第4章 闇黒の瞳 (12)
ムリだ!!!
こんなの全部無理に決まってる! 『かぐや姫』の求婚譚じゃあるまいし、難題を出すにもほどがある。彼女の考えを聞きたいだけで、なんでこれほどの難題に応えなければならないのか。要求と代価のつり合いがとれてないのだ。普通に考えれば、誰だって断るに決まってる。いったい江国美咲は何を考えているんだろう。
そもそもまず第一の課題だが、この青葉台高等学校は県下でもそれなりに知られる進学校だ。その上位50名と言えば、つまりは青葉台のAクラスレベルということになる。現在Fクラスの僕に、勉強で1年生200人をゴボウ抜きしろと言ってるのと同じだ。難題というレベルを通り越して、もはや不可能だ。そして二つ目の課題だが、リリスから何かをもらうだなんて危険すぎる。見返りに何を要求されるか分からない。それはまさに悪魔と取引するのと同じくらい危険だ。ましてや婚約指輪を渡すなんて、自分から悪魔に魂を差し出すようなものだ。もちろん江国美咲はリリスの正体を知らない。だから彼女にすれば、僕が婚約者の彼女にお願いしてオモチャを一つもらえばいい、くらいのつもりで言っているんだろう。しかし現実問題として、この課題は僕にとっては危険すぎて、実行不可能なのだ。そして三つ目。これは今日の昼休みに、婚約解消を試みて失敗したばかりだ。しかも問題はそれだけじゃない。僕に興味があると言う江国美咲の言葉そのものが信用できないのだ。僕は彼女が三つ目の提案をしたとき、その提案が、かつてリリスが仕掛けてきた色仕掛けと全く同じであることにすぐ気が付いた。もしあのときの経験がなければ、僕は江国美咲の言葉を疑いもせず信じていただろう。おめでたい僕は彼女の言葉に舞い上がり、彼女を信じて迂闊な行動をとっていったかもしれない。しかし逆に言えば、この三つ目の罠があったからこそ、僕は彼女に対して不審の目を向けることができた。彼女の言葉をそのまま信じるのは、ちょっと危険な気がしたのだ。まさかとは思うが、彼女には彼女なりの何か目的があるのかもしれない。彼女の性格と行動に一貫性がないのも、そう考えると妙に納得がいく。
つまり要求と代価の釣り合いを考えれば、僕は彼女の提案を全て断るべきだろう。しかしそれでも、僕は彼女の考えを聞いてみたかった。彼女の観察眼は異常に鋭い。もし彼女の目に、僕の何かが見えているというのなら、僕はその答えをどうしても知りたい。もし僕に、何かの価値があると言うのなら、僕はなんとしてでもそれを知りたいのだ。
「どれも無理だよ。冗談はやめて、もっと現実的な交換条件にして欲しいんだけど・・・」
「あら? 冗談じゃないわよ。イオリ君が無理だって言うなら、もうこの話はこれでおしまい。私は、イオリ君がどうしても聞きたいっていうから、条件を出しただけ。どうする? やる? やめる? もしやるなら、どの条件を選ぶか、今すぐこの場で決めてね」
僕は迷いに迷った。迷って迷って3分以上も無言のまま考え続け、結局僕の口から出た言葉は、
「わかった。じゃあ、学年順位50番以内に入るよ・・・」というものだった。
僕の答えを聞くと、今度は江国美咲が黙り込んでしまう。何やら考え込んでいるかのようだ。そしてしばらくの沈黙の後、彼女はおもむろに語り出した。
「う~ん。やっぱりイオリ君は面白いね~。だって普通、こんな無理な条件出されたら、誰だって断ると思う。でもイオリ君は断らないんだね。これって君が、自分の価値をどこまでも探し求める探求者だから、ってことを意味してると思う。イオリ君は気づいてる? キミは今、どんな困難を代償にしてでも、自分の価値を見つけ出そうとしている。その強い意志を持ち続ける人間だけが、自分を何度でも成長させ、いつか大きな人間になっていくんだよ。ちょっと前までのイオリ君は、そんなキャラじゃなかったように思うんだけどね。キミはまた、私の前で新しいイオリ君を見せてくれた。これでもまだ、キミは自分が普通だと思ってるんだよね。
ところでイオリ君、キミは、なんで二番目と三番目じゃなく、一番目の条件を選んだのかしら。
たとえば二つ目の条件、リリスさんの指輪という交換条件をキミはパスした。それはなぜか。もし二人の婚約が本当で、しかも二人が相思相愛の関係だったら、イオリ君はこの二つ目の条件を選んだはずなの。なぜならこの条件がキミにとって最も簡単な条件のはずだから。だって、ただ彼女に頼んで指輪をもらえばいいだけのことよね。でもそんな簡単なはずの条件を、キミはパスした。それはなぜか。それはすなわち、キミたち二人の関係が、実は良好でないか、あるいは指輪の入手が想像以上に困難であることを意味しているわ。君たち二人の間には、いったい何があるのかしら? とても興味深いわね。
さらに言えば三つ目の条件もまたキミはパスした。リリスさんとの関係がもしラブラブなら、当然キミはこんな条件を呑むはずがない。しかし二つ目の条件をパスしたことを考えると、君たち二人の関係が良好とも考えにくい。ならば彼女との関係を解消し、私との関係を前向きに考えても良いはず。自分で言うのもヘンだけど、私だってかなりの美人だと思うの。でもキミはこの三つ目の誘いも断った。それはなぜかしら。どんな困難を代償にしても答えを知りたがっているキミが、なぜこの条件をパスしたのか。可能性として一番高いのは、たぶんキミが私を信用してないから。私がチラつかせた甘い誘いが巧妙な罠であることに気づいたキミは、危険を感じて私に不信感をもった。あるいはそれとは別に、リリスさんとの関係にキミが強く縛られているせいなのかもしれない。昼休み、キミはリリスさんとの関係を否定しようとして、一度失敗している。
そして全ての結論としてキミが選んだのが、学年50位以内に入るという第一の条件。普通の人間なら、こんな条件を呑むはずがないわ。でもキミは、あえてこの条件を選んだ。それはすなわち、この短期間の間に、学年50位以内に入る何らかの反則的な方法があるか、あるいは自分の能力への絶対的な自信、ということになる。あくまでも普通の人を自認するイオリ君らしからぬ選択だわ。キミはどんな方法を使えば、50位以内に入れると判断したのかしら。それもまた興味ぶかいわ。
ところでイオリ君、左腕はもうすっかり良いみたいね」
千里眼・・・。彼女の観察能力は、〈鋭い〉というレベルを越えて、もはや〈異常〉だ。その観察力は、僕の心をすべてを見透かしているかのようだ。
・・・彼女と結婚した男は、絶対に浮気なんかできないな・・・ って、そうじゃなくて! どうしてこんな人間が、僕のすぐ近くで普通にクラス委員なんかしてるんだ???!!! どうしてこれまで誰も、彼女の異常さに気付かなかったんだろう。僕が当たり前だと思っていた日常の風景が、ぜんぜん当たり前でなかったことに僕は驚きを覚えていた。