第4章 闇黒の瞳 (16)
「イオリ君の話が、な~んだか微妙~にウソっぽく感じられるのは、とりあえずまぁ気のせいってことにしておくね。
まず夢の中の本が現実の本と一文字も違わなかったっていうのは、それほど不思議なことじゃないわ。ある説によると、人間というのは実は一度見たものを、一生涯決して忘れないらしいの。意識的であろうが無意識であろうが、人間の脳は見たもの全てを情報として記録してしまう。それは特別な人間に限ったことじゃなくて、誰であろうと、人間は一度見たものを決して忘れないということよ。
でも残念なことに、人間は脳の中に記録した情報をすぐに取り出せなくなってしまう。つまり思い出せなくなってしまうのね。でもそれは忘れたということじゃなくて、あくまでも思い出せなくなっているだけ。情報は脳の中にきちんと保管され続けているわ。その情報は十年たっても、二十年たっても消去されることなく完全に保存され続ける。でも時間が経てば経つほど、人はその情報を思い出せなく、つまり引き出せなくなっていく。でも情報が無くなってない証拠に、催眠術を使って無意識の状態にしてやると、人は生まれたばかりのことでも、正確に思い出すことができる。つまり、夢というのもこの催眠状態と同じだということ。夢に出てきた本の中身が現実と完全に一致したのは、現実で脳が記録した本の情報が、夢の中で完全な状態で再生されていたから、ということになるわね。
ところでイオリ君の話が微妙にウソっぽいと言ったのは、夢の内容をそんなにはっきりと覚えていられる〈友人さん〉のこと。通常の睡眠状態であれば、人は思考力が極端に低下し、覚醒時と同じレベルでの思考は不可能になるわ。というより、夢の中でアイデンティティー(自我)を見失わないでいられること自体が難しい。でもその友人さんは、睡眠中でありながら、夢の内容をそこまで明確に理解し、分析し、そして記憶していた。そんなことは普通できないはずなの。だから常識的に判断するなら、イオリ君はその友人さんに、からかわれている可能性が高いと考えるべきね。ただし、幾つもの偶然が重なって、たまたまそのような特殊な意識の状態になることも、可能性はゼロじゃないと思う。本のことについては、これでだいたい説明ができたと思う。
ついでに言えば、夢の中のインターネット検索も同じ理屈で説明できると思うわ。その友人さんの睡眠時の状態が、さっき言ったような特殊な状態にあったと仮定すれば、コンピューターの検索画面には、その友人さんの脳に記録されているさまざまな情報、つまりは本人が無意識のうちに脳に記録した膨大な情報が、検索結果として画面に映し出されるかもしれない。でもそこに映し出されるのは、あくまでもその友人さんの脳に保存されている情報だけ。友人さんが見たことも聞いたこともない情報は、もちろん映し出すことはできない。いくら無意識に得た情報が膨大だからと言って、個人の経験や知識なんて、しょせんはインターネットの情報量に比べればわずかなものよ。だから、夢の中でのネット検索は、実際には不可能だと考えたほうがいいわ。それに睡眠状態の脳に、それほど複雑な演算処理が可能かどうかも疑問だわ。記憶の単純な再生とは違って、検索という機能には複雑な演算が必要になるものね」
なるほど、そういう理屈だったのか! 確かに江国美咲の言うとおりなら、夢の中で教科書が普通に読めたことも、真っ白なページがあったことにも説明がつく。でもこれだと、夢の中でも普通にインターネットが使えたことや、ステラがネット動画を好き放題に見られることの説明はつかない。しかしさすがにこれ以上、江国美咲に頼るのは危険だろう。〈千里眼〉の観察力をもつ彼女のことだ、きっと〈友達さん〉の正体が僕であることも疑っているに違いない。この話題はこのへんで切り上げておくことにした。
「ありがとう。すっごく助かったよ。友達には、いま聞いたことを伝えておくね。でもきっとそいつ、江国さんが言うように、僕のことをからかっていたんだと思う。こんどあったら、とっちめてやらなきゃ」
ちょうどその時、いつの間に教室にきていたのか、僕と江国美咲の会話にリリスが入りこんでくる。
「なになに? 何か面白い話? とっちめてやるって誰を? そう言えば昨日、イオリ君、誰かとケンカして、そいつをとっちめてやったって本当? なんかウワサで聞いたんだけど、体育館の裏でケンカして、イオリ君がどっかの不良を簡単にやっつけちゃったって。不良は泣きながらコソコソと逃げていったって聞いたわよ。〈とっちめてやる〉って言うのはその話?」
!!!!!!!!!!!!!!
なんとも衝撃的なデマと真実!!!
ウソとホントがごちゃごちゃになってるから、始末におえない。って言うか、せっかくもみ消した事件を、どうしてここで堂々と暴露してるんだ。気づけばクラス中の視線がこっちに向いている。しかもいつの間にか、教室にはかなりの数の生徒が登校し終えていた。
「バカな冗談はやめようよ。みんなが本気にするだろ。だいたい僕みたいなヘナチョコが、まともにケンカなんかできるはずないだろ。ましてや不良が泣きながらって、あり得ないにも程があるよ。それにこの学校でケンカなんかしたら、それこそ停学だよ。冗談でもそんなこと言うのはやめようよ」
僕の声は微妙にうわずっている。百歩ゆずってケンカが事実だとしても、一方的にやられたのは僕だ。それがなぜ不良が泣きながら逃げていったことに、話が改ざんされているんだろう。あまりの非現実さを思えば、いくらなんでもこれを信じる人間はいないだろう。しかしリリスは更に追い討ちをかけてくる。
「え~~ だってみんなウワサしてるよ~~ イオリ君が昨日、不良に呼び出されたけど返り討ちにしたって。なんでもその不良って、人からお金を巻き上げているような、どうしようもないクズだって聞いたわよ。それをイオリ君が注意してケンカになったとか。私、その話を聞いたとき、さすがはイオリ君だって思ってウレシかったのよ。もし私が危ない目に遭ったとしても、きっとイオリ君が助けてくれるから安心だわ。さすがは私の王子さま。キャッ♪ でも私の大切なイオリ君が停学になったらたいへん! これはやっぱりただの冗談ってことにしましょうね。イオリ君、すてき~」
リリスはやっぱり敵だ・・・。
もはや何を言い返す気力もなく、周囲に目を向ける。すると、まわりでウワサしている声が聞こえてくる。
〈そういえば昨日の朝も、山田ともめてたよな。マジかな? 伊藤すげ~〉
〈伊藤君って、なんだか最近、急にカッコ良くなったよね〉
〈不良って、やっぱり山田君のことかな?〉
〈え~ 山田君って、泣きながら逃げていったの~ 超カッコわるいね~〉
〈山田って、怖そうなイメージだったけど、実はたいしたことなかったんだな〉
〈山田君って、やっぱり紙クズだったのね~〉
もうウワサは止められないだろう。リリスの言葉は全て事実として生徒たちの間に広がっていく。しかも「不良」という言葉が、いつの間にか、しっかりと「山田君」に入れ替わっている。
そしてウワサをしている生徒たちから少し離れた所に、顔を真っ赤にしながら怒りに震えている山田良治の姿があった。