、同じく横になったが、離れた寝床から寝息が聞こえてくることはなかった。


 漠然と、自分は夢の中にいるのだと理解した。体がふよふよしていて、景色もぼんやりしている。昴は野を走っていた。

 綺麗な空が続いていて、それが空気が透明になる秋の空だということに気が付いた。けれど地は青々としていて、夏の香りがする。さすが夢だ、と笑って、昴は唐突に足を止めた。

 強い風になびく草原の真ん中に、一人の少女が立っていた。長く美しい髪が揺れ、時々光の当たる角度が変わると、青みを帯びて、それがことさら胸にせまった。純白の小袖と裳を着ている。どこかの巫女だろうか。

 少し興味を覚えて――正確にはなぜか惹かれて、昴は近寄った。だがその足もふと止まる。

 少女の腕には碧玉の珠のついた剣が握られていた。昴に気付いたのか、振り返り、精悍な顔付きでこちらを見つめる。

 途端昴は、とんでもないことに気が付いた。動きたいのに、言葉を発したいのに、それが出来ない。畏れという見えない大きな手にがっちりと掴まれて、それは身体を動かすことを許してくれなかった。

 そんな昴を見て少女は、ふわりと笑んだ。その表情は優雅というより、凛々しかった。一つの絵のように美しく、自分が誰であるかを忘れさせるくらいの心地良い空気。彼女は何かを言うベく口を開いて――。


「っ!」

 昴は跳び起きた。体中が汗だくで、衣が身体に纏わり付いて気持ち悪い。羽織っていた蒲団を蹴り飛ばして、髪をくしゃりと握った。

「今のは……」

 青い髪と碧玉の剣。克羅の姫は青みをおびた髪をしていることで知られているし、丸い碧玉が飾られた剣。おそらくあれは昔、天神から善の神が賜ったという碧の国の宝重、月華だ。――彼女は克羅の姫なのだろうか。

 ――違う。

 どこかで自分が否定した。何故かわからないけれど、確信できた。空は青い、雲は白いという決まりと同じ。あれは――。

「善の神」

 碧の国の元となる高原の国を造った女神、善の神だ。だから昴は畏れたのだし、彼女の神秘に惹かれた。

「……思い出せない」

 彼女は昴に何か言った。大切な――とても大切な何か。

 全てが歪んだ鏡みたいに釈然としなくて、昴は網篭で水を掬い上げているような気分に陥った。すでに眠気は吹き飛び、眼も冴えている。

 そしてふと、昴は夢人が琴音に似ていることに気が付いた。顔形じゃない。歳だって夢人の方が二、三上に見えたし、体格も琴音の方がなんというか――まだ幼い。夢の中の少女というより、女性と言った方がいいかもしれない。少なくとも、彼女には琴音のように男に変装するのは無理と思われた。

 だから、何処が似ている、と聞かれて、ここ、と具体的に示すことは出来ない。あえて言うなら気配だろうか。今の琴音が、幸せの中で優しく笑むことが出来たら――きっと夢人のようになる。そんな気がした。そういえば、彼女の持っていた剣と、琴音が持っている剣の形は似ているような気がする。琴音の方は刃以外の部分は布を巻き付けているからよく分からないけれど、なんとなく――。とそこまで考えて昴はやめた。考えすぎだ。こんなに漠然としたものが多くても、何の意味もない。

 考えるのは後にしよう――と、昴は再び横になり、無意識に寝ているはずの琴音の方を見た。途端、心臓がドクンと波打った。

 琴音は寝床にいなかった。

 再び跳び起きて昴は部屋を見渡すが、姿は目に移らないし、影もない。

 すぐ近くに置いてあった袍を掴んで、昴は部屋を飛び出した。まだこの家の者は寝ているだろうし、今は大司空も、村で一番大きいこの村長宅で休んでいる。どたばたと音をたてるわけにはいかないから、廊を走らないよう、しかし歩かないよう気をつけた。

 屋敷を出てすぐ、凍てつく寒さの中辺りを見回したが、人気はなかった。すでに明るみはじめている東の空があるものの、世界の半分以上がまだ闇に包まれている。

 ――何処へ……。

 うろうろと辺りを見回って、馬小屋を覗くと、昴が琴音に与えた馬が消えていた。もしや、と思い馬具の置場を見てみると、やはりこちらもない。

 何かに突き動かされたかのように、昴は電光石火で馬具を自分の馬に装具し、飛び乗り、腹を蹴った。

 馬は村の中を走りだした。しんと静まる空気の中に、足音と呼吸だけが響いて気味が悪い。

 村の真ん中の脇を過ぎようとしたところで、昴は気付くものがあり慌てて馬を止めた。火を絶やさぬよう薪を囲っていた、夜通し見張りの白軍兵の数人が眠そうに昴を見ていたのだ。

「すまない、ここを娘が一人――」

「あんたも朝の散歩か?」

 朝の散歩――。昴は眉をひそめた。男は眠そうに欠伸をし、指で東を指す。

「あの琴音とかいう娘がさっき、馬で出てったぞ」

 礼を言うことも忘れて、昴は再び馬の腹を蹴った。

 ――気味が悪い……。

 善の神の夢を見たり、琴音が忽然と消えたりと、一夜に出来事が重なったのが気に入らなかった。まるでこの二つが関係あるみたいで、それが無性に腹立つ。神に対して苛立った所で得があるはずもなく、むしろ自分運の良さは何処かに吹っ飛んでしまうであろうに、それでも怒りを抑えられなかった。――どうして琴音ばかりが。

 馬を走らせるうちに、空は明るさを増していった。闇よりも光の方が辺りを占めはじめ、肌を突き刺す冷たい風と、柔らかく包んでくれる穏やかな光が交差して、それが一日の始まりを告げていた。

 昴は馬を止めた。

 見覚えのある場所に、見覚えのある馬がいたのだ。

 馬を降り、近寄ってみて確信する。――間違えようもない、昴が与えた琴音の馬だった。

「琴音は……」

 その鼻を撫でながら昴は一人呟いた。

 この場所は、鈴と徨来に始めて会った草村のすぐ外だった。

 ――中か……?

 昴は道の脇へと足を進め、草村の中へと入った。あの時二人がいた正確な場所は覚えていないが、なんとなくは――と考えていた矢先、唐突に体が草村を突き抜けた。

 ぽっかりと穴があいたみたいに、狭い円状の空間が存在していた。さっきまで掻き分けていた丈の高い草が、丁度壁のような役割を果たしている。地面はなぜか剥き出しになっていて、茶色い地面とゴツゴツした石が、逃げ場のない牢のような場所を作り出していた。

 狭くもなく、かといって広くもないその空間の真ん中で、琴音は地面に転がっていた。片腕を両目に当てて隠しているから、表情は伺えない。苦しそうにもけだるそうにも見えた。

 来訪者が昴だということを最初から琴音は知っていたらしく、物音をたてても全く動かなかった。ただ一言、

「よくここが分かったな」

 と、抑揚のない声で言った。身動き一つしないまま口だけ動かす琴音を見て、昴は返事が出来なかった。

 立ち尽くすしかない昴のすぐ傍で、琴音は深く息を吐いた。寒い中で、それが白く目に映る。草以外に見えるのは空だけで、随分と明るみを増していた。

「どうして来た」

「……隣にいなかったから」

 彼女が自分自身で思っているよりも鋭い言葉に、昴は事実を淡泊に答えるしかなかった。だが、琴音が優しく言ったとしても、明白には答えられなかったと思う。理由なんて昴にはなかったし、いなかったから探しただけだ。

 しばらく二人とも黙り込んでいたが、琴音は唐突に起き上がり今度は膝を抱えて座り込んだ。

 もう見慣れた姿形に、自然と昴の足もいつも通り、琴音の傍に寄り座った。この村に来てから、二人きりで一歩踏み入って話すのはもう何度目になるだろう。いつも昴の方から持ち掛けて、琴音がそれを受け入れるという既成があるから、この場もなんとか成り立っているが、なければ琴音は昴を徹底的に拒絶したと思う。今昴は一歩どころか百歩踏み込んでいるも同じなのだから。

「大丈夫か?」

 問うても、琴音は反応しなかった。膝に抱えて、顔を埋めるその姿は、屋敷にいる時と変わらない。

 正直怖かった。琴音の行く末が鈴の死によって大きく変えられたのは確かで、それは喜瀬村を――昴の祖国の王を殺す、と躊躇うことなく言い放った少女をどう変えるのか、悪い方へと堕ちきらないか怖かった。

 昴は、鈴がなぜ琴音を庇ったのかを知っている。おそらくは乃依も――あの幼子を幼子だと知る者であれば、鈴が「したくて」したことだと、幼いからこそ心のままに琴音に生きてほしいと願ったのだと、すぐに分かるはず。

 だが、今の琴音にはそれが解せず、だから自分を責めて憔悴しきっているのだ。

「いつもこうなんだ」

 ふと、琴音がこぼした言葉に、昴は顔ごとそちらに向けた。琴音は言ってから顔を上げ、先のない草を見つめている。それだって見つめているだけで、映ってはいない。硝子玉のような瞳しかなかった。

「護られてばかり。何も出来ない。何かをしようと踏ん張っても、結局ただの愚者にしかなってなくて、だから父上も母上も兄も姉も……皆死んだんだ」

「琴音、お前……」

 つ、と琴音の頬に滴が零れ、それを昴は驚いて見ていた。

 旅の間、どれだけ罵られても、苦しいことがあっても、琴音は泣かなかった。悲しい顔一つさえ昴は見たことがなく、それを琴音に聞いたら彼女は、泣いたことはない、と怒りを含ませて言い切っていた。矜持もあっただろうがむしろ、自分の感情を捨てようとする方が主立っていた。喜怒哀楽を感じぬよう――そう、以前乃依が言っていたように、自己を薄くするよう保っていたのだ。

 昴は琴音が涙を流すことなど考えたこともなかったし、だから先日、鈴の死に直面した琴音がすぐには理解できなかった。出来なかったけれど、昴の中にやるせない気持ちが押し寄せていたし、琴音はといえば自分を責めている。こんな風に――静かに涙を流して。

「本当は知ってた……喜瀬村よりも私が悪くて、私が死ねば皆生きていられた。どうして……」

「琴音、止めろ」

「私は今生きてるんだろう……大切な者を犠牲にして、愚弄して、なのにどうして私は死ねない?私がいなければ鈴は――」

「琴音!」

 本能的に、昴は琴音の両肩を掴んだ。これ以上言わせてはいけない。言えば二度と琴音は回復出来なくなる気がした。鈴や乃依、昴、そしておそらくは琴音の家族らの思いが、届かなくなる。

「それ以上言うな!言えばお前を思うお前の大切な者達は――」

 しかし琴音は、昴の手を振り払った。立ち上がり、涙の止まらぬ瞳で昴を睨み、声を荒げる。

「お前に何が分かる!」

 昴に口を挟む間を与えず、琴音は吐いた。

「私がいなければ全てが幸せに過ぎていた!父上や母上が死ぬ必要はなかったし、兄が私を庇って自ら死を選ぶことも、姉が私の身代わりになることもなかった。碧が滅びたのも私がいたから……みんな命を奪われた……。私のせいで……私のせいでみんなは……鈴が……っ」

 琴音は両手で口元を押さえた。が、鳴咽は彼女の小さな掌だけでは隠すことが出来ず、辺りに虚しく響く。

「どうして……!」

 ドサッと膝から崩れて、琴音は座り込む。

「どうして私は生きているの……?一番卑怯で、一番愚かで、一番いなくならなくてはいけない私が……。どうして私は消えてなくならないんだ……」

 今更――本当に今更だけれど、昴は琴音の闇がほんの少しだけ分かった気がした。

 琴音は悲しかったのだ。悲しくて、辛くて、それを凌いで生きていく為には、誰かを怨むしかなかった。自分を守って死んだ者の後を追うことなど出来はしないし、かといって彼等の望みを叶えられる程、孤独に苛まれる琴音に、強さは残っていなかった。消えたいと一人呟いた琴音の言葉は真実だったのだ。

 心の中に小さく存在していた「生きる」という残酷で辛いものが、琴音の悲しみを憎しみへと変え、それがやがて大切な者の仇を取る――すなわち喜瀬村を殺すという思考に繋がったのだろう。

「琴音……」

 だが琴音は闇に染まりきり、完全に堕ちることができなかった。出来れば楽になれただろうに、それをしなかったのは、本来の琴音がとても優しくて、とても温かい人だからだと昴は思う。でなければ、琴音は今現在こうして苦しんではいないはずだ。本当の愚者なら、小さな子供一人の死に心動かされたりしない。

 昴は手をのばし、そっと抱きしめた。冷たくなった、細く華奢な身体を自分の腕で包み込む。抵抗はなかったけれど、僅かに驚愕したのだけは感じられた。

「泣くな」

 ぎゅっと胸に少女の頭を押し当てて、しかし、繊細で弱々しい細い線を壊れないよう、壊さないよう、力を強める。

「……泣くな」

 もう一度言うと、少し間があってから、琴音は小さな反応を一つだけ示した。

 昴の衣を、弱々しくキュッと握ったのだ。

 その動作に、なぜか昴は泣きたいような感覚を覚えた。一体どれだけの間、この少女は誰にも頼る事が出来ずに、一人で泣き叫んでいたのだろう。自分でも分からない程自己を薄くし、自らの光を闇で包んでしまうまで。

 この広い草原の中にある、独房のようなこの場所に閉じ込められている琴音を助けたいと、昴は強く思った。

 ほんの一瞬、あの夢人が脳裏を過ぎった。


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