第3章 星のかけら (15)
「グォーーーーーーーーーー」
鬼は叫びながら近づいてくる。声は殺気を帯びていて、そこに理性は全くない。たぶん何も考えてないのだろう。この世界の狂気に染まった生ける屍・・・。
僕はドスドスという足音に耳を凝らしながら、タイミングをはかり、鬼がちょうど僕の真横を通り過ぎようとしたその時、鬼の足元に飛び出した。鬼が立ち止まって僕を見下ろした瞬間、僕は渾身の力を込めて黒い剣を振るう。狙いはただ一つ、鬼の足だ。黒い剣よ、砕けるな!!! 僕はそう心に念じながら、剣で鬼の脛に向って斬りつける。
ゴン!
もちろん切れ味などない。黒剣の刃はあちこちが砕けていて、〈斬る〉という殺傷能力など、はなから期待していない。しかし手ごたえは充分だ。今、僕に必要なのは打撃だ。
「グアーーーーーーーーーー グァーーーーーーーーーー」
鬼は恐ろしい形相で叫び、足を押さえてのたうち回る。弁慶の泣き所とは良く言ったものだ。僕はすかさず鬼を飛び越え、苦しみに叫ぶ鬼を残して、最後の力を振り絞って走り出した。目指すはあの岩陰だ。鬼が苦しんで周囲が見えなくなっているスキに、岩陰に隠れるのだ。後ろなど振り返る余裕もなく、僕は走った。僕に許された時間は、鬼が立ち上がるまでのわずかな時間。それはもしかしたら10秒もないかもしれない。
僕は走った。タイムを計れば確実に自己ベストをマークしたはずだ。走って走って走って、そのまま岩を飛びこえ、身を翻して岩陰に隠れる。僕を見失った鬼は、僕が先に逃げたと勘違いして、どこまでも先を追いかけていくはずだ。だが、もしここで見つかれば鬼との戦闘は避けられない。というか戦闘にすらなるはずもなく、次は命がけでゲートに逃げ込む方法を考えねばならない。
「ヒギャーーーーーー ギャアアーーーーーー」
狂ったような叫び声をあげ、鉄棒を振り回しながら鬼が突進してくる。僕はもし鬼が岩の前で立ち止まったら、すぐにでも反応できるように身構えていた。しかし鬼は立ち止まることなく、そのまま先へ先へと走っていく。
「ギャアアアーーー グッアアーーー ギャヤーー ダヒャー グアー アー ァァ ァ ・・・」
叫び声が遠ざかっていく。頭に血が上った鬼は、きっと何も考えずどこまでもどこまでも追い続けていくに違いない。
助かった・・・。極度の緊張から解放された僕は、起き上がる気力もないまま、そこにガックリと倒れこみ、息が整った後もしばらくは動けなかった。朝、目が覚めたらジョギングに行こう。体力がなければ、次はきっと死ぬ。スーパーマンは無理でも、せめてスポーツマンにはなろう。
僕は黒い剣を杖の代わりにして、よろよろと立ち上がった。急ごう。僕には時間がない。もしこの世界の狂気に染まれば、黒い剣を振り回す小さくて弱っちい鬼が一人増えることになる。あんな無様な生き物になるのは絶対にイヤだ。
僕は、鬼の後を追いかけるようにして道を歩き始めた。