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愚者の祈りと聖女の祝福

作者: 和水

 そもそもの始まりは、祈りだった。


 どうかどうか、我が国の繁栄と発展を。


 どうか神様。


 誰よりも、どこの国よりも、栄誉と勝利に恵まれますように。


 世界一の国と王にしてください。


 世界で一番の大金持ちにしてください。


 そのために、我が手に貴方の祝福をお与えください。

 

 

 はたして、その願いを神が聞き入れてくれたのだろうか。


 連日、神殿にこもり、祈祷を行っていた神官たちの前に突如として、一人の少女が現れた。


 奇妙な衣装を身に着け、異国の顔だちをした黒髪の少女は、飲まず食わずで行われた祈祷のせいで疲労の色が強い見知らぬ男たちに囲まれ、青白い顔をした。


 それからはもう大騒ぎ。


 国を挙げての祝宴だ。


 華奢な体には似合わぬ豪奢な衣装を身につけさせられた少女に、立派なひげを蓄えた男が祝福をねだった。

 少女は言葉がわからなかったので、首を傾げた。

 傍らに付き添った男が、身振り手振りで、自分と同じことをするように伝える。

 後で、その男が大神官長で、ひげの男が国王だと知るが、その時の少女は何も知らなかった。何も。

 

 王宮での祝宴は、実に十日間にわたって行われた。

 よくわからないが、みんなが嬉しそうなので、少女もあいまいに笑った。

 そのあとは、黄金で作られた輿に乗せられ、王宮から街を出て、花びらが舞う中、手を振り続けた。

 泣きそうになるのを必死にこらえながら、王都から周辺の都市へ、町から村へ。国中に祝福を与え続けた。

 

 最初の兆候は、神殿だった。


 くしゅんっと鼻を鳴らす、神官が一人、二人出てきた。

 それは、王宮でも王都でも、増えてきた。みな、青白い顔をして、次々と病に伏していく。

 たいてい、七日間で死に至ったので、七日病といわれた。

 早ければ、三日。もって、二週間。病は猛威をふるい続け、王都を中心にして国に広がりを見せ、隣国にも病の手は伸び、海を挟んだ島々や新大陸にまで及んだ。


 国はもはや、国として機能していなかった。


 感染者は増え続け、地域によっては八割以上の者が亡くなった。

 一つの村が消滅し、一つの戦争が停止し、一つの言語が消え、一人の王が倒れ、そして死んだ。


 少女は病にかからなかった。


 それゆえに、人々は少女をあがめ、希望を見出し、祝福を求めた。

 幼く、何も持たぬ少女にしか見えず、疑いを持った者まで信じた。

 それまでの自分を恥じた。

 ああ、あの漆黒の髪の美しさ、白い肌を見よ。なんて、清らかなのだろう。

 彼女の澄んだ瞳を見よ。見つめられるだけで、心が癒されるようだ。

 汚れを知らぬ無垢な顔立ちこそ、天から舞い降りた証拠なのだ。


 聖女よ、我に祝福よお与えください!


 少女は、戸惑いながらも、人々の期待に応えるように必死に頑張った。

 不衛生な医療現場を見て、眉をひそめた。

 自分のわずかな知識をフル回転させて、この国の未熟な衛生管理を向上させようと奮闘した。

 それは、効果があったのか、それとも病の広がりの終焉と重なったのか、彼女の周辺では病で亡くなるものが、ほかの場所よりも少なかった。

 

 少女が、ゆっくりと周囲を見る余裕ができたのは、彼女がこの世界に来てから十か月以上経っていた。

 そして、自分を見つめる人々の瞳に映る己の姿に少女は戸惑った。

 悪夢のような十か月間だったが、その間に彼女は本物の聖女になっていたのだ。


 

「……以上です。ほかに何をお知りになりたいのでしょうか。サントヘリフェス陛下」


 

 陛下、という呼び名は未だに慣れないなと思いながら、イグニスアス・サントヘリフェスはにっと片方の口端を上げる。

 どんな女かと思えば、普通の女だというのが、聖女に対する彼の感想だった。

 恐ろしい七日病で、国王が死んだ後、王国を襲ったのは、王族間での玉座争いだった。

 不安定な国を、早々と病から立ち直った隣国が虎視眈々と狙いを定めるのは、当然のことだった。

 イグニスアスは七日病にはかからなかった。

 聖女が現れた当時は軍人で、今はこの国王となっていた。

 この期に及んでも、醜い争いを続ける王族を見限り、反旗を翻したのは国王軍だった。

 その先頭になったイグニスアスは、いとせず玉座争いに参戦した形になったが、最終的には彼が勝ち取った。

 サントヘリフェス一世となった彼は多くの問題を抱えていたが、その中で頭を悩ましたのは、聖女の存在だったのだ。


「あんたはさあ。ああ、言葉が悪いのは許してくれ」


 彼の旧友で、参謀で、執政役に命じた男が横目で睨みつけてくるのを感じて、片手をひらひらと振る。


「ええっと。名前はなんだ、アカネだな」


 聖女もとい、アカネが静かにうなずく。

 その瞳は先ほどまでなかった光があった。興味深そうに、イグニスアスを見つめてくる。


「……名前で呼ばれるのは嫌だったか?」

「いいえ」


 ふっと、アカネが笑む。

 しっとりした成熟した女性の色香を感じ、イグニスアスは戸惑う。

 聖女は神官と同じ。神聖な職につくものに対して、不謹慎な感情だと思ったのだ。

 厳格な父親の元で育ったイグニスアスは、本人の性格とは違うところで、根本的な精神に古い貴族の出自である高潔な血が深く流れていた。


「あまり、名前で呼んでくれる人はいないので」

「みんな、聖女様。聖女様だ」


 イグニスアスは同意し、目を細める。

 だから困るのだ。


「正直、アカネ。あんたの、いや、あなたの対応には困っている。あなたはこの国の功労者だ。七日病の時も、この国王族どもが、わいわい騒いでいる間も、あんたはこの国の唯一の希望だった。だが、俺はこの国を一新したい。昔の王族共のあくどい歴史をできれば、消したい」


 アカネは何も言わなかった。

 ただ黙って聞いている。


「神官どもが王族共と汚い癒着をしているのは知っているだろう? すでに、大神官長をはじめとして、お仲間共の死刑執行は決まっている。貴族連中も同じだ」

    

 この十年の間、実に五人の王と、三人の大神官長が出てきては、消えた。

 そのすべてに、アカネは付き添い続けた。

 いや、彼らがアカネを傍に置き続けたのだ。彼女の人気につけこんだ。

 その判断は正しいだろう。実際、アカネの国民からの人気はすさまじい。


「ことごとく無能な奴らばかりだった。その傍には必ずあんたがいた」

 

 また、あんた呼びに戻ってしまったが、もう正すことを、イグニスアスはしなかった。


「その結果どうなったかは、あんたもわかるだろう? 清らかな聖女様は、実は悪女だったなんて言う奴らがでてきた」

「……私は何もしていませんし、言ってません」

「ああ! その通りだろう。だが、信じない奴だって当然いる。さっきも言ったように、俺は今までの黒い歴史から一新したいんだ」

「では、死刑ですか?」


 はっきりと問われ、イグニスアスは口を閉ざす。

 まじまじとアカネを見つめた。

 そして、恐れと、どこか期待に満ちた黒い瞳に、ああっと嘆息した。


「あんたは死にたがっているのか、アカネ」


 小さく息を飲んだのは、唯一同室にいた腹心の男のみだった。


「何故だ?」

「何故?」


 アカネは遠い目をする。

  

 あれは、もう十年以上前だ。突如として、世界が一変した。

 まだ、十六歳だった。

 当時はまるで状況がわからなかった。言葉も何も。

 そんな中、襲い掛かった病の嵐。

 はじめて、自分が何かを成しえたという実感。役に立てて嬉しかった。

 あんな悲惨な状況の中で、唯一己一人だけが喜びに酔いしれた。子供だったのだ。

 自分が病にかからないのは、きっと元の世界で受けた予防接種が効いたのだろうと単純に考えた。


「……私が持ち込んだ」

「え?」

「きっと、私が持ち込んだんです。病を。この世界にはなかった病の元を」


 昔、アマゾンの僻地で暮らしていた部族が絶滅したのは、彼らを”発見”した学者が持ち込んだ病原体のせいだと、読んだことがある。

 未知なる病原体に対しての抗体がなかったため、一つの部族がこの世から消えた。 

 

「私に疫病がかからなかったんじゃない。私そのものが疫病の源だったんです。国中を練り歩いて、まき散らしたっ……!」


 とんでもない罪だ。


「殺してください。自分では出来なかったんです。何度も止められて……」


 アカネが袖をめくり、両腕を差しだす。

 イグニスアスは男らしい太い眉をひそめた。

 幾重にも重なる赤い線に、アカネに何人もの護衛がついていたことが、ようやく腑に落ちた。

 彼らはアカネを守っていたのではない。アカネが自死するのを止める役割だったのだ。

 すっと手を伸ばして、イグニスアスはアカネの両手を、己の両手で包み込む。

 おもわずという感じでアカネが手を引こうとしたが、イグニスアスがそれをさせなかった。


「アカネ。あなたのせいじゃない。病気のことは正直よくわからんが、あなたは何も悪くない」


 幼い子供を言い聞かすように、イグニスアスはゆっくりと口を開く。

 先ほどは、大人の色香を感じたというのに、今のアカネはまるで迷い子のようだった。

 いや、ずっと迷い子だったのだ。この女性は。イグニスアスはそのことにようやく気がづく。


「あんたが、この世界に呼んだのは誰だ? 国中に見せびらかせたのは? みんなが恐れる中、病の子供の手を握ってやったのは誰だ? 世界一の王になりたいなど、戯言を言ったのは誰だ? あんたは何も知らない子供だったんだ。誰が責められる?」

「……でも、私のせいです」

「じゃあ、あんたから人生を奪ったのは誰だ? いくつか知らんが、そろそろ結婚して、子供がいる年ごろだろう。この世界に来なければ、ふつうの人生をまっとうしていたはずだ」


 それは、イグニスアスには言われなくても、何度も考え、あきらめきった考えだった。


「それを奪ったのは誰だ? あのくそ野郎だ」

「陛下」


 腹心の男、アンガスカがこほんっといさめるが、無視する。

 

「他の奴らもそうだ。聖女様、聖女様って、崇めるのはいいが、あんたが一人の女性だってことを認めてない。いきなり自分の世界から連れてこられた、一人の母親の子供だったことなんて忘れてやがる」


 アカネの目じりから涙が一筋流れた。


「疫病のことだって、あんたのせいじゃないかもしれない。あの時期は、新しい航路ができたせいで、新大陸の発見があった。疫病はそこからきた可能性だってある。アカネ、あんたは何も悪くないんだ! 恨むなら、あのくそ野郎や、あんたを選んだ神様を恨め。悪いのはぜんぶ奴らだ」

「……でも、私のせいです」

「ああ、もう馬鹿野郎!」


 嗚咽をこらえながら、ぽろぽろと涙を流しながら首を振るアカネを抱きしめたいのを必死でこらえながら、イグニスアスは天を仰ぐ。

 アカネはきっと、こうやって自分を責めながら、この世界にきた理由を模索し、決着をつけたのだろう。

 それを覆し、癒すことには相当の時間がかかるかもしれない。

 手首についた赤い線を太い親指でなぞる。


「……アカネ、俺に祝福を与えてくれ」

「えっ?」

「してくれよ。今までの王にもしてやったんだろう? 俺にはないなんて変だ」

「でも……」

「いいから」


 言いながら、イグニスアスは椅子から降りて、その場にひざまずく。

 アカネは最初こそまごついていたが、すぐに涙をふき取ると、立ち上がる。

 もうその顔には迷いはなかった。美しく、すべての許しと癒しを与える聖女の姿があった。


「我、アカネは偉大なる聖アクーネリアの神から与えられた権限により、イグニスアス・サントヘリフェス一世に聖なる印と祝福を与える」


 まつげを伏せ、右手の人差し指と中指をを自身のおでこにあててから、右肩から左肩へ、そして心臓に与えると、最後に柔らかそうな唇にあてた。

 ゆっくりと目を開けると、柔らかな光をたたえた黒い瞳があらわれた。

 ひざまずくイグニスアスの姿をその瞳にとらえたまま、唇か離した指先を、イグニスアスの額にあてる。

 アカネの姿が見えなくなるのを惜しみながら、イグニスアスは瞳を閉じ、聖女の祝福を受けた。 


「ありがとうございます」


 立ち上がったイグニスアスに、アカネが頭を下げる。

 眉を上げて、先を促すイグニスアスに微笑み返す。


「少し心が軽くなりました。これで、心置きなく死ねます」

「……俺は別に、死刑にするなんて言ってないぞ」

「え?」

「なあ、アンガスカ?」

「ええ。まさか、聖女であられるアカネ様を死刑にするなんて、全国民が納得しません」


 アンガスカが深く頷く。

 さすがは子供の頃からの付き合いだ。イグニスアスはにやりと頷く。


「まあ、もちろん。色々と環境は変えなきゃいけないだろうがな」

「そうですね。このまま神職につかれるのはいかがなものでしょう」


 ああ、アンガスカ。気持ち悪いほど、俺の意図をくみ取ってくれる!

 イグニスアスはうんうんと頷きながら、にやにや笑いを隠さない。


「もちろん、なんなりと処罰は受けます」


 何も気づかないアカネが深刻な面持ちで、胸に手をあて目を伏せる。


「ああ。これから、考えよう」


 これまでの分、いっぱいいっぱい幸せにしてやろうと、イグニスアスはいたわる様に細い肩にそっと手を置いた。




 はたして、イグニスアスの代で、これまでにない繁栄と発展をもたらした。

 どこの国よりも栄誉と勝利が続いた。

 世界一かはわからないが、歴代の王の中では一番だろう。

 なかなかの財力にも恵まれた。


 だが、イグニスアスに言わせれば、傍らに立つ女性の笑顔が、いちばんの宝物だったという。





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