「昔の話」
回想です。
「なあ、これ・・・なんだ?」
座らせられた1人用の座椅子と掘りごたつが合体したような白のユニットシートの前方。
すなわち俺の目の前に据え付けられたモニターに映し出されたそれは、ここのところよく見るあのCMのように思えた。
正確にはもっと詳しいもののような。
「ああ、プロモーションだよ」
2つ向こうの同じようなユニットに座る男の腕を固定するベルトを締めつつ、学生時代の友人で医者の男は笑顔で振り返った。
「ま、その施術シーンは本当にユノアさんのものだけどな」
「ユノア?」
施術?モニターの中の女性は黒いロングストレートヘアで・・・自分とあまり年の変わらない。
いや、少し年下の女性が映っている。
何の話だ?眠っているのか目を閉じている女性は腕の辺りに・・溶接でもされているかのようなオレンジの光が散っている。
これは・・・腕輪?
しかもこの位置。
横で背を向けている友人の向こうでベルトを締められる男。
ちょうどその位置のように思える。
周りを見渡す。
白い巨大な長方形の空間にユニットシートがびっしりあり、横に通路がいくつかある。
あのひとつからつながる通路の向こうのエレベータで降りてきたのだ。
所々に黒いスーツとサングラスの男が立っている。
まるで何百年か前の映画の登場人物のようだと頭の隅に考えつつ隣の空のシートを覗く。
この施術シーンと似てないか?
「なあ、これ、健康診断だよな?」
声がうわずらなかっただろうかと思いつつ、まだ背を向けたままの友人に問う。
どうして健康診断の待ち時間でこんな映像を見せるのだろうか?
ちらちらと周りの人々のモニターを流し見る。
どこも点いてない。
そういえば座ったときにこの友人は、俺は友人だから特別だぞ?と笑ってこのモニターをつけた気がする。
では本来これは今現状では目にできないものなのではないか?
だとしたらこれは何か?
何故だかいやな感じがする。
そもそもこの健康診断は警察関係者や自衛隊員などが受けるものだというのは説明された。
しかし、案内されたのは大型だがひなびた、都心から若干距離のあるスーパーの一角に門を構えるクリニックだった。
国実施の検査ではないのかと眉をひそめ、中に入ると大型エレベータがあり地下へ通されてこの友人と対面したのだ。
ずいぶんおかしな偶然だとも思ったが、学生時代から秀才と称され国立病院を就職先に希望する彼が国の管轄する医療機関にいるのは夢がかなったのだなと肩を叩き合って再会を喜んだ。
かく言う俺も子供のころから夢見た刑事になり前線を走り回っていたわけだが。
「ああ、そうだよ?ま、ほとんど寝てていいし、楽なもんだよ」
眠っていろの間違いではないのか?
何故だかこの手の勘は昔からよくあたる。
スーパーの地下にあるクリニックでの国が実施する健康診断。
俺の前のおかしな映像。
その内容はどう見ても腕がないように見える。
正確には閉められたベルトから下がない。
これは本当に健康診断か?
おもむろに立ち上がる。
気づいた友人があわてたように近づく。
「おいお前いつ移動したんだよ?次、お前の準備したいんだけど?」
「いや、少し、具合がな。引っかかりたくないし、明日出直したいんだが」
「ああ、それ考慮されるから大丈夫だよ、最新式の検査機器だぜ?」
そのまま腕を握られそうになるのをとっさに払いのけた。
さすがにここで友人の態度もおかしなものに変わっていく。
「なに?・・・ああ」
俺が今まで座っていたシートのモニターに視線を1度向ける。
「これ見てなんか勘違いしただろ?こんなのただのCMだろ?お前こんなの気にする性質だったか?」
馬鹿だなあ、とへらりと笑う。
だが改めて、こいつはこんな奴だっただろうか?と目を見開くきながら口を開く。
「施術台とここのシート、腕輪の位置が似てる・・・。」
早口に、ややかみ気味になってしまった。
この時なぜ声を抑えたのかは分からないがとにかくゆっくり後ずさりつつ回りに気づかれないようにと足を運ぶ。
モニターを消し、こちらを向く友人の顔は、微笑んではいるが何か恐ろしく感じるものが見え隠れしている。
「ホント、敏腕刑事なんて呼ばれてるらしいけど鋭かったんだ?学生時代も勘がいいとは思っていはいたけど・・・。」
言葉が切れた。
友人の視線は俺を通り越してはるか後ろの何かに向かう。
同時に足音が小走りで近づくのを聞くと一気に飛びのきエレベータのある通路を目指す。
前方に走ってくるのは軽装だが武装したメットの男とあの黒いスーツである何とかなるだろうか?
普段の訓練がこんな形で役に立つなんてと苦々しく思いつつ走る。
その通路の直前でメットの男にかち合うだろう。
もみ合いにならなければいいがと心配した刹那。
やはりというか腕をつかまれた。
もう少しですり抜けられたのだがという思いとこれなら振り切れるという思いで腕を振り払おうとした。
だが視界にあのスーツが入り、次の瞬間、信じられないものが飛んできた。
スーツの男の手が伸び、迫ってきたのだ!
ムチのようなそれは俺の手に巻きつこうとした。
まずい!
とっさに痛みよりも得体の知れない何かに反応し、今腕をつかんでいる男の手をつかませる形で回避した。
そしてそれは正解だった。
メットの男の腕に伸びた手が触れた瞬間「ジュッ」という音と皮膚のこげるにおいがしたのだ。
何てことだ!
よく見るとあのスーツの手の内側からはオレンジの光が漏れている。
かなり高温なのではないのか!?
これはまずいとエレベータへ乗り込みながらメットの男の手を振る。
焦がされた腕が痛むのか数回で外れ男は転倒。
同時にエレベータが閉まり地上へ上り始めた。
なんてことだ!
何が起こった?あの検査は?
考えたいことは山ほどあったがそれどころではない。
とにかく安全なところまで逃げ切らなくては。
普段追いかける側のはずの俺がまさか追われる側かと苛立ったが、とにかく身の安全第一である。
数秒ほどだろうか?
このエレベータが停まるまで。
行きは体にかかる圧から「遅いエレベータだな?会談のほうが絶対早いぞ?」と笑っていたのだが。
とにかく人ごみを利用してスーパーを出よう。
そこからは全力疾走しかないだろう。
何せ広い砂利の駐車場で、遠く離れた通路の向こう側のスペースに車を停めたのだ。
本当に、何で近くに停めなかったんだ!
胸中で叱咤したがこちらが検査受診者用ですと勧められたのだった。
これも罠だったのか!
もう終わったことでどうしようもなく、とにかく走らなければと気を引き締める。
何よりあの気味の悪いスーツ。
あいつにだけはつかまりたくはないと思った。
あの奇妙な腕もだがそれ以上に生き物らしくない。
言い換えれば生理的にいやな感じがしたのだ。
そんなことを考えていたら不意に「チンッ」という音がしてドアが開いた。
だが残念ながらなぜかあのスーツ男が一番に現れた。
どうしてだ!?
答えは少しも不思議なことはなく地下にいたの男ではないのだ。
服装や雰囲気が酷似していただけでまず髪の色が違った。
別人だ。
にも関わらず気味の悪さは変わらない。
何なんだコイツらと叫びたかったが、そうもいかぬととにかく走りだす。
カートも陳列された商品もブースも飾りつけも何もかもぶちまけて!
昔の映画の逃亡シーン顔負けに。
ただし、俺は追う側のはずだが。
それでも速度を落とさず追尾してくるのだ。
何処の軍人だ!?
ああ、こういう時正義感や警察官としての誇りを失うのかと、この時思った。
あの手が伸びてきたのだ。
そしてあわてて避けた結果、買い物客・・・中年の主婦が代わりにあの手の餌食になってしまったのだ。
背中で感じる悲鳴。
品物の崩れぶちまける音。
本当に何をやっているんだと思う。
しかし、どうしてもつかまりたくなかった。
そしてなお走った。
敷地内をとにかく走った。
こんなに走ったのは何時ぶりか?
むしろ、犯人の追尾でもここまで走らない気がする。
考えているうちに出口の扉が視界に飛び込んできた。
あの扉を出たら次は車まで全力疾走!
今も十分走っているが、今度は人なんかほとんどいないのだから丸見えなのだ。
あの腕がどのくらい伸びるかは不明だが、とにかく離れたい。
そうしたら、後はすぐ車のエンジンがかかってくれることを願うのみだ。
扉は両開きのガラスドアだ!取っ手につかみかかる!
「ぐあっ!?」
手首に痛みが走り、皮膚のこげたにおいがかすめる。
先ほどとは違うスーツが別の方向から現れたのだ。
距離はまだある!
それでも手をつかまれているのだ。
とにかくとドアを出て、手首に張り付いた手をはがしにかかるが握力も相当なのだろう。
外れない・・・!
ドンッ
「!?」
閉めたドアにゴムのようになった腕を挟まれたままのスーツがぶち当たってきた。
ほかの扉も窓も近くにはないのでここを突破すればと思っていたがこれではすぐにほかの追っ手がくる。ギッチッギッチッという音を立てつつ外れないスーツの手と格闘。
だがそれは唐突に終わった。
焦ったのか、スーツがもう一方の手を振り上げ手ガラスドアをたたいたのだ。
瞬間、破片がスーツの手に刺さり同時に熱で溶け他のガラスがくっつく等したせいで身動きがとれず、手を離してしまったのだ。
その隙に俺は走り出す。
靴の裏に砂利の感触が食い込むのを感じながらとにかく、車へ走っていく。
ジャッジャッジャッ
変な音だ。
ジャリジャリなんて音ならシャレ以外の何者でもないのになどと考えるのは余裕ができたとかではなく、人間あまりにもとんでもないことに遭遇するとどうでもいいことしか考えられなくなるのではないかと思ってしまう。
だが、そんな考えも駐車場中央付近の物置小屋に近づくにつれ信じられない思いに変わっていった。
「日高。」
呼ばれたのは俺の名前。
そして呼んだのは久しぶりに聞く声だった。
「田川さん・・・」
目の前には、新米の俺の指導をし基礎を叩き込んでくれた先輩刑事。
田川が立っていた。
ただ、以前とは異質なモノとなって。
それはあのスーツ男から感じるいやな感じをまとっていたのだ。
転属になったとは聞いていた。
年も年だしキャリアから見ても上にあがれるだけのものもあったこの人だ。
一線を取り仕切る立場にでもなったのだと。
そうだ、別の署の課長になったはずだ。
そう、他県の。
飛行機でなら日帰りだなと笑って去っていった田川さん。
こんなに急に目の前に現れるなんてありえない。
秘密で休暇に遊びに来たとしてもこのタイミングはない。
しかもこの嫌な感じは。
「日高。何処へ行く?戻りなさい」
戻る?地下へ?
ああ、やっぱりこの人も・・・。
絶望的な思いが胸に満たされたがそれでも体は動きに走り出した。
それに横走りでついて来る。
驚異的なスピード、やはりありえない。
この人が一線を引いて転属した理由は実はこの足に異常をきたしたというのもあったのだ。
そして、自嘲気味なあの日の顔が浮かぶ。
それでもこれから先、若手を育てたいと言って転属していったのに、この動きはない。
これは今の俺ではすぐに追い詰められるだろう。
どうにかしないといけない。
どうしたら?考えはまとまりも何もない。
だがこの横走りの追尾も唐突な終わりを迎える。
突然足元が崩れたのだ。
すっぽりと。
落とし穴のように。
何がおきたかは分からない。
落ちる瞬間駆け寄る田川さんを阻むように煙幕のようなものが投じられ、視界の隅を飛び去る人型が見えた。
どこかで見た気がする。
・・・そうか、あのCMの女だ。
そこで俺の意識は途切れた。
寒いような気がするがよく分からない。
俺はあれからどうなったのだろうか?
あれから?
田川さんに会った。
昔と違って嫌な感じがした。
スーパーから逃げ出したんだ。
その後に。
スーパーの地下で何かされそうになったから。
じゃあ、あいつもぐるなのか?
そうかもしれない。
俺の頭は今落ち着いている気がする。
考えを、記憶を巻き戻してスマートに考えて・・・。
不意にまぶたを開ける。
薄暗い。
最後の瞬間に落とし穴に落ちた場面が思い出される。
何で駐車場に落とし穴が?その後のことがよく分からない・・・。
起き上がろうとするが、駄目だ出来ない。
硬い、どこかに寝かされているようだ。
体がだるい。
服は・・・着てない。
落とし穴が深く怪我でもしたのか?今は病院か?
「目が覚めたか?日高真司君」
日高真司。
俺の名前。
真実を司るなんて親父がつけた。
じいちゃんが刑事で。
親父は体が不自由で刑事になれず検事になって、だからつけた名前だって。
今はその名を呼ぶ身内はいない。
みんな他人ばかりだ。
で、誰だ?声のほうに頭を向ける。
かなりきついが何とかなるものだと内心笑った。
そこには大小モニターが、計器だかが並んで低い音を立てている。
その前に白髪の男が立っていた。
年齢もよく分からないが老紳士といった雰囲気がある。
服装はシャツにスラックスと白衣を着ている。
色つきのめがねをかけているせいで表情が読めない。
見覚えはない。
「意識ははっきりしているようだね」
モニターのひとつを確認して歩み寄ってくる。
嫌な感じはしないし、なつかしいかんじがする。
見覚えはないがどこかであっただろうか?
「あいつの孫が刑事になったのは知っていたが、こうなるとはな」
あいつ?誰だ?
「日高翔平の孫だな?」
それはじいちゃんの名前。
この男、思ったより年なのかもしれない。
じいちゃんの知り合いなのか?
「この施設のことを探るつもりで、すぐ隣じゃまずいからと簡易ラボと通用口をもおけておったら、まさかあいつの孫が降って来るとはな。人生何があるか分からん。」
フッと自嘲気味に笑う男。
嫌な感じがこれでしないのは・・・なぜだか分からない。
「とにかく、逃げて正解じゃったよ?あのまま『変異体』になっておったら、お前さんを追ってきた黒服の男たち・・・」
「・・・いやな、スーツの・・・。」
何とか声を絞り出した。その様子を見た男が愉快そうにうなずく。
「そう、いやな感じのスーツ。あれみたいな人形にされるところじゃったよ。もちろん、適正に分けて、何かしら変化を付けとるようだが。そう、最後にあった男。あの男のように」
最後・・・。田川さんか。嫌な感じは変わらないけどな。
「感じは、よくないのう」
この男、しゃべるペースとか、じいちゃんと同じ感じがする。
だからいやな感じがしないのだろうかと思いつつ体を見る。
特に何も変わらない気がした。
3つの点を除いては。
あと一話で終了です。
お付き合い、よろしくお願いいたします!