第4章 闇黒の瞳 (21)
気がつくと、それまで成り行きを見守っていた周囲の1年生たちがざわつき始めていた。
〈おいおい、カンニングって騒いでたけど、全然カンニングじゃないじゃん〉
〈あのさっきから騒いでる彼、あれって噂の山田くん?〉
〈まったく恥ずかしいわね。自分がケンカで負けたからって、勉強で言いがかりなんて、負け犬ね〉リリスの声
〈山田のヤツ、卑怯な方法で、伊藤にイチャモンつけてたらしいぜ〉
〈伊藤くんて、あの不良の山田をケンカでやっつけたっていう噂の彼? 勉強もできたんだ~ ちょっとカッコいいよね~〉
〈イオリ君、カッコいい~。ケンカも勉強もできるなんて、どこかのサルとは大違いね~〉リリスの声
〈あの山田ってサル、さっきから何が言いたいのかしら。あんなのが同じ青葉台の生徒かと思うと、私まで恥ずかしくなるわ〉
〈ホント、サルは人間の学校に来るなよな~〉
〈山田君って、カツアゲとかもしてるのよ。卑怯なサルは、この学校にいて欲しくないわね〉リリスの声
〈山田みたいな卑怯なサル野郎は、早く消えろよ!〉
〈山田くん、早くこの学校から消えて欲しい〉
〈山田って、退学とかにならないのかな?〉
〈ああいうクズは、この学校には合わないよな!〉
〈あのサルと一緒の二人って、もしかしてサルの仲間たちかしら。一緒に消えてほしい〉
〈山田! ひっこめ!〉
〈偽善者! そこで正義ぶってんじゃねえよ! おまえこそみんなに謝れ!〉
〈もう、面倒だから死んじゃってもイイわね。フフッ〉リリスの声
〈山田! 死ね! おまえなんか消えろ!〉
〈山田くん! 消えて~ もう学校に来ないで~~〉
〈山田~ 消えろ~ ひっこめ~ なんなら死んでもいいぞ~〉
〈おまえなんか死んじまえ~〉
〈山田! 死ね!〉
〈山田! 死ね!〉
〈山田! 死ね!〉
〈山田! 死ね!〉
気がつけば、僕と山田の周りは異常な雰囲気に包まれていた。ついさっきまで、山田が正義の代弁者を気取っていたはずだ。それが一瞬で反転し、僕らの周りには、山田を排除し、完全に消し去ってしまおうとする集団の意思、いや集団の暴力が渦巻いていた。そもそも人に対して、「死ね」などという言葉は、決して使っていい言葉ではないはずだ。しかし集団の中で、そんな理性は完全にマヒしているようだ。周りにいるだれもが、山田に向って遠慮もなく、「死ね」という言葉の刃を投げつける。言葉の刃は、たとえ目には見えなくとも、山田の心を確実に切り裂き、このままではその命だって奪うだろう。今、この場所は異常だ。誰もがみな、殺意と狂気に染まり、何かに操られているようだ。しかし彼ら自身は、誰もそのことに気づいていない・・・。
早くこの狂気を止めないと危険な気がする。僕は周りの誰かに助けを求めようと視線をめぐらす。しかし誰もがみな酔ったように山田を糾弾し、その目は異常な陶酔感に支配されている。そのとき、一人の男子生徒が僕に叫んだ。
「伊藤クン、何でもいい。みんなの注意を惹きつけるんだ。キミにならできるはずだ。何かみんなが驚くようなことをして、彼らの気をそらして!」
その男子生徒は僕の知らないヤツだった。だがなんとなくさっきの野比とかいうヤツと似た雰囲気をもっている。やはりAクラスの生徒なのだろう。僕は彼の忠告に従うことにする。何でもいいから、みんなの気を引かないと! 僕はとっさに大声で叫んだ。
「みんな~~ ちょっと聞いてくれないか~~」
彼の注文どおり、みんなの視線を僕のほうに向けた。あとは何か驚くことをすればいい。チャンスは今しかない。僕は後先考えず、ただ思いついたことを口にしていた。
「僕はいま、カンニングを疑われていた伊藤だけど、たぶん僕のことをまだカンニングしたと疑っている人も多いと思う。だから突然だけど、僕は今この場を借りてみんなに宣言したいんだ。次の期末考査で、僕は必ず学年トップになる。もしそうなれば、僕がカンニングなんかしてないことの証明になるよね。それとついでだから、一年生のみんなに挑戦したいんだ。もし僕より上の成績をとった生徒には、僕ができることなら、何でも一つ言うことをきくよ。どうかな? 面白そうだろ?」
周りが、一瞬で静かになる。
いまこの場で、僕の発言に一番驚いているのは、間違いなく〈僕〉だ!!! とっさのこととは言え、なんてバカな発言してんだ! このバカ伊織~~~。
そのとき、真っ先に声を上げたのは、他でもない、あのリリスだった。
「キャー すてき。その言葉、本当よね~、忘れないでね~」
しまった! リリスのことをすっかり忘れていた!
だがもう何もかも全て手遅れだ。一瞬の静寂は、たちまち歓喜の渦に飲み込まれていく。まるでリリスの興奮がそのまま周りに伝染したかのようだ。なぜかわからないが、もう山田のことなど誰も見ていない。
「あっ、もちろん、お金とか、犯罪に関わることはダメだよ。それと・・・」
山田のことどころか、僕の言葉さえ、誰も聞いてない。そしてさっきまでの異常な殺意と狂気は、まるでウソのように消え去っていた。さっきまで僕が感じていた、この集団の恐怖感には、たしかに覚えがある。それは学生食堂でリリスに対峙したときに感じた恐怖と同じだ。間違いない。これはリリスが何かをしているのだ。彼女は、とても危険な何かをしている。
僕がそんなことを考えながら立ち尽くしている間に、山田良治は何も言わず、その場を後にしていた。彼の仲間の杉下と成山も、山田の後を追いかけるようにして去っていく。そして、一人取り残された僕に話しかけてきたのは、ついさっき僕に、〈注意を引きつけろ〉とアドバイスをくれた彼だ。改めてみると、なかなかのハンサムで、しかもまじめそうな印象を与える好青年だ。
「さっきは僕の言葉に従ってくれて、ありがとう。僕の名前は出来杉英才。さっきキミ達に話しかけていた野比君と同じAクラスだ。ついでに言えば、野比君とは小学生の頃からのライバルなんだ」