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夢の迷宮  作者: Miyabi
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第4章 闇黒の瞳 (1)

(第4章)


 朝、ベッドから起きようとしたら、僕の左腕は動かなかった。

 ただ片腕が使えないというだけで、まるで自分がイモムシのようだ。ゴロゴロと転がって、苦労しながら右手だけでベッドから起き上がる。動かない左手は、見た目にはまったくの無傷だ。しかし触っても感覚がなく動きもしない。まるで自分以外の何かが肩にぶらさがっているといった感じだろうか。これはかなり危険な状態なのだろう。数週間で治ると言ったムーンライトの言葉が急に不安になってくる。

 制服に着替える時は、もっと大変だった。持ち上がらない左腕が、制服の袖をなかなか通らない。もしこんな状態が親に見つかれば、ひと騒動起るのは避けられない。しばらくは注意しながら、うまく誤魔化すしかないだろう。

 僕は急いでいるふりをして、朝食を食べている両親たちを素通りして家を出る。そして自転車を片手で操作しながら、いつものように学校へと向う。いつもどおりに交番前を通過し、いつものようにけやき並木の通りを過ぎると、いつものように駅前の商店街に出る。通行人をよけながら、僕はちょっと危ない片手運転で商店街を通り抜けていく。

 この商店街は夢でみたあの商店街だ。夢の中で僕は、いつまでたってもこの商店街から出ることができなかった。あのとき僕がここから出られなかったのは、この場所が一つのテリトリーになっていたから、というのが本当の理由でないことに、僕は心の底で気がついていた。あのとき、僕はここから出られなかったのではなく、本当は出ていきたくなかったのだ。心の底にある僕の願いを、テリトリーは忠実に反映していただけだ。この商店街を抜ければその先には学校がある。学校に行きたくない、これ以上先に進みたくない、という無意識の願いが、僕をこの商店街に閉じ込めていたのだと思う。夢で自分の部屋がテリトリーになることが多いのも、外に出たくないという僕の臆病な無意識がそうさせているのかもしれない。

 そんなことを考えながら、僕は商店街をいつものように通過していく。ただいつもと少し違ったのは、今日の僕はなぜか心が落ち着いていて、いつものような不安や苛立ちが感じられないことだった。学校に行くのが嫌で、どこかへ逃げてしまいたくなる不安を無理にしこめていた昨日までの僕と違い、今日の僕は、いつにない妙な心の開放感にとまどっていた。こんなに穏やかな気分で学校へ向うのは、いったいいつ以来のことだろう。

 校門を通り抜けて自転車を駐輪場に置くと、僕はいつものように教室へと向う。廊下には登校してきたばかり生徒や、早くから学校に来ていて立ち話に興じる生徒などでにぎわっている。

 1年Fクラス、それが僕の教室だ。僕が通う県立青葉台高等学校は、県下でもそこその進学率を誇るそこそこの進学校だ。2年生以上は文系理系の進路別クラスに分かれるが、1年生は単純に成績別のクラス編成になっている。つまり1年Fクラスとは学力最下位のクラスであり、進学校とはいえ、Fクラスはすでに落ちこぼれ予備軍のクラスであった。そしてそんなクラスには、進学を早々にあきらめ、一般には不良と呼ばれるような困ったヤツも何人かは紛れ込んでいた。教室の入り口では、そんな不良の一人、山田良治やまだりょうじが入り口をふさいで、気の弱い生徒にちょっかいを出している。

「おっと~ 伊藤ちゃん~ ここを通りたければ、通行税はジュース1本でいいぜ~ 昼飯時によろしく!」

 口調は軽く、ふざけた様子で話しかけてくるが、実際はただのカツアゲだ。山田はそうやって、毎日、何人かを選んでは昼飯をみつがせている。クラスには山田の子分のようなヤツもいて、ここで山田の命令を断れば、後で面倒なことになるのは間違いない。山田の手口は巧妙で、毎日のカツアゲ犠牲者を交代制にしている。そのため、「面倒なことになるよりは、少しの金で済ませたほうが・・・」という気分になってしまうのだ。山田に逆らってイジメを受けるより、週1本の缶ジュースで済ませたほうが楽に決まっている。そうやって、人間心理の弱さを巧妙に突いているだけ、山田のやり方は性質タチが悪かった。いつもの僕なら、心とは裏腹な作り笑いを浮かべ、言われるままに要求をんでいただろう。こんなクズを相手にするのは時間の無駄だ、ジュース1本で済ませたほうが賢い生き方だ、と自分自身の心をいつわりながら・・・。

〈人の心は弱い・・・ 自分を傷つける真実には向き合いたくないし、信じたくもない・・・ 自分を慰める甘い言葉は心地よく、それを信じるほうが楽だ・・・〉

 真実の剣が僕に言った言葉が脳裏をよぎる。これまでの僕は、こんなヤツに金を取られるのはイヤだ、という自分の本当の心には向き合おうとせず、〈賢い生き方〉という都合のよい言葉で自分自身をあざむきながら、何も言わずに山田に金を貢いでいた。金を取られても反論一つしようとしない自分の心の弱さが許せないし、その自分の弱さを認めようとしない自分のズルさがもっと許せなかった。僕はこれ以上、自分をだますような生き方をするのがイヤになった。弱いなら、せめてその弱さを認められる誠実な人間でありたいと思うようになった。これ以上自分を嫌いになりたくはなかった。〈真実の剣〉と出会って、僕はほんの少しだけ変わったのだと思う。

「そっか、じゃぁ後ろから入るよ」

 そう言うと、僕は教室の後ろの入り口へと向う。山田は一瞬、あっけに取られたような表情を浮かべた後、突如怒りに顔をこわばらせながら、後ろの扉へと走る。そしてすかさず足で入り口をふさぎ、

「おっと、こっちの入り口は、通行税、缶ジュース2本なんだぜ。テメエ、ふざけてんじゃねえぞ」と本性をあらわにする。


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