第1章 夢のはじまり (5)
「それって、そんなにすごい物なんですか? 夢がそんなにすごいもんだなんて、今まで考えたこともなかったけど、なんだか面白そうだし、僕にはそれがいいかも・・・」
少年は深く考えもせず、そう口にしていた。そのちっぽけな実が、老紳士がことさら言うような価値あるものにはとても思えないが、さっきまでの鐘や小刀と違って、どうやら危険なものではなさそうだ。しかも夢の中の出来事を忘れないでいられるなんて、すっごく楽しいに違いない。
しかしそのときになって、彼はようやく自分がお金をいくら持っているのかという、最も基本的かつ現実的な問題に気がついた。そうだ、ぼくはお金を持っていたのだろうか・・・。少年はズボンのポケットに手を入れ、財布を探しながら店の主に聞いてみた。
「ところで、おじさん。それの値段って・・・」
「値段? いえいえ、この店の品物には、どれも値段などはございません。どれもこの世に2つと無いものばかりですから、仮にもし値段をつけるのであれば、それは誰にもお支払いのできない値段になってしまいます。
しかしここにある品物の価値を決めるのは、先ほども申し上げたとおり、お客様自身です。もしお客様がその品物に、一銭の価値も無いと思えば、その品物はただのガラクタでしかございません。ですから、この店では、この店を訪れてくださったお客様に、お客様が気に入った品物を1つだけ差し上げることになっております。
それがこの店のルールなのです。
この店は、すべての次元で共有される無意識の世界に存在する店です。分かりやすく言うならば、人が夢の世界と呼んでいる世界のほぼ中心に存在する店なのです。この世界に迷いこみ、しかも意識を失わずにこの店までたどり着ける方は、そう多くはありません。ですから、この店に運よくたどり着くことのできた方は、この店から1つだけ好きな品物を持ち出して良いことになっているのです。お客さまの前に、この店に人が来たのは、お客様の世界を基準にすれば既に90年以上も前のことだと言えば、おわかりになるでしょうか」
「夢の世界? 90年前?」
少年は思わず聞き返した。これまで、少年は老紳士の言っていることを、半分冗談のつもりで聞いていた。もちろん嘘だと思っていた訳ではないが、半分は骨董品の夢を語り、客に夢を売る一流のストーリーテラーの話術として聞いていたのだ。そもそも老紳士が語っていた話は、どれも突拍子もない話ばかりだった。しかし、もし店主の言うことが全て本当なのだとしたら、自分は今まさに夢を見ているまっ最中ということになる。これが夢だというのなら、老紳士の言葉が嘘とか本当とか、悩んでいることにも意味がない。夢は、朝になれば全て消えてしまう無意味なものなのだから・・・。
老紳士は、更に話を続ける。
「そうです。ちなみに前に来られたお客様は、まだ若い青年で、確か『魅力』という名の指輪をお持ち帰りになりました。その指輪をした者は、どんな人間でもとても魅力的な存在になり、その強烈な魅力の力で周りの者、誰をも惹きつけることができるのです。しかも1度その魅力に取り込まれた者は、もうその魅力に逆らうことができません。そんなまやかしの魅力では、本物の愛情は手に入らないのだと、何度かご忠告はしたのですが・・・。
そのお客様は、自分は背が低くて、何の取り柄も無いのだから、だれも自分のことなど愛してはくれないのだとおっしゃっていました。自分にはこの指輪が絶対に必要なのだと。たしか、彼は画家を目指していると言っていましたが、はたして彼の夢は叶ったのでしょうか。彼は本当の愛を手に入れたのでしょうか・・・」