第4章 闇黒の瞳 (22)
野比伸太と出来杉英才。順位表を見ると、野比伸太は三一位、出来杉英才は三位だ。確かにこの成績なら二人ともAクラスだろう。Fクラスの僕に、Aクラスの知り合いなどいない。同じ一年生と言っても、AクラスとFクラスとでは、その学力差は天と地ほどもあり、そのため自然と交流が疎遠になるからだ。それにしても、三一位と三位がライバルというのもちょっと不自然な気がしないでもない。二位の馬鹿田と三位の出来杉がライバル、と言うのならもっと分かりやすいのだが・・・。
「しかしキミもずいぶんと無茶なことをしたね。この学校で学年トップを宣言するだなんて、前代未聞だよ。頼んだ僕が言うのもなんだけど、さすがにあれは驚いたよ。あの集団ヒステリーが危険だと判断して、とっさにあんなことをキミに頼んだけど、まさかああ出るとは予想外だった。伊藤君はあれで本当に良かったのかい?」
もちろん、良くない! とんでもないことをしてしまった!
しかしあの時は、ああでも言わなければ、間違いなく山田良治は危険だった。山田を守る義務など、僕にあるはずはない。正義のヒーローにだってなるつもりもない。それでも見過ごす訳にはいかなかった。「死ね」という言葉がまわり中から聞こえてきたとき、僕は山田の心が切り裂かれていくのを確かに感じていた。心が傷つき血を流すことのつらさは、誰よりも僕が一番知っている。言葉の刃でも、きっと人は傷つき死んでしまうのだと思う。たぶん、だからこそ、あのとき山田を見捨てられなかったのだろう。
しかしとっさのこととは言え、あの宣言は失敗だった。とりあえず、〈僕にできること〉という条件をつけたから、あまりにも無茶な要求なら、拒否することができるだろう。問題なのはリリスだ。僕にできるという条件を盾に、限界を越えた要求をしてくるに決まっている。あの騒ぎの中で聞こえてきた、「きゃ~ すてき~」とか、「その言葉、忘れないでね~」という声が、リリスの声にそっくりだったのは、きっと気のせいだと思いたい・・・。
う~ん、どうしよう。僕はどうしたらいいんだろう。しかしこの件に関しては、いま目の前にいる出来杉英才にも責任の一部はあるはずだ。なんと言っても僕は、彼の言葉に従って、みんなの注意を引き付けただけなのだから・・・。僕は意味がないと知りつつも、目の前にいる出来杉に向かって、弱音を吐かずにはいられなかった。
「いや・・・、さすがにあれは失敗だった気がする・・・。と言うか、ものすごく後悔してる。何かいい解決策はあるかな?」
「解決策は・・・ たぶん・・・ ない・・・ と思う。あえて言えば、一番の解決方法は、宣言どおりキミがトップを取ること。だめだったときは、謝って許してもらうしかないと思う。そのときは理由を話して、僕もいっしょに謝るよ。もし伊藤君が勝負に負けて、何かしなくちゃならないときは、もちろん僕も手伝わせてもらう。今回の件に関しては、僕にも責任があるからね」
なんて完璧なヤツだ。頭も良くて、顔もいい。それでいて性格さえも良いときている。まるで理想の男子像を実物にしたようなヤツだ。だがもし無理にでも欠点をあげるとすれば、彼の言葉が、なんだか教科書の模範解答のように聞こえてしまうところだろうか。理想的すぎて意外性に欠ける。
「ダメダメ~ そんなのもう無理~。イオリ君の宣言、もう学年中のウワサよ~」
なんだか妙にうれしそうな声で話しかけてきたのは、やっぱり江国美咲だった。
「やあ、江国さん。おはよう!」と、出来杉英才が爽やかにあいさつする。
「おはよう~ 出来杉君~ 学年3位おめでとう」とにこやかに江国美咲が応える。どうやら二人は知り合いのようだ。 僕が考えていることを察したのか、江国美咲が話を続ける。
「私と出来杉君は、二人ともクラス委員で一緒なの。私はFクラス、出来杉君はAクラスのクラス委員。出来杉君とは委員会の会議でよく会うのよ。ところで、イオリ君、すごいこと宣言しちゃったわね。イオリ君は、やる時はやる子だと思ってたけど、まさかここまでやっちゃうとはね。なんかもう、学年中、お祭り騒ぎになってるし。くる途中も小耳にはさんだけど、リリスさんとのデートをお願いしてもらうとか、アリスちゃんの彼氏に推薦してもらうとか、イオリ君のはだか踊りとか・・・。そうそう! イオリ君のカレシっていうのが一番笑えたわね」
まったく笑えない。これは何か手を打たないと、洒落にならない状況に追い込まれそうだ。
「ねえ、江国さんも一緒に考えてよ。さっきの宣言、なんとかして無かったことにしたいんだ。お願い。食事3回おごりでどうかな」
もう泣きそうな気分になりながら、僕は彼女に助けを求める。なんと言っても、やはり江国美咲は頼りになる。彼女の明晰な頭脳なら、きっと何か解決法を見つけ出すはずだ。
しかし僕の希望もむなしく、彼女から返ってきた言葉は非情なものだった。
「だからダメだって言ってるでしょう。だって、私もこの勝負に参加するんだから。さ~て、イオリ君に、何をお願いしようかな~」
〈ブルータス おまえもか!〉
僕の心に思い浮かんだその言葉は、たしかシェイクスピアの戯曲で使われていた言葉だったと思う。