1:世界変革
突然だが世界は今、歴史の転換期を迎えている。時は西暦二〇六四年、六月三〇日。この日、世界のメディアを介して市民の目を奪うニュースが大々的に報じられていた。
各国のテレビ、新聞、SNSに至るまで、世界中の人々の話題を掻っ攫っていたのは、ある機関の解散。
テレビをつけていたリビングに、女性アナウンサーの強張った声が聞こえてくる。
『今新たな情報を入手しました……… 《United Nations》は、正式に解散。国際連合に所属していた一九三ヶ国の信頼関係は白紙へ——』
国際連合の解散。この話題は今の世界を席巻する最も知れ渡った話題だった。
それもそのはず。国際連合《略称UN・国連》はアメリカ合衆国のニューヨーク市マンハッタンに本部を構え、一九四五年から活動を続けてきた超巨大機関の一つだからだ。安全保障、経済等の国際的協力を目的とする国際機関。そんな世界の中枢とも言える機関の突然の解散。世間は動揺を通り越し呆然とした。
これにより、今まで国連を通じていたからこそ友好関係を保てていた不仲の国と国は完全に決別。それも一国ではなく何ヶ国も。これでは世界はひとたまりもなくパニックに陥り民衆は暴徒化。各地でデモやテロが多発し、世界は恐慌に包まれる。
その予想は五割的中して、残り五割の的を外した。
世間各国の反応は二つの反応に分断された。
一つ目は国際連合におんぶに抱っこで世話になっていた国の崩壊。国連という支柱を失った事で国連を通じて交渉や輸入出取引を行なっていた他国間とのやり取りは断絶。これにより経済麻痺が起こり株価は激減。企業は軒並み倒産し経済恐慌が発生。という流れで崩壊していく国が次々と現れた。
しかし、中には国際連合解散の被害をあまり受けていない国もあった。
国際連合の常任理事国である五ヶ国。それを除き、イスラエル、ドイツ、台湾、インド、そして日本の一〇ヶ国は、経済的な大打撃は回避していた。
これにより、経済的に保てなくなった国を自身の国へと飲み込み国の拡大競争が激化し、今までの世界地図上に記されていた国境は大きく変化した。アメリカ合衆国はカナダ、ブラジルと条約を結び三国が合併したアメリカ大合衆国へと。
逆にロシア連邦共和はその国土の約三割を立入禁止区域と定め、そこで国際連合加盟中は実行できなかった非人道的な実験や手術をする為の施設の建設を。
中華人民共和国は大韓民国、朝鮮民主主義共和国《北朝鮮》を武力で降伏させ植民地化。まだ発展途上であった市街と労働力を手に入れた中国はその膨大な人口量を武器に軍を拡大。
その他にも様々な国が、国と、人と、歴史と関わり、大きな変化を遂げていく。だがその中で唯一、個を貫きどの国とも交わらなかった国が存在した。
「アホだよな、日本も」
コーヒーの入ったマグカップを片手に、忙しなく働くアナウンサーやらディレクターをテレビ越しに見ながら、一人の青年がポツリと呟いた。
テレビでは大合衆国とロシア連邦の首脳会談の様子が報じられていた。冷戦状態にあった二つの国の火花が再び散る事となるかも知れないこの二国間の首脳会談は、国際連合解散の知らせと共に同じく報じられた。
しかし、世界中が戦争だ何だと騒いでいる中、ここ日本だけは、今日も普通に時が流れていた。
無関心が過ぎるのではないか、と青年は思う。コーヒーを飲みながら机の上に広げていた新聞の内の一つに視線を下ろす。
『憲法第9条とうとう改憲か!? 戦争は始まるのか!?』
と、ゴシック体のフォントで大々的に一面を飾っていた。それ以外の新聞にも、必ず『憲法第9条』の文字がある。
そんな事が書いてある紙面から視線を外し、深々と溜め息を吐き出す青年。同時に頭を抱え、政府、世間に声を大にして言いたかった一言を口にする。
「アホ以下だったわ…………脳味噌ミジンコサイズじゃねえのかこいつら…………」
嫌気が差してくる程の見当違いな意見だと、青年は鼻で笑う。
「今、真っ先に問題視するのはそこじゃねえだろ。戦争が始まるだの、憲法改正どうこうだの、間抜けにも程がある」
そう言って椅子をくるりと一八〇度回転。回転し身体が向いた方向の壁には、今月分の新聞、政治家のインタビュー記事、写真、株価のグラフ、その他膨大な量の《情報》が貼り付けられていた。
六月分の新聞記事や株価グラフ、その他にも様々な情報を集め、閲覧し、分析・解析した青年が辿り着いた、今ここ日本が取るべき最優先の行動。
「今、最も重要なのは、この国の金融面の安定、そして迅速かつ的確な新取引相手国との商談だろうが」
何も知らない人が聞けば頭上に?マークを浮かべそうな言葉だが、しかし。この青年が口にした事は、九割九分九厘正解している。
金融面での安定。即ち物価収縮を起こさない事。簡潔に言えば、二度目のバブル崩壊の再現を防ぐという事である。
二〇一〇年代、日本の資源エネルギー自給率は僅か約六パーセント。これは経済協力開発機構の加盟国三四ヶ国中、下から二番目に低い水準であり、また電力に関してもその電力を生み出すために消費するエネルギー源を海外からの輸入に頼り依存しており、もし輸入取引が中止され、エネルギー源を輸入できなくなった場合、日本側の損失は天秤では測りきれない程の物となる。
そして、二〇六四年。今まさにその最悪の予感が的中し、日本のエネルギー源の補給は絶たれた。
だがしかし、日本は秘密裏に当時、世間で話題となっていた《とある資源》の採取と、その利用について研究を進めていた。
日本海の海底に沈み、日本の年間ガス消費量約一〇〇年分の資源が眠っていると話題になった、一つの資源。
【燃える氷】
当時、日本の新資源となりうる可能性が高いメタンハイドレートが、日本海底に大量に眠っているというのが話題となった。
だが、メタンハイドレートの新資源としての実用化は数十年先になると言われ、世間の流行から忘れ去られた。
まず、メタンハイドレートは新資源にはなりうるが、その採取のコストと濃集されているメタンハイドレートを見つけ、採取する。または撒布しているメタンハイドレートの破片を濃集する技術の発展。この二つの課題をクリアしなければ、《燃える氷》は只の手品だ。
しかし、日本はその課題を長い月日をかけ乗り越え、そして実用化に成功した。そのお陰で、今回の国際連合解散による経済的ショックも、輸入・出の取引停止による市場への影響も少なく済んだ。だが。
「メタンハイドレートの実用化だけで日本が独立して経済を回せると、本気で政府が思ってんなら、もうこの国はお終いだ」
青年の意見はその先の未来を示唆していた。
メタンハイドレートが実用化可能となったいま、それを武器にした外交取引をなぜ執り行わないのか、最も優先すべき行動を憲法改正だの戦争だのと言うどうでもいい事で考えていない日本という国に対して、青年は酷く腹立ちを覚えた。
「大体、なんで政府のアホどもは塵のように集まってんのにこんな意見すら出ない————」
新たな愚痴を零そうとした所で、ピンポーンとインターホンの音が部屋に鳴り響いた。早朝、それもこの時間帯に我が家を訪問する人間など、彼には一人しか心当たりがなかった。だが扉を開けに行くのも億劫な青年はそれを無視。するとガチャ、と扉の鍵が空く無機質な音が耳に届き、同時にドンドンと怒ったような音を立てながら足音が近づいてきた。
「おい一樹!! てめぇなんで無視しやがった!?」
「煩い。黙れ。失せろ」
部屋に響き渡る怒声。それに対して極めて冷静かつ冷酷に言い返し、手元にあった空のマグカップ(プラスチック製)をぶん投げる。一樹と呼ばれた青年は、声の主を渋々見る。
飛んできたマグカップを片手で捕り、取手に指を入れクルクルと回している青年に対して嫌そうに口を開く。
「朝っぱらから何の用だ傑。毎度同じ事を言っている気もするが、勝手に僕の家に入るな」
「お前の母から合鍵を貰っているから家に入った所で何ら問題無い」
「大アリだ阿保。同棲中の彼氏彼女か僕たちは」
身長一八〇以上はある巨体に、爽やかな短髪。少し日焼けした小麦色の肌が彼、和泉傑の活発さを感じさせる。彼より一〇センチ程低い身長の一樹が並ぶと、かなり見上げる形となる。
深々と溜め息を零して、一樹は改めて傑に問い直した。
「で、何の用なんだ傑?」
「……また連中が来てたぞ」
「………………」
傑の言葉を聞き、気怠るそうに彼の話を聞いていた一樹の顔が引き締まる。鋭く尖らせた眼光は、宛ら獲物を狙う鷹のようで、その瞳はリビングから庭へと続くガラス窓の向こう側に向けられていた。
「………ニ、三……五人………先週より二人増えたな」
その視線の先には、初夏にも差しかかろうというのに早朝からカメラや音声マイクを持った男や女が一樹の家の周囲を取り囲んでいた。
「またあの件か?」
「……ああ、だろうな」
自分が監視される理由など、それ一つしか考えられなかった一樹は、如何してあの時あんな行動をとってしまったのか、今更ながらに後悔した。
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彼、久遠一樹は無知が嫌いだ。
頭が悪いや、勉強が苦手な者が嫌い、と言う訳ではない。
無知とは即ち、初めから知ろうとしないという事。知る事を放棄した考え方、有りとあらゆる情報が溢れる現代社会で、手元にすぐに情報を検索する事が出来る機器があるのにも関わらず、知らないまま放置する人間が大嫌いなのである。
まだ幼い子供や年老いた老人などは話は別だが、ある程度知識と自覚を持った少年少女、若者や中堅世代の大人が無知である事が当たり前と思っている事が、彼には許せなかった。
「お前らは阿保か? 何を今更ガタガタと抜かしてるんだ? 国連解散の予兆なんて、今までに腐るほどあっただろう。それを見過ごし、無知でいる事に甘え知ろうとせず、剰え解散濃厚か、って漸く騒ぎ出した途端、それを言い訳に政府を弾圧だと………? いっそアホを通り越して糞以下だな」
一樹がそう言い放ったのは、彼が通っていた高校で自衛官募集の講習を開いていた時だった。一樹の堂々たる暴言に、周囲の生徒と講習会に来ていた自衛官は呆然。
その後、勿論一樹は教師たちに呼び出され指導を受け、その後講習を開いた自衛官たちの目の前で土下座で謝罪する事となった。無論、土下座での謝罪の件は完璧に隠蔽され、明るみに出る事はないと思われた。
が、しかし。その後日、テレビのニュースに驚きの映像が映し出されていた。それは、教師たちが一樹に土下座を強要し、彼が土下座をするまでの間録画された映像。
一樹はこうなる事を予想した上で、ブレザーの胸ポケットに隠しておいたスマホのカメラを起動し、証拠となる映像を自らの視点で録画していたのである。
これにより一樹に土下座を強要した教師の三名は懲戒免職。そのテレビ放送を機に、実名こそ伏せられたものの、一樹の日常は大きく変化してしまったのである。
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「はあ〜〜〜〜………」
深々と大きな溜め息を吐き出す一樹。自分が過去に取ってしまった行動に猛烈な後悔を覚えるが、彼は自分が間違った行動を取ったとは思ってはいなかった。
「これじゃあ碌に就活も出来ないな」
この事件が世間に知れ渡ったのは一昨年の一二月頃。それから彼此一年は経とうというのに未だに一樹の周りにはカメラマンやインタビュアーが存在する。
面倒な事が嫌いで、尚且つ無益な行動を嫌う彼に取って、取材の対応は無駄な行為にしかなり得ず、彼は一二月の事件以降自宅に引き篭もりニートと化していた。
その一樹の身の回りの世話(主に買い物)をしているのが、カーテン越しに外を覗き込んでいる幼い頃からの腐れ縁である傑だった。
「でもお前はアフィ………アフィなんとかで稼いでんだろ?」
「アフィリエイトな。まあそこそこの収入は得ちゃいるが、流石に一生アフィリエイトで食ってくのは現実的に考えて無理だ」
「そんなものか?」
「そんなもんなんだわ、自衛隊に入ったお前とは違ってな」
カーテンの隙間を直し、振り返り問い掛けてくる傑にドライに返事をする一樹。正直、一樹は傑が羨ましかった。恵まれた体格、運動センス、努力家。一樹が持っていないものを、彼は全て持っている。勿論、長所ばかりでは無いが、それを補って余りある彼の才能が羨ましかった。
「お前も自衛隊に入ればよかったのに」
「アホぬかせ、その自衛隊様に喧嘩売った結果こうなってんだろうが」
苦虫を噛み潰した様な表情で一樹は吐き捨てる。あの一件以来、一樹は自衛隊を嫌悪の対象として見ていた。
自衛隊が一樹に対して何をした、と言うわけでも無いのだが……それでも、多少なりとも苛立ちは覚えると言うものだった。自衛隊から事件の謝罪などはあったが、それ以上は何も無い。賠償金などを要求すると言う行為は一樹自身も望んでいなかったため無かったが、逆にあれだけの事を言われたのにそれに対する反論が何も無かったと言うのが、彼の中で自衛隊が嫌悪の対象になる理由でもあった。
「僕は自衛隊は嫌いじゃない。が、自衛隊を指揮・統率してる上の人間が嫌いなんだよ。上で見てるだけで何もしようとしないあの能無し共がな」
「まあ、お前がどう思おうが気にしてもいないけどよ、このままじゃお前一生ニートだぞ?」
それを言われると弱い。と、一樹は黙りこくってしまう。
一樹自身もどうにかしなければという気はするのだが、どうにも自分の能力を生かせる職業がないため就職を躊躇っていた。
最近は、一層の事海外に行ってSEにでもなろうかと考えていた所である。
「——そんなお前に朗報だ」
「あん??」
どう答えるべきか黙考していた所、目の前に立っていた傑が鬱陶しくなるほどの眩しい笑顔を浮かべ、背負っていたリュックから一つの資料を取り出し一樹に手渡す。
「………お前、僕の話聞いてたか?」
「ああ、聞いてたさ。その話を聞いた上で、俺はだからこそお前にそれを見せたんだ」
傑にそう言われ、もう一度手渡された資料に目を落とす。彼から手渡された資料には『陸上自衛官募集』の文字があった。
「………」
差し伸べられた道標。しかし、一樹はどうにも乗り気では無かった。
一樹の学力ならば、自衛隊に入る事など容易い。彼が悩んでいたのは就職の心配では無く、自衛隊に入って己の能力を生かせるかどうかだった。
「俺はお前に自衛隊に入って欲しいと、心の底から思う」
「………何故?」
「それは、お前の望むやり方で、俺たち自衛隊を、この国を動かせるからだ」
「……!」
「まあ、入りたての下っ端がそれを出来るとは思わねえけど、それでも……俺はお前程、上に立つべき人間を知らない」
一樹の能力を知り、それを認めているからこそ出来る、確信にも似た傑の言葉。一樹の情報収拾・処理能力で、恐らくこの国で彼に勝る実力を持っている者は片手ほどもいないだろう。
「それに今は、三等陸曹に上がるための教育、陸曹教育も受けず陸曹になれる道もある」
「それは……」
「新しい部隊《特務科》———戦場に出て戦うのでは無く、戦争で如何に俺たち兵を動かせる能力が求められる科だ………お前にぴったりだろ、一樹?」
確かに、《特務科》と言う部隊ならば、身体的に戦う事が出来ない一樹でも、頭を使った戦いであれば百戦錬磨だ。
しかし、本当にそれでいいのか? と言う己への問い掛けが頭の中を過ぎる。逡巡する彼に、傑がはっきりとした口調で言葉を重ねる。
「———難しい事は、やってみてから考えろ。失敗を恐れんな。失敗したら、その失敗を繰り返さないよう考えまくれ………お前の得意分野だろ」
「………はっ、確かにな」
いつだって。迷い、戸惑い、立ち止まった彼の背中を押してくれるのは、この傲岸不遜、猪突猛進、単細胞で脳筋馬鹿の腐れ縁で、一樹が唯一認める親友の傑だった。彼の言葉は、一樹の迷いを一瞬で振り払ってくれる。……そんな傑の頼みだからこそ。
「いいぜ、やってやるよ………精々、僕に酷使されて過労死んすんじゃねえぞ傑?」
「はははっ、てめえに使われた所で死ぬ程柔な身体してねえよ。お前と違ってモヤシボディじゃねんだ」
互いに冗談を言い合い、笑い声を重ねる。
一樹と傑。互いに持ってないものを互いの長所で埋め合い、ずっと生きてきた腐れ縁。
互いに信じ合っているからこそ、こいつなら何かしてくれると言う安心感がある。信頼がある。この日傑が帰った後、一樹はすぐに自衛官になる為の試験を受ける為、一番近くの地方協力本部に連絡を取った。目標が定まった時の彼の行動の速さは一つの長所だ。試験の日付、場所、内容を聞き一度地方協力本部を訪ねる事になった。
「………仕方ねえ、そろそろ外に出るか………」
気怠げに、面倒くさそうに呟いた一樹だったが、その声には何処か隠し切れない高揚感が見え隠れしていた。




